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283話 ヴィクトルの重要な話、その1

「まあ、時計塔での一件はニコラが説明するでしょうから割愛しますが」とタイミングを逃したくなかったのでヴィクトルは急遽説明を端折った。


「元々私は辺境の騎士団でのみ使っていた懐中時計を我が領の新しい産品として広め、領外の人にも使って貰いたいと考えていました。

 しかし売るにも修理するにもいちいち辺境の隠れ里とやりとりしなければならず、それでは日にちがかかり過ぎますし、コスト的にもネックでした。そこで私は王都に拠点あればと考えたのです。

 もしそれが王都にあったなら、リリアンの懐中時計も修理に何ヶ月もかかるということはありませんし、日々の調整やメンテナンスをするのも容易です。買いたいという人があってもすぐに対応出来ます。


 私はヤニックの話を聞いて、父がヤニックの才能や人柄に目を付けて次代の時計工房のリーダーにしようと教育していたのだと思いました。もしそうなら息子として父の遺志を汲む為にも彼の知識と才能を埋もれさせておくわけにはまいりません。


 ヤニックにはそれをするための技術があり、道具があり、材料の調達さえ出来ると言います。ヤニックなら今すぐにでも始められるのです。

 彼しかいない。我が領の懐中時計を専門に取り扱う、修理もできる工房を、任せられるのは彼しかいない!どうか王太子殿下、私に我が領の懐中時計の為の拠点を王都に置くお許しを、そしてそこでヤニックを使うお許しをどうか下さいませ、どうかお願い致します」


 一気に言って立ち上がり、深々と頭を下げた。めちゃめちゃヤニックと連呼してしまった気がする・・・。それにやや早口になったのも失敗だった・・・でも言いたいことは言えたと思う。まあ及第点だ。



 腕を組んで話を聞いていたフィリップはやがて口を開いた。



「なるほど。

 それもお前が昨日言っていた『新しい辺境』というやつの一環か」



「はい、その通りでございます」とヴィクトルは頭を下げたまま答えた。



 そしてとっておきの追加情報でダメ押しをする。



「父の、リリアンが持っている形見の懐中時計は量産する前の初期型で、騎士団で使っている現行の物とは作りも材料も違う物だとヤニックは申しております。そういった古い懐中時計用の材料や設計図、道具類を父は自分の時計を修理させる為にヤニックに持たせていたそうです。

 事実、ヤニックが辺境を出てからも父は懐中時計のメンテナンスをさせていました。言うなれば、リリアンの持っている古い型の懐中時計を直せるのは、ヤニックにしかいません」



「・・・」


 フィリップは黙ったままだ。



(あれ?)


 どんなに渋られてもリリアンの為と言えば「そうか、よしやれ」と言って貰えるのではと思っていた。期待して繰り出した必殺技なのに王太子殿下は何も仰らない。頼みの綱のリリアンが頼みにならないとなるとこの話は絶望的だ。


 困ったぞと王太子殿下の御尊顔をチラリと盗み見ると、目が合った。


(難しい顔?説明が分かりにくかった?いや、何か怒ってる?)


 よく分からないが失敗したらしいとゾッとした。



 フィリップは難しい顔でムニムニと唇を動かした後、いったん目を閉じてから大きく息を吸って吐き、徐に言った。



「・・・ヴィクトル、リリアンは先ほど正式に私の婚約者になった」



「(ヒー)ッ!!」


 ヴィクトルは毛が逆立って飛び上がるほど焦った。


 追い討ちをかけるつもりが説得に熱が入り過ぎてリリアンに敬称を付けるのを忘れていた気がする!!伯父と姪の関係だからリリアン本人ならいいわよと許してくれそうだが、王太子殿下は王太子妃になると決まったリリアンを呼び捨てにしたと怒ってるのかも・・・。いや、明らかに怒ってる。


(今、ここで、王太子殿下のご機嫌を損ねたら大変なのにっ大・失・態!!)



「も、申し訳ございません!

