27話 ベルニエの領地へ
あの後、フィリップとニコラは寮に帰った。
「元気でね、休みになったら会いに行くからね、またね、僕のことを忘れないで、お土産を持っていくよ、離れ離れになって寂しいけど会える日を胸に生きていくよ」
などとくどい上にだんだん情けない感じになってきたので、ニコラが引っ張って強制終了させて帰って行ったのだけど。
そして翌日はタウンハウスの使用人達に見送られてリリアン親子一行も帰途についた。
行きは6日かけた道を、ちょっと強行軍だったかしらと帰りは途中で氷街道の進捗を視察しつつ帰ろうとゆったりと10日間かける行程にした。
リリアンが、行きにずっと座っての移動が連日続くと流石にお尻が痛いと言って馬車の中で立ったりストレッチをしていたから行きより1日に進む距離も少し控えたし丸1日移動しない日も間に挟んだ。
馬車は途中何度も止まって人も馬も食事と休憩をしなければならない。人馬の数が多いとそれだけでも時間がかかるということもある。
時間に余裕があるから観光がてら街を散策するとリリアンも楽しかろう。
馬車の中でリリアンは親友のオコタンを背もたれにして座っている。
母にカレンダーを出してもらいフィル兄様に何日会えないのか数えてみた。王様は月に一度会えばいいとおしゃっていたけれど、6月は1度も会えないらしい。
顔を上げると馬車の小さな窓から見えるのは、小さな空だ。
この窮屈な所から飛び出して今すぐ戻れたら良いのに。フィル兄様のところに。
小さな指の小さな指輪に何度となく目を落とすリリアンを挟んで座る2人は目を合わせる。ジョゼフィーヌは娘の気持ちを慮ってその小さな肩を抱き寄せた。
本人達にどれほどの自覚があるのか無いのか分からないが、恋愛の始まりの頃はとにかく逢いたくて逢いたくてたまらないものだ。次に逢えるのがいつか分かっていても早々に離ればなれになるのはお互い辛かっただろう。
物理的な距離があるから移動だけでも日数がかかるし。
あと10年か、いっそ婚約まで出来れば良かったのだけど・・・。
銀の髪を持つこの子が幸せな人生を歩けるように。
でもそうね、とジョゼフィーヌは考える。
あと数年もしないうちにリリアンとフィリップ様も互いに行き来しやすくなるわ。
ここに道がつけば、氷街道と運河が通れば。人の行き来や物の輸送が段違いに多く早くなる。
まあ、運河は道が出来て更にその先の話だが、道さえ整備されれば時間も短縮され途中で盗賊にあったり馬車の事故で命を落とす危険も減るはずだ。
その為にはここ、この遠回りなガタガタで急なアップダウンがあり道も曲がりくねって細い難所があるアングラード領の攻略がキーだった。
アングラード邸のある街の中心部まで通さず、領地の端を横切らせる。そこから分岐させて中心部まで道を通せば、氷街道は最短距離で平坦なコースを通ることになるし工事期間も大幅に短く出来るだろう。
アングラード侯爵との話ではこちらの協力に対し、あちらからも炭鉱の技術から得たトンネルの掘り方と崩れないように維持するための方法とか、有毒ガスや換気の問題とか、そのノウハウを教えてもらえることになっている。
ベルニエ領はなだらかな丘陵地帯なので最初はトンネルの技術など使い所は無いと思って聞いていたのだけれど、穴の中は一定の温度と湿度が保たれて冷んやりしているらしい。これはこれから着手したいと思っているワインや氷、その他の産品の貯蔵庫に使えるのでは無いかとハタと気づいた。
あと、作るチーズの種類も増やせるかも!
カビを使ったチーズは湿度が大事らしいし。
キノコの栽培もいけるかも?
