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285話 私は何も知りません

 エミールはコレットを連れて来ていた。



 本来ならば王家の者がお茶を所望すれば、王家の食卓のお世話をしている女中が持ってくることになっているのだが、王太子が飲むお茶に限っては "こちらでするからやらなくていい" とエミールが断っているから誰も来ない。そのため必然的に執務室でも王太子のサロンでも、王太子にお茶をいれるのはエミールの役目になっていた。



 ただでさえ忙しい身なんだから他の者にさせればいいとフィリップは言う。


 だけど王宮で女中を使い始めたのはつい最近のことで、あまり面識のない女中に王太子の世話をさせると何か邪なことを考えて面倒を起こさないかと今でも結構心配だ。

 彼女達は化けの皮を被るのが上手く、目的の為には辛抱強い。信用に足るかどうか見極められるまで長い期間が必要だ。そういう訳で、いくら忙しくても少しの手間を惜しんで殿下を危険にさらすくらいなら自分でやった方がずっと安心なのだ。


 エミールはそう思っているから、フィリップの勧めに応じない。



 ならば今日もいつものようにエミールが自ら厨房に取りに行き、毒味係が毒味をするのを監視して、自分で持って戻ってお茶をいれたらいいのだが、今回は客人がいるのでそれをするのに抵抗感がある。


 王太子の為ならどんな苦労も厭わないエミールも、別に人が良くてやってるわけじゃない。エミールにも自負がある。王太子殿下の側近で国王陛下の参謀という立場の私が何故に客人とはいえ庶民にお茶をいれてやらねばならぬのか。エミールは王家の者以外に頭を垂れるつもりはない。

 だけど庶民にだけお茶を出さないというのも狭量のようだし、殿下は出せというだろう。かと言って庶民相手に"どうぞ" とやるのはとても屈辱だ。



(嫌だなー、嫌だなー)と思いながら歩いていると、ちょうど向こうからコレットが歩いて来るのが見えた。



(そうだリリアン様の侍女と専属護衛のコンビにお茶の支度をやってもらおう。美味しいし、信頼できるし、私はやらなくて良くなるし!)


(しかもコレットは三人いるリリアン様の侍女の中でも一番信頼できる。元々バセット家で使っていた侍女だし、噂話に興じず真面目で仕事も出来ると元主人の母上とパメラの折紙つきだし、考えていることが顔に出るところも分かりやすくて非常に良い!)


 エミールはさっそく走って行ってコレットに声を掛けた。(もちろんリリアンの許可も取った)

 ただ、お供するべきリリアンの専属護衛は今日も予行演習で出払っていたからお毒味の監視にはやっぱりエミールが同行しなければならなかったが、それくらいはお安い御用だ。




 コレットはお茶のセットとお菓子の載ったワゴンを押して来ていて、部屋に入るとさっそくお茶の用意をさせて頂きますと挨拶をして給仕を始めた。



 後に続いて入ってくるコレットの為にドアが閉まらないように押さえてやっていたエミールは、ドアを丁寧に閉めるとフィリップの元にやって来て報告した。


「殿下。リリアン様はまだご歓談中でございまして、こちらには来られそうにありません」


「そうか、なら仕方ない」とフィリップは見るからに残念そうに溜息をつき、エミールも「はい、仕方がありません」と残念そうに答えた。




 その二人の意気消沈ぶりは普段の彼らを知らないヤニックにとってとても意外だった。


 国のトップにいる王太子とその側近は全て思いのままでガッカリなんて感情は一生知らないまま過ごすのだろうと思っていた。それがどうだろう "リリアン様が来ない" たったそれだけでこんなにガッカリするとは。



(王太子様なんだから一言 "来い" と言えば良さそうなものだが・・・)と思い(まさかだが、・・・言えないのか?)と思った。


(そういえば前に工房に戻って来ていた時、隣の貴金属工房の人たちがリリアン様のネックレスを頼まれただの、小さな指が可愛らしかっただのとわざわざ自慢しに来ていたことがあった。そして小さな婚約者候補リリアン様はこの国の救世主だ、いや天使だと騒いでいた。

 だけど本当に天使なのだろうか?皆を一瞬で惑わすとはもしかするとすごい悪女なのではなかろうか?)


