攪乱
「…はあ」
レイラは風呂に入ってから、部屋の中でストレッチをしていた。
明日にはここを出て行かなければならない。だとすると、今夜教会の中を探るしかないか。皆が寝静まったときを見計らってどうにかしよう。
不意に、何か奇妙な音が聞こえた。
「…? なんだ?」
扉から音が聞こえる。何かの泣き声とがりがりと引っかくような音だ。
「…まさか」
レイラは立ち上がり、部屋のドアを開けた。足元には、白い猫がいた。
「! おまえ…」
「レイラ!」
白い猫は人化して、部屋の中へ全裸で入り込んだ。
「…なるほど」
レイラのを寝間着を着て、スノウは部屋の中をうろうろしながら、エドウィンの現状をつたない言葉で説明した。レイラは大きく息を吐く。
「そんなことだろうとは思った」
「ええ!? レイラ、なんで分かるの!? すごい!」
スノウは尻尾をぶんと振る。
「エドウィン様がいなくなって得をする人間が誰かを考えれば、彼しかいない。まして、私に請願者に推薦しろというくらいだからな…」
「レイラ、今すぐエドウィン様を助けに行こうよ!」
スノウはレイラの腕を引っ張る。
「落ち着け、化け猫。魔法で施錠されていて、中には入れないんだろう?」
「あっ…うん。そう」
スノウはレイラの腕に込める力を弱める。
「だとしたら、どうやってエドウィン様を隠し部屋から出すか…だ。飲み水も食べ物もないなら、そう長いこと放置しては置けない」
「そうだよ! だから、早く助けなきゃ…」
「クリストファー様より呪文レベルの高い者か…。このあたりにいるだろうか。望みは薄いだろうな」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
スノウが焦って尻尾を立たせる。
「今から教会本部へ連絡して応援要請をしても、時間がかかりすぎる。まいったな…」
レイラはがしがしと頭をかく。
「一番いいのは、エドウィン様が隠し部屋から出て、真実を皆に伝えることだ。修道士や修道女たちは、動物を虐待していることは知らないだろう。知っていて加担しているとは思えない。だったら、隠し部屋にする必要はない」
「そっか」
「ただ…どうやって、隠し部屋から出るか、だ」
「うん…」
スノウは考えることが苦手なので、毛を逆立てるくらいしかできない。レイラはしばらく腕組みをして考える。
「…おい、化け猫」
「化け猫じゃないもん、スノウだもん!」
「おまえ、エドウィン様のためならなんでもできるか?」
「あるじ様のため?」
なんでも、と言われると考えてしまうが、スノウは勢いよく手をあげた。
「する! スノウ、あるじ様のためなら、なんでもする!」
「内容も聞かないで返事していいのか?」
「だって、あるじ様のためだもん!」
「わかった。なら…」
レイラは作戦をスノウに告げた。
「クリストファー様」
「アリソン。どうしました?」
朝食が準備された食堂で、アリソンがクリストファーに小声で伝える。
「レイラの姿が見当たりません」
「なんだって? …こちらの動きに気づいたのか?」
「わかりません。ですが、あの部屋はクリストファー様以外には入れないはずです」
クリストファーは顎に手をあてて逡巡する。
「念のため、見に行ってみましょう。皆には先に朝食を食べるように言っておいてください」
「かしこまりました」
クリストファーが席を立った時だった。
「にゃ、にゃお~ん」
食堂の中に、猫の鳴きまねをした少女の声が響いた。
「なんだ?」
「誰だ?」
「猫の鳴きまねなんて…」
食堂の出入り口から、猫の耳と尻尾を持つ少女が、寝間着のような服を着て、皆の様子を伺うように立っていた。
「あれは、まさか…」
「獣人じゃないか?」
「南の地方にいるとかいう話は聞いていたけど…本物ですか?」
クリストファーは獣人の少女を凝視したが、すぐににっこりと微笑んで少女に近づいた。
「君は? 獣人がここにいるなんて珍しいね。どこからか迷い込んだのかな?」
スノウは少し距離をとりながら、うなずく。
「そうなの、スノ…えっと、8番目は迷ったの。あるじ様を探してるの」
