82話 母からの言葉 伝えたい思い
ノックがあり、リリアンの到着が告げられた。
「王太子婚約者候補リリアン様がご入室なさります」
リリアン専用応接室の前で待機していた者がドアを左右に広く開け、女性の騎士や数人の護衛に守られ、エマや給仕女中等をぞろぞろと引き連れたリリアンが入室して来た。
「お母様、お待たせしました」
立ち振る舞いも堂々として、すっかり王宮で暮らす生活が板についた娘はそう母に声を掛け、手で立たなくて良いと合図を送ると優雅に奥に座った。
「リリアン、あなたすっかり・・・立派になったわね」
「そうでしょうか?特に何も変わってはないですよ。氷街道に運河建設それに災害対策まで話し合っておられたと聞き及んでおります。大変でしたね」
ひゃ〜!娘がなんだか王族っぽくなってる〜。
てっきりお母様〜とか言って抱きついてくるものと思っていたから予想外の展開に緊張してくるわ。
そう言えば、王太子の婚約者候補はそれが1人しかいない場合は婚約者と同等の扱いになるのよね、つまり王族に準ずる扱いに。
「えーっと、リリアン様?どうなさっていなさいましたか」
あれ、なんか言葉遣いが変な感じになった。
向こうでエマが吹き出してる。
「そうですね平日の午前中は夫人方にマナーと教養のレッスンを受けており、午後は先日までは入学試験の勉強をルイーズ様と進めておりましたがもう入学試験は終わったのでソフィー様やパメラに教えて頂いて今は入学後の予習まで進んでおります。朝と夕食前には遊戯室で身体を動かしておりますし、休日はフィル兄様と乗馬などをして過ごすことが多いですね」
「そうでござまいましたか」
「お母様、普通に喋ってくださいませ」
「そうねそうね、そうさせていただくわ。
それにしてもリリアン、何だか顔が細くなったみたいよ。王宮の暮らしは大変?まだ小さいうちから気苦労させてしまったわね。何か困った事はないかしら?元気ある?ちゃんと食べてる?なんだか痩せたみたいだし身体を壊さないか心配だわ。
それに今日になってリュシアン様にもう来季から学園に行かせることにして入学の準備で勉強をさせていたと聞いたわ。まだ7歳なのにびっくりしたのよ」
「いえ、気苦労などしておりませんし、丈夫に産んで下さったお陰で相変わらず少し疲れることはあっても寝れば回復しますから体調を崩すことはありません」
そうなのだニコラもリリアンも熱が出るとか頭痛がするとかそういうのとは無縁なのだ、クレマンもそう。怪我はすれども病気はしない。彼等はそもそも強靭な体力を持ち、寝落ちで復活する民なのだ。
リリアンは体力こそ同年の子より少しあるくらいだけど、疲れても寝たら治るとやたらと寝つきがいい。小さい頃のニコラなんて読み聞かせの暇もなく横になるやクークー寝てたのは本当に可愛かったわね。
「痩せたのはここのところちょっと体を動かし過ぎてるからなんです。リリアン拳の相手をしてくださる方が沢山いて、最近はパメラやフィル兄様とやっていると決まって格闘技の心得があるとリュシー父様が乱入・・・いえ、いらっしゃるから捕まらないように低い足狙いのキックを多用することになって激しくてヘトヘトになるので。
それに食べろ食べろと口に運ばれてもお腹には1度にはそんなに入りませんもの」
「その様子だと皆に良くしてもらってるのね?」
どうやら皆んなで寄って集ってリリアンの相手をしてくれているようで、その光景が眼に浮かぶようだ。
それにしてもリュシアン様はあんなに忙しい中でリリアンと格闘技で遊んでくださるとは、よくそんなに余裕のあること!