 あらぬ誤解が生まれていた。

なんともリリアンには不似合いで不名誉な称号だが、ヤニックが心の中で思ったことなので誰にも訂正しようがない。



 それはそうと、エミールの報告にはまだ続きがあった。


「それでですね、殿下。私が行った時に、ちょ〜うど中で歓声が上がっていたので何かと思って聞いてみましたら、なんとアングラード侯爵が『アンリ殿下が異国からジョルジュ殿下に宛てたという手紙』というのを持っておいでだと言うのですよ。

 それを皆で頭を寄せ合って見ておられたところでしてね、リリアン様も"アンリ殿下の字が個性的で読みにくいの" と仰りながら楽しそうに読んでおられましたよ」



「ええ!?」とフィリップは両手を上げて天を仰いだ。


 そして声にならない心の声で叫んだ。


(なにそれ!

それは羨ましい!すっごく羨ましい!あっちに行きたい!こっちでヴィクトル等と話している場合じゃない、リリィとアンリの手紙を一緒に読みたい!)



 フィリップの "ええ〜" は『アンリの手紙』の存在に驚いたという意味も勿論あっただろうが、大半はリリアンと一緒にいたいという気持ちから出たものだ。


「殿下、リリアン様は "ここにフィル様がいらっしゃったら良かったのに" と大変残念がっていらっしゃいましたよ」エミールはフィリップの気持ちを察してその時の様子再現する。少し口を窄めてしおらしく首を斜めに傾け、指で髪の毛先をくるくるしながら・・・。


 エミールのリリアンの真似は驚くほど似ていなかった。実際のリリアンは指で髪をくるくるしないしそんな変な口もしない、しかし、フィリップの脳裏には完璧に可愛いリリアンが見事に再生されたようだ。



「ああ、リリィ。私も残念だ」


フィリップは悲しげだったが、何故かエミールは口元に笑みを浮かべた。


「ええ、そうですね。

 それでですね、殿下。リリアン様のお言葉を聞いたアングラード侯爵がそれならグレース夫人がこちらにいらっしゃる間これを夫人にお貸ししますと申し出てくれまして、リリアン様にも殿下と読まれたらいいですよと言ってくれたのですよ」


「おお!それは本当か!」


「はい、本当です。良かったですね!」


「ああ。

だけどお前は、いつも、いつも・・・そういう事は最初に言えといつも言ってるだろう」


フィリップは文句を言っているのだが、「うふふ、そうですね!」とエミールは嬉しそうだ。



 大事な事ほど出し惜しみするのは悪い癖だ、と言われるのはいつものことだ。でも、このフィリップの嬉しそうな顔を見るのがエミールにとって何よりのご褒美なので、今日のもワザと後回しにしたのだ。




 フィリップは、 まだそのアンリの手紙は見てもいないが、それが本物ならアングラード侯に褒美を取らせなければならないと考えた。


 癖のある字ということだし、アングラード家に伝わる物ならまずアンリの物に間違いはないと思われる。念の為にまず真偽の確認は必要だがダルトアに鑑定させて・・・アンリがジョルジュに宛てた手紙というのは実物も資料の目録の中でも見た覚えがない。未知の物だったら何か新たな発見があるかもしれない、そう思うと早く見たくて心が(はや)った。


 それにしてもだ、アンリの研究はこれまでも色々な人によって盛んに行われていたからアンリに関するものはもう探し尽くされているのかと思っていたがそうではなかった。

 昨日、今日とこの二日だけで『秘密の小箱』の実物に直筆メモ(それもアナベルへ宛てた貴重なものだ)、そして実の兄に宛てた手紙とお宝がいくつも見つかっている。

 いずれも実の娘であるグレース夫人に持たせていた物と実の兄の家に残っていた物ということで、身内が持っていた物ということになる。結局、宮殿に残っていた物を研究していただけでなのかもしれない。

