228話 大きな勘違い
お兄様と招待リストの話をしていると「リリアンは他にも重要な人物を呼び忘れてやしないかな」などと言って周りに皆んなが集まって来た。
(他にもって!違うの、フィル様の事は呼び忘れていたのではなくて、忘れてないけど書き落としただけなの)
リリアンはそう否定したかったが、もうこの話はあまり蒸し返されたくなかったので言えなかった。その代わりちょうどいい具合に他に呼びたい人がいたのを思い出した。
「そう言えばお母様、エマが私の入学式に合わせて明日と明後日の二日だけお仕事に復帰したいと言ってくれてるんですよ」
「あらそうなの、来てくれるといいわね。
それであの子は結婚してちゃんとバセット夫人としてやれてるのかしら?」
「ええ、上手くやってますよ。
それで私、エマもフェットにお客様として呼びたいのだけれどエミールも一緒に招待していいかしら?」と宰相であるモルガンに向かって尋ねると「勿論よろしいですよ」と返って来た。
ただエミールは王太子の従者としての仕事やフェットが円滑に行われるよう裏方での仕事が間に入るかもしれないが、その辺りは慣れているから上手くやるだろうとのことだ。
モルガンだって同じだ。王族が出席する宮殿内で行われる催しはあれこれ気を配らなければならない事が多いので万全を期すために彼等は立場上完全なる客として出席することは出来ない。でも、指示を出しながら客のように振る舞うことは出来る。
リリアンはさっそくリストにエマとエミールの名を書き込んだ。
顔を上げるとリリアン以外は皆んな立ったままだ。
座ってお茶でもどうぞと言いたいところだけど、生憎と椅子が人数分なかった。
「困ったわね、お茶を出したいのだけど座るところが足りないわ」
隣の部屋はリリアン拳の道場として使っているから休憩用の簡易な椅子が2脚あるだけだ。あれに座れというのはちょっとな、とリリアンが思案しているとモルガン宰相が別の部屋を使うことを提案してくれた。
「では宮殿のサロンへ移られますか。
リリアン様が初めて来られた時に使われたあの一階のテラスのある部屋の隣がちょうど良い広さです。そこなら今日は使われていませんからすぐご用意出来ますよ」
「ああ、あの時の?」
「はい、あの隣です。
王妃殿下がよくお茶会で使われておられる部屋でテラスはありませんが眺めが良く、庭園にすぐ出られる作りになっていますよ」
「わあ!いいですね、ではそこを使わせてください」
「畏まりました」
モルガンはすぐに人を走らせてリリアン達が使えるよう確認し整えておくように言いつけた。
(懐かしいな〜)
リリアンにとってとても印象的な出来事だったから、初めて宮殿に来た時のことはよく覚えていた。
豪華な白い馬車を白馬が引いていた。宮殿は途方もなく広く綺麗で立派だった。そして馬車が着いた先ではキラキラと王子様のようなフィル様が迎えて下さった。・・・フィル様が本当の王子様と知ってすっごくビックリしたんだわ。
それから通されたのはテラスのあるとても明るくて風の通る気持ちの良い部屋だった。今回は使わないけどあの時のお部屋のそばを通るだけでも嬉しいな!
