81話 独りで背負うな
やり始めたら何でものめり込むタイプのジョゼフィーヌなのに、数日前から途方に暮れて何も手につかなくなっている。
手元にあるのは王太子殿下に頼んで用意してもらった災害の記録の写しと、領地から転送されてきたリアムの手紙、漁師と市場で働く人の声をまとめたものだった。
元々記録を取っていないので感覚的なものだが現状を知る手立てにしてくれというメッセージが付いている。
湾に土砂が大量に流れ込んでいる
貝が土を被り死んで殻ばかりだ
近場で1日で獲れる魚の量が少なくなり沖まで出ないといけなくなった
イカやタコが獲れなくなった
河口近くの海の色が変わっている
雨が多いと河が今にも氾濫しそうだ・・・
改めて具体的な被害状況に目を通してとうとう後悔の涙を流した。
自分のせいで苦しむ人がいる。
もう手に負えない、こんな大事業なんて始めるんじゃ無かった。
さらに今後、どれほどの被害になるかなんてもう見当もつかない。
ひたすらに悔やんでいるそこへ執事が来てノックした。
「奥様、宜しいですか」
「ええ、いいわ」紅茶でも持って来てくれたのかと入室を許可すると入って来たのはリュシアンとエミールだった。
「どうした?泣いていたのか」
ジョゼフィーヌが王都に上がって既に3週間余り経っていて、最初こそフィリップらと会っていたようだったがここのところ全く音沙汰がないので様子を見に来たのだ。
今回も急に現れて驚かそうという子供っぽい楽しみの為に先触れも出さず乗り込んだベルニエ邸だ。
執事はクレマンはとうに自領に帰ったと言った。勝手に帰ってるなんてそんなの聞いてないぞ、せっかく王都周辺に陣幕を張れるところを見つけたのに。
「はい、変な所を見られてしまいました」
急いで後ろを向いて涙をぬぐって体裁を整えようとするけど今更無駄な悪あがきだ。
「何があった」
「それは、・・・私の浅慮であちこちに沢山の被害を出してしまい、こんな事はすべきでは無かったと後悔しておりました。先の水害だけでなく、海にも被害が出ております」
とリアムからの手紙を差し出した。
「ああ、それか。リアムからの報告は私も受けている。狭い湾に山からの水と土砂が大量に流れ込んでいるせいで漁獲が落ちていると書いてあったな」
「はい、そのような事態を引き起こし本当に申し訳ございません」
「お前が責任を感じる事は何もない、ここから先は私がこの事業を進める。その為に説明会を開くのだ」
「でも、もう私も策が尽きました。工事には何年も時間がかかります。もう何から手をつければいいのか、どうすればいいのか分からないのです」
「ジョゼフィーヌよ、私にはお手上げだと匙を投げることだけは許されないのだ。
トライアルアンドエラーなど当たり前、最初から上手くいくことの方が少ない位だ。だから私はやり直すことを厭わない。
皆で知恵を出し合って進めればいいのだから全てを背負おうとするな、お前の分かる範囲のことをまず話してくれればいいのだ」
ああ!
