84話 入学の準備?
王立貴族学園の後期試験が終わった。明日から12月だ。
学生は12月から1月は丸々冬期休みになる。
そして大人は社交シーズンの幕開けだ。
地方の貴族に配慮して社交シーズンでほとんどの親が王都にいるこの時期に合わせて卒業式と入学式が迎えられるように、それらは冬期休み中に行われるようになっている。
新入学は子供と王都に出て来て1月半ばに入学式をして、2月からの学園生活を過ごせるよう準備する期間になるし、卒業は11月いっぱいで後期試験が終わって12月半ばに卒業式だ。
初等部はなんだかんだで卒業させるが、高等部はそれまでに赤点は追試、単位の足らない場合は補講を受けて卒業資格を得なければならない。
リリアンも年が明けたらアッという間に学園生、どんな学園生活になるのか想像がつかなくて早くも今からドキドキだ。
「ただいま〜。すっかり遅くなったから寝てるかと思った」
フィリップは間の部屋のドアを開けてリリアンに帰って来た事を伝える。
「おかえりまさいませ、フィル兄様。まだ9時前ですよ全然大丈夫です」
「眠かったら寝てていいからね、シャワー浴びてくる」
「はい」
いつものやり取りが戻ってきた。
ここ3週間は学園の後期試験中でフィリップは仕事で王宮に戻ってくることはあっても寮で寝起きしていたし、週に1度か2度しか顔を合わせることがなかったから随分と久しぶりだ。
「お待たせ。前は8時に寝てたのに夜は随分起きていられるようになったんだね。
でも、考えてみたらリリィは疲れたらすぐ寝落ちするから学園に通うようになって授業中に寝てしまわないかちょっと心配だなぁ」
「うっ、確かにそうですね。でも夫人方の授業や勉強会の途中で寝てしまったことは無いですから多分大丈夫ではないでしょうか」
「まあ初等部1年の授業はユルいから、そんなに疲れることはないだろうけどリリィは王太子婚約者候補っていう肩書きを背負ってるから注目されて疲れるかもね。僕のせいだね」
「いいえ、お気になさらないで下さい。特別な待遇を受けていることは身に余る光栄ですから」
「うーん、いつまで経っても僕のお姫様は2人きりの部屋のベッドの上でも敬語を崩さないね、そうだこの部屋では堅苦しい敬語は無しにしようか」
「えっ無理です!
なんて喋ったらいいのか分からなくなって話せなくなってしまいますよ、フィル兄様」
「あーそれそれ、それも。
学園に行って婚約者の僕のことを兄様なんて呼ぶのは変だから名前呼びにしてくれる?
うっかり間違えないように宮殿内はもちろんどこでも全面禁止にするからね。
これは入学の準備だから、前にお兄様って呼ぶなって言ったのとは違うから今回は悲しんで泣いたりしないようにね?リリィ」
「入学の準備・・・。
確かに学園では王太子のフィル兄様の事をフィル兄様と呼ぶのは直した方がいいかもしれませんね。他の人から見ると不敬と思われるかも。ニコ兄様もいますし、婚約者候補ということになっておりますし。
えっと、殿下でいいですか?」
「ちょーっと、リリィ?殿下じゃないでしょ。
貴族なら誰でも僕をそう呼ぶよ。リリィだけの呼び方じゃなきゃダメだ。
婚約者候補という特別な関係なんだから名前か愛称でないとおかしいでしょ、ほらほら」
「うう、いじわるですね。本当に10歳も年上の人を名前や愛称で呼んでしまっていいんですか?もっと不敬では?それに・・・恥ずかしいです」
「正確には9歳違いね。困ってるのも可愛いけどここは譲れないな。
でももう遅いから続きは明日にしようか。おやすみ、リリィ」
と言って、ほらとばかりにリリアンを見るフィリップの目は期待に満ちている。
「〜っ!おやすみなさい、ふぃ、ふぃ、・・・フィル兄様」
ちょっと勇気を出そうとしたけど、やっぱり無理でした。
フィル兄様にはその気持ちが伝わったのか笑って頭を撫でてくれた。
翌日は同じく休みに入ったニコラとソフィーが来た。
「合格したんだって?良かったな」
「はい」
「リリアン様、おめでとうございます。入学試験はトップで合格なさったと父から聞いております。素晴らしいですわ」
「ありがとうございます。それもソフィー様が勉強を教えて下さったお陰です、本当にどうもありがとうございました」
お礼を言って兄達を見上げる。
背が高くガッチリとした兄に寄り添うほっそりとしたソフィー様、そうやって並んで立つのもすっかり馴染んでお似合いだ。
フィル兄様がおっしゃっていたけど2人は学園ではクラスが違うし一緒に行動することは無いものの、すっかり有名カップルらしい。いいな〜。
それからしばらくパメラやエマも含め皆で雑談していた。
「パメラ様は成績優秀でいらしたのに、途中で学園をお辞めになられたのは勿体なくて。今でもまだ残念ですわ」とソフィー。
「いや、高等部にいても女性は騎士課程を取れませんし、仮に取れるにしても全く未練はないですね。
直ぐに現場、しかもリリアン様の専属護衛という任に付けるのであればこれ程の栄誉はありませんから何と比べてもこの道以外の選択肢はありません」
「パメラは相変わらず男前だわ」とエマがつぶやいている。
最近、エマもパメラを名前呼びするようになった。とっても仲良しな2人なのだ。
なのでリリアンも便乗して「では私の事も呼び捨てに」と言ったら2人に容赦なく断られた。立場上出来ないと。本当はパメラの方が家格も上だし宮殿騎士なのだからリリアンより立場は上なんだけど偽の妹は知っていても、偽の婚約者候補ということは言ってないので仕方がない。
リリアンだけ仲間外れなのだ。エーン泣いちゃおうかな!?