食料の安定供給や農作物の種類が増えることは領地経営にとっては何より重要なことだ。
となると、我々にもトンネルを掘る技術を習得するのは凄く利がありそうだ。人員を何年にも渡り送るけれど、その分を補って余りあるリターンが望めそうだ。
などと考えてニマニマしていたら、アングラードのガタガタ道を通るのも楽しく思えてくるから不思議だ。
馬車の外に目をやると護衛達が周りを固めている。
今回はフィリップ殿下からリリアンの帰領に対して20人の護衛をつけられた。ありがたいことだ。
そしてフィリップとニコラがベルニエ領に向かう時の為に事前下見用の騎士、途中乗り換えの為の馬と馬車、それを世話する人夫達も同行している。
彼はいったいどれほど急いでリリアンに会いに来るつもりなんだ?
そのせいで、とても伯爵の移動とは思えない大名行列かという大移動になっている。宿場が我々だけでギッシリだ。
彼等を私達に同行させる必要は無かったのでは?殿下がいらっしゃるのは40日以上後だよ?ちょっと汗。いや、大汗だ。
アングラード領を抜けてしまえば比較的道は走りやすくなり馬も人もラクになるだろう。
この区間は乗って座っているだけでもひどく疲れるのだ。
この大袈裟な行列を狙う盗賊はまず居ないだろうから次の宿場までとりあえず一寝入りしておこう・・・。
この氷街道から中心部への道の計画が後に新たな鉱脈の発見に繋がったり、二転三転するルート取りで今度は湯が湧き出したりで温泉に湯治療養事業、果てはアングラードの観光化にまで波及しその経済を潤した。
アングラード領民はベルニエ領に足を向けて寝てはならないという、領法が出来るのは、ジョゼフィーヌはもちろん、まだ誰も知らない未来の話だ。
一方、プリュヴォ宮殿国王執務室ではリュシアンが今しがた届いた書簡を見てご機嫌だった。
先発隊は準備万端で滞りなく出発したとのことだ。
あのベルニエに同行させた馬車や人員のほとんどはリュシアンが自分の為に先行させたのだ。
今回、ジョゼフィーヌに再会して痛感した。
恥ずべきことに自分はこの国の何も見えていない、分かっていなかったという事を。
彼らが氷街道にもう着手して何年になるのか、辺境領での災害の多さ、その甚大さ。氷を切り出し運ぶその苦労、氷の有用性。道の有用性。アングラードの領地が困窮し始めていること。
改めて手元の資料を見ると、成程、確かにそのつもりで見れば分かることだった。工事費はこの街道が通る事になっている領地で激増していた。災害対応費、鉄の供給量の年次変化なども。
国中の各領地から上がってくる嘆願書や税の取り立てに使う資料と税をどのくらいにするのかの決裁、日々目の前に積まれる書類を右から左へはかすのに追われるだけだった。自分なりにこの国の為に考えて国政にあたってきたつもりだ。でも、机上でだ。
先行隊には様々な事に当たってもらう。もちろん近々自分が行くルートの安全確認と宿泊施設や人馬の入替えがどのくらいの規模に対応できるのか前もって調べておくというのもある。
その他、各地域での問題点や良い所を見たり聞いたり。
地図も祖父の時代のものに各地の派遣している役人が変更分を書き加えたものしかないお粗末なものだ。
よし、地図も刷新しよう。そしてその大動脈になる道とやらを四方にまで伸ばし、枝も伸ばすのだ。
やはり、ジョゼフィーヌは素晴らしい。
いつも私に足らないものを、そうとは言わず提示してくれる。今私に足らないのは現地視察。広く外に目を遣ることだ。
突然私が行ったら、ジョゼフィーヌもクレマンのやつも腰を抜かす程驚くだろうな!
パトリシアは自分も行きたいと言って、フィリップとリュシアンだけずるい、ずるいとさっきまで粘っていたが、やはりまだ危険な道だ。彼女を一緒に連れて行く訳にはいかないのだ。
いつかパトリシアも連れて行ける安全できれいな道を早く通すために行くのだから。
あと、そのうち辺境領にも行ってみたいものだ。
「まずはここだな」
リュシアンは地図を手に王都からベルニエ領まで指でなぞり、パチンと指で弾いた。
あの、リュシアン様
何を企んでますの?
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