234話 乙女心は複雑だ
コレットは良家の令嬢としては早過ぎる10歳からバセット家に住み込んで侍女見習いをすることになったが、もちろん本人が希望したからではない。
そもそもコレットはエマと違って働かなくても良いご身分の令嬢だったのだ。
まず生家の話をしよう。
父はヴァンサン伯爵家の当主であり、ヴァンサン領の領主だ。
領地はプリュヴォ中西部にあり王都からそう遠くはないが中央山塊にかかっているから辺境ほどではないものの標高が高く、いくつもある河は揃って急流だ。
それによって深い谷が形成され、地表の多くは花崗岩が剥き出しになっている。少ない耕作地は土地が痩せているので小麦の栽培には向いていない。代わりにソバやライ麦を作り主食としているがそれさえも潤沢に穫れる訳ではない。
そんな厳しい土地柄ゆえに人口が少なく人口密度の低さは国内1、2位を争うほどと言われている。
そこまで聞いたらひどく貧しい領のように思われるだろう、だが違うのだ。実は五十数年前にいくつかの産業を起こし、それが成功して現在はとても裕福なのだ。
その産業とは自領の資源を上手く活かしたもので、磁器・炭・紙・インクの製造だ。しかも貴族向けの高級品だけを扱っていて『ヴァンサン製だ』と言えば『最高級品だ』もしくは『最高品質だ』と言うのと同義だと言われるほど世間に認められている。もちろんいずれも王室御用達の品だ。
例えばヴァンサン製の陶磁器は煌びやかでありながら品があり貴族なら必ず持っておきたい一品だ。
これが登場した時は衝撃だった。それまでの白磁の彩色といえば青という固定観念をくつがえしただけでなく陶磁器という物の見方をすっかり変えてしまったのだ。
器というものが日用品から一気に芸術品の域にまで達してしまったと言えば伝わるだろうか。
白磁に金や色とりどりの彩色を施してあるのはとてつもなく豪華で美しく、宝石よりも見応えがあるほどだ。
しかも見た目だけではなく実用に耐える丈夫さを持っているのだから凄い、それまでの白磁の脆くて欠けやすいといった固定観念をもくつがえした。
食器や壺がメインではあるが実は大きな物から小さな物まで自在に作れるのも強みだ。
置物や装飾品などを作って欲しいという人もいるが通常商品も高価だから注文するとそれはまたべらぼうなお値段になる。それでも特注品はそれに見合う大変なステイタスになるし、予約待ちの予約をしなければならないのがまた余計に価値を上げ、結局予約が後を絶たない。
そうだ、話しついでにトリヴィアを一つ披露しよう、プリュヴォにはこんな諺がある『世に名を残そうと思ったらシャンデリアを作れ』というものだ。
それは『成功したいなら人の思いつかないことをせよ、人と同じことをしていたら凡人のままでしかいられない』という意味の教えなのだが、これはこのヴァンサン陶磁器で大きなシャンデリアを作ったことで王族でもないのに凄い猛者がいると永遠に語り継がれるヒーローになった実在の人物に由来している。
さて、お次はヴァンサン製の炭についてだが、これは通常の炭に比べ燃焼時間が長く高火力という特性を持つ。この特性は調理に向いていて、中はふんわり外は香ばしく焼き上がる。しかも弱〜高に火力調整も出来るからじっくり焼きたい物にも向いている。
これで焼いたらなんでも香ばしくて美味しくなると評判で特にヴァンサン豚のソーセージを焼いたらパリッとジューシーで絶品だ。
ちなみにそう皆が口を揃えて言うのには訳があって、昔、最初にこの炭を売りに来た行商人がそう言ってヴァンサン豚のソーセージを焼いて試食させたとか。今も炭屋でソーセージを売っているのはその時の名残りらしい。
そして最も身近で無くてはならないのはヴァンサン製のインクだろう。
これは書いてすぐは青色だが時間が経つにつれて黒色になるという特性があるインクで、色はこの1色だけで他にない。だがそれで充分だ。
発色がよく耐光性、耐水性に優れているから重要な手紙や記録、書類を書くのはこれでないといけない。
またそのインクと相性の良いヴァンサン製の紙は薄くて真っ白、表面がツルツルサラサラで書いている時にペン先が引っかかるということがなかった。その上インクの乗りがよく、滲まないので小さな文字も書ける。おかげでストレスがなく書き損じが出ないので紙も無駄にならないと良いことずくめだ。
このインクと紙はヴァンサン製をセットで使うのが基本だ。一度使うと他の物が使えなくなるので自然とそうなるともいえるが、結局、愛好家は増える一方だ。
これらはどれも門外不出の特別な技術や材料があり他領がどんなに真似しようと試みても似たような物さえ作れない。
それゆえヴァンサンの技術は百年先をいっていると言われている。
しかしなぜこの領にだけそんな特別な技術があるのか?
