287話 隠れ蓑
「それで、御用というのは何だったのでしょうか?」
本題を思い出したコレットがニコラに聞くと、ニコラはチョイチョイと手招いて廊下の端にコレットを連れて行った。
そして申し訳なさそうに言ったのだ。
「あのな、誠に申し訳ないのだが、内密で図書室に居る、とある令嬢の髪を整えてやって欲しいんだけど、頼めるかな?」
それだけで勘のいいコレットは分かった。
そのとある令嬢とは、さっき廊下の先でナルシスにキスをされていた、あの王妃殿下の侍女見習いだと。
つまり、コレットからナルシスを奪った女のことだ。
一瞬、断ろうと思った。
だって、いったい何をして彼女は人を呼ばないといけないくらい髪が崩れたのか。そんなの考えたくないし、そんな女の世話なんて真っ平ごめんだ。
でも断るのは負けたみたいでもっと嫌。
それにナルシス、いやコロンブとヨリを戻したくないというのは嘘偽りない本気の本音、あんな危険な男に付き纏われてはそっちの方が困るのだ。
逆に浮気されて良かったと思おう、私は一人でも生きていける。
コレットは未練をなけなしのプライドで封じ込め、「いいですよ」と返事をした。ニコラはそれを聞いてちょっとホッとした顔になった。
「ありがとう、他の人には頼めないことだから助かる。
お察しの通り、その令嬢というのはさっき廊下の先にいたあの娘だ。王妃殿下の侍女見習いということもあって彼女に起こったことは周囲にバレないようにしたいんだ。
対外的には体調が悪くなって、救護室で休んでたことにする。
あと、髪だけじゃなく化粧も直さないといけないかもしれないし、ドレスもちゃんと着れてるか見て欲しい。要するに人に怪しまれないように身なりを整えてやって欲しいんだ」
「分かりました。では一度、化粧道具を取りに私の部屋に戻らせて下さい」
「了解した」
「でもニコラ様・・・私、もう図書室に行って、いいのでしょうか?」
さっきコレットに(コロンブに遭遇しないように)図書室に近づいてはいけないと言ったばかりの当人がそのことを忘れているとは思えなかったが、一応確認しておいた。今はコロンブがそこに居ないから良いということなのか、ニコラがいるから大丈夫ということか、でもコレットはもう遭遇したくない。
心配そうに聞くコレットに、ニコラはニッと笑って返した。
「えっ!
もしかして、もうやったんですか?」
「そう、そういうこと!
でもその話はここでは出来ないから道中でしよう」
「はい。では行きましょう」
そう言って二人は歩き始めた。
人気のない所まで来るとニコラはザッと説明をした。
「あのあと俺と副総長でヤツが女性を連れ込んでいるところに突撃した。
副総長の目の前で現行犯だし、相手は王妃殿下預かりの侍女見習い。
ヤツは手を出してはならない相手に手を出した。そのままだと極刑だ。
でも王妃殿下は慈悲深いお方だから、恩赦で処刑は免れると思う。だとしてもかなり重い刑になるだろう。
お前からしたら可哀想に思うかもしれないが、これは自業自得で俺たちが口を出してもどうしようもない問題だ。
だから下手にヤツを庇いだてしたりせず、ただ自分の身を案じて欲しい」
「えっと・・・。
私の身を、ですか?」
「そうだ、お前のだ。
ここからはハイもイイエも言わず、ただ黙って聞いて欲しいのだが、俺はお前がコロンブと親しい関係だったのではと勝手に思ってる。
もしそうだとしてだが、それは誰にも言ってはいけない。それがどういうことを引き起こすか、さっきソフィー達がしていた話を聞いたお前なら分かるだろ?
