79話 エミールの心中は
フィリップは執務室に入るなり大きな溜息をついた。
「はあ〜。ついにやってしまった」
「そうですか、おめでとうございます。それでなぜ溜息を?」
すでに仕事に取り掛かっていたエミールが声を掛けてきた。
「ん?おめでとうって何かあったか」
「ようやくリリアン様と結ばれたのでは?」
「なわけあるか。そのやったじゃないよ。
リリィはまだ7歳だぞ、恋だの愛だのまだ分からない子供なんだから初めてを何も分からないまま奪うわけにはいかないだろう。こういう事は合意の上でなければならないと本にも書いてあったし」
「ああなるほど、陛下の用意した指南書に。陛下の選択ミスですね。
さっそく進言しておかねば」
合意の上かどうか、その辺の考え方は絶対的な権力者はなんでも自分の意のままにあることを許された存在で他の貴族達とはちょっと違うとも言える。子を成す事を優先させるのが最良なのだ。
とはいえフィリップの考え方は相手への思いやりがあり立派だし、実際にリリアンはまだ子の出来る年齢ではなく子を求められていないのならばフィリップの対応は今のところ正しいだろう。
「何だって?」
「いえ、殿下がリリアン様への閨教育を止めておくようにとおっしゃられたからまだ何も知識を持っておられ無いのです、だったらもうそろそろ始められたらいかがですか」
「いや、まだダメだ。せめて11歳になるまでは。
11歳で大人になるんだからそれまでは天使のまま、いやリリィは大人になっても天使に違いないが」
「普通の令嬢より大人におなりになるのが早くて良かったですね」と温かく言ってエミールは止めていた手をまた動かしだした。
「まあな父上が先日結婚年齢についての法律を学園を卒業した時と変えたし16や18まで待たされずに済むと思えばこそ、というところはある」
彼らは兄ニコラの例があるから疑いなくリリアンが11歳で心身ともに成人にまで成長すると信じているのだ。もし、普通の令嬢と同じ成長速度にしかならなかったらどれほどガッカリすることになるか。
植物なら成長を促すために肥料と水をやれるがリリィは人間なのでたくさん食べさせたからといって成長を早めたりすることは出来ない。成長とは背が伸びることだけではないし、せいぜい横に成長するくらいだろう。
毬のようなコロコロのリリィを想像しようとする。
流石に今の体型から太ったリリィは想像できないな・・・でもきっと可愛い。
「そういえば随分経ってしまったが、乗馬に連れて行った時はお前に悪いことをしたな」
「いいえ、私は何も悪いことをされたというような記憶は残っておりませんが、何のことでしょうか」
「エマをお前の馬に乗せようとした事だよ。あんなに嫌がると思わなかったんだ。エマはお前を嫌ってる訳ではなく馬が大きくて怖くなったんだろうとリリィは言っていたが」
「ああ、アレですか」と言ってエミールはその時の事を思い出したように視線を落として微笑んだ。
「あの時のエマ嬢は可愛らしかったですね」
「え?あれが?」
ん〜いつになく取り乱していたが、あれ可愛らしかったかな?
「ええ、実に」
「あんなに嫌がって逃げ回り馬車で行きたいとか面倒な事を言っていたんだぞ?だからお前がエマに嫌われていると思ってるんじゃないか心配していたし、呆れてお前もエマが嫌になっただろうと思ってたんだけどね」
「いいえ、あんなに私のことを意識して貰っていたとはあの時まで気がつきませんでしたよ」
「意識?」
「私はあのエマ嬢の様子から脈ありと判断しました。好かれていると思うと気になってくるものですね。
いつも一生懸命な人だとは思っていましたが、あれ以来何をするのも愛らしく見えてしまいますよ」
「はあ、そうなのか?あれで脈ありと?お前なかなか心臓が強いな私があんな拒絶をされたら心が折れるけどな」
「顔を真っ赤にして必死でした。
あの後、エマ嬢から『護衛隊の誰かに乗せてもらうのだと思って来た』と言われたんですよ」
それって余計エミールだから嫌って事だろ?護衛隊なら大丈夫だけどエミールに側に寄られたり触れられたくないと。
そんなに嫌っていたとは気がつかなかった。これからは相談役をエミールじゃなく宮内相の管轄に戻してやった方がいいか、でもそれでは効率が悪いからエマには我慢して貰うしかないな。
などと思っているとエミールはンーッと伸びをして立つと、まだ執務机に着いてさえいないフィリップに書類を渡しに来て言った。
「つまり、エマ嬢は私のことを意識しているから恥ずかしかったのでしょう。護衛隊の奴らの事は何とも思ってないから平気だって事ですよ」
「ほお、なるほど」
なるほど、そうか。
エマは恥ずかしかったのか。
あいつ、分っかりにく〜!
