弟なんて認めるもんかっ!
にこやかな両親に挟まれておどおどと立っているのは、泣き腫らしてうさぎにみたいに真っ赤な眼をした小さな男の子。
「今日からお前の弟になるレオンだ」
「仲良くするのよ。エマちゃん」
エマの方がお姉さんなんだからと付け加えられ、母親はエマのレオンの手を取って重ねた。握手の意味合いがあったのだろうけど、エマはその手が触れる瞬間に大きな声をだし手を払って部屋を飛び出した。
「……ないっ!!」
「エマっ!」
両親とレオンがいた部屋から逃げ出したエマは自分の部屋に駆け込むと、すぐにポロポロと大粒の涙を零して、抑えきれない感情をさらけ出した。
「うわぁぁぁん」
溢れ出る感情のままに大泣きをするエマに、彼女の侍女であるウサギの獣人はワタワタと慌てふためき、護衛であるクマの獣人はどうしていいか分からずにオロオロしている。
そんな彼らの背中をしっかりとしろと叩いたイヌの獣人は、エマの頭をそっと撫でて優しい声音でエマに何があったのかと尋ねる。
使用人たちもレオンが来ることは知っていてエマが彼に会いに行っていたことも分かっているのだが、どうしてこんなに大泣きをすることになるのかが分からないのだ。
レオンが来たからといって家族の中でエマが害されるようなことはこの家にはないはずで、獣人たちはエマを心配しながらエマの言葉を待った。
「エマ……エマは捨てられちゃうんだぁぁ」
「そのようなことございませんよ、エマ様」
すぐさま、けれどエマを落ち着かせるようにゆっくりとイヌの獣人はエマの言葉を否定する。
しかしエマは大きく首を振って泣きじゃくり、しゃくりをあげながらの言葉は聞き取るのがなかなかに難しい。
「だっ、て……マは、でき……子…………ない、って……う」
それでも、なんとかエマの言いたいことを汲み取ったクマの獣人は、イヌの獣人に抱きしめられるエマに力強い声音で不安にならなくてもいいのだと語りかけた。
「エマ様!エマ様のお父さまもお母さまとエマ様のことを大切に思っております。捨てるなどあるはずもございません!」
「そーだよ、エマ様!」
クマの獣人の言葉にウサギの獣人も同意をし、イヌの獣人の腕の中でエマは少しづつ落ち着いていくのだが、ウサギの獣人がそこに水を差す。
「それにそーなっても、あたしたちはエマ様とずーっと一緒にいるから大丈夫♪」
「……やっぱり、捨てられちゃうんだぁぁぁ!!」
再び泣きじゃくり始めたエマにそんなことはありませんと答えながら、イヌの獣人はウサギの獣人に冷ややかな視線を送り、クマの獣人はこれ以上ウサギの獣人が余計なことを言わないように口を塞いだ。
ひとまず落ち着きを取り戻したエマだったが、数日のうちにその落ち着きは消え去り気分が沈んでいって、泣く日々が続いていった。
なぜならレオンは賢くて、それでいてエマよりも魔法の能力も才能もあったからだ。だってエマは魔法の能力も才能も人よりも低く、多くの貴族たちに陰口を叩かれ嗤われる。
それに、新参者のレオンの世話に忙しくて、両親も他の使用人も前よりエマと関わることが少なくなった。
だから両親からの純粋な愛情すらレオンが来てから同情だったのかと疑ってしまっていて、そして自分がいらない子だからレオンを呼んだのだと、そうエマは考えるようになっていた。
レオンを養子にしたのはエマの結婚のためだったり、レオンの実家を助けるためだったりするのだけど、まだ幼いエマには理解なんて出来なくて……レオンを弟と認めてしまえば自分の居場所がなくなってしまうと強く思ってしまっているのだ。
だから、レオンが打ち解けようとエマに近づけば近づくほど、エマの心は打ちのめされて涙を流す。しかし両親たちは自分たちの行動が裏目になっていると夢にも思っていない。
エマの様子がおかしいのは急にできた弟に戸惑っているだけと思い込んで。
どれだけエマの近くにいる獣人たちが進言しても、エマの父親がどれだけおおらかな人でエマを愛していても、獣人たちの言葉は、いや、獣人というものは軽んじられているからこそ届かないこともある。
エマの奥底に抱えた思いを知らない両親たちには。
「エマ様……」
エマの元気のなさに引きずられるようにしょぼんとするウサギの獣人は、泣き疲れて眠っているエマの姿に小さな声で名前を呼んだ。
エマの心を、気持ちを理解しようとしない当主たちなんて……ウサギの獣人はやるせなさにため息を吐いた。
奴隷の首輪はエマの手で外されていて、いっそ暴れてやろうかとも考えてしまうが、やればエマが深く悲しむとそれも出来ない。できるとすれば、めげずに当主にエマの思いを伝え続けることだけだろう。
「しっかりなさい。今は私たちだけがエマ様の支えなのですから」
「わかってるよー。でも、でも……」
気持ちはわかるとイヌの獣人は言って、ベッドの縁に腰掛けたままエマの頬をそっと撫でて涙を拭った。
「どうしたものか」
「そうですわね。エマ様も当主様方も認める勇気さえあれば解決も早いのでしょうけど」
まだ多くのことを理解出来ないエマならこの家では誰も何もエマを害するものはないのだと、当主たちなら自分たちの思い込みを信じるだけでなく、獣人たちの言葉に耳を傾け信じる勇気を――。
