222話 適切な教材
「いいえまさかそのようなことは!
リリアン様が王太子殿下に相応しくないということは、ないのではないかと思いますが・・・」
一度は強く否定したものの、コレットの声はだんだん自信なさげに小さくなった。
「でもさっき絶対にって言わなかった?」と首をこんかぎり傾げて尋ねるリリアンに、コレットはしどろもどろだ。
「は、はい。私は学園でそのように学びましたのでそうなのですが、でも、リリアン様ほど王太子殿下に相応しい方はいらっしゃらないわけでして、絶対って習ったけど、絶対ではない時もあるかもしれなくてですね・・・」
真面目なコレットは真面目に勉強をして確かに "結婚前の男女がベッドを共にするのはやってはいけないこと" で、そんなことをしたら "良いところへはお嫁に行けなくなる" し、"まず王族との結婚は叶わなくなる" と学んだのだ。
でも現実はどうだ?
血が繋がっていくことが重要なこの国では、貴族の令嬢は貞淑であることが望まれて、だから私たちは幼い頃から淑女らしい振る舞いをしなければならないと教えられ、ことあるごとに釘を刺されてきた。
それでも大人しく言う事を聞く子ばかりじゃないから遊び歩いてる子も確かにいる。
最近よく思い出すのは綺麗で明るくて昔からよくモテていた姉イネスのことだ。彼女は沢山の中から一番良い人を自分で選ぶのだと言って基本的に誰の誘いも断わらなかった。
そして不真面目なことをしていては碌なことにならないと諌める私に姉は言った。
「私は今が若くて美しくて一番人生で輝いてる時なのよ、『淑女の心得』なんて馬鹿正直に守っていたらつまらない人生になるわ。それに私は良い人を探しているのだからいわばこれは将来への投資なの。
だいたい私たちは皆んな共犯なんだから問題になんかしないのよ、世間にバレなきゃ何をやってもやってないのと同じでしょ?だから大丈夫」と。
反対に「今から煤けてるあなたの方が心配よ」とまで言われたのだ。
そして今、結果を見よ!姉は極上の男を捕まえて伯爵夫人として社交界の華だ。
あんなに好き勝手していた姉が、夫婦仲も良く子供にも恵まれて幸せになるとは割に合わないというか、羨ましいったらありゃしない。
い〜や、あの人は幸せになったんじゃない子供の頃からずっと幸せで今も幸せなままだ。
という訳で、まったく真面目で堅物のコレットらしくないのだが彼女がリリアンの為に導き出した答えが道徳心のカケラもないものになったのは、この姉イネスのせいだと言えるだろう。
コレットは気持ちが揺らぎやすいお年頃だから正反対の性格の姉の影響が強く出てしまう事がたまにあるのだ。
「でもリリアン様、大丈夫です。現に私の姉はバレなきゃ平気と学生時代もとっかえひっかえかなり遊び歩いていましたが、まんまと良い所へ嫁入りしました。要はバレなきゃいいんです、寝室で何があったとしても、言わない限りバレません」
「えっ、でもフィル様はご本人よ?」
「あ・・・」
姉のことを考えていたら、重要なそこのところ(相手が王族)をポッカリ失念していた。
「やっぱりダメよね?
もうどうしようって、どうしようもないわよね、どうしよう!?」
リリアンはとうとう頭の上に手を置いて困り果てた顔をしたのでグレースは笑いだした。
「ふふふ、面白いけど、なんでそんな話になってるの?あなた達もうちょっと冷静になって?」
グレースは年寄りが頭ごなしに言い聞かせるより歳の近いもの同士で答えを出した方が良いと思ったし、それぞれの考えを聞いてみたいという気持ちもあったので、とりあえず若い二人の言うことを黙って聞いていたのだけど、思いもよらない方へ話が展開してつい口を挟んでしまった。でもまあこのくらいが潮時だろう。
ようやっと軌道修正に乗り出したグレースに深刻な顔のリリアンが言った。
「お祖母様。
私、仰る通り冷静になって考えてみたのですけど、フィル様が私をお嫁さん候補として見て下さらないのは偽妹と思っていらっしゃるから仕方ないとして、一緒に寝ることで私が将来どこにもお嫁に行けなくなると心配しては下さらなかったのでしょうか。それっていつもお優しいと思っていたフィル様が実は私の事を抱き人形くらいにしか思ってなかったって事で、悲しいことですね」
「まあリリアンったら何を言うの、そんな事はないでしょう?」
「それともう一つ。
冷静になって思い出したことがあります。
今夜のフィル様はいつもと全然違ったんです、夕方フィル様に何かあったのかもしれません。
例えば、隣国の王女様から結婚の申し込みがあったとか、そんな事が」
「ええっ隣国の王女が!?」と驚くコレット。
それを見てグレースは心の中でツッコミを入れた。
(ちょっと待て、何を驚いているのよコレットは!
