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55話 グレース

 ニコラは辺境伯邸に向かった。


 隣の村と言っても隣接はしていない。

 こちらの標高は2600mもあるのだ。

 酸素が薄い。ここにいるだけで心肺機能が強化されるくらいだ。


 つまり、温泉宿アルマスの主人のオリヴェルがあの時、雪の積もっている中を辺境伯邸まで子供とはいえ俺をおぶって連れて来るのは相当大変な事だったということだ。アンニカも惚れる訳だ。改めて感謝の念に堪えない。



 伯爵邸の前は広いグラウンドになっていて、そこに麻袋で梱包された荷物が山積みになっている。前もって運ぶ荷物は主に食料と燃料か。水は現地でも調達出来る。

 これを合宿に先立って各野営地に持って行っておかねばならないのだが既にそれが過酷な訓練とも言えた。


 この麻袋を使うのは軽いし不要になった分は焚き付けの火口にもなるし、敷物にも使えて便利だからだ。


 大変なのは糞尿処理で、持って上がっておいた空のタンクと現地で飲んで空になった樽に一杯になったのを持って降りる。どちらも小さめとはいえ中に入っているものもなんか嫌だし、見た目以上に重くて地獄だ。

 それでも高所では分解するのが遅いから長期間滞在する大人数のソレがあちこちに残り続けるのも最悪だから仕方がない。

 まあ、俺はそう聞いただけで遠方から来ている組だから早々に退散してそれを持ち運んだことは無いんだけどね。とにかく準備と後の始末も含めて過酷なんだ。


 ちなみに氷の山を登るルートはいくつもあるので2日目の野営地にはここから馬や荷馬車で運べるようなトラバース道がついているらしい。それなのに合宿ではいったん麓まで降りてそこまで2日かけて登山していくのだ。これって無駄っぽいがそれも訓練と思えばまあいいだろう。



(大変そうだなー、量がえぐい。来年からは早く来て手伝うか・・・)



 エクレールから下りると声を掛けられた。


「ニコラじゃないか、今年はもう来たんだな!あれを運ぶの手伝うか」


 亡くなったヒューゴおじさんの息子で一歳上の双子の従兄弟トマだ。


「ああ、そうしたいところだが今すぐはこの酸素濃度に順応していないから無理だよ。

 それにリリアンの為に急ぎでしなければならない事があるからすぐ帰らないと。それで今年は訓練合宿に出られないからキャンセルするよ」


「リリアンの為なら仕方がないな。どうした、何か困ったことでもあるのか」


 彼ら従兄弟連中は皆、リリアンに甘い。

 これはお祖父様からの教育の賜物か、ホペアネンの本能か、ただ単に優しい奴等なのか。


「いや、困ったことが起こらないようにする為だから心配はいらない」


「そうか、何かあったら言えよ」


「ああ、お祖母様はどこに?」


「ここにいないとなると母さん達に訓練の準備の指導をしてるから台所か、鍛錬場か、講堂か、裏のグラウンドか・・・いや、2階の倉庫の可能性もあるな」


 周りがなんでもかんでも頼りっぱなしでお祖母様の守備範囲が広すぎる。

 神出鬼没で首に鈴でもつけておいてもらわないと探し出すのが大変そうだ。


「とりあえず屋敷に入って執事に聞くよ。ありがとう」



 父上の兄弟のヴィクトル、ヒューゴ、アルマンおじさんの子供達16人は皆ここで暮らしている。お祖母様が亡くなったおじさん達の子供と奥さんも面倒をみているので大所帯だ。



 執事に客間に通されてほどなく祖母のグレースが来た。


「お祖母様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」と立って挨拶をする。

 実は俺は合宿の為にしか来ないので1対1でゆっくり話をすることは今までほとんど無かった。



「ニコラ、いらっしゃい。今聞いたけれど今年は訓練に出ないそうね」


「ええ、急用が出来てキャンセルします」


「そう、あらあなた百合の谷に行ってきたのね」


 え、なぜ分かったのかと驚いていると



「ふふ、それは羊飼いのスカーフだもの、分かるわ」


 あーこれかと思って首に手をやる。



「私はその村の出身なのよ。崩れた神殿があったでしょう?そこで育ったの」


「えっ!」


 まさか、村の伝説に残るフーゴの神殿に預けられた娘って・・・?