ニコラがパメラに言った。
「確かに目標とする仕事に就けたのだから学歴に拘る必要はないがお前いつも成績は上位一桁だったんだって?師匠の俺より優秀じゃないか。
恐れ入るよ、もう師匠廃業していいかな」
「師匠、廃業のチャンスを伺わないで下さいよ」
リリアンが皆のやりとりをニコニコして聞いているとフィリップが来た。
「あ、フィル兄様!」いつものように駆け寄った。
「リリィ、入学の準備は?」
フィリップは抱き上げるように手を伸ばしはしたけれど、抱き上げてはくれない。
「あぅ、う」そう言われただけで赤面してくる。今回は許して下さいという視線を向けてみる。
「何?入学の準備って」とニコラ。
「学園に通うようになって、皆の前でフィル兄様って呼んでいたら婚約者候補らしくなくて示しがつかないだろ。
その程度の関係だと思われたらリリィが舐められかねないから名か愛称で呼ぶようにと言ってるんだ」
「なるほど、確かにそうだな。リリアンそれは観念しなきゃ仕方がないぞ。
うん、俺もソフィーに何て呼んでもらおうかな」
「ニコラ様、私はもう名を呼んでおりますが?」
「ニコって呼んでみて」
「ええ、無理です」とソフィーはよろめくように半歩下がり。ぶんぶん手を振る。
「リリィも無理ですって言うんだけど、なんで?これだけ親しくしてるんだから名を自然に呼びたくなるでしょ、呼ばない方が逆に不自然じゃないかと思うけど?」とフィリップがソフィーに問う。
「私は片想い歴が長いのですからそんな、・・・そんな恐れ多いというか何というか。まだ一緒に居られるのも夢みたいと思ってるくらいですから。その、恥ずかしいです」
「まだそんなこと言ってんの?ソフィー早く慣れてよ傷つくんだけど」
「はい、努力します。でも、徐々に、でお願いします」
「で、リリィは?」
兄が名を呼ばれないと傷つくとまで言っている・・・。私たちが名を呼ばない事でお兄様方を傷つけてしまっているらしい。うん、確かに私もパメラやエマに敬称を外してもらえず寂しかった。
「うぅ、フィリップ様」
リリアンは観念して渾身の勇気を出した。
「うん、もう一息。僕はフィルの方がいいな」
なのにダメ出しされた!ええい、ままよ。
思いきり抱きついたその勢いでついに言った!
「フィル様!」
「よし、合格!良くできました。リリィ顔あげて」
「無理です〜」
ようやく抱き上げてくれたフィリップの胸に顔を埋めて顔が熱いのが冷めるのを待つ。あっつ〜!!