「ええ」
最近よく子供らしくやわらかくふっくらしていた頬が少し痩せてシュッとしたと言われる。それに誕生日でなくても伸びるらしく背もあれから2センチくらい高くなった。
そのせいでちょっと大人びて見えるようになったとフィル兄様が喜んでもっと食べて早く大きくおなりと言う一方で、毎週末にお抱え画家のマイア様に私たちの絵を描かせるようになって・・・。
「いつのリリィも可愛いけど今だけのリリィを残しておかなければもったいない。小さい時もこれからも全部可愛過ぎて全部残したい。今日も可愛い」と決まって膝の上に乗せられて絵のモデルをしている。
マイア様に「リリアン様は王太子様の最高の表情を引き出す天才です!神!」と褒め称えられながら。
挙句にはリュシー父様が王太子婚約者候補の姿絵を公式で市中で日替わりにして売るかなどと言い出して。
皆に良くして貰ってるのは本当にそうだけど、ちょっと大事にされ過ぎてるかも。
幸せだなと思う気持ちもありながら、いつか隣国の王女様がいらしたらどうなるかしらと不安になる。私はいつかここを去らなければいけないのだから。
フィル兄様は突然ポイとなさるような薄情な方とは思えないけれど、そのままここに残って幸せそうなお二人を見るのはきっと辛いだろうし。でも領地に逃げて帰りたくても学園に通っていては王都から離れることは出来ない。
リリアンがそんな事に思いを巡らせているとジョゼフィーヌは物知り顔で言った。
「その様子だとリリアンは王妃街道まっしぐらって感じね」
「お母様・・・」
リリアンは困った顔を見せた。
「あら何?もしかしてヒロインの事を心配しているの?そんなの気にしなくていいのよ」
「でも」
「あれは私の作り話!小さい頃は物語を作るのが大好きだったからその空想の世界の話なのよ」
ということにしておこう。
子供の頃に作った王子とお姫様の物語にしては全然ハッピーじゃなくて、主人公のモブ(主人公なのにモブって変だけど)が王子を好きになるととんでもない酷い目に合うという即興創作で、どちらかというと断罪がテーマと言っていいような愛憎劇ばかりだったけど・・・。
自分が断罪されるのは嫌だけど、実はその手のお話が大好きだったのよね〜。
そうそう今改めて思い返すと、童話と言いつつリリアンが間違えた人生を歩まないようにと口から出まかせに繰り返し話す内に度を越して、ある晩、懐かしの名作怪談話よろしく盛り上げたらリリアンが飛び上がって恐れる恐怖物になってしまったっけ。「お母様のお話しはもう聞かない」と泣きながら言い出してそれ以来一人寝出来るようになったのよ・・・。
私って本当にバカよね。
そんなのを夜な夜な童話代わりに聞かせたりしてリリアンには悪い事をしたわ。
ジョゼフィーヌは災害対策を考える内に自分のそれまでの考え方に疑問を持つようになり、ここの所ずっとリリアンと話をする機会があれば、もう気にするなと伝えておかなければと思っていたのだ。
これまでは自分が学園生の時にパトリシア(ヒロイン隣国の王女)とリュシアン(メインヒーロー攻略対象の王子)に挟まれて当て馬として王子を誘惑したと断罪される危ないところを『物語』だと知っていたお陰で上手く切り抜け、破滅から逃れられた。そうずっと信じて生きてきた。
だから自分の子供達にも同じように『物語』に潜む罠にかからないように、幼い内にそれとなく知恵を授けようと考えたのは当たり前の発想だったと思う。ジョゼフィーヌとしては大真面目にやっていたのだ。
だってニコラは銀の民の末裔として生まれてきて体力や能力が特別高くルックス的にも『攻略対象の1人』っぽく。どう見ても設定モリモリで、第2期が始まるのかと思うじゃない?
