302話 長いエリソンの話
「ベアトリス・・・、ベアトリス」
「はっ、はい?」
思い出の海にいつの間にかどっぷりと沈んでいたベアトリスの意識を引き上げたのは、夫である侯爵の声だった。
慌てて顔を上げるとこちらを見ていた夫と目が合って、ドキンと心臓が跳ねた。夫以外の男性のことを考えていたことを後ろめたく感じたのだ。
「ご、ごめんなさい、あなた」
「何がごめんなさいだ?
ルイーズのことは放っておいていいから、早くリリアン様に話の続きをして差し上げなさい」
「あっ、そ、そうですわね。そうでしたわ・・・」
(そうだった。さっき私はリリアン様に御坊ちゃまが幼い頃の国王陛下とのエピソードを話そうとしていたのだったわ。それにルネのことは子供の戯れごと、私としてはやましいことは何もないのだからドキドキする必要はないのだわ)
ベアトリスは落ち着きを取り戻すとリリアンの方に向き直り、侯爵夫人らしく優雅に微笑んだ。
「リリアン様、先ほどのお話の続きをさせて頂いても?」
「はい、ぜひ!お願いします!!」
心待ちにしていたリリアンは、すぐさま頷いた。
「ではお話させていただきますね。
さきほどもお話いたしましたが、王子殿下は御幼少の頃に庭園でハリネズミを見て以来そのことが忘れられず "あの子どこ行ったかな?" "いま何してるかなー?" などとお散歩中や窓の外を見るたびに私たちにお尋ねになるようになり、ずっとお気にかけておられました。
そんなある日、ロザリーというお世話係がハリネズミのヌイグルミを持ってきたのです。
彼女はとても手先が器用で特に縫い物が得意だったのですが、同時に凝り性でもありまして、普通のハリネズミの形から丸まってハリを立てる様子までを一つのヌイグルミで再現したいと密かに苦心を重ねていたそうで "ようやく完成しました" と王子殿下に進呈し、どのような物か誇らしげに説明していましたよ。
本人が苦労したと言うだけあってそれは大変凝っていて、鼻がボタンになっていて、尻尾の付け根にあるループをかけると丸くなって背中のハリを立てるのです。しかもそのハリは固いものではないので手で持っても怪我をせず、ボールのようにして遊べるようになっておりました。
王子殿下は一目見るなり大変お気に召され、自らそれを『エリソン』とお名付けになって変身させて遊ぶほか、転がしたり、お外で遊ばれる時やお食事の際には腰に下げて行かれたり、就寝の時には枕元に置くようにと仰られるほど常に傍においておられるほどでした。
パトリシア王妃殿下はその御様子を微笑ましくご覧になられ、王子殿下とエリソンが主人公の物語をお作りになられました。そして王妃殿下自ら王子殿下をお膝にお乗せになって話してお聞かせになったのです。
王子殿下は大変お喜びになり "おしまい" と言う度に "もう一回、もう一回、お話しして" とねだられて、同じ話を飽きずに何度も何度も繰り返し聴いていらっしゃいました。
また、お遊戯室以外で王妃殿下にお会いになられた時も "またあのお話をして" とせがんでおられ、余程お気に召されたご様子でした」
「まあ、それはどんなお話だったのですか?」
「はい、最初のお話は森から出てきて迷ったエリソンと御坊ちゃまが出会って一緒に冒険をするというお話でした。
道中、綺麗な柄のキノコを発見して喜ぶエリソンに御坊ちゃまがそれは毒があるから食べちゃダメだよと教えてあげたり、エリソンが届かない高いところになっていたリンゴを御坊ちゃまが採ってあげたりしながら進み、最後は茂みの下のトンネルをくぐったら目の前に大きな噴水あって感動するというお話でした。
二作目は一緒に庭園を歩いておりますと尾羽が長く美しい青い鳥と、頭の飾り羽根が華やかで美しい赤い鳥の二羽が言い争いをしておりまして、それを御坊ちゃまとエリソンが仲直りさせるというお話でした。
ですが言い争いと言ってもどちらがより相手のことが好きかで揉めていて、よくよく聞いたら相手の良いところを上げていく褒め合い合戦だったんですよ」
「うふふ、喧嘩をしていたんじゃなかったのね」
「それから三作目は雨の日に御坊ちゃまとエリソンがガゼボでお話ししていると、森の仲間が次々にやって来て一緒に雨宿りする、というお話でした。