いつでも頼れるこの人は、こんな大変な事になってさえ広い度量で全てを受け止めてくれるのだ。
「リュシアン様!」思わず感動してリュシアンの胸に飛び込んでしまった。
「ジョゼフィーヌ!」つい、飛び込んできたジョゼフィーヌを受け止めガッシリと抱きしめてしまった。
なんか昔フラれた女にリベンジしたような気になった。
が、これは感動の抱擁で浮気じゃない。
こんな時、エミールがいると2人きりじゃないしとても良い。
これがクレマンだと殴られる。あいつは昔、スパーリング相手をさせていたせいで俺に手を出すことを恐れんからな。
モルガンだとこれをネタに何か自分に都合の良い取引を持ちかけられそうだ。あいつは嫉妬したパトリシアほど面倒なものはない事をよく知っている。
パトリシアのそれも少々なら可愛いのだが、とにかく度が過ぎてやたらと引きずってしつこいからな〜。まあそれはこっちに置いといて・・・。
「では今ある資料を見せてもらおうか。ふむ、これくらいあれば充分だろう。各地からも現状を知らせる資料が届いているし明後日にでも説明会を開くとしよう。
明日の午後迎えを寄越すから来い。アングラードやメルシエも呼んでフィリップ達と打ち合わせをするぞ」
「明後日に説明会?」そんなに直ぐに出来るだろうか。
「そんな心配そうな顔をするな手分けすればいい。議題はまずは災害対策をメインにするぞ。
お前は全体の計画の説明を。シリルに穀倉地帯の水害、フィリップに海の被害について発表させてメルシエには当事者として先の水害発生の経緯とその後の改善策を話させる。
その後災害が起きないようにするための留意点を分かるだけ話せ、アングラードに護岸の施工方法について説明させるし河川工事の手順書を作ったシリルもいるから安全対策についてはそっちに任せればいい。
皆は話を聞くためだけに来るんじゃない、一緒に知恵を出し合う為に集まるんだ。
ほら、1人で背負おうとするなと言っただろ」
「ふぇ〜ん」温かい言葉に再び涙が。
また抱きついて行かないように今度は自重した。
「ほらもう泣くな。目の下のクマが酷いぞ今日はもう止めてグッスリ寝るんだ。
それに手が空いたらリリアンの顔も見てやれ」
「はい」
そうだった。こっちに居るのに娘の顔も見ず無責任に国王陛下に預けて子守りまでさせているというていたらく。
「本当にもう、何もかも至らずご迷惑をかけてしまい申し訳ございません」
「いや、そうじゃない。逆にここまでの事を成して褒めこそすれ迷惑などかけられてない。
せずともよい後悔ばかりするより前を向いて共に進もうじゃないか。
お前のそれは気持ちの持ちようだけの問題なのだ。心に余裕を持て」
気持ちの持ちよう・・・。
確かに後悔しても始まらない、もう既に事は起こっているのだから。
顔を上げて!前を見て!
皆が一緒に考えてくれる!
どっしり構えたリュシアン様に泣いて話して励まして貰ったら安心したのか先ほどまでの鬱々のした気持ちが晴れてきた。
「陛下、明日の打ち合わせどうぞよろしくお願いします。どうぞたっぷりお付き合い下さいませ」
「ああ、ようやく笑ったなジョゼフィーヌ。お前はそうでなくてはいけない」
もう手も頭も働かせるのは止めて、ゆっくり休息をとるようにと言い置いてリュシアン達は帰った。
ジョゼフィーヌはちゃんとリュシアンの言う事を聞いて、深呼吸をすると資料を分類整理し早めに切り上げるとゆっくりお風呂に入ってぐっすりと寝た。
そうして一度何もかも頭から追い出して明日に備えるのだ。
それから2ヶ月余り経ち秋も深まった。もう11月半ばだ。長かった一連の会議がようやく一区切りついて、この生活も終わろうとしていた。
午前中に全体の総括、その後は慰労を兼ねた昼食会で解散だ。
これが終わったら領地に帰る予定だけど、随分前に申請したリリアンとの面会の許可が未だに下りないのはどうなっているのかしら。もう宮内相にすっかり忘れ去られているんじゃないかと思う。
ずっと忙しく、夢中になっていたせいで「まだかな」と思いつつそのまま放置していた私も悪いのかもしれないけれど。
リュシアン様に励まして頂き元気を取り戻した私は翌日からずっと宮殿とタウンハウスを往復する毎日を過ごしていた。
説明会の初日は氷街道計画と運河計画の全容と現在の進捗状況を発表し、起きた問題点として農産物被害と水産物被害についての概要を話して終わった。
翌日からは説明会とディスカッションで連日盛り上がった。昼食時にまで意見を交換したりして。
