278話 稀代のプレーボーイの話
「それにしても、」とニコラが首を捻った。
「どうして宰相はそのコロンブとかいう奴を野放しにしているんだ?
仮に余程の人間が後ろについていたとしても宰相が物を言えない相手なんているとは思えないけど、何かソイツにしか出来ない重要な仕事があるとか、そういうことか?」
ニコラの素朴な疑問を聞いてブリジット夫人は再び視線を落とした。
「それは分からないけど・・・。
・・・実を言うと、この話、主人には話してないの・・・」
「えっ、どうして?宰相に言えば直ぐに解決しそうだけど」
「それは、・・・ほら、レティシアがその年に初等部を卒業ってことは、うちの子もそうだったじゃない?
・・・だから、それでなの」
ついさっきまでの凛としたブリジット夫人はどこへ行ってしまったのか、下を向いたまま妙に話しづらそうにしている。
しかしそれでニコラは納得した。
その頃、宰相家はその "うちの子" ことマルタンのせいで大変だったのだ。
マルタンは、・・・いやその前に一般的な話をすると、この国でも昔は結婚というとそこに本人の意思はなく、家の利益になる相手を親が見繕って結婚させる政略結婚が主流であった。しかし現代では相手を本人に選ばせることが増えていて、好意を持っている者同士で結婚するのが主流だ。
この変化は半世紀前にあったショッキングな事件(アナベルという当時最も高位にあった美しい令嬢の死)がきっかけだと言われているが、その翌年に即位したヴァレリアン三世が一夫一婦制を導入したことがこれに拍車をかけた。
皆の心理が妻を一人しか選べないのなら好きな人と結婚したいとなったのだ。
その後アナベルを知らない世代に代わっても政略結婚よりも愛ある結婚の方が結果的に家庭が円満で、領内は安定し、お家も安泰と全てにおいて上手くいくと考えられるようになり支持されるようになっていった。
とはいえ完全に誰とでも自由に恋愛をしていいという話にはならなかった。
貴族同士であるとか、責任を持って家督を継ぐ若しくは家督を継ぐ兄弟を助けるとか、そういう家や領地に対する責任を放棄することは今も許されてはいない。それらは貴族の存在意義で義務だから当然だ。
なのでやっぱり条件に見合った人の中から選ぶことになり、その中でなるべく条件の良い人をと考える所は以前も今も変わらなかった。
しかしとにかく親は子供が年頃になると好きな人はいないのかと聞いてくれるようになったし、結婚したい相手がいると聞けば相手の家に婚約したい旨の手紙を送ってくれる、とにかくそうやって縁は結ばれるのだ。
婚約のタイミングとしては、レティシアとシリルのように幼い頃にというのは稀で、通常はある程度将来の見通しが立った頃にとなるのが普通だ。
あんまり早くから決めると相手が碌でもない人間に成長した時に困るということもあって徐々に学生のうちは交流にとどめ、男性が高等部を卒業してから婚約するというのが一般的だ。
これは過去のゴタゴタの末に自然と皆が足並みが揃うようになった『暗黙のルール』というやつで、嫡男や婿養子が必要な家ではほとんどこの時期に決まる。
その一方で早い者勝ちという考え方も根強くある。
人気のある相手であれば誰より早くツバをつけておかないと心配だ。大人しく待っていてはトンビにアブラアゲを攫われてしまう。そういう場合は『暗黙のルール』の裏をかき初等部卒業時を狙う。周りからはズルいと反感を買うことになるがそれほどまでに結婚したい相手なら敢えて反感を買ってでもしようというものだ。
ちなみに王太子の場合は特別で、なるべく早く決めた方が良いとされていた。多くの令嬢が万が一の期待を捨てられずにいつまでも嫁ぎ先が決められないということになるからだ。
さて、寄り道はその位にしてマルタンの話に戻ろう。
マルタンは幼少期から大変モテていた。
宰相家の嫡男だし利口そうな受け答えをしていたからこれは将来有望だ次期宰相に最も近い男だと大人たちはいつも褒め称え、それを聞いた子供はマルタン様って凄いんだと憧れたから、女の子たちはお嫁さんになりたいとこぞってマルタンの気を引こうと頑張った。
5歳になると子供のお茶会に出られるようになる。
マルタンは大人気であちらこちらの家に呼ばれてはその家の女の子に手を引かれて木陰などに連れて行かれた。
そこでは甘〜いお菓子を口に入れられて、こんな会話が繰り広げられるのだ。
「ねえ、マルタンさまはわたしのことすきよね?」
「うん!」
「じゃあ、これからもずっといっしょにいましょうね、やくそくよ?」
「うん!」
マセた女の子たちは上手く誘導しマルタンと結婚の約束を取り付けたと思っていたが、マルタンは遊ぶ約束をしたとしか思っていなかった。
初等部に入ってからもマルタンはおっとりしてるというか、相変わらずだ。
お茶会に行くと必ず女の子の両親が挨拶にきた。
「マルタン殿はもうお父上の仕事を手伝っているそうじゃないか、頑張っているね」
「はい」
