291話 忘れていたこと
50年ほど前のこと、アンリ殿下は実験中の事故で亡くなったと当時の国王から発表があった。そして同じ頃にアナベルも遺書と靴を残していなくなり、湖に入水して亡くなったとされていた。しかしフィリップはそのどちらもが偽装で二人とも死んでいなかった、と考えていた。
その根拠とするのは国王に代々伝わる歴史書で、それには短く『二人が駆け落ちした』とだけ書かれていた。
そしてもう一つ、フィリップはニコラとリリアンの祖母でありマルセル辺境伯の妻であるグレース夫人が、アンリ殿下とアナベルの子ではないかと考えていた。
その根拠は夫人が王族の色とされる金髪碧眼を持っていたからだ。
と言ってもその時点でフィリップはグレース夫人と面識はなく、結婚の時の届出に容姿についてそう書かれていたのを見ただけで "その可能性がある" 程度の疑いだった。
だが、実際に会ってみると前王妃であるレオノール妃と顔立ちがソックリだった。
もしもグレース夫人の母がアナベルならば、レオノール妃の祖母とアナベルの母は姉妹なので、レオノール妃とグレース夫人が似ていても不思議ではない。
しかも肖像画を見たら、当のアンリ殿下までニコラと似ていたのだから、グレース夫人はアンリ殿下とも血の繋がりがあると考えられた。
しかし本当にそうであったとしても、アンリ殿下とアナベルが行方不明になってからの消息は全く掴めておらず、どこでどうしていたのか謎だった。それにアンナという二人の子と思われる名前の子供(=グレース夫人)が王都からとても遠い辺境領の神殿にいた理由も、そこまでの足跡も分かっていなかった。
それが二人のどちらかが(多分アンリ殿下だと思うが)マルセル辺境伯と友人で、マルセルの手引きを受けて辺境に逃げて匿われていたとしたらどうだろう?なんだか色々と辻褄が合いそうだ。
「辺境伯が一枚噛んでいたとはね」と納得顔のフィリップ。
「ああ、それならあんな目立つ容姿の二人でも、誰にも見つからずに辺境まで辿り着けただろう。騎士団の荷を積んだ馬車などに隠れたりすれば城壁も見つからずに抜けることが出来たかもしれない。道中も人目につかず移動できるし、食料の調達や寝泊まりする場所の確保もお祖父様が手助けすれば容易に出来ただろう」
興奮しているからかニコラは敬語を忘れてすっかり素の喋り方になっていた。
でも心配はいらない、ヴィクトルやヤニックがいる手前、一応堅苦しい話し方をしていたけれど、フィリップに対して砕けた話し方をしても構わないと許されているから咎められることはない。
その証拠にフィリップもニコラと一緒に盛り上がっている。
「懐中時計はその『逃亡成功』の礼の品という訳だ」とフィリップ。
「ああ、多分そうだ。だから失踪からそうかからずに辺境に着いたはずだ。
そしてその懐中時計をその地で作れるように指導したのがアンリ殿下なら、アンリ殿下はしばらくは辺境に留まっていたはずだ」
「そうだ、そしてその間にアナベルはグレース夫人、つまりアンナを産んだ。アンナは辺境で生まれた、だから辺境にいたんだ。
凄い、凄い、今まで想像と仮説でしかなかったことに説明がついていく。
だけどアンリがいて、辺境伯がいて、なのになぜアンナは孤児として神殿に預けられたのだろう?まあ、あの金髪碧眼では目立ちすぎて育てにくかったのかもしれないが、それでも神殿では逆に人目につくだろう。
何か他に育てられない理由があったのだろうか」
「育てられない理由?」
その言葉にニコラは何か引っ掛かるものがあった。
「んー、何かあったような・・・」
ニコラは難しい顔をして朧げになっていた記憶の糸を手繰り寄せよせた。するとポッと頭に『草原に置き去りにされていた赤ちゃん』というキーワードが浮かんだ。
「あっ?
