38話 工房と仔馬
翌日は朝からフィリップはニコラの案内で当初の目的の工房へ向かった。
工房は本邸から昨日来た道をまあまあ戻った所の大きな四つ角から右手に入ったところにあるという。
剣やナイフの工房だけでなく、革細工の工房、大工、仕立て屋等ここは手工業が軒を連ねる区域らしい。
昨日もこの辺りはレゼルブランシュに乗って通ったはずだ。
実を言うと、ちょうどルネの話をしていた時だったから周りをよく見ていなかったんだよな。
ルネのやつフェルゼンの屋敷に試験勉強をしに行っといて、いくら優し気に微笑んでくれたからって7歳年上の子持ち未亡人の姉にだよ、まだ学生の分際でその場で結婚を申し込んで玉砕したんだって。
フェルゼンも呆れてたけどホント無謀過ぎるだろ。次からはよく考えてからにしろって言っといたんだけどあいつはそそっかしいところがあるからなー。
まあその話はこっちに置いといて。ニコラがベルニエは田舎だと言うから町はもっと閑散とした感じかと思っていたが、改めて見渡すと結構活気があって驚いた。
ニコラが説明してくれる。
「材料屋や加工屋など関連した物が近くにあった方が効率が良いですからね。母が元々バラバラにあった工房をこの辺りに誘致したんです。
反対に向こうの区域は市場です。商業中心の区域ですね。それぞれギルドがありますよ」
「ベルニエ領は牛馬と野原だけではなかったんだな」
「ええもちろん。陶器やワインも少量作っていますし、主力の畜産関係の施設は牧場に近い方で別にありますよ。
あ、懐かしいなあの通り。今はどうなっているんだろう?
殿下、我が本邸は元はこの通りから入った奥の高台にあったんですよ。見晴らしが良くて町の様子がよく見えました。風格のある建物で便利な所にありましたし私はとても気に入っていたんです。
ですがリリアンが産まれてすぐに四方が牧草地の今の場所に移ったんです。その頃はそっちはまだ本邸といえないくらい狭くて。
リリアンがまだこんなに小さい赤ちゃんの頃でしたね」
手でサイズを示して見せた。それだと本当に生まれて間もない頃のようだ。
「そんな頃だと引越しは大変だっただろう、随分急いだようだがそこだと何か不都合があったのか?」
「祖父がそうするようにと強く勧めたからですよ」
「リリィが可愛すぎて誘拐を恐れたとか?」
「それも有るのかな?私が小さい頃に祖父からリリアンが生まれたことは親戚にしか言ってはならないと言われていたくらいですからね。
だからリリアンの事は本邸の者と親戚だけが知っていて・・・。
そのせいでリリアンは友達がぬいぐるみしかいなくて、遊び相手は従兄弟ばかりだったんですよ」
「それは可哀想だ。リリィは家に籠っていたいタイプではないだろうに。
まるで女王様だな、しかし王太子である私だってもっとオープンだぞ。
そう言えばリアムがリリアンはみんなの『女王様』だって言っていた。
どうしてだろう、この国は王になるのは男のみだ、女王はいない。普通は『お姫様』じゃないか?リリィのように王子様とお姫様の話が好きならなおさら」
「そうですよね、うちではそんな呼び方はしませんが祖父を筆頭におじ達はリリアンを女王様と好んで呼んでますよ。リリアンに傅く気持ちの現れでしょうか、1人しかいない銀の色をもつ女の子だから大切にされていて・・・」
「なぜ1人しかいない銀の色の女の子がそこまで大事にされるんだ?後継を得るためなら男子の方がより重要とされると思うが。どこかに縁付ける為と言ってもそもそも辺境伯位は爵位の筆頭と言っていいし、子沢山だし」
「・・・可愛すぎたんでしょうか?」
「まあ、可愛すぎるのは納得する」
散々考えた結果、そんな結論しか導きだせない2人だった。
工房ルフェーヴルには来訪の予定を伝えてあった。規模としては大きくはないが職人達の動きに活気が感じられる。
材料になる鋼も用途や好みによって種類や厚みが色々あると並べて見せてもらったり、工程の一つとなる鍛造をしている様子や王太子様だからとマル秘の技術である浸炭処理の様子までも特別に見学させて貰った。
それからこんなものが欲しいという要望に応えて、実際の商品を参考に元となる鋼を決めたり、長さや厚み、太さ、持ち手の材質や握り具合をどんなものにするかやり取りを重ねた。
職人がフィリップに手や腕を握らせて腕力や握力をみたり、幾つかの剣を使わせて観察し、グリップの形状や握り心地、重心の位置などの当たりをつけるという。彼らの目は真剣だ。
お昼は一度本邸に帰って、また工房に戻り更に注文を詰めていく。
ロングソードは少し太くて短めにすることになった。重さと重心の位置を違えて練習用に2本。
そしてダガーと呼ばれる短剣も作ることにした。これは護身用だが、とことん質と見た目に拘った豪華な物にする。
好みは伝えたが剣の柄や鞘のディティールは任せた。
出来上がりまでに数ヶ月かかるらしい。
これを納めて王太子から満足したと王室御用達の印を戴くと、国中のどこにも引けを取らない素晴らしい工房であるというお墨付きを受けるのだ。
いずれ今回作った剣をベースに儀礼用を作る事になるかもしれない。彼らにとっての真剣勝負だ。
結局1日近くかかった。フィリップは満足気なので他にも案内したかったがもう本邸に戻ることにした。
本邸に戻ると門前でジラール辺境伯の長男のヴィクトルと数人の男達が何やらやっているところだった。家令エリックが入って行くのが見えたので父上に来訪を伝えに行ったのだろう。
「おじさん、どうされたのですか」
馬上から声をかけた。
「おお、ニコラ・・・。
あっ!
