298話 王妃殿下の侍女でした
話が一段落ついたところでリリアンにエミールの来訪が告げられた。ちょうど良いタイミングでと言いたいところだが、おそらくこちらの話が終わるまで外で待っていたのだろう。
リリアンが「どうぞ」と応えると開いたドアの前にスッとエミールが立ったのだが、リリアンはその奥を見て「ん?」と首を捻った。
だってエミールの後ろにコレットが控えて立っていたのだ。
コレットは昼休み中にニコラに呼ばれてどこかに行ったとアニエスから聞いていた。だけど戻ってきたのならすぐに入って来れば良い、仕事を円滑に進める為にリリアンの侍女はこの部屋の出入りに誰の許可もいらないことになっているのだから。
エミールはリリアンの疑問に気がついたが、その場で胸に手を当て慇懃に膝をついてリリアンからの声掛けを待った。もちろん普段はそこまでしないのだが今日は客人がいるから正式な家臣の礼をとることにしたのだ。
「エミール、何用ですか?」
「はい、私はリリアン様にお願いがあって参りました。誠に申し訳ないのですがコレットに王太子のサロンにて給仕を頼みたく、数刻お貸し願えませんでしょうか」
「ああ、そういうことですか。もちろんいいですよ」とリリアンは快諾した。
コレットはその用件を先に聞かされていたから入って来なかったのだと理解した。それにコレットならこれまでも何度か王太子のサロンで給仕をしていて慣れているし信用があるのでフィル様も安心して使えるだろう。
「ありがとうございます。
それともう一つ、ヴィクトル辺境伯代理との会談にニコラも同席するようにと王太子殿下が仰せです。ニコラが戻って来たら黒のサロンに至急来るようにとお伝え願えますか」
「分かりました、兄が帰って来たらそう伝えましょう」
「よろしくお願い致します、それでは御前失礼致します。皆様にもご歓談中失礼致しました」と挨拶し、エミール達は去っていった。
彼らを見送ったあと、ベアトリス夫人はリリアンの方に向き直って満面の笑みを見せた。
「マルタン様もエミール様もすっかり大きくなって!ご立派になられて嬉しい限りですわ」
まるで自分が育てたような、いかにも昔をよく知っているような口ぶりだ、けれどその割には当の二人からベアトリス夫人を知っているような素振りはなかったのだけど・・・。
「え〜っと、先ほどの二人をよくご存知なのですか?」
「ええ、よく。でもお二人は覚えていらっしゃらないかもしれませんね、まだ小さい頃のことですから。
彼らはよく御坊ちゃまの遊び相手として宮殿に来られてて・・・特にマルタン様は毎日来られていたからよく知っているんですよ」
「あのう、そのおぼっちゃまっていうのはもしかして!?」
「ああそうです、御坊ちゃまというのはフィリップ王太子殿下のことです。王宮に来るのは久しぶりだったのでつい懐かしくて昔の呼び方で呼んでしまいました」
「そういえば夫人は王妃殿下の侍女をなさっていたのでしたね」
「はい、マチアスが今10歳ですから11年くらい前になりますでしょうか。御坊ちゃま・・・ではなくてフィリップ王太子殿下がまだお小さい頃のことですよ。
私は王妃殿下のお輿入れの時からついている第一期組ではなく、後から入った二期組なんです。二期組は御坊ちゃまのお世話係も兼ねてお仕えしておりましたので、ご友人である彼らとも会う機会が多かったのです」
呼び方を訂正したあとも王太子のことをちょいちょい『御坊ちゃま』と呼んでいるベアトリス。フィリップももうとうにそんな呼び方が似合う歳ではなくなっているのだがベアトリスには未だにそちらの方がしっくりくるのだろう。
実際のところ王妃の侍女と言えば聞こえは良いが、二期組の主な仕事はフィリップ王子の『子守り』であった。一歳となりちょこまかと動き回って目が離せない第一王子のお世話係は当時二人目を妊娠して身重だったパトリシアに一番必要とされていたものだった。