たくさん来すぎてすぐに屋根の下はいっぱいになり入れなくなるのですが、御坊ちゃまがエリソンを腰に下げるとスペースが出来てウサギが入れるようになるのです。それをきっかけに皆が助け合って場所を空けていくのですよ。
クマが肩や頭の上に鳥をとまらせて、キツネは背中にリスを乗せてやり、シカはモグラを脚の下に入れてやるというように」
「まあ、みんな偉いわ!」
「はい。
このように王妃殿下のお作りになられるお話は、短いけれどよく考えられたお話で、小さな子供から大人まで楽しめる面白いお話しばかりだったのでございます。
その上、パトリシア王妃殿下は私たちに両殿下との同席を許してくださいまして、これからお話が始まるというと王妃殿下と王子殿下を囲んで私たちも座らせていただき、一緒に耳を傾けさせていただいてたのですよ」
「穏やかで素敵な光景ですね」
「はい、王妃殿下は大変お心が広く、また愛情深いお方です。これらは私にとっても忘れられない思い出です。
そんなある日こと、皆で物語を聞いていたところに国王陛下が訪れになられました。私たちは蜘蛛の子を散らすように壁に立ち、陛下をお迎えしました。
陛下は王妃殿下が王子殿下をお膝に乗せてお話をされているところをご覧になり、御自分も同じようになさりたいと仰いまして王妃殿下の横にお座りになると王子殿下に "どれ、私の膝に乗せてやろう" とお声をおかけになりました。ですが王子殿下はイヤイヤと身を捩り王妃殿下の腕を擦り抜けてお逃げになってしまいました。
国王陛下はソファの後ろにお隠れになった殿下を御自ら迎えに行かれ、抱っこしようと手を伸ばされたのですが、途端に火が点いたように泣かれてしまい、その日は諦めてそのままお帰りになったのです。
王子殿下は普段は滅多に泣いたりなさらないし、物分かりが良く手のかからないお子だったのですが、国王陛下とはそれまで交流らしい交流がなく、お顔を合わせる機会さえほとんどなかったものですから急に現れた大きな陛下に恐れを感じられたのでしょう。
王子殿下に逃げられて数日後、国王陛下は手に豪華な絵本をお持ちになり、エリソンとは別のハリネズミのヌイグルミを腰に下げてやって来られました。
なんと国王陛下はパトリシア王妃殿下を真似てご自分もお話をお聞かせになろうと王室お抱えの詩人と書記に絵本をお作らせになり、さらにお針子にヌイグルミを作らせて、それを持っていらっしゃったのです。
最初は王妃殿下の後ろに隠れていらっした王子殿下も、色の付いた絵本の挿絵と見たことがないヌイグルミにご興味を示されて顔を出されました。
そこで国王陛下は "今日は長いエリソンの話を聞かせてやろう、一緒にこれを見ようではないか、こちらへおいで" と本を広げて声をお掛けになりました。
王子殿下は "長いエリソン?" と不思議そうなお顔で呟くと、恐る恐る国王陛下の傍まで出て来られました。
そして向かい合わせにちょこんとお座りになると、国王陛下の膝の上に開かれた絵本を反対側から覗かれたのです」
「うふふ、かわいい」
「はい、その様子は本当にお可愛らしく、国王陛下も顔を綻ばせておられました。
それから国王陛下は王子殿下をお膝にのせず、そのままの状態で絵本を読み始められました。たぶん、逃げられることを心配なさったのでしょう。
王子殿下はお話が進むにつれ身を乗り出して熱心に絵本を覗き込まれておられました。
国王陛下は大変お喜びになり、意気揚々と読み進められておりましたが、正直に申しまして国王陛下の絵本は『風が新緑を揺らし小鳥は歌い、小川は陽光に照らされキラキラと・・・』という感じでなかなかエリソンが登場しないうえ、登場してからも文体が固くてちっとも面白くないのです。
王子殿下は根気強く絵本を覗かれていましたが、やがて自らページをめくって先を見ようとなさいました。国王陛下はお読みになってるページを先に先にめくられるので読めなくなってしまったのですが、黙ってなすがままにされていらっしゃいました。
御坊ちゃまは最後までめくり終わると首を傾げて仰いました。
"長いエリソンは?"