「あるじ様、とは?」
「スノ…8番目のつがいになる人」
「そうか。それが君のあるじ様なんだね。私がいい人を探してあげよう。来なさい」
「…いや」
少女はかぶりを振る。
「おまえはいや!」
しゃあっと少女は威嚇して、四つん這いで教会の中へ駆け出した。
「待ちなさい! 獣人だ、皆、捕らえなさい!」
クリストファーの指示に、皆戸惑った。
「捕らえろとは…」
「獣人をどうなさるのですか?」
「富裕層の皆様に重宝されるでしょう。獣人は貴重ですからね。さあ早く、捕らえなさい! 教会のためです! 我々のためにもなるのですよ!」
教会のためと言われれば、修道士や修道女も逆らう理由はない。クリストファーに従い、彼らは教会の中を獣人の少女を追うはめになった。
獣人は高値で取引される。クリストファーには獣人の少女が金に見えた。
「待ちなさい!」
「そっちはだめよ!」
「こっちへ来なさい!」
少女は教会の中を四つん這いで走り回る。たん、と天井や壁によじのぼって跳び、追ってくる修道士たちを翻弄した。
「…仕方ない」
クリストファーが眠らせるために呪文を唱えようとすると、その隙を与えず、少女は隣の部屋へ逃げてしまう。魔法をあてようとしても少女のほうが素早かった。
教会の聖堂から図書室、廊下、修道士たちの部屋、談話室、書斎、廊下、修道女たちの部屋、食堂、そして動物たちのいる部屋へ少女は走っていった。
「さあ、もう逃げられませんよ!」
あの部屋は行き止まりだ。クリストファーは愉悦に満ちた表情で少女を追った。
「しゃーっ!」
「いい子だ、さあこっちへいらっしゃい」
不意に、クリストファーは足を止めた。おかしい、と気づいたのは彼が最初だった。ひどい異臭がする。確かに動物がいるから、多少は臭いがしたが、こんなひどい臭いはしなかったはずだ。
「なんですか? 変な臭いがしますね」
「汚物の臭いみたいですよ」
修道士と修道女たちが騒ぎ出した。
まさか、とクリストファーは動揺した。このままあの部屋へ皆を連れて行くのは、まずいかもしれない。
「私が彼女を捕まえますから、皆は戻ってください」
「大丈夫ですよ、クリストファー様」
「私たちも行きます」
あの部屋が開くはずはない。そう思いながらも、クリストファーは悪寒がした。そして大抵の人がそうであるように、その予感は当たった。
修道士や修道女たちが目にしたのは、いつもいる動物たちの部屋の奥に、大きな穴の開いた隠し部屋----その中に、傷だらけの動物と、汚物にまみれて疲れ果てた様子のエドウィンだった。
獣人の少女の姿はいつの間にか消えていた。寝間着が床に落ちていた。
「これは一体…」
「どういうことですか?」
「とりあえず、エドウィン様を助けましょう」
修道士と修道女が率先して助けに穴から入って、エドウィンを連れ出した。
「…み」
「え?」
「水を、ください…」
隠し部屋から出されたエドウィンが苦し気にそういった。
修道女が水を汲んできて、エドウィンはそれを一息に飲む。よほど喉が渇いていたのか、水差しが空になるまで飲んだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ…」
エドウィンは大きく息を吐いた。
「ありがとうございます」
「エドウィン様、一体何があったのですか? どうしてあそこに?」
「それは----」
エドウィンがクリストファーを見上げた時だった。
「ああ…エドウィン様」
クリストファーがエドウィンを抱きしめる。
「えっ…え?」
エドウィンは動揺して固まった。
「おかわいそうに、あんな場所に閉じ込められて…。一体誰がこんなことを?」
「誰が…とは」
エドウィンは困惑してクリストファーをみつめる。
「それは、あなたが」
「こんなひどい目に遭わせられて、記憶が混乱しているのですね。でも、大丈夫ですよ」
クリストファーはエドウィンの両手を包むように握る。
「あの動物たちもかわいそうに、鞭で打たれたようだ。皆、外へ出してあげなさい」
「ですが…」
「ひどく人間を警戒してるようです」
