294話 アングラード侯爵
(甘えて縋り付いてくる我が娘のなんと可愛いことよ!!)
クレマンは抱いたリリアンを「おうよしよし」と赤ちゃんにするように揺すってやりながら久しぶりの感覚にジーンとしていた。こうした親子の時間は今や貴重だ、もうずっとこうしていたい。
しかし程なく ”アングラード侯爵御一行が正門を通過した” との知らせが届くとリリアンはするりとその腕を擦り抜けて降りてしまった。そしてジョゼフィーヌ達の所へ行くと「どこに座る?」などと楽しそうに客人を迎える準備を始めた。
(どうやら寂しがっているのは私だけらしい・・・)
がっかりして一人溜息をついていると「おとうさま〜」と呼ばれた。リリアンが自分の座る隣をペンペンと叩きながら「おとうさまはここよ」と言っている。
「は〜い、今いくよ〜」とクレマンはパッと愛好を崩し、イソイソと呼ばれた方へ向かった。
さて、本日のお客様はアングラード侯爵とその家族だが、アングラード侯爵は気難しいことで有名で、周囲からはたいそう煙たがれている人物だ。
そもそも侯爵という爵位はプリュヴォ国では臣籍降下する王族に与えられるものであるが、自身を含めて三代までしか名乗れない。つまりこれを名乗っているということは王家との血の繋がりが特に濃いということを示している。
アングラード侯爵家は先先代の国王ヴァレリアン三世の弟ジョルジュを祖とする初代王アルトゥーラスの血を引く由緒正しい家柄で、当主のマチュー・アングラードはジョルジュの孫にあたり、現国王のリュシアンからみると『はとこ』になる。
今現在侯爵の爵位を持っているのは(グレースがまだ一代侯爵を正式に受爵していないので)マチュー・アングラード唯一人であることからして彼が他の貴族達とは別格にあるということは分かっていただけるだろう。
そんな高位貴族中の高位貴族である彼だが、仕事は領地経営をするのみで宮殿には出仕していない。
そのせいか一部の貴族から国王に取り立てて貰えないほど無能なのだと誤解され、軽んじて扱われることがある。
この国では爵位を持つ全ての貴族に順位が決められているのだが、高位の者ほど国王の近くで重用される傾向が高いことからマチューは侯爵という爵位だけで筆頭に居座っていると思われているようだ。
全く無礼な話だ、むろんそんな事はない。
アングラード侯爵家の者は政治から離れた存在でなければならぬのだ。
王位継承に関する無用な争いを生まないこと、そして王家と縁の深いアングラード領をしっかり守ること、この二つが侯爵家の重要な務めなのだから・・・。
初代アングラード侯爵ジョルジュの時からずっと、我々はそうしてきたのだ。
それに王家から軽んじられているという事実だってない。
今回だってグレースの出自が明らかになるとリュシアンは他に先駆けて真っ先にアングラード侯爵に知らせを送ったのだし、その知らせを受けたからこそアングラード侯爵は家族を連れて急ぎグレースに挨拶に馳せ参じたのだ。
まあ、長女がフィリップ王子に無礼を働いたとして長い間宮殿に出入り禁止になっていたから傍目には侯爵家の立ち位置が微妙な感じに見えたかもしれない。でも国王との関係は良好だ。
秋には決まって一緒に鹿狩りをする仲だし冬の温泉旅行に夫婦揃って同行することもある。リュシアンはマチューを邪険にすることは絶対にない。
ここだけの話、マチューの最初の妻となったジャンヌは当代一の美貌を誇り、小さい頃からいずれ王妃になると周囲から目されていた。
彼女はリュシアンの祖母にあたるマルグリット王妃方の外戚で、リュシアンとは幼馴染であったこともあり本人もすっかりそのつもりでいたのだが、いざ結婚できる年齢になるとリュシアンは和平の為とか言ってリナシスの王女パトリシアとさっさと婚約してしまった。
別にリュシアンにしてみればジャンヌと婚約をしていた訳でもないし何の約束をしていた訳でもないのだが、世間の風潮は知っていただけに土壇場で裏切ったような形になった。
いい歳で放り出され恥をかかされたジャンヌとその親は怒り狂い、あろうことかジャンヌを王妃にしてパトリシアは惻妃にすればいいと言い出し激しく詰め寄った。
