89話 初めての公務
現在、ケネス王国の第二王女が新婚旅行でプリヴォ国を訪れており、数日前にジョワイユーズ宮殿に入られた。
彼らは1週間ここに滞在することになっていて歓迎式典や会談、歓迎の意を示す剣技披露やクリケット大会など様々なレクリエーションが連日行われている。
この訪問に先立っては何ヶ月も前からプリヴォ国への入国の許可を求める書簡を受け取っており、旅行の途中で国王リュシアンに表敬訪問したいとの意向も伝えられていたし、事前に色々な物が王宮に届けられていた。
ケネス王国の特産で最も国民に愛されており最近リシュアンが特に気入って飲んでいるあの『クセのある強い酒』を始めとして、丈夫で美しい特徴的な柄の織物、特産の石、伝統的なクリスタルガラスの工芸品、プリュヴォとは製法の異なるレザー製品など実に様々な物が贈られている。
その他には、良質な物が採れると石炭の見本はかなりの量が入っていた。
彼らの友好的な関係を築きたいという意思が感じられる丁寧な外交だ。
ケネス王国は建国600年を誇る。
国民性は伝統を重んじ、勤勉で正直で真面目なのだそうだ。国土は広くなくプリュヴォ国の7分の1程度ではないかと思われているが3方を海に囲まれ多数の小島を有する自然豊かな美しい国だ。
しかし土地柄から農産物の生産量が少ないのが悩みだった。
沼や岩地が多いのが特徴で実に全面積の7割は不毛の土地なのだ。気候は雨が多く冷涼で晴れる日は少ない、しかも晴れても日照時間が夏は18時間と長く冬は7時間前後で短くと時期によってかなり違う。
冬は1日があっという間に終わり暗く寒くその厳しさは身に堪える。植物だって同じだ。
その為、小麦は出来にくく燕麦という大麦が主食だ。そして人々は海と川の恵みから魚や貝を多く食べる。
国境に近い辺りでは比較的暖かく牛馬を飼育出来るが、それ以外の地域では牧草が育ちにくい為に家畜も多くは育てられないのが実情だった。
彼らの主食の燕麦は隣国からは馬の餌と言われ蔑まれている。自分たちの伝統の食べ物は栄養が豊富でこの立派な身体は燕麦を食べるからこそ作られると誇りを持ってはいるが、もし、国境をもっと南下させることが出来れば小麦を栽培して人が食べられるし、燕麦を牛馬の餌に回せるのに・・・という希望を多少なりとも持つのは尤もなことだ。
また情勢としてはその隣国のやつら、陸続きのキエナズー王国、フリトン王国とは三つ巴で常に争っていて長きに渡り境界を巡って一進一退を繰り返していたが拮抗していた為に逆に安定していたとも言えた。
しかし約半年前にこれまで石炭を提供する見返りに食料の供給を頼っていた友好国バッカーデブリースが、フリトンに寝返った為に一気に形勢が悪くなってきた。
ケネス石炭の方が良質だが、フリトンは質より量で安く大量に提供すると持ちかけたのだ。
そういう訳で今回の訪問はただ新婚旅行で寄ってみた、では済まない大使としての重大な使命を帯びていた。
何としてもこの広く豊かで穏やかな国だと聞いているプリュヴォ国と親密な関係の友好国に、できれば同盟国になりたいのだ。
国の進退は200名もの供を連れてやって来た第二王女アイルサ・ケネス・ベアードとその夫のキース・エインズリー・ベアードこの若い2人の外交手腕にかかっている。
リリアンはすっかり場の温まった訪問5日目にケネス国側が歓迎のお礼に披露するという伝統の舞踏や楽器の演奏をフィリップと共に鑑賞し、その後の晩餐会にも出席する事になっていた。
リリアンのことはフィリップの婚約者としてその存在を伝えてあるという。
婚約者候補だとその立場を説明するのが面倒だからとリュシー父様はおっしゃっていたけれど、そんないい加減な紹介でいいのかしら?とリリアンは思った。しかしそう紹介されたのならそんな風に振舞わなければならないだろう。
朝、顔を合わせた時にやはりフィリップ王太子の婚約者であると紹介された。
それから彼らと並んで座り、ダンス用の模造品らしいが剣をペアになって打ち鳴らす『勝利の踊り』や伝統の衣装に身を包み独特の変わった形の楽器を演奏する伝統音楽を聴かせて貰っていた。
流石600年の歴史、何を見聞きしても珍しくて異国の香りがする。リリアンは心から楽しんでいた。