これは王太子殿下!お目にかかれて光栄です。私はヴィクトル・ジラール。ジラール辺境伯家の長男です」
「ああ、知っている。お前は王立騎士団にいたことがあったな。確か指導教官として」
「はい、もう10年近く前になります。殿下に覚え目出度く光栄の極みでございます」
「何をしているのだ」
「はい、我が父マルセルよりリリアン様の誕生日に贈る仔馬を届けるようにと命を受けて今連れて来たところです。
これは小さいながら随分気の荒い馬で、その背にリリアン様以外乗せてはならぬと言われていたこともあり充分な調教が出来ておりません。眠らせて連れて来たのですが途中で目を覚ましてしまい、今もなかなか出てこなくて手こずらされております・・・」
荷馬車にホロがかかっており、その中に馬がいるらしい。周囲の男達はロープをそれぞれ手に持ち今にも強く引っ張れるように構えている。
フィリップがレゼルブランシュを進め回り込んで中を見ると、曳き綱とは別に灰色の仔馬の脚4本にロープが括り付けてあり先は男達が手に持っている。暴れるからこのロープで四方から引っ張ってそれを抑えようというのか。
なんとか出そうと苦心しているが上手くいくどころか抵抗され、言う事を聞きたくないと仔馬は足を小刻みに踏み耳を後ろに倒し頭を振る。そして近づこうとすると鼻にシワを寄せて歯を剥き出してくる。
その目は不快感と不信感でいっぱいのようだ。
フィリップは言った。
「なんと可哀想な事を!怯えているのだ。お前達、脚のロープを外せ、そんなやり方でこの子の信頼が得られるものか」
「しかし殿下、それは大変難しいことでございます。近くに寄ったら蹴られてしまいます」
ヴィクトルは言った。
彼は銀の髪と銀の目を持ち、確かに武術に関しては教官を務めたことがある程に強いのだが心が勇敢な男ではない。ただ、父親である辺境伯に忠実なだけの男だ。
「もう良い。お前らがいるとこの子は気を静められないだろう。見えない所へ下がれ。私がする」
フィリップとニコラは馬から降り、男の手から曳き綱を引き取った。
「もう大丈夫だ。ゆっくりと出ておいで」
「ほら、いい子だ」
荷馬車の外からフィリップは優しく声をかけながら出てくるように根気強く促した。仔馬はしばらく落ち着かなかったが、今はこちらの様子を伺っているようだ。
2人の愛馬レゼルブランシュとエクレールも応援するつもりなのかフィリップの側に来た。
仔馬はまだ警戒心は解けていないものの、少し出て来ようとするような動きを見せ始めたが、やっぱり後ずさったりしてまだ躊躇っているようだ。もう少し!
そんな緊張感のある空気の中、そうとは知らずリリアンが屋敷から出て来てホロの中をニコラの後ろからそっと覗いて言った。
「なんて綺麗で賢そうな仔馬でしょう」
フィリップとニコラはまだリリアンが近づくと危ないと思ったが、リリアンに気を取られていた一瞬に仔馬は2人の間をすり抜けて出て来た。
仔馬はリリアンに興味を持ったようで、近づき期待するように首を寄せてくる。
リリアンは撫でてやり、持っていた半割りにした林檎をその口元に差し出した。
「林檎はいかが?」
仔馬はリリアンに警戒心を見せるどころか、その林檎を口にした。
「驚いたな、馬の扱いを知らないリリアンがこの仔馬を手懐けるとは」ニコラは手綱を緩めたまま短かく手繰ってフィリップに手渡した。
フィリップはリリアンの後ろに立ち、馬の様子を見る。
先ほどまでの怒りや不信感といった感情は見えない。気が荒い馬というより、馬を怒らせて気を荒くさせていたのではないかと思うほどだ。
ニコラはラポムの足を縛るロープを解いてやった。
「あなたは林檎が好きだからラポム。ポムタンと呼びましょう」
名前が決まった。
「ポムじゃなくてラポム?それはともかく、ポムタンは・・・。この子は牝馬だよ」と呆れるニコラ。
「うーん。おかしいかしら?ポムよりラポムの方が特別な仔馬って感じがあって可愛い気がしたの。
それにオコタンにポムタン、良いコンビだと思ったんだけど・・・。それともポムポムにしようかしら?」
護身術の名がリリアン拳になるくらいだ。逆に名付け下手なリリアンらしいか。
「リリィの馬だから、気に入った方で呼べばいいだろう」フィリップはいつだってリリィ優先だ。
「あなたはどっちがいい?ポムタン?・・・ラポム?」
明らかに仔馬はポムタンに首を捻り、ラポムの時に目をキラキラとさせて嬉しそうにした。
「ふふふ、あなたがラポムを気に入ったならそう呼ぶわ。ラポム、よろしくね」
ラポムは嬉しそうにブルブルブルと返事した。
明日は3人と3頭でリリアンとラポム用の馬具を買いに行こうと約束し合った。
馬を引き渡してホッとしたヴィクトル一行は一泊もせずに早々に帰って行った。
辺境伯領は遠くて不便な所でもあるし、国境を常に警護しなければならないため中央になかなか出て来ないから世情に疎いところがある。
フィリップとリリアンの婚約者候補発表について何もお祝いの言葉が無かったのは、彼らが礼を失したのではなく多分まだ伝達が遅延していたのだろう、たぶん。
仔馬はラポム(リンゴ)
という名になりました
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