それを王家の次に家格が高くまだ独身だったマチューが娶って火消しをしたという経緯があった。
棚からぼたもちで美人のお嫁さんをもらえたマチューはラッキーだったかというと全くそんなことはなく、ジャンヌは王妃になるつもりでいた女だから気位が高く侯爵夫人という地位に決して満足しなかった。常に不平を言い、これみよがしに派手に散財して遊んだ。これで夫婦がうまくいくわけがない、結婚初日から喧嘩ばかりでマチューは気苦労で一年も経たずにげっそり痩せこけてしまうほどだった。
その後カトリーヌが生まれてからは自分の代わりにこの子を王妃にすると何やら積極的にあちこちに働きかけていたようだ。だがそれもあの日カトリーヌが失敗してからは無理だと悟ったようで「スープをとった後の鶏ガラの方がまだ旨味がある、侯爵家なんて名前だけだったわ」と言い残して侯爵家を去って行った。最後まで可愛くない女だった。
噂では今もなにやら若い男をたくさん侍らせて派手にやっているらしい。芸術家の卵(若い男に限る)のパトロンになったり怪しげなパーティーを夜な夜な開いたり。
でも王都の社交界には出て来ない。それはマチューだけでなくリュシアンやパトリシアにとっても幸いだ。なにしろ彼女のいるところ常に争いが絶えないのだから・・・。
もしマチューがいなかったらパトリシアはどんな目に合っていたかと考えるとその功績は大きい。リュシアンとパトリシアにしてみればマチューはある意味恩人だ。
今でもリュシアンは酒を飲むと「俺がこうしていられるのはお前のお陰だ」などと言う。そういうこともあってマチューは王家とともに国の安寧を守っているとの自負がある。
だから失礼な態度に遭った時は心の中で(ふん、むしろそれを知らない者の方が学がなく無能ではないか!)と毒づいて相手を逆に見下してやるのだ。
だけどそうやって自分を慰めてみても腹立たしいことに変わりはない。そういうことが繰り返されるうちにだんだん彼は気難しくなっていき、いつの間にか不機嫌そうに振る舞ったり、尊大な態度をとったりするのが当たり前になってしまった。
まあ最初の結婚によるストレスが原因でなったという見解もあるにはあるが・・・まあどちらにしてもそうでもしないと彼の侯爵としてプライドが保てなかったのだ。
本来の彼は猫好きで、気を許した相手にはとことん親切で、人懐っこいところもある案外気のいい男なのだ。
そんな顔を知るものは少ないが彼には今、愛する妻と子供がいる。家族関係は良好だ。もしかすると今が今までの人生で一番幸せな時なのかもしれない。
その最愛の妻はベアトリスといい、元はパトリシア王妃の侍女だった。王妃の命により長女の教育係として侯爵家に派遣されてきたことで知り合った。つまり後妻である。
リリアンとはパーティーなどで面識がある。
長女カトリーヌは前妻との間の子だ。前妻譲りの派手な見た目と言動に難がありずっと周囲からの評判が悪く手を焼いていたが、最近は見た目も言動もすっかり落ち着いて良い娘になった。汚名も徐々に返上しつつある。それもこれもよく家に来る若者のお陰だろうとマチューは思っている。
フィリップと同い年でリリアンと会うのはこれが初めてになる。
長男マチアスはベアトリスとの間の子でマチューに似てちょっと尊大なところがある。でもそれも使用人や姉妹に対してくらいで外では借りてきた猫のように大人しい。要するに内弁慶だ。
リリアンと会うのは初めて。昨年の春に両親によって密かにリリアンとの見合いが組まれていたが、かの貴い御仁から横槍が入りすんでのところで無くなったことを最近知った。
次女ルイーズはリリアンのご友人として宮殿にも出入りし、受験の時には一緒に勉強したり、乗馬の練習を一緒にしたりと親しくしている。年齢は二歳ほど上になるが天真爛漫な性格で並ぶとリリアンの方が落ち着いていて大人にみえるくらいだ。最近、あまり顔を見せていなかったのは王家からマナー不足を指摘されて母から再教育を受けていたから。
姉のような美人タイプではないが子猫のような可愛さがあるから負けてないと自分では思っている。
とりあえず彼らについてはこんなところか。
さあ、ノックが鳴って到着が告げられた。立って彼らを迎えよう!