「まあいいか、しばらくそうしておいで」よしよし。
「それにしても遅かったけど、今日は忙しかったのか」
さっきここに来る途中に王宮内で顔を合わせた時はフィリップもすぐにリリアンの応接室に行くと言っていたのに既に30分は経っていたから聞いてみた。
フィリップとニコラは試験明けで身体が鈍っているからこの後、リリアンの遊戯室で軽く手合わせしようと約束していたのだ。
フィリップの後でパメラもニコラと手合わせをしてもらえる予定だ。
「それがね、ちょっと呼び止められて」とソフィーをチラと見て続けた。
「宮内相の仕事が回ってないのをどうにかならないのかと数人に囲まれたんだ。あちこちで支障が出て困ってると。確かにそうなんだがマルタンも必死にやってくれてる。
しかしなかなか軌道に乗り切らないまま4ヶ月経って周りが業を煮やしてるのも事実。直接嘆願を聞いたら何も手を打たないわけにいかない。どうしたものか」
「マルタンか、以前は仕事がよく出来るんだと聞いたが」
フィリップはリリアンを抱き上げたまま話していたが、一旦ソファに座った。
「向き不向きの問題だよ。
宰相補佐の時は頼まれた仕事は実にキッチリとやり遂げてたんだ。宰相は気心の知れた父親だし、本人の希望で在学中からやっていて仕事に迷いがなかったからね。
だが宮内相はトップに立って人を使わないといけない、これが几帳面な性格が裏目に出るっていうか、それと最終判断の決断力が足りず迷いが出るから部下が二度手間、三度手間を取って混乱している。
少し慣れればなんとかなるかと思って様子を見ていたんだが限界に近い」
ただこのままマルタンを挽回の機会なく下ろすとなると彼の立場が悪くなる。
「兄が皆さんにご不便とご迷惑をかけて申し訳ありません。
父は当初は兄のその几帳面というか、コマメで雑用するのを嫌がらないところが宮内相に向いていると考えていたそうです。宰相補佐の時は手が足らない時はよく応援に行っていてその時に適正があると思ったと言っていました。
でも今は様子を見に行ったら何もかもが中途半端なまま放置されていて手伝おうにも手に負えないと父まで頭を抱えていて」
「上手くいきそうだと言っていたけどダメだったか。あの人は子犬にみたいに尻尾を振ってるのが似合ってそうだから確かに人の上に立つようなタイプじゃなさそうだ」と辛辣なパメラ。
「あの、フィルにぃ・・・フィル様、」
「はいはい、なんだいリリィ?」
今の今までしていた真面目な顔を取っ払い、にっこり笑って膝の上にいるリリィの言葉に耳を傾けるフィリップ。
「宮内相だったパメラのお父様が辞められてからずっと人が何度も変わって上手くいっていないのでしょう?
ならば、そのお父様に来ていただいてやり方を教えていただいたらどうでしょうか」
皆の動きが止まってシーンとした。
4年前にフィリップを危険な目に合わせた犯人を宮殿に入れた責任を取って辞めたのだ。あの事件でどれほどフィリップが苦しんだか大なり小なり知っている。
なんならエマでさえ当時は初等部に在学中で知っていた。
「マルタン様は決められた仕事が得意なら、やり方を教えて貰ってどうすればいいかが分かったら出来るんじゃないかしら」
話している内に空気が固まったのに気づきながらもリリアンは最後まで言いきった。
リリアンは当時の事情は全く知らずフィリップが女嫌いだったと聞いているだけだ。
パメラが助け舟をだす。
父に指導させるということは考えはしたけれど辞めた経緯を思えば口にすべきではないと思っていた。だが、リリアン様にこんな居心地の悪い思いはさせたくない。
「殿下、父オスカー・バセットの失態はお詫びのしようもありません。
その罪の重さは父も私たち家族もよく理解しております。
復職させてくれとは言いません。しかし両陛下並びに殿下、そして宮殿にいる皆様のご不便を取り払うよう父を使ってやって下さいませんでしょうか。
4年経ち仕事の内容も変わっていることでしょうが、仕事のやり方や考え方を指導させてみて下さい。きっとご満足頂ける働きをさせます。どうかお願いします」と頭を下げた。
早くに隠居生活に入った父は「暇だから犬でも飼うか〜」などと言ったりして呑気に生活しているが、ちっとは働け!リリアン様の思いやりに感謝しろ。
そうだな、リリィが提案してくれた事だし。
エミールとパメラの父親だし、あのパメラが頭を下げてるし。
実際に困ってるし。
マルタンを助けてやりたい気持ちもある。
当事者である自分が良いと言えばどうだろう、オスカーを使う手もあるのか。
「うん、まあ、そうだな。ちょっとその線でどうか話してみるよ」とフィリップはあっさり言った。
「フィル様!良かった!」
リリアンはフィリップがOKを出したので嬉しそうだ。
しかもこのどさくさに紛れて名前が呼べるようになっていた。
「普通に呼べるようになったね、リリィ。入学の準備は完了だ」
「はい、フィル様」
もう難しい話は終わり!
遊ぼ、遊ぼ!!
皆で遊戯室に移動しよう!
エミールをリリアンの遊戯室に呼ぶように使いをやっておく、今の話を討議にかける根回しをする為だ。
4年のブランクがあるのは考慮に入れないといけないが、確かにそうすれば色々なことが上手く行きそうな気がした。
エミールとパメラのお父様
いったいどんな方なんでしょうね!
_φ( ̄▽ ̄ )
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