 まだ他にも各地にアンリに関係する物が埋もれている可能性がある、こうした物は時間が経てば経つほど風化していくものだから、失われていない今のうちに全国にお触れを出して徹底的に探させた方が良さそうだ。


 そんなことを思っていると、「あのう、殿下」とまたエミールがフィリップを呼んだ。



「もう一つ、ニコラのことで・・・」


「うん、なんだ」



「どうも昨夜の特権のとは別に、また何か捕り物があったようです。

 私はリリアン様の所に行ったあと一階の厨房に行ったのですが、外が騒がしかったので見てみると騎士達が大小幾つもの割れた板切れを運んでいたのです。近くにいた騎士を呼んで聞いてみたのですが副総長とニコラが何かして、その後片付けだと言うのです」


「何かってなんだ」


「分かりません。

 副総長によってレベル特Aの緘口令が敷かれたと、それ以上は教えて貰えませんでした」


「レベル特A?それは余程のことだぞ」


「はい。特Aはここ何年も使われておりません。久しぶりです」



 緘口令は情報が流れると何かしらに支障をきたすことがある場合に敷かれるものだ。そして緘口令が敷かれること自体は割と頻繁にあるのだが、それでも通常はレベルCとかBまでだ。

 レベル特Aは国王と宰相、総長に副総長の4人だけにしか知らされないという特別厳しいもので王妃や王太子でさえも国王の許しが無ければ知ることが出来ないという程の代物だ。


 それにしても次代に国を背負うことになる王太子や実際に国の運営を手伝っているエミールにまで知らされないなんておかしいと聞いた誰もが思うだろう。

 実を言うとこれはフィリップが女性嫌いになるきっかけになったあの事件があった時に新設されたもので、考案したのは国王、王妃、宰相の三人だ。ここに王妃の名前が入っているのは自分だけ除け者にされたとフィリップに思わせない為のダミーだ。

 当時は事件の詳細などフィリップの耳に入れたくない話がいっぱいあり、この特Aレベルの緘口令はよく使われていた。今はもうフィリップにそんな配慮は必要がなくなったので使われることはなくなっている。


 ちなみに流石に本人に "これはフィリップのメンタルに配慮して作ったものなんだよ" とは言いづらく真実は明かされていないから今もこれをフィリップは『究極の緘口令』だと思っていたから今もその言葉通り、余程の事が起こったのだと思っていた。



 まあどちらにせよ最近にしては珍しい特Aだ。



「ニコラはいったい何をしたのだ?」


「何をしたのでしょうね?」




 二人が顔を見合わせて首を捻っているタイミングでコレットは「どうぞ」とフィリップの前に紅茶を供し、そのまま澄ました顔で皆の前にも紅茶を置いてまわった。



 なんとか無事に(お茶の用意を)やり遂げた。だけど内心まだ緊張している。


 さっき王妃殿下の部屋の方から戻って来たところでエミールにバッタリ会って、黒のサロンで給仕するように言われて来た。


 今はまだ気付かれてなさそうだけど、気が付いた時に通常では有り得ない方から来たコレットのことをエミールはどう思うのだろう。



(尋ねられたらどう答えれば良いのかな)


(王太子殿下の御前で嘘をつくことは禁じられているのにどうしよう?)



 自分から喋ることは誓ってないと胸を張って言えるが、尋ねられたら誤魔化せないのが正直者の辛いところ。真面目なコレットは尋ねられてもいないのに想像しただけで挙動不審になりそうだった。




 コレットは何があったか知っていた。


 だけどそれを明かすことは出来ない。



(ああ、こんなところに呼ばれるとは思ってなかったから油断した。あの時、ニコラ様にこう言う時はなんと答えれば良いですかと模範解答を聞いておけば良かったよう〜!)



 今更そんなことを言っても思っても今更どうしようもない。ここはもう腹を括って何を聞かれても知らないの一点張りで乗り切るしかない。


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