48話 めそめそリリアンと魔女の誘惑 SE
よる、お布団に入る前にフィル兄様と楽しくお喋りをしていたはずなのに、突然お兄様と呼ぶのを止めるようにフィル兄様に言われてしまった・・・。
私が他の、マルタン様をお兄様と言ったから不快にさせてしまったんだろうか。
それとも、私が10cmも背が高くなったから妹みたいじゃなくなったのかも。ああ、そうかもしれない小さい私じゃなくなってしまったから。
もう、妹でいることを卒業しなければいけないなんて。お兄様と過ごせた時間はアッという間過ぎてまだまだ一緒に過ごせると思い込んでいた私は「はい」ってお返事を返さなければならないのに、まだお兄様と呼びたいと言ってしまった。
思い出しているだけでまたじんわりと涙が出てきた。
私が泣いたりしたから、優しいフィル兄様は取り消して下さったけれど。無理強いをしてしまうなんて、私はなんてズルくていけない子だったんだろう。きちんと謝罪しなければ・・・。
また下を向きぐすん、ぐすんといいだしたリリアンに髪を梳かしていたエマは優しく声をかけた。
「リリアン様、きっとすぐニコラ様が王都に戻って来られますよ。お寂しいのはいっときです」
「ええ、エマ」
そう一度は返事をしたものの胸に秘めていられなくて心のうちをエマに明かした。
「エマ、昨夜フィル兄様がもうお兄様と呼ぶなとおっしゃられたの、私が泣いてしまったから取り消してくださったけれど、もうフィル兄様にとって私は可愛い妹では無くなってしまったのよ。
妹でいることはもう望んでいらっしゃらない。でも、でも、心が離れてしまっても私はまだフィル兄様と居たい。一緒に居たいの」
手を止めてしばらく黙っていたエマは、またブラシを動かし励ました。
「大丈夫ですよ、リリアン様。殿下のお心は離れたりなんかしません。エマが保証します。それにリリアン様は婚約者候補なのですからいつだって一緒に居られるに決まっております」
「ええ、そうね・・・」
婚約者候補というのは、ただの偽妹の隠れ蓑なのだけど。
エマの部屋を出ると護衛の皆さんがフィル兄様を囲んで立っていた。私に気がつくとフィル兄様は今までと同じように私を抱き上げておっしゃった。
「リリィ、睫毛が涙で濡れている。泣いていたのかい?
悲しいことや辛いことは心に溜めてはいけないよ。何でも僕に言ってごらん?リリィの心はいつも晴れやかでいて欲しい」
そんな風におっしゃってくださったのに、心をそのまま伝えて良いものかどうか。分不相応の気持ちを抱いているなんてこと。
言えない。それは言っちゃダメなことだ。
「はい、ありがとうございます。フィル兄様、昨夜はごめんなさい。泣いて困らせてしまって」
「うん、いいんだよ。時には泣くことも必要だ。涙が心を軽くすることもある」そう言って心配そうに微笑んだ。
「もう大丈夫です」そう言ってリリアンはムリに笑顔を作って見せた。
フィリップは尚も心配そうにしていたけれど、ダイニングルームに連れて行ってくれた。
膝に乗せたまま水を飲ませてくれたり、フルーツをフォークに刺して口に運んでくれたり口元を拭いてくれたりと甲斐甲斐しくいつもにも増して世話を焼いてくれる。
この2日間は馬車(危険だから)や宿の中(今更だが人前だから)だったからか、膝に座ることがなかったのに。
「?」
慰めてくれてる?それとも新しい妹ごっこが始まった?
これ以降、フィリップの保護欲が更に高まってしまうのだがリリアンはフィリップの心が離れてしまうのを恐れる余り、それに気づかなかった。
その日もフィリップとリリアンにオコタン、サラで馬車に乗り込み次の宿場に向けて出発した。
いつになく言葉少なに・・・。馬車の空気がなんとなく重苦しい。
フィリップはリリアンを膝に乗せ、リリアンはオコタンを抱いている。
神妙な顔で。
エマはそれを見て吹き出した。見目麗しい殿下が真面目な顔で少女とオコタンを抱いて座っている。まるでお人形を抱いているみたいではないか。欲張って2つも。
「何が可笑しい?」
「エマ、何を笑っているの?」
「いいえ、いいえ、だってお2人とも神妙な顔をしてオコタンを抱っこしているんですもの。クックッ・・・表情とやってることが合って無さ過ぎて・・・」
肩を震わすエマを見て、2人も肩の力が抜けた。
「おかしな奴だな」
「変なエマね」
そう言って顔を見合わせて笑うとようやく少しいつもの空気に戻ってきた。
「フィル兄様、次の停車場はどのようなところでしょうか」
王都の帰りに通った道は同じだが、停まったところは同じところばかりではなかった。
「そうだな、最近人気の戯曲作家の生誕の地だと言っていたな」
「戯曲ですか、どんな物なんでしょう?」
「僕も知らないんだが、行きに聞いた説明だと悲恋の物語が得意で特に人気らしいよ」