コレットが子供の頃に父に聞いた話では、ヴァンサン家の先祖に王家の子息に気に入られ外遊にいつも同行していた賢く商才に長けた人物がいたらしい。その人が現在のヴァンサン家の基礎を築いたそうだ。そしてその息子達が後を継ぎ、さらに発展させたのだとか。
それ以降も代々領地経営は兄弟が共同でしており、今代はコレットの父が領主をしているがその弟も同じように領地経営に携わっている。
そして彼らもまた今までそうしてきたように他領に技術が漏れないように細心の注意を払い、弟の息子達を跡取りと決めて幼い頃から領地経営のあらゆることを教えていた。
父が言うには「ヴァンサン家の者は結束が強く機転が利いて面倒や苦労を厭わない性質だから領地経営にとても向いている」のだそうで、その言葉通りに育っている従兄弟たちは優秀で、ヴァンサンの家と領地はこれからも安泰だ。
ああ、コレットの話をしようと思っていたのにあまりにヴァンサン領が素晴らしいので長話になり過ぎた。
つまりだ、コレットと姉イネスは親から身の振り方は(問題を起こさなければ)好きなようにして良いし、好きな人(ただし貴族に限る)と結婚して良いと言われていて、良家の子女でありながらヴァンサン家の為に家に残って婿をとる必要はなく、他家との結びつきの為に政略結婚を強いられることも無い、謂わば自由の身だった、ということが言いたかったのだ。
その代わり自領を支える技術についてはほとんど何も教えて貰えなかったし、婿を取って家に残ることは許されないのは寂しかったが、それくらいは快く呑まなければならない。それが領民の為でありヴァンサン家の為でもあるのだから領主の娘として当然だ。
そんな訳でコレットは娘時代を悠々と気楽に過ごし、年頃になったらどこか良い人のところへお嫁に行けば良いだけのはずだったのだが、そうでなくなったのは母の思いつきが発端らしかった。
これは最近、確か王宮にくる前にローズ夫人と話していて分かったのだが、当時パメラお嬢様の起こした事件により父親のオスカー様が失脚し、後ろ指を指されて社交界から締め出された形になったバセット家の惨状にそれまでローズ夫人と懇意にしていたコレットの母が同情したそうだ。
"ヴァンサン家自慢の娘が奉公に入ったと聞いたら悪い噂を多少なりとも払拭することが出来てローズ夫人も以前のように社交界にも出て来られるようになるのではないかしら" と思い立ち、わざわざバセット家を訪れて「イネスがもうすぐ学園を卒業しますから、バセット家に花嫁修行に行かせましょう」 と申し出たそうだ。
それに対しローズ夫人は思いやりに感謝して有り難く受け入れることにしたのだと仰った。
だが母は父や本人の了承を得ず、勝手に話を持っていったのだ。
イネスは大人しく従ったりしなかった。
「何を言ってるの?私はもう結婚式の日取りまで決まっているのよ、卒業後すぐ彼の所へ行くって決めてるし、先方もそのつもりだわ。それに彼の親族とも、社交界でも、どちらも上手くやっていく自信がある。私には花嫁修行なんて不要よ!」と反発をした。
その上で「それよりコレットを行かせたらいいわ。コレットなら(喧嘩三人娘として皆から敬遠されている)パメラ嬢と歳が近いからいい話し相手にもなるでしょう?真面目だし正義感が強いしコレットならパメラ嬢を更生させることだって出来るかも!私はコレットの方が適任だと思うわ」などと上手いことを言って親を丸め込み、かくしてコレットが差し出されることになったのだ。
ローズ夫人に聞くまでもなく姉に押し付けられたのは覚えていた。
イネスが行かないからコレットにお鉢が回って来たにもかかわらず、親にはあなたしかいないのよと言われて断るいい理由がないから受けざるを得なくなって・・・コレットはすごすごと部屋に戻って荷物をまとめるしかなかった。
しかし評判の良いイネスだったらバセット家の評判も少しは上向いていたかもしれないが、コレットでは力不足だったようだ。なぜならその後もローズ夫人は社交界に復帰しなかったからだ。
だけどコレットはバセット家でとても大事にされた。