あの時フィル様から贈られたネックレスはいつもつけてる一番のお気に入り。フィル様が私達二人だけが持てるフィル様の瞳の色の石だと教えてくれた。
リリアンは無意識にペンダントヘッドを触り、そこにある事を確かめた。
モルガンは安全な宮殿の中の移動でニコラやクレマンもいるのでそれほど神経を立てる必要はないと考え、リリアン応接室の前にいる護衛はそのまま防犯の為に残し、護衛なしで出発することにした。
「では参りましょう」
移動の道すがら、父の後ろを歩いていたリリアンの隣にエドモンが来て一緒に歩きだした。
「ねえ、リリ。リリの所に来れば王太子に会えるかと思ったんだけど、今日はいないのかな?」
喋ってる途中でニコラが後ろから「王太子殿下だ」と指摘したのでエドモンはそこだけ「王太子殿下は」と言い直した。だが彼の言動で周りがピリピリとした空気に変わったことまでは気が付かなかったようだ。
宮殿の廊下はそれなりに人通りがある。
廊下に等間隔に立っている騎士も通りすがりの文官もエドモンを何者かと注視した。
(王太子殿下を呼び捨てにしたことも許し難いし、そもそも宮殿の中にいて王太子殿下はどこぞの小倅が会いたいと言って会える相手ではない、ということを知らないというのも問題だ。
更に言うと王太子婚約者候補であるリリアン様に馴れ馴れしく話しかけて隣を歩いているのもいただけない)
彼等から見ればすぐにでも引っ捕えても良い状況だが、後ろにニコラがいるから見逃されていた。
(わ〜、エドモンが皆んなにめっちゃ睨まれてる〜。ここでは俺がいるから大事には至らないだろうけど当分は目を付けられそうだな)とニコラは内心肩を竦めた。
宮殿でのマナーについて事前にニコラからもいくらか教えておいたのだが、付け焼き刃では身に付かず徒労に終わったようだ。
エドモンはいい子ではあるのだが領主の直系でも五男にもなれば兄達のように厳しく言われることはさほどなく、見た目の可愛さも相まって周囲から可愛がられて大きくなった。領地内ではそれで問題がなくても一歩外に出ればまだ世間知らずの甘ちゃんだ。
リリアンは誰に言われずともそれを察し、やんわりとエドモンに王族に対して敬意を示すように促す為にフィリップのことをフィル様ではなく王太子殿下と呼んで彼の質問に答えた。
「う、ん、そうね、王太子殿下は今日はまだお休みになっていらっしゃるから私もお目にかかれていないの、だからいつ来られるか分からないのよ」
「ふ〜ん、そうなんだ」
(まだ寝てるだって?王太子は怠け者か病弱なのか?)
(それを聞いて誰も驚きもしないということは公けにされてないだけでいつもそんな感じなんだろう。
学園では常にニコ兄がそばに付き添ってるってトマス兄が言ってたし、どちらにしても相当軟弱な奴に違いない)
(そのくせ王太子っていうだけでリリを傍に置くなんていう我儘が通るんだから王族とはいいご身分だ。
僕たちのリリが王太子に目を付けられて婚約者候補に選ばれたと聞いた時にはなんてことだ、この世の終わりかと思ったけど、リリの様子を見る限りリリは王太子に対して大して興味を持ってなさそうだ。
僕たちを招んでくれるという会のリストに名前を入れ忘れてたし、今も僕の質問にいつ来るか分からないと答えにくそうにしているし。一応敬意を表して敬語なんて使っているけど本音では王太子のことなんてどうでもいいのだろう)
(これは最初の頃の皆んなの予想、ニコ兄の妹ってことで女嫌いの王太子の女避けを頼まれたんじゃないかっていう説が案外当たりなのかもしれないな、だって歳の差すごいし。
僕だって9歳も下の3歳の女の子なんて赤ちゃん過ぎて対象外だ。リリだって17歳にもなるオッサンは対象外に決まってる、やっぱり婚約者候補なんて形だけのものだったんだ)
(ふふ、それが分かっただけでも来た甲斐があった!)