そうして着いた次の停車場で人は昼食をとり、馬は水と馬草を与えられ休憩をとった。宿泊する次の宿場町までは比較的近いということでその戯曲作家の演劇を観に行くことになった。
ちょうど上演予定があり、王太子様と婚約者候補様がお越しなら是非にとここで待機していた者を通じて招待を受けていたらしい。
王都の劇場よりこじんまりしているが、舞台が近くて迫力ある。ボックス席ではなくかぶりつきだ。
周囲の席は警備上の理由で広く空席にしてあった。舞台の手前で目立たぬよう護衛がしゃがんで不測の事態に備えてくれている。
役者の足音が、息遣いが、衣擦れの音まで感じられ物語が強く語りかけてくる。
リリアンは初めて見る演劇に圧倒されていた。
話す声の響きに、言葉の内容に、役者の持つ熱に、演技に、心まで痺れるようだ。
友人の家のパーティで偶然に知り合い、恋に落ちるレオとシャルロット。2人はそれぞれ名家の子息子女だ。
しかし、2人の父親は昔同じ女を取り合いしたライバルで未だに失恋したのはお互いのせいだと思っていて絶望的に仲が悪かったことが判明する。
人目を忍び逢瀬を重ねるが、祝福されぬ状況に思い悩む。
そこへ占い師を名乗る女が現れて、洞窟の中の大蛇の護る祠に2人で行き金貨を置いて来られると、どんな障害も上手くいき結ばれるのだと教えられる。
2人は手を取り合い真っ暗な洞窟に入る・・・色々あって、2人の手が一瞬離れた隙に占い師を装っていた魔女の手に入れ替わっていた。魔女はレオに一目惚れをしていてシャルロットから奪おうとしていたのだ。
先月から上演中のこの「魔女の誘惑」は悲恋の物語だったのだが、今日の演目は「魔女の誘惑レオとシャルロット 王太子様ご来訪記念 スペシャル・エディション」となっていた。
フィリップがニコラと行きにここに立ち寄った時に、帰りに観劇してもらおうと脚本を手直しして役者たちは猛練習していた。
劇場主が王太子様の婚約者候補の発表に応えるような内容にして喜んで貰おうとしたのだ。それがまさか婚約者候補様も一緒に観劇になるとは嬉しい誤算だ。
レオ役はフィリップを思わせる、ふわふわ眩い金髪、シャルロット役はリリアンを思わせる、サラサラの銀髪のカツラを被っていた。
「レオ、レオ、私はここよ」と呼ぶ声が違う。
元の脚本→緊張で声が震えしゃがれて聞こえたのだろう
改編脚本→これはシャルロットの声ではない!
繋ぎ直した手が冷たい。
元の脚本→怖くて手が冷えたのだ
改編脚本→これはシャルロットの手ではない!
レオが正しくシャルロットを見極めたので魔女とシャルロットを取り違えることは無かった。
異臭がする
元の脚本→大蛇の洞窟の臭いか、ひどい臭いだと言って手を離し鼻と口を押さえる
改編脚本→これは醜悪な心を持つ魔女のにおいだ!手を離すなよシャルロット
レオが正しく魔女を見極めたので手が離れることも無かった。
そのお陰で、シャルロットは魔女と思われてレオに剣で殺されることは無く、レオはシャルロットを自らの手で誤って殺してしまった上に、魔女と結婚する運命に定められ、絶望の余り自害する・・・ことも無かった。
ちなみにこの国に魔女はいない。それは悪い誘惑を表す象徴としてのみ存在している。故にレオはあらゆる誘惑に打ち勝ったのだ。
洞窟の中は光に照らされ明るくなり、更に大蛇はレオとシャルロットをどうぞどうぞと祠に来たことを歓迎して襲ってきたりしなかったのでとてもハッピーな感じだ。
悲恋だと思って来ていた他の観客はポカーンとしていたが、リリアンはシャルロットに感情移入し、大感動の嵐だった。
フィリップはもちろん、リリアンが幸せそうなので文句なくスペシャル・エディション推しだ。
祠の金貨の効力で障害が取り除かれた。父たちにも祝福を受けレオとシャルロットを祝う盛大な結婚式が行われた。大道具さん小道具さんや音響さんに衣装さんもさぞ大変だったことだろう。
お陰でその日の夜になってベットに入っても、まだ劇の世界に夢見心地のリリアンだ。
ほう、と溜息をつきつぶやく。
「ああ、今日のお話、すてきでした」
「リリィ、僕もリリィを他の者と間違ったりなんかしないよ。今夜は手を繋いで寝よう。僕のシャルロット」
「はい、レオ様」
嬉しそうに笑い、手を繋いでリリアンは目を閉じた。
昨晩からの悲しい気持ちは一切忘れ、リリィは夢の世界に入っていった。
良かった元気になって。
観劇は良い気分転換になったようだ。
リリィにはやはり幸せで楽しい気持ちでいて欲しい。
口元に微笑みを浮かべて眠るリリィを傍らにして、フィリップはリリアンの小さな指輪にくちづけた。
それから「おやすみ」と囁き、頬にもくちづけを落としてから安心したフィリップも穏やかに眠りについた。
悲恋物じゃなくて良かった
_φ( ̄▽ ̄; )
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