 お祖母様はくすくす笑って言った。


「そんな訳ないでしょう、それ何年前の話だと思っているのよ何千年よ?私は孤児だったからそこで面倒を見てもらっていたのよ」


 お祖母様がニコラが何も言っていないのに心を読んでいるかのように会話を続けている。ヴィーリヤミのように。


 もしかしてお祖母様は精霊の一種なのだろうか?


 俺は銀の民と精霊の血を引いているとかって、すごいロマンの香りがする。



「もう、ニコラったらそんなに百面相していたら、何を考えてるのかなんて丸分かりに決まってるわよ?面白い子ね。

 そんな訳ないでしょ、私が何人の孫を育てていると思ってるのよ。

 でも良かった。

 あなたは子供の頃から難しい顔をして感情を外に出さない子供だったから、王太子様のご学友兼護衛をしているせいでいつも緊張を強いられているんじゃないかと心配していたの。そんな風に肩の力が抜けたあなたを見られて嬉しいわ」


 どうやら知らない内に心配をかけていたらしい。


「ご心配くださりありがとうございます。

 ああ、それに私が遭難したときに助けてくれた方に多額のお礼をして下さっていたと聞きました。多大なご負担を負わせてしまい申し訳ありません。その節はどうもありがとうございました」


「いいのよ。それにマルセルには私が進言したの。あなたが思う50倍はお礼をするようにって。そうすれば氷の女神も喜ぶでしょうってね」


「氷の女神ってお祖母様は・・・なぜそう?」


 村の人はユリの女神と思っていたはず。


「あの人は氷の女王って言っていたけど、私は神殿に暮らしていたから女神って呼ぶのが当たり前で、マルセルはそこは特に疑問に思っていなかったようよ。

 あの宿の主人は愛し子(あなた)を助けたことでリヤ様が加護を与えたの。

 神の加護を得たものは大事にするに越したことはないわ。

 マルセルも氷の女王を喜ばせたらいずれ自分も会えるかもと喜んで出していたから気にしなくていいのよ」


「お祖母様、今日はその、氷の女神リヤ様からお祖父様の物を預かってまいりました」


 ニコラは神殿に暮らし氷の女神のことをいくらか知っていそうな祖母ならこう言えば分かるのではないかと思い、そう言って神妙にダガーと革ベルトを荷物から取り出しテーブルに置いた。


 グレースは息を呑んだ。


 このダガーはいつもマルセル・ジラール辺境伯が身につけている物だった。



「これは、・・・マルセルはもう居ないという事なの?」


「おそらく。

 クレバスに落ちたのだと聞きました・・・残念ですが、私はそういうことだと理解しました」



「そう、・・・ニコラ、マルセルの生死については国境の防衛上とても影響が大きいの。だからハッキリとした事実が確認できない今は誰にも公表は出来ないわ。家族にも。

 でも、今後の対応のことがあるから国王様にだけはその可能性があると報告しなくてはならないわね。私は王都まで行けそうにないからあなたに手紙を託していいかしら?

 ああ・・・、でも本当にマルセルは・・・」


 そう言ってしばらく黙っていたグレースは再び口を開いた。


「ニコラ、私の本当の名前はアンナというのよ。その名は亡くなった両親が付けたもので私の心の拠り所だったの。

 神殿にいた私は12歳で有無を言わせずここに連れて来られ、その名を捨てるように言われて長い間マルセルを恨んだものよ。でも、そのお陰で生き長らえたの。

 こうして孫もたくさんいるし今では感謝しているわ。そう、感謝している。そう彼に伝えておけば良かった」


 そう言って俯いて目頭を押さえ、肩を震わせた。


「お祖母様・・・」



「私たちは夫婦と言ってもお互いに自分のやりたい仕事に没頭してゆっくり話をすることもなかったわ。

 彼は常に氷の宮殿を探すか、氷街道の事業に勤しむかで合宿の前後くらいしか屋敷にいなかったし。

 私がここにくる前、マルセルにはカサンドラという妻がいたの。ヴィクトルとヒューゴは彼女の子よ。

 あの村の氷の女神の神殿にいる私を知って、銀の髪ではないのにもしかすると氷の乙女かもしれないと思ったのね。

 カサンドラは貴族の出身で高地の厳しさが耐えがたかったと言っていたわ、それで氷の山の麓に住む私なら寒さに強いから嫁に貰い受けたいと神殿に言って来たの。

 他にいる銀の民に攫われることを恐れて名前をグレースに変えさせられた。

 私はカサンドラの死について疑っていたの。夫になった彼を信用してなかったのよ。

 だけど、その後この国の神殿や教会は一夜にして瓦礫になったの。そこにいた司祭も神父もお務めしていた者は誰1人残らず根絶やしにされたわ。

 私はその前に神殿を出て、名を変えていたお陰で碌に追っ手がかからずに済んだの。

 庶民で孤児の女がこんな高地の高位貴族の屋敷にいるというのも信じがたい話で村でそう聞いて確認に来たけれどアンナという者はいないと言えばそれはそうだろうと疑いもせずに帰って行った。