もしかするとローズ夫人が本当に欲しかったのは周りから総スカンをくらったパメラお嬢様の遊び相手だったのかもしれない・・・なんて、今になってふと思った。本当はどうだったのだろうか。
難しくて誰も続かないと言われたパメラの侍女だったがお互い負けず嫌いなところがあるとか、頑張り屋で正義感が強いところがあるなど性格に似ているところが多々あった。そのせいかコレットはパメラの相手をするのが嫌ではなかった。二つ歳下の不器用なまでに頑ななこの子を守ってやりたいとさえ思ったほどだ。実際、コレットはパメラに愛情をもって接したのでパメラもすぐに気を許すようになり、コレットはパメラの専属になった。
あれから早8年。よくもこんなに長く頑張ったものだ。元々よく気がつく性分でジッとしているのは好きではないので侍女の仕事は性に合っていたのだろう。
とは言っても就学前の2年間は仕事と言えば朝と夜の簡単な身の回りの世話くらいで日中は一緒に勉強したり話し相手を務め、食事もおやつもパメラと一緒だった。今から考えると衣食住の世話になりながらお小遣いを貰っていたようなものだ。
在学中の4年間はバセット家から学園に通ったが侍女の仕事は休業で長期休みには実家に帰っていた。本格的な侍女の仕事を教えて貰ったのは卒業してからだ。
ローズ夫人は案外優しくてバセット家の居心地は良かった。それこそ実家より寛げるくらいだ。
だけど、姉に押し付けられたことだけは根に持ち続けていた。
あの美人で有名な、社交界でアルノー家のレティシア嬢と並ぶかそれをも凌ぐのではないかと噂され確固たる地位を築き上げている5歳年上の姉イネスを。
どこにいっても皆にやけに評判が良い姉はコレットにとって目の上のたんこぶのようなものだ。
しかしだからと言って途中で投げて戻るのは負けた気がして嫌なのだ。
これまで何度か辞める機会はあった。
学園に入学する時と卒業する時、それにパメラが騎士になった時だ。
それにバセット家の奥方であるローズ夫人から良い人を紹介したいと釣り書きを渡されたことも何度もあった。
どの人も家柄も相手の人柄も良く世間的には充分にいい話であったのにも拘らず姉の夫より見栄えも家格も劣るように思えてもっと良い人が現れるまで待ちたいという気持ちが拭えずローズ夫人にはまだ侍女を続けたいと言って断った。
(だって姉様にだけは負けたくない。姉様より良い家で良い人じゃなきゃダメだ、そしてそんな人と結婚してゆくゆくは王妃付きの侍女になって姉様の鼻を明かしてやる!
だからこそナルシスについてもっと知らなきゃだし、私たちの将来についてどう考えてるのかちゃんと聞かないと!もし良い家じゃなくても一緒に上を目指していけるのか彼の気持ちを知りたい。私はダラダラしたのが一番嫌いなんだ、今度こそ彼に詰め寄ってハッキリさせよう!グズグズ言うようなら私からポイだ、謝って縋ったって知らないんだからっ!)
そんなことを思って鼻息が荒くなっているコレットの顔の横にスッとハンカチが差し出された。
「あなた、鼻の頭に少し血がにじんできているわ。擦り剥いてるみたいよ」
ブリジット夫人だった。
「あ、はい」
受け取ろうとして、手が止まった。差し出されたのは流行の最先端中の最先端のニードルポイントレースのハンカチで贅を尽くされた総レース。しかもプンと高貴な香りまでするのだ。
とてもじゃないが鼻の脂なんかつけられない代物だった。
「ありがとうございます、でも大丈夫ですからどうかそれはお仕舞い下さい」とコレットは丁重に辞退した。
だけど、内心はガーンだった。
(私は最高の侍女を目指しているのだからそんな事くらいでは動じない!)
(けど!)
(それでも乙女心はある!
もうワーンと泣きたい。
このあと彼の所へ行くのに、みっともない顔を見せたくないよ〜)
なんだかんだ強がっていても、本心はやっぱりナルシスに可愛いと思ってもらいたいのだ。口ほどにもないが乙女心とはそういうものなのだ。
会いたいけど会いたくない。会いたくなくても会わなければグレース夫人に頼まれたおつかいが出来ない・・・複雑な心境を胸にコレットはどうしようかと必死で頭を巡らせた。