それにお前はリリアンの侍女で、お前の行動はこれから王太子の婚約者としてお目見えするリリアンの評判に影響する。リリアンはあの小さな体でこの国を背負って立とうと頑張っているところだ、初っ端から躓くわけにはいかんのだ」
もちろんコレットがコロンブと関係していても、それ自体は罪じゃない。でもバレたらひどい醜聞になり、職を追われてしまう。
人に言わなければ今まで通りでいられるのなら、誰だってわざわざ公表して自分の立場を悪くするようなことはしない。しかし、ことコレットに関して言えば正義感が強すぎるというか、お人好しというか、とにかく黙っていられるかどうか心配だ。
たぶんどんなに隠しても今回の被害者の名は広まってしまうに違いない、あれだけ派手にイチャイチャしていたのだから二人の関係を気付いている者もいるはずだ。そうなった時、コレットはあの娘ひとりを矢面に立たすのは可哀想だと思うだろう。でもそれでうっかり自分もだと公表してしまったら、そっから先は転落人生だ。
しかしリリアンの為と釘を刺しておけばそんな馬鹿なことはしないだろう、そういう計算でニコラはリリアンの名を出したのだが、効果は絶大だったようだ。
「リリアン様の評判・・・」
言われてコレットは背筋がゾッとした。
自分が安易に犯した過ちの代償が、あまりにも大き過ぎる・・・。
(リリアン様を守らなきゃ)
(それにニコラ様は黙っていれば、完全に隠蔽すると言ってくれている。恐らくリリアン様の為と言いながら私の為に言ってくれてるんだろう。ニコラ様はそういう人だ、その思いやりに報いたい)
もし自分のことがバレたら、このお二人を裏切ることになる。そんなことは絶対にしたくないと思った。
コレットはいらない事を言わないように、いつになく慎重に、言葉を選んで意思を伝えようとした。
「私はニコラ様の仰る通りにします」
「うん、じゃあそういうことでヨロシク。
あっ、あと表情なんかにも出ないように気を付けてな」
コレットは緊張して返事をしたが、ニコラの軽い対応に救われた。
「はい、大丈夫です!仕事だと思って徹します」とコレットは笑って自分の胸を叩いた。
さて、図書室に来た。いつでも入室可閲覧自由のはずなのに、図書室のドアには立ち入り禁止の張り紙がしてあった。ニコラはそれを無視してドアを開けた。
後に続いて入ったコレットは目の前に広がる光景に「わあ!?」と驚いた。
「ちょっとどうしたんですか、これは」
図書室の中にあったはずの壁がそこになく、ベキベキに折れて倒れたり倒れかかっている状態で、辺りには破片が散乱している。まるでドラゴンでも暴れたのかというような惨状だ。
なのに何故かニコラは自慢げに「すごいだろ?」と言ってきた。
「は、はぁ」と曖昧に返していると、奥から「来たかニコラ、こっちだ」と声がした。
ニコラに付いて棚の間を入っていくと、結い上げた髪がほどけ、顔色悪く不安そうな顔をした娘とカジミール副総長がいた。
娘は副総長の物らしき上着を羽織って座り込んでいる。近くで見ると食堂で見たことがある顔だった。やたらと明るく声の大きい目立つ子だ。
「じゃあ、頼む」と副総長に言われてコレットはその娘の前に立った。
「大丈夫?」と尋ねるとコクンと頷いた。
「そう、髪を直してあげるからこっちに来て」
そこでは狭いので少し広いところへ連れて行き、椅子を持って来て貰って座らせた。
後ろに回ってブラシをあてていると、不思議なほど心が凪いでいた。この子に対して嫌な感情はひとつも湧き起こらなかった。
(大丈夫だった)
静かな気持ちで丁寧に髪を直し、少し白粉をはたいて口紅を塗ってやり、ドレスを直してやった。一人では脱ぎ着が出来ないドレスだった。
強く握られたらしく、手首が赤くなっているのに気が付いた。クラリスのように化粧で上手く隠す技術はないのでハンカチを巻いて隠してやった。
(あんなのに引っかかって、可哀想に・・・)と、同情までする始末だ。
その後、コレットは自ら申し出て彼女を送って行ってあげることにした。
図書室を去る時、コレットは副総長からこの事は誰にも言わないようにと釘を刺された。
そして彼女には、王妃殿下は国王陛下と一緒に外出中なので帰って来てから副総長の方からお二人に今回の事について報告するから王妃殿下の帰りを待つ必要はない、もう家の者に連絡してあるので迎えが来たら自宅でしばらく謹慎しておくようにと言っていた。
彼女に事情を聞くのはもう少し時間をおいてからにするらしい。しかし、どういう話になったにしても、侍女見習いへの復帰はもうないということだった。
娘はしおらしく「はい」と頷いた。
他人に見つかってしまったが故に矢面に立たされる娘と、それを隠れ蓑にして免れられるコレット。申し訳なく感じたが、どうもしてあげられない。コレットに出来るのはただ、彼女の経歴と今後の人生に傷がつかないようにと心の中で祈ることだけだった。