 おっ、王太子殿下、リリアン様とのご婚約、誠におめでとうございます。心より祝福致します。

 めっ、目出度い!誠に目出度いことでっございますっ!嬉しいです、リリアン様は辺境の誇り、ベルニエ万歳!!」



「うん、ありがとう」とフィリップはにっこりと実に分かりやすく愛好を崩した。


 リリィの名を聞いて改めて婚約のことを思い出し、顔がにやけてしまいそうになるのを必死に堪えていたのだが、とうとう堪えきれなくなった。もういいや。



(せ、セーフか!?)とヴィクトルはまだドキドキしていた。



「まあいい、やってみろ」と微笑んだまま、フィリップは言った。



「はい?」とヴィクトルは何のことか分からずキョトンとした。普段のヴィクトルはよく頭が回る方なのだが、たぶんこの時はひどく焦っていたから混乱したのだ。



 フィリップは表情を戻し改めて言った。


「王都にその辺境の拠点を作り、ヤニックにやらせても良いと言っている。許可は出そうと思っているが、その為の手続きは手順を踏んでもらわなければならない。

 まずは詳細が分かるよう希望を文書にしてエミールに提出しろ、細かい話はそれからだ」



 アンリの話が聞けると思って来てみたら騙し討ちのようにして突如始まったプレゼンに内心呆れていたが、懐中時計の話も興味があったから黙って聞いていたらそっちも悪くない話だった。国にとっても王家にとっても辺境で新しい物が生み出されるのは喜ばしいことだ。


 直轄領である王都を任されているフィリップは特に "国を豊かにするには地方の活性化がとても重要だ" と常々考えていて、王都出店が地方の活性化に大いに役立つことを知っている。

 例えばベルニエ領から出店させている馬具店ラ・プランセスや、乗馬服店ル・ポミエなどは良い例だ。王都に出店すると国中にその名が知れ渡り一気に流通量が増える。すぐに流行りのブランドとなり名店と呼ばれるようになる。そうなるともう作ったら作っただけ売れるようになる。


 まあ前触れなしの直談判は褒められたものではないが、そういう訳でヴィクトルのこの提案にフィリップが「ウン」と言わないはずはなかった。



 しかしヴィクトルは、許可して貰えると分かって目を見張り大きく息を吸い込んだ。


 もっと難航すると考えていた。というより許して貰えないと思っていた。既に王宮の時計工房で働いているヤニックが使える人間と分かってどうして国王陛下が手放すというのかと・・・。


 昨夜ヴィクトルはどうやったらヤニックを手に入れることができるか寝ずに一晩中作戦を練っていた。

 それこそ国王陛下がヤニックをこのまま手元に置いて「懐中時計をこれからは宮殿の時計工房で作ることにする」などと言い出したら万事休す!もうヴィクトルには手も足も出せない。それを阻止する為に先に王太子殿下にお願いしてOKを貰い、その既成事実を盾にして推し進めようと考えていた。

 王太子殿下なら例え最初の説得が失敗しても後からリリアンにお願いしてもう一度頼んで貰えば覆せる可能性が十分にあると踏んでいたし、国王陛下は王太子殿下が決めたことなら余程のことがない限り覆すことはないと読んだ。今日の午後と限定して王太子殿下に面会を求めたのも国王陛下とリリアンに別の予定が入ってることを知っていたからだ。



 ヴィクトルは辺境者ゆえよく知らなかったのだ、王家が地方の産業を取り上げることはないことを・・・。


 ここプリュヴォ国では領主は領民から税を徴収している。農民からは主に食べ物、商人からは主にお金や物などそれぞれ納めるものも割合も立場によって異なるが大体その収益の4〜6割、それに領地を出入りする者からとる通行税や関税なども合わせると相当なものになる。

 領主はそれを元に領地の経営や私設騎士団の運営をするのだし、自分たちの暮らしに充てるのもここからだ。また領内には領主ではない領主の仕事を手伝う貴族が多数いて、彼らにも役職や年齢に応じて分配する。そうやってそれぞれが贅沢な暮らしをしても足りるだけの収益が他の領地にはある。


 だが、辺境は領民からの税の徴収が極めて少ないのでそれだけではとてもじゃないがやっていけない。

 辺境が成り立っているのは国からお金や食料はもちろんのこと色々な物資を援助されているからだ。こうした特別な待遇は初代辺境伯ルミヒュタレの功績によるものであり、代わりに辺境騎士団を使って国境の防衛、王立騎士団への協力、他領の災害復興や土木工事の協力などを期待され応えているからである。それにしたって国からの援助は莫大だ。


 一番無いと困るのは食料だが、王都を経由していたのでは傷んでしまうので新鮮なうちに届くように初代アルトゥーラスの頃からこんな策がとられている。

 南部、西部地域に飢饉が来た時の備えだと言って備蓄倉庫を辺境に置き、周辺地域から季節ごとの新鮮な食料を大量に送らせる。そして辺境にはそれを捨てることなく適度な量で維持管理せよと申し付けておく。