あの後パメラと散々心配したのにそう来たか。
「そう捉えるとあれだけ抵抗していたのも納得でしょう。直前までは二人乗りをする気で来ていたのですから私は馬が怖い訳ではなかったと考えますね」
しかし先程のエミールの言い方だと、それまで興味を持っていなかったがエマに好かれていると思うと気になってきたというニュアンスだ。
それだとフィリップだから知っているあの事と辻褄が合わない。
エミールはベルニエ領から我々が帰って来たその日に当時部下だったダニエルをジョワイユーズ宮殿に左遷した。礼儀作法がなってないから王宮では使えないという理由だった。
そして更にエミールとエマを含む我々がジョワイユーズ宮殿に乗馬をしに行く前々日、つまり予定が決まった日にダニエルを解雇した。
従者見習いとして気が利かないばかりか言い置いた事の半分も出来ず無能過ぎると理由を述べていたがそんな事は最初から承知していた事だ。
司法相バヤールから息子が使えないから王宮でしばらく使って鍛え直して欲しい、それは無理でも職歴だけでもハクをつけて欲しい、そうしたらどこか働き口が見つかるだろうと頼まれていて無能承知で預かっていたのだから。
あいつをベルニエに行くのに衣装係として連れて行ったらとんでもない取り合わせの服を着せられそうになった。僕のイメージをどう捉えているのだと疑うよ。緑と赤と紫の3色を合わせるなんて奇抜な服は道化師でもいないくらいで似合うかどうか以前の問題だ。
結局自分で選んで着て、あと畳んでおけと言ったらそれが不満なのかノロノロとヨレヨレに畳むからエマが見かねて全部やり直してくれたんだ。
あんな役立たずを1年半も面倒を見たのだからもう充分だろう、その方がこちらの精神状態も安定するってものだ。でも解雇のタイミングは不自然だ。
ダニエルはエマを好いているらしく別れ際に手紙(後で聞いたらダニエルの名前しか書いてなかったらしい)を渡して来た奴だ。どう考えてもエマに好意を寄せているダニエルを会わせたくなかったから直前で解雇したとしか思えないだろう。
ダニエル解雇を聞いてフィリップはエミールがエマに好意を持っていると考えたからこそ、悪いことをしたと思ったのだから。
「で、本当は最初に会った時に一目惚れしたのか?」と意地悪く直球で聞いてみた。
「私がエマ嬢にですか」と目を丸くして驚いている。
意外な事に本心からそう思っているようだ。
「だってエマの事だけ呼び捨てにしてないだろ、最初から意識してたんじゃないのか」
「そうでしょうか。確かに私は高位役職付きと夫人方以外は皆呼び捨てにしてますけど」
ちなみにバレリー夫人やロクサンヌ夫人は王妃殿下がそう呼ぶのに呼び捨てに出来ないから右に習っているだけだ。
「無自覚か。まあいい、何だか面白くなってきたな。それでアプローチはしないのか」
「んー、今はまだ時期が悪いというか、ちょっと時期を待ちます。
今、エマ嬢には休みなしで一人で対応して貰ってるんですよね。リリアン様は入学前の大切な時期ですので周りがバタバタしない方がいいだろうという話にエマ嬢となりまして交代要員の補充は止めているのですよ。
リリアン様が学園に入学されたら少し時間に余裕が出来るでしょう。と言ってもその間は王妃殿下の侍女に付いて王妃王太子妃の侍女の仕事を勉強してもらうつもりですが・・・。
まあ、そちらは少し間をおいてから始めても彼女は優秀ですから充分間に合うでしょう。
それに今は私も仕事の範囲が増えたところですからどのくらい時間に余裕ができるのかがまだ見当がつかないんですよね。ということでタイミングは大事ですから早くて春頃ですかね。
最初の付き合い始めの盛り上がる時に放置されると女性は十中八九つまらない男だと逃げてしまうものですから。ここは急がば回れ、急いては事をし損じるの精神ですよ」
ちょい待て、なんだかんだ言ってしっかり考えているじゃないか!
あとその最後の何?経験豊富そうな事を言ってさー、誰かと何かあったのかと気になるじゃないか!
エミールの言う仕事の範囲が増えたというのは、フィリップの新学期が始まるのと時同じくしてフィリップの従者兼、国王リュシアンの参謀となったことを言っているのだ。
そもそも王太子の執務を実質代行している関係で仕事上もリュシアンとのやり取りが多く交流がある。リュシアンにとっても9歳から王宮に暮らすエミールは息子みたいなものだ。しかも出しゃばらず立場を弁えた上で気も利くからとても使い勝手が良い。
今まで参謀を任命することはなく誰も傍においていなかったのだが、とうとう色々な対応をする時に策を一緒に練り話し合う相手にとエミールを参謀として任命したのだ。いずれはフィリップの侍従兼参謀となる準備とも言える。
ちなみに従者は他の人に譲って普通に参謀1本にしても良さそうなものだが、王太子の従者とか侍従という役は手放したくないらしい。それを笠に着て他からの干渉をシャットアウトし好きな時に好きに動けるからだとか。
案外ワガママ?
「お前のは元々仕事の内容は同じなのにようやく名前が付いたようなものじゃないか、うかうかしてたらエマを誰かに先に取られるぞ。男なら護衛連中だっていつも近くにいるわけだしな」
「はい、心して承りましょう。護衛連中には注意せよということですね」と悪い顔を見せる。
おいお前、キャラが崩壊してないか?
護衛連中はフィリップが任命したのだからエミールには勝手に解雇出来ないはずだが、なんかエミールが腹黒い笑顔を・・・。
「そうじゃない、そうじゃないぞエミール。
とにかく春!春にお前のお手並み拝見といくか!」
「はい」
と返事をして、フィリップの慌てた様子に笑って付け加えた。
「まあ、それまではさり気なく交流の機会を持ちますよ。仕事上の繋がりも多いですから」
さっきの腹黒キャラはどこまでが本気なのか謎だ。冗談であんな顔出来るか?
「・・・そうしてくれ」
それからようやくフィリップは執務に入った。
ええ、エミールが腹黒キャラに転向?
いやきっとフィリップをからかった、
そうだよね?
_φ( ̄▽ ̄; )
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