286話 ここにいた
コレットは、カジミール副総長から直々に言われていた。
「このことは特Aという一番厳しいレベルの緘口令を敷くから、とにかく絶対に誰にも口外しないように。
もちろん同僚や家族はもちろんのこと、王太子殿下、王妃殿下、リリアン様に聞かれたとしてもだ」と。
それもついさっき、図書室で・・・。
コレットがニコラやソフィー達と別れた時には、もう12時を過ぎていた。
とっくにリリアン様は昼食に行かれてる時間だし、グレース夫人のお食事のお世話は代わって貰ってるから行かなくていい。だったらこのままお昼を食べに行こうとコレットは直接食堂に向かうことにした。
宮殿内の食堂は『使用人用』とあればどこを使っても良いことになっている。でもコレットが行くのはいつも同じと決まってる。
そこは他のどこかむさくるしい感じのする食堂とは違ってメニューはサンドイッチ、サラダにスープ、それに果物といったような軽くて食べやすいものばかりだし、室内は明るく各テーブルには花が飾ってある。そのテーブルだって長方形ではなく円形で、通路も広く座る所もゆったりだ。
更に食堂の並びには化粧室と談話室があり、どちらも広くて使いやすい。そのうえ談話室にあるお菓子まで可愛らしく小さめのマカロンやキャンディが色とりどりに置いてある。
これはどう見ても女性向け、いや、王妃殿下付き侍女の為に作られた食堂に違いなかった。
彼女達はコルセットで胴体を締め上げて裾の広いドレスで扇を手にシャナリシャナリと歩く。そんな格好では少ししか食べ物が食べられないし、狭いところも歩けない。真に不便な格好をしているものだと思うがまあ彼女たちは良い家の令嬢で、仕事の殆どは着飾って王妃殿下の周りに侍ってお喋りをすることだからそれでいいのだ。
対してリリアンの侍女はたった4人しかおらず、少数精鋭で女中がする仕事までこなす。服装もドレスではなく動きやすいお仕着せだから何処の食堂でも困らない。
だけどコレットは日替わりサンドイッチが気に入っているからここが良い。
同じくここがお気に入りのアニエスは人目を気にせずに寛いだり化粧直しがゆっくり出来るから好きと言っていた。
確かに場所も建物二階の突き当たりにあるから通りすがりに覗かれたりする心配もなく、化粧室でメイクを直し合ったり、お菓子を摘んだり、談話室のソファでちょっと微睡んだりとかなりリラックスして過ごせる女性だらけの楽園だ。
宮殿広しといえど、流石にこの楽園に近づける漢はいないと思う。ここは事実上、男子禁制女性用専用食堂だ。
ちなみにパメラは女性だが、もっぱら騎士食堂で食べているのでこちらには来ない。
まだパメラが騎士になりたての頃、もしやこの食堂の存在を知らないのではと「お嬢様も私たちが使っている食堂で一緒に食べましょう」と誘ったことがあるのだが、「そこボリュームある?ガッツリメニューがいっぱいあるなら行ってあげてもいいけど、小鳥が啄むほどじゃお腹の足しにもならないんだけど」と言われてしまった。
その言い草ではどうやら量が少ないと知っていたのだろう。なので「そうですね、私たちが行くのは可愛い小鳥用の食堂ですからイヌワシのようなお嬢様には用がありませんでしたね」とユーモア(決して嫌味ではない)を添えて返しておいた。
しかし、パメラお嬢様は騎士になる前はお菓子をよく食べるくらいでぜんぜん大食漢では無かったのだけど、最近は三食だけではお腹が空くのでオヤツや夜食が欠かせないらしい。たぶん人知れずに余程の訓練を積んでいるのだろう。あの人はああ見えて大変な努力家で、そういう所が尊敬できるところだ。
まあそういう訳でここにはパメラ以外の女性、例えばコレット達リリアンの侍女や、王妃殿下の侍女、それから女中に針子に洗濯女、それからリリアンの教育係をしていた夫人方やビジュー・オークレアのような相勤めの者が利用している。
まあ部署が違うとほとんど会話もないのだが、ここに来ていれば同じ宮殿で働く者同士お互いの顔くらいは知れる。一応は貴重な交流の場だ。
さて、コレットが食堂に入るとアニエスが一人で食べていた。グレース夫人の所にはクラリスが行ってくれたらしい。
アニエスはその人柄通り、食べるのも非常にゆっくりだ。対してコレットはせっかちな性格通りに食べるのも早い。そんな正反対の二人だが仲は良い。
コレットは後から食べ始めたけどすぐに食べ終わり、いつまでもモグモグしているアニエスを相手にお喋りしながら彼女が食べ終わるのを待っていた。
といっても誰が聞き耳を立てているか分からないので、いくら共通の話題でも主人の話や仕事の話はここではしない。せいぜい最近流行りの髪型についてとかそんなたわいのない話だ。
今日の話題はアニエスからで、仕事終わりの脚のむくみが酷かったのが、どこそこの靴に変えたら良くなったというものだった。
「そこのはね、見た目は流行りの形じゃないんだけど、仕事用ならいいかと思って試しに買ってみたの。足に合わせて型から作ってくれて、軽くて圧迫する感じが全然ないのよ」とアニエス。
「へー、じゃあ私もそこで作ってみようかな。むくみは気にならないけど今の靴はちょっとサイズが合ってないみたいでパカパカするんだよね」なんて言いながらコレットは一口お茶を飲む。
「そうなんだ〜。じゃあ今度そのお店の場所を教えるね」と微笑むアニエス。
「うん、よろしく!」
(ふふふ、アニエスはいい子だな〜)とほんわかする。
いつもならみんなと休憩時間が合わないから一人だし、食べ終わったらサッサと戻ってすぐ仕事を初めるのだけど、今日はお茶を飲む時間まであった。こんなにゆっくりするの、久しぶりだ。
それにしても本当に時間は平等に流れているのだろうか、アニエスといると時間の流れ方がひどく緩やかだ。私はいつもセカセカし過ぎなんだろうな、と少々反省する。
そうやってすっかり寛いでいると、アニエスが小さく「あ、」と言い、背中越しに「失礼する」という男性の声が聞こえた。
「コレットいるかー?」
(え?なんで私?)