 あの実りのない土地で多くの騎士を抱えていられるのも、飢えを心配することなく訓練に励めるのもこの策のお陰だ。


 まあ辺境の産業といえば、衣類や敷布などの防寒具を作ったりミルクをとる為に羊を飼うくらいがせいぜいで、元々狩りと採取で食料を調達していたくらいだ。農作物や畜産物の生産量が極めて少なく不安定、商業も工業も発達していない(本当は懐中時計を製造していたが秘密裏に行っていたので・・・)、ここまで大きくなった騎士団を維持するのは自力ではもう無理だ。最悪、崩壊するか、下界に略奪または征服に行くしかない。

 多分、それを止める為にも辺境への援助は欠かせなかったのだろう。


 ちなみに最近になって氷を王都に運ぶようになったが、あれはあくまで献上品。確かに辺境の物ではあるが氷の捨て場に困っての苦肉の策なので例外だ。



 ではなんで今のままでやっていけるのにヴィクトルが特産品を作りたいと思っているのか、それには別の理由があった。


 実を言うとヴィクトルは母親の顔を知らない。ヴィクトルが2歳、ヒューゴが0歳の時に子供を置いて出て行ったからだ。


 母のその後のことも知らない。

 でも少し大きくなった時、偶然使用人達が母の話をしているのを聞いたことがある。


 "とても美しい人" だったと言っていた。


 そして


 "いつもこんな暗くて何もないつまらない所は最悪だ、いたくないと文句を言っていた" "奥様が出て行ったのも当然だ" とも。



 母という存在が自分にもいたことを知り驚いた、そして幼いながらに考えた。2歳と0歳なんて、子供の一番可愛い時に僕らは母に捨てられたのかと、そしてなぜ僕らは愛されなかったのだろう・・・と。



 僕が悪い子だから嫌になったのかな?


 明るくて楽しい所なら居てくれた?


 暗くて何もなかったからダメだったの?


 同じことを何度繰り返し考えただろう?



 母がいないことが寂しくて、虚しくて、悲しくて、辛かった。小さい頃も、大人になってからも、その事を思うといつも胸にポッカリと穴が空いたようになる。


 新しい義母が出来たのは4歳の時だけど、弟の為にもこの人には絶対にずっと居て貰わねばと強く思った。余程強く思ったのだろう今でもその時の事を覚えてるくらいだ。

 ここが気に入って貰えるように、出て行くと言われないように優しくして一生懸命尽くした。勉強も家の手伝いもこんかぎり頑張った。

 もちろん新しく生まれた弟たちのことも可愛がった。義母に嫌われないように。



 それは今でも続いていて、義母にも妻にも弟の嫁さん達にもヴィクトルは常にこの上なく優しい。


 いわば母親の喪失がヴィクトルの性質の原点だ。


 父にも・・・お前はいらない、新しい妻との間に出来たクレマンに家督を譲ると言われないように一生懸命言うことを聞いて、尽くしたものだ。



 母がいなくなったのは辺境という土地のせいだけではなかったのかもしれないが、分かってる原因はそれだけだ。

 実際に辺境は他の地域に比べ離婚率がとても高く、お嫁さんが早い段階で実家に逃げ帰ってしまうなどザラだ。

 辺境で生まれ育った男たちはこの環境に慣れているから平気でも、下界から来るお嫁さんには辺境は相変わらず寒くて不便でつまらない、我慢ならない土地なのだろう・・・。



 ヴィクトルは(寒くて雪が多いのは仕方がないが)少しでも便利に、そして明るく楽しく豊かな地にしてお嫁さんが逃げない、母が恋しくて泣く子供がいない、そんな領地にしたいと思っている。その為に今まで生きてきた。




(ああ、ようやっと)とヴィクトルは噛み締める。


(幼い頃からずっと胸に秘め、自分の代になったら必ず実現させようと思っていた『開かれた辺境』という夢に向かって、重要な、最初の一歩が踏み出せる。

 みんなが住みたくなるそんな魅力的な領地に・・・)



 こみ上げる思いと共に涙がこみ上げてきて、ヴィクトルは急いで頭を下げた。




「すぐに準備致します」




 ヴィクトルの声は心なしか震えているようだった。


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