エドウィンの旅立ち
セレーネ教会の聖堂。
微笑んで両手を広げている女性の像がセレーネ教の女神セレーネである。大司教ホプキンズが女神像の前で修道士と修道女、司祭を集めていた。その中の一人、年若い司祭エドウィンがホプキンズの前に立ち両手を合わせて目を閉じて傅いている。
「エドウィン・マッケイ、君をセレーネ教の誓願者に任命する」
「そのような大任を私に…。光栄です」
エドウィンは感極まった表情で、両手で持てるほどの大きさの水晶の女神の像を渡される。
「さすがエドウィン様」
「素晴らしい」
「選ばれると思ってたよ」
ざわめく数人の修道士と修道女たち。
「これから君は誓願者として、世界中のセレーネ教の教会をまわらなければならない。困難な道だ。時には逃げ出したくなることもあるだろう。だが、君ならやり遂げられると信じているよ」「はい、ご期待に添えられるよう精一杯努めます」
エドウィンは笑顔で答える。
「君の警護に、教団から騎士を一人つけるから、心配いらないよ」
「ありがとうございます。時にホプキンズ様」
「なんだ?」
「私の養父レイモンドも誓願者として出発し、聖人に加えられました。ですが、ここのところ手紙の返事がないのです。よほど忙しいのでしょうか」
「ああ、彼も聖人に加えられ、忙しい日々を送っているからね。仕方ないことだ。彼には私から言っておこう。さて」
ホプキンズは修道士たちへ向き直って言う。
「これから1か月後に旅立ち、エドウィンは長らく不在になる。新しい司祭が着任する予定だが、今まで通りセレーネの教えを守って励むように」
修道士と修道女たちは「わかりました」「励みます」と答えた。
エドウィンは手の中の女神像を誇らしげにみつめる。
「エドウィン、君に女神のご加護と祝福がありますように」
請願者とは、セレーネ教の信者たちの女神セレーネへの願いを水晶へ預け、教会の総本山へ届けるのだ。そのため、世界各地にある教会を回ることになる。長い道のりになるだろう。
育ての親のレイモンドも請願者に選ばれたことをとても喜んでいた。総本山へ行けば、彼に会えるだろう。エドウィンはこれから会えるであろうセレーネ教の信者たちのことを思った。
彼らの願いを私に届けることができますように。エドウィンは女神にそう祈った。
1か月後。教会の前で修道士と修道女に見送られ、エドウィンはリュックと両手に荷物を抱えていた。
「お帰りをお待ちしています」
「ご無事で」
「それにしても、教団の騎士というのはまだですかね…」
そろそろ時間ですが、と修道士は教会の時計を見る。
「失礼します」
騎士の鎧を身に着けた黒髪のポニーテールの女性がやってきた。
「あなたは…?」
エドウィンはくびをひねる。
「私はレイラ・ボールドウィン。教団からエドウィン様を護衛するため、まいりました」
左手の指輪を押すと、立体映像が浮かぶ。
「私が教団の騎士だという証です。ご覧ください」
指輪から見える映像には教団のシンボルである円にアスタリスクの文様と、騎士の序列、名前、経歴などが書かれている。エドウィンはそれを確認してうなずく。
「私がエドウィンです。これからよろしくお願いしますね。でも、女性だったなんでびっくりです」
「騎士の中にも少数ですが女性はいます」
レイラは目つきをするどくした。
「女性だと不安ですか?」
「とんでもないです! 誓願者に派遣されるくらいなのだから、きっと腕の立つ方なのでしょう」
エドウィンはかぶりを振る。「あなたに私の警護をお任せしますね。レイラ」
「そんなに簡単に信用するのもどうかと思いますが」
レイラは無表情のまま修道士たちを一瞥する。
「では、出発しましょう。みなさんとご挨拶が済んでいらっしゃるなら」
「はい、それではみなさん、お元気で」
「ご無事で」
「お手紙をお待ちしております」
修道士、修道女たちは手を振ってエドウィンが見えなくなるまで見送った。
エドウィンは先へ歩くレイラについて歩き出す。教会から少し離れた街中の屋台の並ぶ通りで、レイラは足を止めた。
「どうしました?」
「荷物が多くて大変でしょう。こちらへ」
拳大ほどの袋の口を開ける。
「エドウィン様の荷物をこちらへ入れてください」
「でも、こんな小さくては入らないのでは…?」
エドウィンは戸惑う。
「いいから、入れてください」
「???」