ああ〜そうだ!」
そうだ、すっかり忘れてた。あの時ラポムが言ってたじゃないか!!
二人は悪い奴らに見つかって辺境の山の中で殺されたのだった。それで赤ちゃんだけが助かった。
アンリ殿下たちの足跡が分かって喜んでいらっしゃる殿下にこの事実を伝えるのは気が引けるけど、言わない訳にはいかない。
・・・というか、俺はなんでこんな大切なことを忘れてたんだ?
「ニコラ、急にどうしたんだ?」
「いえ殿下、申し訳ありません。後で詳しくお伝えしなければと思っていたのを忘れてて。今思い出しました」
「うん?」
「昨日、祖母を囲む集いで私と祖母が精霊の声を聞いた事は覚えていらっしゃいますよね?」
「ああ、何かあったな、夫人がありがとう、ありがとうと何度も礼を言っていた。あれは何の話だったっけ?」
かなりインパクトのある内容だったにも関わらずその時の話の内容をフィリップはあまり覚えていなかった。真にフィリップらしくないことだが、たぶんニコラとグレース夫人にだけ聞こえる未知の声に周りが妙な反応を示しては困る、早く沈静化させて何でも無いように振る舞ってやり過ごさねばと焦っていたからだろう。
だってあのキラキラは集いの前日の夜にアンナの『巫女の力』を利用しようとするならば記憶を消してしまうぞとフィリップを脅してきたのだ。しかも調整が難しいからフィリップの頭の中のリリィの記憶まで消えるとかとんでもないことまで言いだして・・・どこまで本当なんだか分からないが、そのくらいのことは簡単にやってのけそうだからタチが悪い。今思い出してもゾッとするくらいだが、ああいうのには関わらない方が良いと防衛本能が働いたに違いない。
ニコラも同じくあの時は焦っていたからラポムに聞いた話を正確に思い出せるか怪しかった。でも大筋なら思い出せそうだ。
「はい、あの時は皆のいる所だったので細かい話が出来なかったのですが、確か精霊はこんなことを言っていたと思います。
"山で若い男女が悪意を持った奴らに襲われて亡くなり、赤ちゃんは離れた草むらに隠してあったお陰で助かった。放っておいたら動物なんかに襲われて死んでしまうので精霊が麓の神殿に赤ちゃんを届けた" と。
祖母がお礼を言っていたのは、赤ちゃんだった祖母を神殿に連れて行ったのはその声の主だと分かったからです」
「そうか、そんな話だったか。精霊の声まで聞けるとはお前は本当に凄いな。
では、あのキラキラしたのがアンナを助けたということなんだ」と納得顔のフィリップ。
「いいえ、それとは別の精霊です」
あまり突っ込んで聞かれると困るのだが、フィリップに聞かれたら答えないわけにはいかず、少々言いにくそうにニコラは答えた。
「へえ、他にもいるんだ・・・」
「はい、います・・・」
それでもまさかリリアンの乗る馬ラポムがその精霊です、だなんて言えない。
もちろんフィリップならニコラの言うことを信じてくれるだろう、でも精霊達に自分達のことは他言無用と言われている。ニコラが喋ったせいでラポムがリリアンの元を離れるようなことになったらリリアンは悲しむに決まってる。そしたら殿下も悲しむ。いらないことは言わない方が良いのだ。
とはいえ精霊たちはニコラに言うなと言う割には人がいても構わずにちょいちょい現れて自らその存在がバレるようなことばかりするのだから意味が分からない。一度そこのところをズルいだろうと問い詰めてやりたいが精霊とはそもそも気まぐれで勝手なものなので言っても無駄だろう。
精霊についてはいくら考えても仕方がない。ニコラは話を戻して自分の考えを述べることにした。
「状況から考えてこの若い男女はアンリ殿下とアナベル様で、二人は何者かに追われて逃げていたのではないでしょうか。そしてその追っ手に捕まって命を落としたからアンナを育てられなくなったのではないでしょうか」
「う〜ん、認めたくないが孤児になったということは、そういうことなのだろう。それに追っ手がいてもおかしくはない、いやいなかったらまず行方をくらます必要がないのだからいたはずだ。その心当たりもある」とフィリップは言い、自らの見解を述べた。
「そもそも二人はなぜ駆け落ちしなければならなかったのかを考えれば分かる。
天才と評される第三王子と国一番の権力を持つ高位貴族の令嬢だ、普通なら皆に祝福されることはあっても結婚出来ない理由はない。それに政治的にもアンリは元々王位を継ぐ意志はないと公言していて誰と結婚してもその立ち位置は変わらないのだからアンリ側に何か結婚の障害になることがあるとは考えにくい。
あるとしたらアナベル側だろう。
だとしたら一番怪しいのはクロード派の連中だ。至宝殿の解説文にもあったようにクロード派はアナベルを利用して王権簒奪を企んでいた。婚約は拒否されたがそれでも何とかしてアナベルを手に入れようと追っ手を差し向けたのではないか。
でも強い抵抗にあって連れて帰ることが出来ず、殺めることになったのでは?