しかしその割に集められていたのは出産も子育ての経験もない若い令嬢ばかりで、何をやってもどうなることかと目を覆うような有様だった。
例えば最初に仰せつかったのはフィリップ王子に靴下を履かせることだったが、それすら誰も出来ず大騒ぎ。そもそも袖のボタンひとつ自分でとめたことがない令嬢方にとって小さな足に靴下を履かせるなど至難の業でしかなかったのだ。
まあ最初は万事がそんな調子だったので自分たちでもどうして私達にお声が掛かったのかしらと不思議に思っていたが、後になってパトリシア王妃から "国王陛下はわざと知識や経験のない者をお集めになったのよ" と教えられた。
王妃となったパトリシアは出産にあたって故郷のリナシスでそうだったように王族であっても子供を身近において自分で育てたいと思っていた。
リナシスでは王族も庶民と同じく親族単位で共同生活をしていて、生まれたばかりの赤ん坊から小さな子供まで一所に集めて共同で面倒をみるのが当たり前だった。その中で子供は分け隔てなく育てられ、母乳が出る者が乳を与え、手が空いている者が泣いている子の世話をする。もちろん親と子が離れ離れになることはない。
まあリナシスとプリュヴォ国では生活習慣が根本から違うので、そこまでは出来なくても自分の子には自分の乳を与え、抱いてあやしてやりたかった。
夫であるリュシアン国王はその思いを聞いて一人目のフィリップが生まれた時もパトリシアの希望がなるべく叶えられるようにと心を砕いたが、慣習にうるさい宮殿古参たちは国王の前でだけ良い顔をして、陰では毎日のようにパトリシアに辛く当たった。
平和協定を結んだとはいえ自国を侵略しようとした元敵国の、しかも自国より文化的経済的に劣っていると見下していた隣国の王女など、敬う気などさらさらなかった。
王妃が自ら母乳をやるなどもってのほか、我が子を抱くことさえおかしい、やってはダメだと言って取り上げ、事あるごとにプリュヴォ国の王妃にふさわしくないと王妃失格のレッテルを貼った。他にも細かい嫌がらせは数知れず、最初は出ていた母乳が出なくなるほどのストレスを受けて、とうとうパトリシアは体調を崩してしまった。
そういうことがあったと後に知ったリュシアンはパトリシアが二人目を妊娠した時に今度は慣習にとらわれない若い娘を側付きにしようと『パトリシアより年下で、でも歳が近くて素直で性質の良い娘』という条件で侍女を集めた。
リュシアンの狙いは当たった。
彼女達は確かに不慣れではあったがパトリシアの考え方を理解し、リナシスの育児方法を勉強してよく協力したのでパトリシアは直ぐに安心してフィリップと過ごせるようになった。
そうやって生まれた信任はとても厚く、二期組は侍女を引退してからも王妃との付き合いが長く続いた。二期組はプリュヴォ国の王妃となったパトリシアの『腹心』であり『最初の友人』でもあったのだ。
フィリップのお世話係をしていたというベアトリスの言葉に、リリアンは身を乗り出してキラキラと目を輝かせた。
「まあ!フィル様のお小さい時をご存知なんですね!?それはフィル様が何才位のことですか?」
「そうですね、正確にはフィリップ王太子殿下が1歳から5歳の頃です」
「1歳から5歳!
その頃のフィル様はさぞお可愛かったでしょうね?」
「はい、殿下はとてつもなくお可愛らしかったです。人懐っこくてよくお笑いになり、何をしてもとんでもなく可愛らしくて私たちはもう毎日メロメロでした」
「わぁ〜、いいなぁ!うらやましいな〜」
リリアンのいかにも情感のこもった言い方にベアトリス侯爵夫人は「ふふふ」と思わず笑ってしまった。