たったそれだけで、それだけのことできっと誰もが救われる。簡単なことなのに、難しい。
「どうなるかは分かりませんが、助けを求めてみましょうか」
「そんな人いるの?」
「ええ。1人だけ心当たりが」
エマのように獣人たちにも変わらず接してくれる人間ではあるが、獣人が助けを求めてもいいのか躊躇いもある。
「やれることがあるのならやりましょう」
「エマ様が元気なるなら、あたしもやる〜!」
背中を押されそうですわねと笑ったイヌの獣人はさっそくその人物に向けて手紙をしたためた。遠くにいるので届くのにも返事が来るのにも時間はかかるだろうけど――。
問題が解決することもなく日々は過ぎていくそんなある日、クマの獣人は塞ぎ込むエマを庭の散歩に誘った。少しでも気が紛れたらいいと。
清々しい青空の下、エマは肩車をしてもらって庭の散策をする。
いつもなら身長比べで負けてしまう花を見下ろして、エマははしゃいで届きそうで届かない木の実に手を伸ばす。
久しぶりにエマから笑いがこぼれた。
それから肩車をやめて部屋に戻るため手を繋いで歩いていると、レオンと同時期に雇われたまだ若いトラの獣人に出くわした。
「お嬢様。も、申し訳ございません。す、すぐに片付けますので!」
彼は割れた花瓶を片付けていて、エマの姿に気がつくと焦って欠片を片付け始め、割れたガラスの破片で手を切ってしまう。
「――いたっ」
「大丈夫?」
エマはすぐに駆け寄ってトラの獣人の心配をするが、トラの獣人はエマの道を塞いだこと、何よりエマの優しさに怯える。
理由が分からないまでも自分がトラの獣人を怯えさせていると気づいたエマは謝って、すぐにクマの獣人に助けを求める。
「お任せ下さい、エマ様」
「――お、お前。お、お、お嬢様のことを……」
「エマ様ほどお優しい方はいない」
トラの獣人はクマの獣人を信じられないと目を見開いた。
下等な獣人が主人たちの名前は呼んではならない。それが人間たちが決めた勝手なルールなのに、目の前のクマの獣人はひどく当たり前のようにエマの名を呼ぶ。
クマの獣人はエマに仕えられることを自慢だと言うように笑ってトラの獣人の手当てをすると、エマと手を繋いで歩き始めた。
「トラの獣人もエマのこと嫌いなのかなぁ」
通り過ぎたあとで、エマはトラの獣人がいた方を向いて小さく怯えたようにクマの獣人に尋ねる。今にも泣きそうなエマに、クマの獣人はハッキリとエマの考えを否定する。
「いいえ、違いますよ。エマ様が特別お優しいのです。恥ずかしながら私もそうでしたが、獣人は人間に酷い目にあわされてきました。そのせいで人間の優しさをすぐに信じることが難しいのです」
そう言ってクマの獣人はエマに仕え始めた頃、エマの純粋な優しさを頭ではわかっていても受け入れる勇気がなかったのだとこぼす。
初めて会った日も、エマは額に残った傷跡を見て痛くないのかと声をかけてきた。今は純粋な優しさと受け止められるが、当時は裏があるのかと疑った。
「そのうちトラの獣人も分かるでしょう」
クマの獣人は優しく言って笑って、不安そうに見上げてくるエマを抱きかかえた。何も心配しなくてもいいのだと言うように。
少しだけ赤みの引いた目は真っ直ぐにクマの獣人を見据え、安心するようにエマは力を抜いて体を預けた。
ホッとする温もりに包まれて眠ってしまったエマをベッドに寝かせ、イヌとウサギの獣人に散歩中の出来事を伝える。2人の獣人はエマを愛おしそうに見つめ微笑んだ。
そこにエマの両親がやってきた。
申し訳なさそうな顔をして、右手には封筒を持っていて、イヌの獣人にはそれが助けを求めた人物からの救いの手紙なのだと分かった。
「当主様、奥様。お嬢様ならおやすみ中でございます」
「そ、そうか。では、起きたらすぐに知らせてくれ」
「もちろんでございます」
これで自分たちの言葉も信じてもらえばいいが。
きっと大丈夫だと獣人は願ってエマが起きるのを待った。
起きたエマに両親が話があると伝え、怯え泣きだすエマをウサギの獣人に任せるとイヌのは当主たちを呼びに行く。
「エ、エマは……すて……ちゃう…………いら……子、だから」
両親が部屋に来たことに気づかないエマは、レオンが来たあの日のように泣きじゃくる。いらない子だから捨てられるんだと。
それを見た両親はやっと獣人たちの言葉がどれだけ真実を語っていたのかを知る。そして、どれだけエマを傷つけていたのかを。
「……エマ!!」
「エマちゃん。お母さまたちはそんなこと絶対にしないわ」
エマに駆け寄ってぎゅっと抱きしめた両親はエマに辛い思いをさせていたことを謝って、それから大事なエマを捨てるわけがないと力強く言う。
「すて、ない?」
「ええ、もちろん。こーなに大切な宝物を捨てられるものですか」
何度も聞き返すエマに、両親たちはエマが信じるまでまで何度だって捨てるわけがないと繰り返した。
そうやって同じやり取りを繰り返し、ようやくエマが両親の前で小さく笑えば獣人たちは幸せそうに微笑んだ。
お読み下さりありがとうございました!