さっきマロンのサロンで王太子殿下のお気持ちを一緒に聞いたばかりじゃないの)
とにかく、
鋭いような、鋭くないような、もうこれ以上リリアンに頭を使わせるのはどんどん深みにはまっていきそうで危険だ。
「もうリリアン、ちっとも冷静になってないわ。コレットもよ、しっかりして頂戴。
あなた達ったら放っておいたら迷走するからヒヤヒヤするわ。大体、王太子殿下はそんな薄情な方ではないでしょう?あなた達はよく知っているはずよ。
まず最初に言ってた『王家との婚姻の条件』についてだけど、確かにコレットの言った通りで文言は間違いはないけど、それは子を産める年齢の令嬢に対するもので、いくら令嬢だからと言っても小さな子供が誰かと一緒に寝ていても自立してないとか甘えん坊と思われるくらいで大した問題にはならないわよ。
何歳までは良いとか悪いとか細かい数字で対象を狭めてしまうと面倒が起こった時に都合が悪いから敢えて限定していないのよ、そのあたりは常識で考えれば良いの」
「なるほど、月のものが来ていない子供に王家の血を奪う事は出来ませんものね、逆もまた然り。即ち月のものが来てない内は問題にならない。リリアン様、大丈夫でした!リリアン様は王太子妃になる資格を失っていません!良かったですね!!」
「良いの?」
「はい。多少外聞が悪いのは否めませんが、結婚出来ないという事にはならないようですよ」
「なら良かったけど・・・。ところでお祖母様、『月のもの』ってなんですか?」
「ああリリアンはそれさえも教えられてないのね。ではリリアン、あなたはどうやったら子供が出来るか聞いたことがあるかしら?」
「はい、前にお母様に聞きました。
シュバシコウちゃんが連れてくるんだってお母様は言いました、でもそれをお友達のルイーズに言ったらそれは迷信で男の子はキャベツからで女の子はバラの花から生まれてくると言うんです」
「あらら、どういうことかしらね?」
「私はどちらも嘘のような気がしています。
だって赤ちゃんをぶら下げたシュバシコウが飛んでいるのを一度も見た事がないし、キャベツに入ってたら切った時に男の子が死んじゃうし、バラの花だと赤ちゃんが入るにはちょっと小さ過ぎやしませんか?」
プフーッ!
思わずグレースは吹き出してしまった。
リリアンなりに一生懸命考えたのだろうけど言う事が可愛すぎる。
「お祖母様がそんなに笑うってことはやっぱり違うんでしょう?
私は騙されるのは好きではありません。ルイーズは嘘を言ってるつもりはなかったようですがお母様は私を騙そうとしているように見えました。でもキャベツは無いと思います。
お祖母様、私に本当のことを教えて下さいませんか?」
「ええ、もちろんそのつもりよ。
さっき私が言ったあなたにしておきたい話っていうのはそういう話の事だから」
「ああ、良かった!やっぱりお祖母様はお祖母様だわ!私を騙したりしませんよね」とリリアンは嬉しそうだ。
「あなたは間違いなく銀の民の血を引く氷の乙女なの。そして氷の乙女には氷の女神様から多くの加護が与えられている、これはただの伝承ではなく事実よ。この話は私にしか出来ない、巫女だった私にしか。
でもまずは加護を持ってない女性についての話をするわ、その後であなたが持つ加護について教える。あなたは違いを知っておく必要があるからね。
その中に子供はどうやったら出来るかという話も含まれるわ」
「ではお祖母様、私にどうぞご教示下さいませ、よろしくお願いします!!」リリアンは姿勢を正しグレースにペコリと頭を下げた。
「いいわよ、でも今夜はもう遅いから明日からにしましょう」
「はい!」とリリアンが元気に返事をする。
「ではまず手始めにリリアンの教材にするアレをコレットに持って来て貰わないとね」とグレースがリリアンを微笑ましそうに見遣りながら呟いたので、コレットも快く引き受けるつもりで言った。
「はい、なんなりとお申し付け下さい!」と。
「コレット、あなたのカレにあなた達が知り合ったキッカケのアレを借りてきてちょうだいね」
「えっ、ちょ、夫人!な、何を急に!」
秘密にしていた彼の事を突然グレースに暴露され、あたふたとするコレット。
けれどもう手遅れだ。
コレットが聞こえてなければいいな〜と、万に一つの希望を込めてリリアンの方をそっと見るとリリアンはとんでもなく目をキラキラと輝かせてこちらを見ていた。