実に色んな所属の人が来てくれていたな・・・。法務、税務、農水、産業、文科、歴史文化と外務にと。それぞれの仕事から得られる知識を出し合って。
司書の人達は会議の書記と皆が使う資料などの写本作業も並行してやっていて毎日大変そうだったし、一見畑違いかと思ったけれど騎士団からも防衛や安全警護の必要から知っておく必要があると来てくれて、それこそ熱心に意見を出してくれていた。
やりながら若い頃にリュシアン様が私に是非と望んで下さっていた『参謀』になっていたら、こんな毎日だったのかなと思いを馳せた。
場の中心はリュシアン様で、議題に応じて王太子殿下、モルガン様、エミール様、シリル様と私も会議の進行役をさせてもらい皆で一緒に話し合って考える濃密な時間はすごくやりがいを感じたし楽しかったな。
結果、王都の水路計画と運河全体の計画と監督を担う運輸相を新設することになったし、それに連携する土木相の中に災害対策部も新設することになった。大幅増員してそれぞれが専門的に対応に当たってくれる。
リアムから話を聞いただけだが漁獲の低下と土砂の流入は原因が同じと思われるのでこちらも土木相が現地に視察に行き対応を考えてくれることになったし。
これから王都とアングラード領は氷街道と運河に繋ぐ大街道&水路建設計画に着手する。今後何年も大忙しになり街はより活気が出るだろう。
他には自領の土木工事や水の流し方で他領に被害を出す恐れがあることを周知させる為に各領主を来させて防災についての勉強会を開こうという話もあったけれど、取り敢えずは書簡で済ますことにした。要望が多ければもうすぐ始まる社交シーズンに入ってだ。
その代わりに来期から学園で防災についての授業を入れることになった。そうすればこれからの子供達には防災知識が浸透するだろう。何せ全貴族が通う学園なのだから。
文科相ディブリーはそれらを来季に間に合わせるのは無理だと最初は悲鳴を上げていたが、彼が必要性をずっと説いていたダンスの授業も入れていいとリュシアン様が許可を出したら余計大変になるのに頑張って既に決まった時間割の中になんとか捻じ込んでやると息巻いていた。
それで新年度からは王太子殿下が女嫌いだった影響でそれまで削除されていたダンスの授業も男女の交流の為に戻って来る事になった。
最初は災害授業の講師を一年でもいいからして欲しいと頼まれたが、専門の災害対策部が出来たからそちらでやって貰えることになった。
ここまで来るとジョゼフィーヌはもうお役御免だ。
タウンハウスに帰る前に面会の許可が下りているのを伝え忘れてないか確認してみようと昼食会が終わって部屋を出ようとしたところでフィリップに声を掛けられた。
「ベルニエ夫人」
「あ、殿下。長い間お世話になりありがとうございました」
「領地に帰る前にはリリアンに会ってやってくれよ」
「はい、そのつもりなんですが許可がまだ下りなくて」
「え?もしかして宮内相に出した?あそこは上手く機能してないんだ。エミールにって聞いてなかった?」
「確かにエミール様に出したら良いと伺いましたが・・・お忙しいのにお使いにつかうのは申し訳ないと思って宮内相に出してしまいました」
「だからか成る程、私が許可を出す。この後時間があるなら案内を呼ぶからリリアンの応接室に向かってくれ、すぐにリリアンを行かせるから」
「はい、ではお願いします」
そうしてすぐ応接室に通された。
ソファに座って思う。なんだったんだ・・・いったいどのくらい待った?2ヶ月位は待ったと思うわ。
リリアンに会いたいと王宮左翼宮内窓口で言ったら、王太子婚約者候補として王宮の奥で暮らすリリアンは忙しくスケジュールがいっぱいで調整が必要だから会うには母親であっても事前に予約を取れと言われ宮内相宛に申請書を書かされていた。
多分リュシアン様やエミール様に言えばすぐに会わせて貰えたのかもしれないが他の者たちの目がある宮殿内では特別扱いを要求するのは良くないだろうと思い遠慮して正規の方法を取ったのが裏目に出たようだ。
ようやっと、娘と会える。
リュシアン様は頼れる男!!
_φ(,,>᎑<,, )
*お礼*
スパーリングの誤字訂正してくださった方、どうもありがとうございました。
言葉を間違えて覚えていたので全く気が付きようがありませんでした。助かります。
いつも読んでくださいまして、どうもありがとうございます!
面白い!と少しでも思ってくださる方がいらっしゃいましたら
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