つがいのちぎり
「で、おまえはなんでエドウィン様にくっついてきた?」
スノウはとりあえず、レイラの寝巻を着せてもらった。
エドウィンもようやく落ち着きを取り戻して、ベッドに座っている。レイラは風呂どころではないので、戻って着替えてきた。
「あるじ様、見たの。悪い子を許してくれたところ。だから、スノウもあるじ様に…」
「あの…スノウというのは、私が勝手につけた名前です。あなたにはあなたの名前があるでしょう?」
エドウィンが遠慮がちに聞くと、スノウはかぶりを振った。
「スノウたち獣人は、名前はつがいにもらうの。さっき、あるじ様とちぎりを交わしたから、スノウの名前はスノウなの」
「契り?」
レイラがエドウィンに視線を向けるが、エドウィンもわからないというふうに首をかしげる。
「さっき、ちゅうしたでしょ」
スノウが自分の唇とエドウィンの唇を人差し指で指す。
「は?」
「え?」
レイラは冷たいまなざしをエドウィンに向ける。
「そ、そんなことは私は…あ、あっ、あ!」
「心当たりあるんですか?」
レイラはさらに冷たい視線を浴びせる。
「さっき、猫の姿の時に…」
「そう。あれが契りなの。あるじ様は、スノウのあるじ様に決めたの」
「はあ…」
レイラは額を押さえてため息を吐いた。
「野良猫。それはおまえの勝手な言い分だ。私たちはおまえを養う余裕はない。悪いことは言わないから、ほかをあたれ」
「やだ! スノウはあるじ様がいいの!」
「きゃあ!」
スノウはエドウィンに抱き着いた。エドウィンはまた悲鳴をあげる。
「やめろ、野良猫! エドウィン様も、抱き着かれたくらいで動揺しないでくださいよ」
レイラはスノウをエドウィンから引っ剥がした。
「で、でも、女性に抱き着かれるなんて…」
「ああ、そうでしたね。野良猫。セレーネ教の司祭は女神にすべてを捧げている。そういうわけだから、おまえの願いはかなわないぞ」
「別にいいもん」
「は?」
スノウはすましてエドウィンの隣に座る。
「あるじ様が誰に全部捧げるのは、あるじ様の勝手。スノウがあるじ様に全部捧げるのも、スノウの勝手だもん」
「おまえな…」
「ま、待ってください、レイラ。スノウ、これからの旅は道中危険なこともあります。あなたを一緒に連れてはいけません」
「大丈夫! スノウ、猫になればいいんでしょ?」
「いえ、そういう問題では…」
スノウは一瞬で少女から猫に変化した。
「はあ…。これが獣人の変化か」
レイラは呆れ半分、感心半分で寝間着の隙間から出てきたスノウを見下ろす。
「…困りましたね」
スノウは、にゃあと鳴いてエドウィンの手に顔を摺り寄せた。
「しかし、獣人がこんな北の方にいるなんて珍しいですね。本来なら、もっと南に生息していると聞いていますが…」
「スノウ、変な人に捕まったの」
「きゃあ!」
再び人化した全裸のスノウに驚いて、エドウィンはまた悲鳴をあげる。ベッドにへばりついた。
「もう…エドウィン様、女の裸くらいでいちいち叫ばないでください。ほら、野良猫。おまえも服を着ろ」
レイラは寝間着をスノウにかぶせる。スノウも急いでそれを着た。
「村に人間が来て、いいところに連れてってやるって言われて、それでスノウたちついていったの。そしたら、人間に売られて、人間にいじめられて、スノウ、逃げ出してきたの」
「おまえたちを人間に売るために甘言で連れてこられたんだな」
「なんてことでしょう…」
エドウィンは深い憐れみの視線をスノウに向ける。
「スノウ、苦労しましたね」
「エドウィン様…」
「でも、今はあるじ様がいるから平気。スノウたち獣人はね、一生に一度、つがいを自分で決めるの。それがエドウィン様なの」
この流れはまずい、とレイラは思った。
「そんな辛い目に遭っても、スノウは頑張ってきたんですね。レイラ、彼女のつがいが見つかるまで一緒に…」
「却下です」
レイラは切り捨てた。
「そんな余裕はありません。私たちは無一文なんですよ?」
「でも、今回も助けてくれる方もいらっしゃいましたし…」