アイルサ王女も楽しそうな顔を作って一緒に手を打っていたが、そうしながらもう滞在日数も少なくなり内心ヤキモキとしていた。ここに滞在するのは明後日までだ、交渉の為に残された時間は余りにも少ない。
実際には、場はちっとも温まっていなかった。
ここまでの会談でリュシアン国王の反応が何とも芳しくないのだ。
アイルサ王女とキースは自国がいつも隣国と小競り合いをしているせいで、戦争は日常であり、いつも頭にあることだった為に序盤で当たり前のように軍事的な支援も望んでいることをほのめかしてしまった。
2人は食料も軍事力も心から窮状を訴えれば力になってくれるのではないかとさえ考えていたのだ。
後から下手を打ったと分かった。
そのせいで完全にリュシアン国王を警戒させ、ガードが固くなってしまい取引きの話が進まなくなってしまった。彼は強い軍備を持っていても戦争を嫌っていたので、他国の争いに巻き込まれることを恐れて深入りしたくないと言った。
ケネス王国が取引の為に自信を持って用意していたのは『良質な石炭』だったが、ここプリュヴォ国でも石炭が採れるため必要ないとそれも一掃された。
これでは最重要事項にして緊急案件の食料の安定供給の約束など到底無理だ。
しかも今日は王太子とその婚約者がホスト役になって横に座っていて、リュシアン国王の姿は見えず直接言葉を交わすチャンスがない。どうもこちらと話を進めたくないから距離を空けられたのでは・・・と疑ってしまう。
王太子は素晴らしい笑顔で応対してくれるが、具体的な話を持ちかけるキッカケをヒラヒラと躱されているかのように会話が表面を滑る。国王からそうするようにと指示を受けているに違いない。
なら、と横を見てもその婚約者はまだ子供、7歳のお子ちゃまなのだから話にならない、もうガッカリだ。
ケネス王国の出し物が変わる幕間に休憩時間が取られ、フィリップが誰かに呼ばれて席を立った。
「失礼、少し席を離れます。リリィ、すぐに戻るが後を頼む。何かあったらすぐパメラとレーニエに言うんだよ」
フィリップは屈んでリリアンの頬に手を当てると、顔を覗き込むようにしてそう言い置いた。
「はい、フィル様」
この子はお子ちゃまだけど、王太子はこの子を随分と愛しげに扱っていて関係は良好のようだ。
考えてもみたらリュシアン国王の次はあの王太子が国王になりこの子は王妃・・・仲良くしておいて損はない・・・か。
そう頭を掠めたものの、ここまでの暗澹たる様に溜息をついた。
間に座っていたフィリップが席を立った事でポッカリと空いた席を挟んでアイルサ王女と顔を合わせる事になり、リリアンは婚約者らしく自分も何か社交をせねばと声を掛けてみた。
リュシアンはリリアンには婚約者として振る舞うようにということと「今日は接待する側に回って貰うよ」としか言っていない。
リリアンは立場的にも客人を放置しておくわけにはいかないのだ。
「アイルサ王女様もキース様も、プリュヴォ国の言葉をとても流暢にお話しになりますね。ケネス王国はケーン語を話すと聞いておりますがプリュヴォ語もお使いになるのですか?」
「いいえ、我が国でプリュヴォ語が話せるのは私たちを含めて10名しかいません」
「たった10名ですか、ということは学校で教えているのではないのでしょうか」
「ええ、プリュヴォ国の事自体、最近まで我が国では知られていませんでしたから。
3、4年程前に外国人らしき男が我が城に来て、カタコトで何か言ってるので怪しいと拘束したのですよ。取り調べをするとプリュヴォ国から来たというのです。
しかし国王が持たせたという身元証明書なるものを見せられても何を書いてあるのか分からないし、供も連れておらず単身で信用しろと言う方が無理な話です。
船が着いたという知らせもないし周囲の海は広くどこかから泳いで来られる距離でもなく最初は敵国のスパイかと思いました」
「まあ、ですがその方に言葉を習われた、ということですか?」
「そう、話してみるとなかなか聡明そうな男で嘘は言ってはなさそうだと取調官が言いだして、だったらそのプリュヴォの事を話せという話になり文化、歴史、食料事情などを聞くものの詳しい事まではカタコトと手振りでは掴めず、いつか役に立つかと私と外交員達がケネスの言葉を教え、また反対にプリュヴォの言葉を習う事になったのです」