「私も君には期待しているよ。ゆっくりしていきたまえ」
「はい!ありがとうございます!!」
もちろんこれはいずれ娘の夫になると思っての期待だ。
将来娘を宰相家に嫁入りさせられると思えばこそわざわざ忙しい合間を縫って子供のお茶会に顔を出しに来ているのだし、ちょっといい手土産を持たせてくれたりするのだが、マルタンはどこででもそうなので当たり前に受け取っていて、自分がよく頑張っているから褒めてくれたと思っていなかった。
こんな感じのまま日々は過ぎ、相変わらずモテモテのまま初等部の4年生になろうかという頃に宰相家に1通の婚約の申し込み状が届いた。
モルガンが手紙を開くと『結婚の約束をし、かねてから想いあっている二人なので少し早いがそろそろ婚約させたらどうか』とあったので、その旨を本人に伝えると、本人は「そんな約束をした覚えは全くないけど!?」と驚いていたので、既成事実をでっちあげてまんまと婚約にもっていこうという魂胆かと相手の腹を疑った。
だったら断りをいれなければならないが、相手は本人同士が結婚の約束をしていると言っているのだから面倒でも手紙で済ませる訳にはいかないと夫婦で屋敷に赴いた。
しかし相手は本気だったようで "あんなに足繁く通っておいて今更そのつもりはないとはどういうことだと烈火の如く怒り絶交だ" と言われた。
モルガンとブリジットは平身低頭謝って、なんとか許してもらって屋敷に戻ると別の家からも似た様な内容の手紙が届いていて・・・というのが連日続き、その数はなんと47件にもなった。
もちろん断らずに婚約を受けようとしたことも何度もある、しかし向こうから婚約の申し込みを送って来ていたにも関わらず噂を聞いて掌を返された。逆ギレして怒鳴り込んで来られたことも一度や二度ではない。
その年はずっと夫婦でその対応に追われ、宰相としての信用とオジェ家としての信用も地に落ちて、一時はモルガンが宰相を続けることさえ危ぶまれるほどだった。
国王陛下が子供同士の口約束にも満たない話ではないかと動じずにいてくれたから失脚せずに乗り切れたのだ。
そうして夫の宰相としての危機は脱せたが、今だに我が子は『稀代のプレーボーイ』と揶揄され嘲笑の的になっている。もうあれから何年も経ったからそろそろマルタンにお嫁さんをと思っても、宰相家に嫁に行ったら娘に何か問題があって他に貰い手が無かったから宰相家に行くしかなかったのではと周囲に勘繰られるのがオチだと嫌がられ、誰も来たがらない。これにはブリジットもお手上げだ。
宰相家というブランドも、宮内相という肩書きも役に立たない。むしろ宰相家だから妬まれて格好の餌になっているようだ。
コロンブの件はそんな謝罪行脚がようやく終わり、でもまだモルガンの心労はピークにあった頃だったからブリジットは言えなかったのだ。我が子に問題を抱えている状況で同じ女性関係のことで問題のあるコロンブを断罪するなどやりにくいにもほどがある。
たぶん同じ理由でコロンブの事は他からもモルガンの耳に入ることはなかったのだろう。
結局、コロンブが野放しになっているのはマルタンのせいだ。そう言っても過言ではない。
そしてこれはブリジット達は知らない事だがコロンブがパーティー等で女の子達との関係を赤裸々に語るに至ったのも実はマルタンのせいだった。
コロンブが "アルノー家のパーティーに行ったら女の子たちが自分を取り合って大変だった" と自慢すると、聞いた人たちが口を揃えて言ったのだ。
"お前がいくらモテると自慢しても宰相家のマルタンには負けるよ、なんと彼は47人の令嬢を弄んだ稀代のプレイボーイなんだからね"と。
自慢したつもりが大したことないと笑われて、対抗意識を燃やして勢いでアレもコレもと赤裸々に喋ってしまったのだ。行く先々でそうだった、しかしそこまでしても最終的にはやっぱりマルタンの方が凄い、となって終わるのだ。
マルタンも本当に罪なことをしてくれた。
・・・と言っても昔も今も、本人はボーッとしているだけなのだが。
まあ当時はマルタンが初等部の4生年で、まだ1年生のニコラはマルタンと宰相家に何が起こったかなど知らなかったが、自分も含めて皆が憧れの的だったマルタンが何故か急に冴えない感じになったことには気が付いていて、なんでだろうと思っていた。後になりレーニエがその辺りのことは教えてくれたので、もちろん今は知っている。
ブリジット夫人が言葉を濁した意味も分かる。
「なるほど、宰相を巻き込まずに解決させたいのですね。
だったら自滅してもらいましょう」
ニコラの言葉は力強く、ブリジットの耳に頼もしく響いた。
古い話ですが69話でブリジット夫人がソフィーと婚約が決まったニコラとソフィーに二人の子供を養子に欲しいと言っていたのは、こういった理由で跡取りのマルタンに結婚が望めそうになかったからなのでした。間がかなり空きましたがようやく書けました。
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