そして多分、国王はこれらのことを少なからず把握していたのだろう。だから目眩しに二人が亡くなったと発表して二人の逃亡を助けた。そうだ、国王と辺境伯は事情を知っていた。
それならそうと何処かに書き残しておいてくれたら良かったが、外部に漏らせない事情があったとも考えられる。
そしてそいつらにとっては二人の間に出来た子供は無視できない存在だ。邪魔であるか、若しくはどうしても手に入れたいと思うか。多分後者だっただろう、神殿はよく彼女を守ったものだ。今も存続していれば褒美をとらせたのに残念だ」
「殿下、お見事な推理だと思います。追っ手はクロード派の連中だったに違いありません。
それにしても王族やその子供の命を狙うとは有り得ないことですね。もし連中にお祖母様が殺されていたら俺もリリアンも生まれてません。命を狙われながらも、よくぞ赤ちゃんを草むらに隠してくれたものです」
「本当に。お前達が生まれてなかったら困る。歴史も大きく変わるぞ」
「俺たちのひいお祖父様とひいお祖母様か・・・」とニコラは呟いた。
「でも曽祖父と言ってもピンとこないな、私の計算ではアンナが生まれたのはアンリ、アナベル失踪から1年後だから事件当時は18歳かそのくらいだ」
「・・・そんな若さで?ひいお祖父様と言っても俺と変わらない歳だ」
「ああ、アンリ殿下のことはずいぶん年上の人のように思って話していたが実際は実に若くして亡くなっているんだな・・・」
ひいおじいさんとひいおばあさんと言っても年寄りではない。失踪時の年齢はアンリが17歳でアナベルは15歳。そんな若い二人の逃走劇だったのだ。
草原に置き去りにされても赤ちゃんは一人では生きていけない、そんなことは百も承知だ。それでも一縷の望みを賭けてせめてこの子だけでもと隠したのだ。懸命に子を守ろうとした彼らに思いを馳せたらなんだかしんみりしてきが。
二人が暗い感じになっていると、エミールが気を使いつつも提案してきた。
「殿下、その隠れ里にいたという彼はその辺りのことも何か伝え聞いているのではないでしょうか。せっかくここにいますので、色々と聞いてみられてはいかがでしょう?」
それは名案だった。
確かに平民である彼は今の話を聞いて、例え知ってることがあったとしても自分から王太子やニコラに喋りかける訳にはいかず、黙っているしかなかっただろう。
この中で一番アンリや辺境のことに詳しそうなヤニックに聞かない手はない。
「そうだな。
ヤニックよ、今話していたことに関して何か知っていることはないか?
アンリ殿下、アナベル、それからアンナもしくはグレース夫人についてでもいい、何か思いつくことがあればなんでもいいから述べてみよ」
急に話を振られたヤニックは「はい」と答えて考え込んだ。