"ん?これだよ。これが長いエリソンの話だよ" と国王陛下は膝の上の絵本をパンパンと叩きましたが、御坊ちゃまは納得なさらず、もう一度仰いました。
"・・・長いエリソンは、どこ?"
その時の御坊ちゃまのきょとんとした表情の可愛らしかったこと!堪らないほどでございました」
「うふふ、フィル様は長いエリソンがいると思われていたの?」
「そうなんです。
国王陛下は王妃殿下のお話に比べて長編という意味で『長いエリソンの話』と仰ったのですが、御坊ちゃまはヘビみたいに『長くなったエリソン』が出てくる話だと思っていらっしゃったのです。
国王陛下はそこでようやく王子殿下の勘違いに気が付かれ "エッ!?" っと面食らって目を白黒とさせておられました」
「長いところが違ったのね!
ふふふ、可愛い勘違い。フィル様可愛い!」とリリアンは手を打って大喜びした。
「でも王子殿下が勘違いしたのも無理はなかったのです。
だって国王陛下のお持ちになったハリネズミのヌイグルミはエリソンより貧相で・・・いえ、ずいぶんと細長かったものですから。
一つお話しするのが抜けておりましたが、最初に "長いエリソンの話" と聞いて傍まで行かれた時に国王陛下からそのヌイグルミを手渡されていたのですよ。どおりで王子殿下はしばらく両手でビヨン、ビヨンと引っ張っていたはずです。"長いエリソン" ならもっと長く伸びるはずだと思われたのでしょう、どのくらい伸びるか試しておられたのです。でも伸びなかったのでお座りになったときに床に置かれ、その後は見向きもされない、ということがあったのです。
そのあと国王陛下が "いや、これは『長いエリソン』の話ではないのだよ" と仰ると王子殿下は"ふうん" と首を捻り、その後はすっかり興味を失われ離れて一人で積み木遊びをお始めになりました。
国王陛下はガックリと肩を落として絵本を持ってお帰りになられました。そのお姿の御いたわしかったこと!あのいつもパワーが漲っていらっしゃる国王陛下がお背中に哀愁を漂わせて帰って行かれたのですから。
あんなお姿はこの時以外後にも先にも拝見したことがございませんわ」
「まあ、お可哀想に・・・」
「でもその後、王妃殿下がエリソンが穴に落ちて、出て来たらヘビのように長くなっていて・・・という『長いエリソン』のお話の絵本を作られて国王陛下に贈られたのです。
国王陛下はそれを手に再度読み聞かせにご挑戦なさいました。王子殿下は目をキラキラさせてお聴きになり、国王陛下のお膝に上がって "もう一回、もう一回" とおねだりされるようになったのです」
「まあ!お二人は仲良くなれたのですね」
「はい、すっかり仲良くなられました。
我が子をお膝に乗せた国王陛下の嬉しそうな横顔と、笑顔でお二人に寄り添う王妃殿下のお姿が今も忘れられません」
「素敵なお話ね」
「はい、私の拙い話でどのくらい伝わったか分かりませんが、そう言っていただけると嬉しいです。長くなりましたがお聞きくださってありがとうございます」
「いいえこちらこそありがとう。
フィル様のお小さい時のお話が聞けてとても嬉しかったです」
リリアンがそう答えると、夫人は嬉しそうに微笑んだ。