なんだろうと振り向くとニコラ様だった。
入り口から顔だけちょっと覗かせたニコラに、食堂内は大いに色めきたった。
他の男なら「何しに来たのよ、早く向こうに行って!」となるところだろうが、どうもニコラは逆に歓迎されているらしい。早くも両手に余るほどの数の令嬢が御用を訊こうと立ち上がりワヤワヤと取り囲み始めていた。
その中でも特に積極的なのは王妃殿下の侍女たちだ。彼女達は婚約者の存在を知らないのだろうか?それともよっぽど自分に自信があって・・・?
ニコラ様の大ピンチ!
「はいっ、私はここです」と、コレットは急いで立ち上がった。
周囲の視線が痛い、なんなら「えー、なんで?」「どうしてあの娘が?」などという声まで聞こえてる。ふと目をやるとニコラの近くにいる令嬢が口を尖らせてこちらを見ていた。
しかしニコラはそんな周囲の様子を全く意に介さず、上半身だけのぞかせてコレットに向かって小首を傾げて手を合わせた。
「コレット、休憩中にスマンがちょっと急ぎで頼みたいことがある。食事が終わるくらいは待つが、なるべく早く来て貰いたい。頼めるかな?」
あちこちから「わ〜」「きゃあ、かわいい」と密やかな歓声が上がった。
(ああ、手を合わせて頼む姿が可愛いと皆がまた騒いでいるからそういうのはやめて欲しい。明日もし私が誰かに刺されたらニコラ様のせい!)
そう思いつつも、皆んなが憧れるニコラ様が自分を探しに来ているという事にちょっと優越感を感じた。
「はい、もう食べ終わっていますからすぐに行けます」と返事をして、アニエスにそういうことだからリリアン様やクラリスに戻るのが遅くなるかもしれないと伝えておいてとお願いして外に出た。
それにしてもこの花園に近づける漢がいたとは驚きだった。しかも自分の知り合いで、しかも歓迎までされるとは!!
コレットは今出てきた食堂の方をチラッと目で示して言った。
「それにしてもニコラ様、すごい騒ぎでしたね」と。
それを聞いて申し訳なさそうに眉を下げたと思ったら、自分の顔面半分を大きな手で覆って言った。
「ああ、また皆んなを怖がらせてしまった。そうならないようになるべく目立たないように隠れて声を掛けたつもりだったんだけど・・・」と。未だにニコラは母の言葉を間に受けて自分の顔が怖くて皆を怯えさせていると思い込んでいるのだ。
(はあ?)
(あれが?怖がってるって??)
あまりにも驚き過ぎて、空いた口が塞がらない。
私はモテモテでしたねと言っているのに、いったい何をどうやったらそんな勘違いが出来るのか?怖がるどころか皆んな我こそはと色目を使って近寄っていってたではないか、それに気がつかないとは嘘だろう?どれほど鈍感なんだよ!
・・・まったくもう、呆れた人だ。
「ニコラ様、私は今までニコラ様のことをよく気の付く方だと思っておりましたが、実は鈍いんですね・・・」
「そうか。やっぱ、後のドアから行った方が良かったか?」
「いや、そこじゃなく!」
「じゃあ、窓?」
「いやいや、だから・・・」
とんだ見当違いばかりで話にならない。
でもそんなところがニコラ様らしいといえばらしいのか。確かにソフィー様に告げ口しても "そこが良いの" と返されそうだ。逆に本当はモテモテなんですよといらないことを吹き込んでソフィーに恨まれても困るので、コレットはニコラに真実を伝えることを放棄した。
まあそんな事より、まずはその"お願い"を聞くべきだ。ニコラがわざわざこんな所まで来たのはコレットにしか頼めない急ぎの用があるからなのだから。