「ただ偶然です。そんなものに頼ってどうするんですか?」
「いいえ、女神のご加護です。女神は自分を信じるものをお見捨てになられたりはしないのですよ」
エドウィンはやさしく微笑んだ。
「スノウ、猫になったらあんまりご飯食べないから平気! あるじ様に迷惑かけないから、お願い!」
必死に食い下がるスノウに、レイラはため息を吐いた。なんで私が悪者みたいになっているんだ、と。
「…次の飼い主がみつかるまでですよ」
「ありがとう、レイラ!」
「やったあ! スノウ、あるじ様と一緒!」
がばっとスノウはエドウィンに抱き着いた。
「スノウ、年頃の娘がそういう過度な接触は…」
「だってスノウ、あるじ様と一緒がいいんだもん!」
距離を取ろうとするエドウィンに、スノウはべったりとくっつく。
「いい加減にしろ、野良猫」
レイラがスノウの首根っこをつかんでエドウィンから離した。
「野良猫じゃないもん、スノウだもん!」
「わかったわかった。いいから、おまえは猫に戻れ。でなければ、エドウィン様と一緒に寝るのは禁止だ」
「えー…」
スノウはエドウィンに助けを求めるよう視線を向けるが、「レイラの言う通りにしましょう」とエドウィンは答える。
「…わかりました。じゃ、これで」
スノウは猫の姿になった。にゃあと鳴いて、エドウィンにすり寄る。
「ではエドウィン様。今日はもうおやすみください」
「ええ、そうします。私は女神書を読んで休みますから、レイラは先に…」
「何をおっしゃいます。私があなたより先に寝るわけがないでしょう」
「いえ、私のことは気にせず…」
「剣の手入れをしますから、どうぞ私のこともお気になさらず」
レイラはそういって、剣と手入れ道具を袋から取り出した。
エドウィンは戸惑ったが、女神書を取り出して読み始めた。幼いころから何度も読んでいて、ところどころ汚れて傷もある。それでもレイモンドに初めてもらったものだから、大事に使っていた。
もう暗記するほど読んでいるが、いつも読書と女神への祈りはかかささない。
スノウはベッドに入り、そのまま眠ってしまった。
月明かりがやさしかった。
「どうぞお気をつけて」
「ありがとうございました」
「お世話になりました」
エドウィンとレイラは礼を言って、宿を出た。朝食の時にも説教を少しすると、とても感謝してくれた。
「とても信心深い方たちでしたね」
「ええ。おかげで助かりました」
スノウはエドウィンの腕に抱かれている。
「さて、これからアメジストの街へ行きましょう。このあたりでは一番大きな教会です。レイラ、行ったことはありますか?」
「いいえ。私はありません」
「そうですか。私も幼いころにホプキンズ様に連れてこられたきりですから、記憶はほとんどありません。覚えていたとしても、かなり変わっているでしょうね」
二人は歩いて町の出入り口近くの乗合馬車へ向かう。
「…で、どうやって馬車へ乗るおつもりですか?」
レイラは冷たい口調で言う。
「とりあえず、お話をしてみましょう」
エドウィンは微笑んだ。全くこの人は、何しても思い通りになると思っているのだろうか。レイラは内心呆れた。
「おはようございます」
「ああ、お客さん?」
中年の御者は席を掃除していた。
「はい。ただ、私たち、持ち合わせがなくて…」
「…は?」
御者は首をひねる。
「金がないのに乗るきかい? 冷やかしはごめんだよ」
御者は手を振って二人を追い払おうとする。
「私たちはセレーネ教の請願者です。彼女は教会の護衛ですから、道中魔物が出ても大抵の危機は乗り越えられますよ」
「なっ…」
「ほう」
レイラは唖然としたが、御者のほうは気持ちが動いたようだった。
「てことは、ただで乗せる代わりに護衛をしてくれると?」
「ええ。それに私は司祭ですから、防御魔法と回復魔法が使えます」
「エドウィン様…」
レイラは開いた口が塞がらない。人がよさそうに見えて、この人は本当に強かだ。利用できるものはなんでも利用するのだろう。