エドウィンは困惑したまま、レイラの持つ袋の口にリュックを入れると、しゅっと中に入った。
「すごい!」
エドウィンは感激した。
「これは袋が魔法の力をもっているのですね!」
「教団の道具袋です。旅の際に役立つように貸してもらえました。手持ちの荷物もどうぞ。私が管理します」
「ありがとうございます。取り出すときはどうするんですか?」
エドウィンは興奮気味に尋ねる。
「荷物を思い浮かべれば出てきます」
「すごいですねえ…。初めて見ました」
感心しきりな様子でエドウィンは聞く。
「重くはないんですか?」
「重さは感じません。せいぜいが袋の重さくらいですね。こんな魔法道具もご存じないのですか?」
「はい」
エドウィンは恥ずかしそうに言う。
「すみません。私、この町から出たことのない田舎者なんです。ものをよく知らなくて」
「自分で知ろうとしないのなら、田舎でも都会でも同じことです」
レイラは無表情で答える。
「本当ですね。レイラの言うとおりです」
エドウィンは素直に受け入れて笑う。
レイラはため息をはいて、嫌味に気づかないのかと思いながら道具袋を握る。
「ちなみに、教団から今回の旅費を預かっています。確認なさいますか?」
「はい、見せていただけますか?」
道具袋より財布を出してエドウィンに渡す。
「向こう半年ほどの旅費が入っています。半年たてば、また補充されます」
エドウィンは恐々それを手にする。
「うわ、ずっしりと紙幣が入っていますね。こんなに重い財布は持ったことがありません」
そのとき、10歳くらいの子供たち数人がレイラとエドウィンの周りをきゃあきゃあ言いながら走って行った。
「よろしいですか?」
「ええ、ありがとう…あれ?」
エドウィンは自分の手を二度見する。
「え? え? え? 財布が…」
「…お持ちじゃないんですか? …まさか! 今のあの子たち!」
レイラはエドウィンを置いて、身をひるがえして子供たちの集団を追いかける。子供たちはレイラに気づいて、バラバラに逃げた。
路地裏、屋台の中、店の一角、どいつが財布を持った子供かわからない。
(聞き出すなら、誰でもいい)と帽子をかぶった子供に狙いをつけて、レイラは路地裏に入った。
「!」
「待て!」
子供は小柄な体を生かして、狭い路地をかいくぐって逃げようとしたが、レイラのほうが一瞬早かった。子供は突き当りにある木箱に乗って壁を越えようとしたようだが、レイラに首根っこをつかまれて地面にたたきつけられた。
「いっ…てえ」
子供は涙目でレイラをにらみつける。
「人の大事な金を盗むからだろう」
胸倉をつかんで子供を立たせる。
「この凶暴女! 放せ! 放せよ、ブス!」
子供はレイラから逃げようと暴れる。
「ブ…おまえ、口のきき方に気をつけろ」
引きつった顔で子供の胸倉をつかんで持ち上げる。
「財布を返せ」
「知らない! 俺じゃない! 放せったら放せ!」
子供はじたばた暴れる。
「は、放して、あげてください、レイラ…」
やっと追いついてきたエドウィンが息切れしながら言う。路地裏の入り口からみつけたようだ。
「エドウィン様…」
レイラは少年の胸倉をつかんだまま振り返る。
「放したらこいつは逃げますよ」
「お願いします。この子と話をさせてください。君、いい子だから私と話をしてくれないかな?」
エドウィンはかがんで子供に視線を合わせる。子供はすぐそっぽを向いた。
「ヤなこった。どうせ俺を警察に突き出すんだろ」
「そんなことはしないよ。レイラ、お願いします」
再度エドウィンに言われ、レイラは仕方なく子供から手を放す。子供は逃げ出そうとするが、すぐにレイラにまた首根っこをつかまれた。
「チクショウ、放せ!」
「だから言ったじゃないですか」
レイラはエドウィンに呆れて言う。
「お願いだよ。私は君と話がしたいんだ。財布のことは咎めないから、逃げないでくれるかな?」
「…本当だな?」
子供は疑うようにエドウィンを見あげる。
「司祭だからね。嘘はつかないよ」
エドウィンは子供に微笑む。
「…何を聞きたいんだ?」
子供はエドウィンをまっすぐ見上げる。レイラは子供から渋々手を放した。
「君たち、以前から旅人や町の人からスリをしている子供たちだね。どうしてそんなことをするの? みんな困るだろう?」
「うるせえなあ…。俺たちだけで暮らしてくのに、金がないからに決まってるじゃん」