隠し部屋の中の動物たちは、修道士たちや修道女たちが近づいても、威嚇して吠えている。皆そばに寄れず遠巻きに見るしかない。
「食べ物を与えて、掃除をしてあげなさい。そうすれば…」
「クリストファー様」
エドウィンは立ち上がり、
「もういいでしょう」
「何がですか?」
「あなたの罪を認めてください。この動物たちをこんなふうにしたのは、あなたであることを」
修道士たちと修道女たちはエドウィンの言葉に、凍り付いた。
まさか、そんなはず、という声と、どうして、という声が上がる。
ここに隠し部屋のあることを知っている者は少数だろう、とエドウィンは踏んでいた。
全員の前でそういえば、動揺していない者だけがクリストファーの事情を知っている者に違いない。エドウィンは周りを見渡した。
「…何をおっしゃっているのですか?」
クリストファーはひどいショックを受けた表情で、エドウィンを振り返る。
「やはり、こんなところへ閉じ込められたあまり、混乱していらっしゃるのですね。でも、大丈夫ですよ、エドウィン様」
クリストファーはエドウィンの肩を抱く。
「あなたのことは、私が面倒をみましょう。そうだ、請願者の役目もこんな状態では無理でしょうから、私が代わって差し上げます」
「そんな…そんなことはできません。お断りします」
「皆さん、エドウィン様はお疲れの様子。部屋へ連れて行って休ませてあげなさい」
「離してください! 私は正気です!」
エドウィンはクリストファーの腕を振り払った。
「女神は見ていらっしゃいます。あなたのなさっていることを。この動物たちを虐待しただけではなく、そのことを知った少年にも沈黙の魔法をかけて黙らせましたね。そしてあなたが動物たちをご自分の利益のために売り払っていることも。全部、女神はご存じなのです」
「…錯乱していらっしゃるようですね」
クリストファーは哀れみの視線をエドウィンに向ける。
「この隠し部屋のことなど、私は知りませんでした。きっと私の前の司祭が作ったのでしょう」
「いいえ。あなたはご存じです。何故なら」
エドウィンは隠し部屋にいる動物たちを手をあげて指した。
「この部屋にいる動物が、鞭で打たれた、と言ったからです」
修道士たちと修道女たちはざわめいた。端から見れば、それは鞭で叩いたものかどうかなど、見分けがつかないのだ。
「鞭で打たれたかどうかわかるのは、打った本人だけです。それはあなたが他ならぬ鞭で打った人間だから…そうでしょう?」
クリストファーは答えずにじっとエドウィンをみつめる。そしてふっと視線を外した。
「…やれやれ」
クリストファーはかぶりを振った。
「エドウィン様はお疲れだ。さあおまえたち、彼を部屋へ連れて行きなさい。そして部屋から出してはならない」
「ですが…」
「それは…」
「私の命令が聞けないのか?」
クリストファーににらまれ、修道士たちはたじろいだ。彼らはお互いに顔を見合わせる。
「そんなことをする必要はありません」
エドウィンは微笑んだ。
「大丈夫です。あなた方の女神は、クリストファー様の声を聞けとおっしゃるでしょうか。そうではないでしょう。あなた方が今すべきことは、私を捕らえることではありません。この動物たちをここから出して手当てをして、街の人たちに罪を告白するのです。真摯に謝罪すれば、きっと街の人たちは受け入れてくれます」
「…まったく、おめでたい人だな、あなたは」
クリストファーは嘲笑した。
「やはり、あなたは請願者にふさわしくない。私に譲るべきだ。教会の汚点を外へ広めるなど、あってはならない」
「ご自分のしたことを汚点だと?」
「私は常に清廉潔白でなければならないのです。そう求められてきた。そしてそれに応えて来たのです。あなたに邪魔はさせない」
「…いいえ。女神はこうおっしゃっています。人間は過ちを犯す生き物です。そしてその過ちを償うことができるのもまた人間であると。クリストファー様はご自分の罪をお認めになって、それを白日のもとにさらされるべきです」
「相手にしていられないな。あなたこそが教会の汚点だ」