いつ会えるか分からないと伝えたのにエドモンは何故か却ってご機嫌になった、フィル様に会いたかったのではなかったの?とリリアンは首を傾げたが、実際のところリリアンであっても決まりではエドモンがいる所にフィリップが来て偶然居合わせたのならともかく、エドモンが会いたいと言ってるだけでは会わせてはあげられないのだ。
(でも余程の理由があればまた別かしら)
「えーっと、それでエドモンは王太子殿下に何のご用があって来たの?」
「いや、ここに来た目的はリリに会う為だよ。ついでに僕もニコ兄みたいに学園でリリの護衛をさせて貰いたいと願い出ようと思ってね。
まあ僕の腕なら今のままでも充分リリのこと守ってやれるけど、正式な護衛になったら帯剣も出来るって聞いたから、だからだよ」
「え、そんなのしなくていいよ。私には専属の護衛隊がいるもの」
「ダメだよ。トマ兄とトマス兄は卒業するまでリリ専属じゃないんだろ、専属になるのはまだ一年も先の話だ。だけど僕ならいつも学園で隣にいて守ってあげられるんだよ」
「でもエドモンも私と同じ学生でしょ、勉強したりとか他にやることがいっぱいあるわよ」
「ふふふ、リリは優しいね。そんなの気にしなくてもいいのに」
「いいや、気になるよ」
(ふふふ、遠慮しちゃって!リリってば可愛い上に優しいんだな〜)
エドモンは領地で年上の兄や従兄弟達からリリアンの話を聞かせられる度に羨ましくて早く会いたくて仕方がなく、いつしか会ったこともないリリアンに恋焦がれるようになっていた。
ようやく念願叶って会えたリリアンは瞳に自分を映し名を呼んでくれている、目の前に立てば当たり前のことだがそんな普通の事に感動し夢見心地になっていてリリアンに護衛を断られているのに気付けない。
もちろん昨夜自分の考えをニコラや父であるヴィクトルに話した時に「エドモンがリリアンの護衛になる必要はない」とか「お前は王太子殿下に直接願い事が出来る立場にないのだぞ」と言われていたのだが、トマトマがリリアンの所に遊びに行って王太子にスカウトされて専属護衛をすることになったと聞いていたので自分のことも王太子が知れば護衛をしてくれと頼まれると思っていた。
トマトマの場合は護衛隊に近々欠員が出ることが決まっていて、ニコラを通じて元々知り合いだったこと、それから学園での生徒会活動や王立騎士団の訓練などで実力と人柄がフィリップに認められていたからなのだが、事情を知らないこともあってエドモンはすごく簡単に考えていたのだ。
あと臆面もなくバラすなら、エドモンはルックスに自信があった。
顔立ちは可愛い系で、リリアンと同じ色の銀髪はクルクルとやわらかくカールしたように巻いていて顔が小さく目はぱっちりとして童顔だ。銀の民らしく背丈だけはもう下界の人の大人並みにあるけれど体格は細身でまだ子供らしさが残っているから威圧感がなく、顔立ちの親しみやすさもあって女の子達に非常にウケが良かったのだ。
去年の秋ごろにやたらと行かされていた下界の令嬢方とのお見合いパーティーで一緒に参加した従兄弟のジャンやアランよりずっと多くの令嬢に囲まれて人気があったので、自分は女の子にモテるのだ自覚したばかりだった。
(それよりもこれから毎日リリと一緒にいられるなんて夢みたいだ。
軟弱王太子より僕の方が歳も近いし銀の民同士だし美男美女でお似合いだ。リリも僕と話せて嬉しそうにしてる恋人同士になる日もそう遠くないかも!
ああ、学園生活は楽しくなりそうだ)
ニコラはリリアン達の後ろをソフィーと歩いていたが、エドモンを見て小さく息を吐いた。
エドモンはリリアンを夢見るような目で見つめ、頬を紅潮させてポヤポヤ〜ンと緩み切った表情だ。その顔も態度もリリアンに心を奪われて舞い上がっているのが一目瞭然で、ちょっと見るに耐えないほどだ。
そうでなくともエドモンは幼い頃からリリアンへの思いを募らせていた。だけど小さいからと王都にもベルニエにも連れて来て貰えず土産話にリリアンの話を聞かされては羨んで、まだ見ぬリリアンに恋焦がれてニコラも何度領地に一緒に連れて帰って欲しいとせがまれたか分からない。
それでようやく領地を出て来られる年齢になって会えたと思ったらリリアンは既に手の届かない人になっているのだから可哀想っちゃ可哀想なんだよな。
エドモンもリリアンが王太子婚約者候補であるということは重々承知しているはずなんだがまだ現実を受け入れられないんだろうなー。
(王族に対する不敬とか貴族としてのマナーがなってなくて周囲から反感を持たれるってこととか、その浮かれ具合は見るに耐えんぞとか言ってやりたい事もあるが・・・なんかコイツを見てると哀れで束の間の夢を見るくらい許してやるかという気にもなってしまうんだよな〜)
(まあいいか、どうせエドモンの熱も殿下を見たら一瞬で冷める。周りがやいのやいの言っても今は無駄だ)
そう考えてとりあえずニコラは放置することを選んだのだった。