子供はふてくされて顔をそらす。
「君たち、子供だけで暮らしているの?」
エドウィンは目を丸くして言う。
「じじいと俺たちだけで暮らしてるんだ。じじいは俺らみたいな子供を集めて、泥棒させてんだよ。悪いか!」
子供は開き直って言う。
「…そう」
エドウィンは悲しげな目をする。
「苦労したんだろうね」
「わかったような口きくな!」
子供はエドウィンに食って掛かる。
「やめろ」
レイラは子供の首根っこをぐいと引っ張る。
「いいんですよ、レイラ」
エドウィンはやさしく微笑んだ。
「そうだね、君の気持ちを私にわかることなんてできはしないのに、勝手なことを言ってごめんね」
エドウィンに微笑まれ、少年は目をそらす。
「…でも、もし君や君の仲間たちが泥棒したりする暮らしを本当はいやだと思っているなら、セレーネ教の教会があるのは知っているかな? そこに助けを求めてほしい。私はエドウィンと言って、そこの司祭なんだ。エドウィンから頼まれた、と言えばきっと君たちを受け入れてくれる」
「…教会で俺たちを?」
子供は半信半疑の様子で聞き返す。
「教会は困っている人たちを受け入れるためにあるんだ」
「施しを与えてやろうってのか?」
子供は皮肉気に笑う。
「残念だけど、このペリドットの町の教会は貧しくてね。とても施しを与えられるような立場にないんだ。自分たちの食べるものも、畑を作って補っているくらいだしね」
エドウィンは苦笑する。
「だったら、なんで俺たちを受け入れるんだよ?」
「それが教会だからだよ。困っている人を受け入れるのが、私たちの役目だから。でも、無理強いはしない。君が来てくれることを、待ってるよ」
「………」
子供は俯いて黙り込む。
「女神セレーネはいつでも、私たちを見守っていてくれるから」
「…だよ」
「え?」
「女神が俺たちを見ているなら、なんでスリなんかさせておくんだよ。もっと朝昼晩食えるようなまともな暮らし、させてくれたっていいじゃないか」
「女神はただ施しを与えるのではないよ。自分が置かれた状況を打開しようとしたものに、初めて手を差し伸べるのだから」
「…俺にも?」
「もちろん。現に、こうして私とあなたが出会えたように」
エドウィンはやさしく微笑むと、かがんでいたのを立ち上がった。
「行きましょう、レイラ]
「え? どういうつもりですか? 財布は?」
レイラは面食らったように言う。
「私は財布のことは聞かない、と言いました。だからいいんです」
「そんな! 私たちの旅費はどうするんですか!」
レイラは悲痛な面持ちで叫ぶ。
「あんた、旅に出るの?」
子供は戸惑いながらエドウィンに尋ねる。
「ええ。私はセレーネ教の誓願者なんです」
「せいがんしゃって?」
「セレーネ教の信者たちの願いを、世界中の教会をまわって集めてそれを教会の総本山セレナイト教会へ運ぶ役目です。きっと何年も何十年もかかるでしょう」
「…いつか、教会に戻ってくる?」
「ええ、必ず」
子供は少し考えてから「…これ、返すよ」財布を懐から差し出す。
「長い旅だから、ないと困るんだろう?」
「やっぱりおまえが持っていたか」
レイラが手を伸ばすと、エドウィンがそれを片手で制す。
「いいえ。それはあなたが持っていてください」
「エドウィン様!?」
レイラは正気かと言いたげにエドウィンを凝視する。
「なんで?」
子供は目を白黒させた。
「それは君たちの仲間で必要だと思うときに使ってほしい。私は教会へ来てほしいと思っているけど、どうするかは君と君の仲間の自由だから。施しではなく、これはいつか君への投資だよ。いつか君が返せるようになったとき、返してくれればいい」
「そんなの、いつになるか…」
「私の旅もいつまでになるかわからないから、ちょうどいいだろう?」
「………」
子供はなんとも言えない表情で俯く。
「君、名前は?」
「…アレクシス」
子供は恥ずかしそうに言って、帽子を目深にかぶる。
「私はエドウィンだよ。いつかまた会おう。アレクシス。君に女神のご加護と祝福がありますように」
エドウィンは両手を組んで祈りを捧げた。そしてアレクシスに背を向けてから、歩き出す。
レイラは少年とエドウィンを交互に見て、少し迷ってからから急いでエドウィンの後を追う。路地裏から屋台の並ぶ表通りへ出た。
汚れた白い猫が、じっとその様子を見ていた。