実際に王太子様のご学友だの護衛だのと攻略対象街道まっしぐらになりそうだったから怖い顔してるとか厳ついとか言って自分のことを強面イケメンのモテ男と思わないように誘導しつつ育てたものだわ。
ニコラにしたのはその位だったけど案外素直に育ってくれて、王太子様が女嫌いだったお陰もあってそれらしい事は起こらず早々に婚約まで漕ぎ着けたからホッとしたけど。
リリアンはニコラにも負けず劣らずでというか、銀の民の末裔の内でも唯一の女性で銀の髪の美少女とかって更に設定盛りに盛ってるし。義父様達も特別扱いするし。
絶対に何か役どころがあるに違いないと思うでしょ。リリアン自身がヒロインかもしれないし断罪対象かもしれない。
とにかくピンクの髪と瞳の子が現れたらそっちがヒロインだから何もかも譲って近づいてはいけないと思い込むように仕向けたのよね。まっさらな心に刷り込んで疑いもなく信じたから安心してたくらいで。
そのくせフィリップ様が我が家に来られてリリアンを気に入ったと知った時は歓喜して尊すぎてリリアンに近づくななんて言う気も起こらずどうぞどうぞになったんだけどね。
だけどよくよく考えてみたらニコラだって何も知らず育って普通に成長して普通に幸せになってるんだもの、そもそも物語なんて無かったのかもしれないと、そう最近になってハタと気がついたのよ。
逆にリリアンを惑わせていたんじゃないかって。
「あんな作り話は気にせず、心のままに生きればいいの」
「でもお母様、卒業が近くなってそろそろ隣国の王女様がいらっしゃる時期も近いはずです」
三つ子の魂百までとはよく言ったものですっかり思い込んでるわ。ちょっとやり過ぎたわね。
「大丈夫よ、ピンク頭のヒロインなんて居やしないんだから!」
リリアンは眉を寄せ、表情を余計曇らせた。
あ、しまった!居たわ。
すぐ近くにめっちゃヒロイン顔したピンク頭のパトリシアが。
しかも元隣国の王女。
そもそも彼らがジョゼフィーヌの創作物語のモデルだから当たり前だ。
うーん、手強い!なんとかせねば。
「あのね、リリアン。
先にそんなあるかどうかも分からない事を心配したらいけないわ。
色眼鏡で見るとホントが見えないのと同じよ、思い込みで正しいことが見れなくなるの。殿下がどれほどあなたの事を大事に思ってくれてるか分かってるはずなのにそれを疑っているの?」
「でもお母様、そのヒロインがもし居ないとしてもフィル兄様はニコ兄様と齢が同じです。
王太子様ですし、学園をご卒業なさったらご結婚なさるご年齢になります、どなたかと。
私はフィル兄様にとっては妹ですし、その時は喜んでお祝いして差し上げなくてはいけないのです。だからも私もいつまでもは・・・」
と言って、その時を想像したのか瞳を潤ませた。
「あーん、ごめん!ごめん!私が悪かった!!
本当に毎晩毎晩あんな話聴かせて、すっかり洗脳しちゃって!お母様が間違っていたわ!」
ジョゼフィーヌはリリアンの隣に座りギュッと抱きしめた。
「ねえリリアン、言霊って知ってる?
いつも口にする言葉には神秘的な霊力が宿って現実になると言われているの。悪い事を言えば悪い方へ良い事を言えば良い方へ。だから今みたいにリリアンが後ろ向きな事ばかり言ってるとその通りになってしまうわよ。
自分が成りたい自分へ、自分が望む未来の為にもっと前向きになってみましょう?
きっとリリアンの望む未来が待っているわ。ね、分かった?」
「・・・はい、お母様」
ジョゼフィーヌの胸に抱かれ、今度は「でも」と言わずようやくリリアンは頷いて肯定の返事をした。
ふう、良かった。
どうだろう、ようやっと伝わったかな〜?