 たぶん、この国で唯一の宗教関係者の生き残りだと思う。

 領地経営や辺境伯邸のやりくり、沢山の子や孫、嫁の面倒まで。ここの生活も気がつけば人生の大半、一生懸命やっていて気がつかない内にこんな年になってしまった、たぶん私の人生は充実していたと思っていいわね。

 ああニコラ、年寄りの長い昔話に付き合わせてしまったわね。

 私、急に誰かに話しておきたくなってしまって」


「いいえ、そのような話は初めて聞きました。お祖母様はご苦労をされていたのですね」


「その日その日を暮らしていただけよ。

 ああでもマルセルがいなくなったから私ももうすぐ死ぬ気になっていたけどよく考えたら彼とは12も歳が離れていたわ。まだあなたの子供の顔を見ないと死ねないわね。で、どう?いい人はいるのかしら?」


「はい。近々婚約する予定です。ソフィー・オジェという同い年の令嬢です」


「宰相の娘さんね。やるわね、あなた。

 ああ、楽しみが出来たわ。ありがとう」


 空元気なのか、そう言ってグレースは穏やかに微笑んでみせた。




 それから一泊して王都に向けて帰ることにした。



 夕食中、皆と話していたニコラが言った。


「そう言えばリリアンは王太子フィリップ様の婚約者候補になったよ。もしかするとこっちの人たちはまだ知らないのかな、それについて誰にも何も言われないが」


「えっ!嘘だろ?リリアンは俺たち皆んなのお嫁さんになるんじゃないのか」


「は?何をバカなことを言ってるんだ、いい歳して。この国は一夫一婦制だしリリアンがウンと言うわけないだろう。そんなことは俺が許さないぞ」


「だって、じいさんがそうするって言ってたぜ」

「俺らはリリアンが11になるのを待ってるんだ」

「リリアンは俺達の女王様になるんだろ」

「ここは男ばっかりでそれだけが楽しみなんだぞ」と従兄弟どもは口々に文句を言い出した。


「お前ら冷静に考えてみろ、本当に許さないからな」


 このまま放置できないと腕を組んで睨みをきかせる。


「わかったよ、わかった。ニコラそんなに凄むなよ」




「ニコラ、この子達がこんなことを言い出すに違いないと思ったから私が領内に公表するのを控えていたのよ。

 誰かれが勝手に会いに行って迷惑なことになるんじゃないかと思ってね。

 特にマルセルの耳に入ったら皆んなを連れて奪還に行くと言い出すに決まってるから。

 さあ皆んな、リリアンは諦めて良い人を探しなさい。ニコラはもう見つけてるわよ」


 と言うと「えー、何だそれ」「どうなんだ」と、浮いた話のない彼らは興味津々だ。


 可憐なところが可愛くて、自分を見る目が愛おしげで優しくて、デートで手を繋いだら恥じらうんだ、両思い同士は最高に幸せだとかなんとかニコラに惚気に惚気られて皆もようやく年相応の自分だけの良い人を探そうと思い直したという。


 強面ニコラの緩んだ顔が、よほど説得力があったらしい。


 まだデートを1回しただけなのにね。


 あと、手を繋いだだけじゃ、ないよね?




 翌朝、ニコラが立つ準備をしているとグレースが来た。


「そろそろリリアンに教えておいてあげた方がいいかしら?リヤ様が氷の乙女に与えた最強の身を守る方法を」


「最強の身を守る方法を?リヤ様が?」


「氷の乙女が子守唄を聴かせると誰でもすぐに眠りにつくわ。誰も手出しを出来なくなるの。耳を塞いだとしても関係ないわ脳に直接届くから。

 これって最強だと思わない?ニコラが必要だと思った時にリリアンに教えるといいわ」


「お祖母様、もしかして・・・」 本当は氷の乙女では?


「そんな訳ないでしょう。だったらクレマンもあなたも生まれてないわよ」とグレースは愉快そうに笑った。

リリアンの子守唄が最強説浮上!

_φ( ̄▽ ̄ )


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