御者は少し考えてから、うなずいた。
「ふーん。護衛を頼もうと思ってたんだが、その分は二人分の運賃てことか。いいだろう、乗れよ」
「ありがとうざいます!」
エドウィンは両手を組んで深々と頭を下げた。
馬車には男二人と女性一人、親子連れが一組乗ってきて、出発した。
「すみません、レイラ」
「何がですか?」
「あなたの意向も聞かずに、強引にこの馬車に乗ると決めたことです。あなたに馬車の護衛を押し付ける形になりました。乗せてもらえるか確証がなかったので」
「別にいいですよ」
レイラは気にしたふうでもなく答える。
「私はあなたの護衛ですから、好きに使ってください。このあたりの魔物で、私の手に負えない程度のものはいないでしょうから」
「いえ、今度からはちゃんとあなたに確認します」
「別にいですけど、エドウィン様がお気になさるなら、好きにしてください」
途中で休憩をはさみながら、馬車の中でエドウィンがセレーネ教の司祭だとわかると説教を求められ、それに応えてアメジストの街へ夕方到着した。
「魔物は出ませんでしたね」
エドウィンは申し訳なさそうに御者に話しかける。
「護衛ってのは保険みたいなもんだから、出なきゃそれにこしたことはねえよ。それに」
御者はエドウィンの肩をたたいた。
「俺もセレーネ教だから、司祭様の説教を聞けてよかったよ」
「…こちらこそ、ありがとうございました」
エドウィンはにっこり微笑んだ。
「エドウィン様、ここの教会へ行かれますか?」
「そうしましょう」
スノウはエドウィンに抱かれたまま、周りをきょろきょろとみている。
「大きな街ですね、私のいたペリドットの倍はあるでしょうか」
「本当ですね。教会も大きいですよ。店もかなり賑わっていますね」
道路も整備され、屋台からはいい匂いがしていたり、雑貨や小物なども売っている。
「教会で宿を借りられるといいのですが」
「そうですね。私たち、無一文ですからね」
レイラが棘を含んだ一言をいうが、エドウィンは聞き流した。
「そういえば、昼食も食べていなかったから、お腹が空きましたね」
「何度も言いますが、私たちは無一文ですよ?」
「…わかってます。とりあえず、教会へ急ぎましょう」
教会は街の真ん中にあり、豪奢なものだった。教会のシンボルと、金銀で縁取られた建物。ステンドグラスも色とりどりで見事だ。
「立派な教会ですね…」
「本当に」
エドウィンはレイラと二人で教会を見上げた。スノウは足元でうろうろしている。
「失礼します」
教会の聖堂の中へ入ると、修道女が祈りを捧げていた。
「よろしいですか?」
「ええ。あら、あなた方は…」
修道女がエドウィンたちを見て、うなずく。
「セレーネ教の司祭様ですね」
「はい」
「それと…教団騎士様?」
「ええ。こちらは司祭のエドウィン様です。私は護衛のレイラと申します」
「アメジスト教会へ御用ですか?」
「エドウィン様はこのたび、請願者に選ばれました」
「まあ…!」
修道女は驚きのあまり声をあげた。
「初めまして、エドウィン様。私がこの教会の司祭、クリストファーと申します」
エドウィンよりいくらか年上に見える司祭は、エドウィンたちを歓迎してくれた。ほかの修道士や修道女もそろい、エドウィンに声をかける。
「ずいぶんお若いのに、請願者に選ばれたのですね」
「私も驚きました。ですが、与えらえたお役目は誠実に果たそうと思います」
エドウィンはにっこりと微笑む。
「宿はお決まりですか?」
「いえ、それが…」
「エドウィン様はスリの子供に全財産を施してしまったので、私たちは無一文です」
レイラが端的に状況を説明する。
「まあ…」
「そんなことを…」
「はははは!」
修道士たちが驚いている中、クリストファーは声をあげて笑った。
「なんと御心の広い方でしょう、エドウィン様は。女神もきっとあなたを誇りに思っていますよ。もちろん、宿代などここではいただきませんから、どうぞお泊りください」
「ありがとうございます…」
エドウィンは顔を赤くして礼を言った。