「今はその方はどうされているのですか、アイルサ王女様は敬語を完璧に使ってらっしゃいます、その方はきっと我が国の貴族階級の方だと思います」
「彼は城に軟禁しています。しかし信頼を得て待遇は良くなりました。彼は真面目で勤勉な性質で我らの国民性にマッチしているし、ウィットに富んでいる所もあり今では国政を司る兄や姉にも気に入られています。
この一年は医療の勉強がしたいと元々言っていたので城勤めの治療師達・・・医師の事です、と交流して学んでいます」
先程まで無表情に話していたアイルサはそう言ってリリアンにニッコリ微笑んだ。
相手が自分の話に存外に興味を持って会話になってきた。このまま何か有利な方向へ持って行く材料を探せればと考えた。
「医療を!?我が国の医療は怪我や骨折などに対する外科的な物はあるのですが、発熱や伝染病など内科的なものは何年も前に失ってしまい民間療法を細々と使っているような状態です、その志の高い方の名はなんとおっしゃるのか教えていただけますか」
「ええ、もちろん。彼はゴダー。ゴダー・バセットという男です」
「まあ!」リリアンは後ろを振り向いた。パメラが目を見開いて驚いている。
それは4年前に外国で勉強したいと飛び出し、これから出港するという手紙を最後にその後の消息が全く不明になっている長兄ゴダール・バセットではないのか、まずそうだろう。
面倒な宮内相になるのが嫌で逃げたと思っていたが、医療を勉強するつもりだったとはパメラには思いもよらなかった。
リリアンはパメラの兄ゴダールが外国に行って安否が分からないことを知っていたから、家族に彼についての情報を少しでも多く知らせてやりたいと思った。
「アイルサ王女様、その方は私たちのよく知る方です。その方の事をもっと教えて下さい。彼の関係者を呼びますから」と断りを言い、続けて指示を出した。
「パメラ、あなたはそこにいてね。レーニエ、至急エミールとオスカーを呼んで下さい。そして出来ればフィル様も探していただけるかしら」
婚約者として振る舞う為に今日は彼らを呼び捨てにする。
偽の婚約者候補で偽の妹のリリアンは自分を一貴族にしか過ぎないと考えていたので、今まで彼等に対して敬称を外したことは無かったのだが。
しかし命令口調にするところまでは修正が出来なかったようだ。
「はい、畏まりました!」
レーニエは少し離れて立っている護衛隊員ジロー等に代わりにリリアンの元に居るように指示すると手分け出来るようにサイモンを連れて行った。
アイルサ王女は突然周囲がバタバタとして驚いた。
彼らはゴダーを知っているという。
ゴダーが「私は国王の在わす宮殿に出入りしていた」と言っていたのは本当の事だったのか。当時まだ18かそこらの片言しか喋れないような男の言うことをそこまでは真に受けてなくハッタリだと思っていた。
ゴダーは友人ではあるが、意外にもこの国の重要人物なのかもしれない、確かに彼は国王からの証明書を持っていた。だとしたら・・・人質として利用できるかも。
風が吹いてきたかもしれない、これをどうにかして手掛かりに出来れば。
国が救える!
リリアンは城に軟禁されているというゴダールの安全を確保して早期に帰国させたいと思った。
出来れば最善は彼が医療の成果を手にして帰国できるよう取り計らって貰うことだ。
しかし、初めての公務に入るのに先だってフィル様からケネス王国から軍事同盟や食糧供給など色々な支援を要求されているが、父上は戦争中の国に支援して争いに巻き込まれたくないと拒否する意向だと聞かされていた。
彼を取引の為の駆け引きのネタにされたら、これまでケネス王国で上手く立ち回っていたゴダールの立場を悪くしてしまう可能性がある。
ゴダールを駆け引きに使わせてはいけない。
余計な事は言えないが、その事に気づかれないようにフィル様が戻って来るまでとにかく相手の気を引いて時間稼ぎをしなければ・・・。
相手は臨戦体制に入っていた。
好むと好まざるとに関わらず、
既に試合開始のゴングは鳴っている。
まさかのゴダール!?
_φ( ̄▽ ̄; )
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