ジョゼフィーヌは「転生してきた」なんて色眼鏡をかけていたせいで物事のありのままの姿が見えず先入観や偏見に囚われていたと最近思うようになり、これからはちゃんと周りを見て、そして心に素直に生きることにした。
いろんな分岐点を色眼鏡をかけて選んで来た。
何が正解かなんてない、例えどんな選択をしてもその時の自分の意思で選んだのだから正しいに決まってるけれど先入観なしの真っさらな心で分岐点を迎えたらどんな人生を歩んでいたんだろうと思う。
もしかしたらリュシアン様と結ばれる運命もあったかもしれないし、参謀という仕事に就いていたかもしれない。領地経営が最も有り得る選択肢だからもちろんクレマンと結婚している未来もあるし、他の人が相手の人生も、想像のつかないもっと全然違う人生もあっただろう。
自分の今の人生が間違ってたなんて言わないけれど、せめてリリアンには変な思い込みで諦めるなんてことをしないで欲しいと心から思った。
「奥様、紅茶をどうぞ。こちらはジョワイユーズ宮殿のフロランタンです」
話が一段落ついたと見てエマがお茶を出してくれた。
「まあ、ジョワイユーズ宮殿の?あそこは料理が美味しいことで有名なのよね、先日もアングラード夫人に専属パティシエの焼き菓子は絶品よと聞いたばかりよ」
喜び勇んで手を伸ばす。
「ん〜!カリッとサクッと香ばしくて絶妙!何これフロランタンの域を超えてない?美味し〜い」
「ええ、ジョワイユーズ宮殿のパティシエの最も得意とするのがこのフロランタンなんですよ。その中でもこれはエミール様が特に気に入ってわざわざご注文なさったという厚みがある特別版だそうです!
エミール様は今日はあちらでチェスの交流会があって挨拶に行かれていたそうで先ほど奥様がお見えになる前に皆でどうぞと届けて下さったばかりのホヤホヤです」
エマが鼻高々に教えてくれる。
朝はお顔を拝見したのにいつの間に。エミール様って誰よりお忙しいのにちっともそんな風に見せない方なのよね。影武者がいると言われても信じるわ。
「あら、皆にじゃないと思うな、パメラも私も居たのにエマに渡していたもの。
エマに食べて欲しかったからわざわざ持ってきて下さったのではなくて?ねえエマ、私もその特別なフロランタンを頂いてもいいかしら」
リリアンは笑って言った。
ちょっと前にフィル兄様に「エミールがエマを好きだと白状したよ」と聞いていた。
「そんなことはありません私が給仕をするからですよ。もちろんリリアン様に持って来て下さったのですからどうぞ召し上がって下さい」
エマは真面目な顔で言っている。
「兄上も隅に置けないね、私も後でエマのご相伴に預かろう」
とからかい半分に口を挟むパメラもそれをリリアンから伝え聞いていた。
もう知らぬは本人ばかりなりなのだ。
ジョゼフィーヌは紅茶を飲みながら彼女達のやり取りを聞いていた。
なんだかエマの方も面白い事になっているようだ。伯爵家の侍女のエマが王太子侍従予定兼国王の参謀のエミール様の嫁とかになったらめちゃめちゃ大出世なんですけど!
後に王妃リリアンの侍女頭なるならそれも大出世なんですけどね。
そこへフィリップの来訪が告げられた。
「リリィ、僕も仲間に入れて貰っていいかい」
「ええ、フィル兄様どうぞ」
すぐにリリアンは立って嬉しそうにフィリップの元へ行き出迎えた。
リリアンが首に抱きつくように手を伸ばすとフィリップがお姫様にするように抱き上げて今リリアンが座っていたソファに来て座った。
リリアンはフィリップの耳に口を近づけてちょっと声を落として報告する。
「フィル兄様、さっきエミール様がエマに特別なフロランタンを持って来て下さったんですよ」
「ああ、あれね。今日の催しのメニューを決める時に持ち帰りの注文を入れてたよ。その為にね」
「では本当にエマに持って来て下さったのですね!ふふっ」
「さり気に頑張ってるけど、伝わりにくそうだね」
「伝わってないけど喜んでますよ。美味しいって!」
一連の流れるような動作、安定の膝の上で照れもせず見つめ合い談笑するのを見ればこれが2人の日常だと分かる。
これでまだヒロインの登場を恐れているなんて、嘘だ〜!と思ったジョゼフィーヌだった。
三つ子の魂百までは根が深いのです
悪気はなくむしろ
子供達の為と思ってのことでしたが
ジョゼっちは罪な事をしましたね
_φ( ̄▽ ̄ ;)
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