219話 救出劇
「生きてる!でも脈が弱い。あと、・・・すごく冷たい」
フッと手元が陰って、横を見るとヴィクトルだった。ヤニックが気を利かせ少し離れた所に逃げてヴィクトルと場所を交代していた。
「意識がないようだな」
「うん、ない」
「ここに来るときに見た大時計の針は14時4分を指していた、そこから数えるともう6時間もこんな状態だった事になる。この寒さの中そんな薄着で動かずにいたとなると低体温症による昏睡も考えられる。早く温めてやらないと命にかかわるぞ」
「レーニエの許可が出たら下ろせるんだけどまだ移動中なんだ。あんまり時間がかかるようなら先に下ろした方がいいかな」
そう言いながらもニコラは少しでも温めてやろうとモーリスの肌が露出している部分に手を当てた。焼け石に水だろうけど気は心、ただ見ているだけなんて出来ない。
「時計止まってたの気が付いてなかった」
「だろうと思った。で、怪我は無いのか?」
「どうだろう」
上から見た時に見えていたのはモーリスの足だったが、体を斜めに歯車の隙間に潜り込ませている為に足はニコラがいる所からだと片手しか届かない位置にある。今ニコラが立っているのは歯車の軸を固定する台座が乗っている架台で、歯車を組み込み易くする為に向こうの梁まで届かず途中までしかない。
足は紐を解かないと見れず両手がたわないから無理、背中や脇腹は腰ロープが結んであるから無理、見れるのは腕くらいだ。
でも足元に注意を払ったお陰で片方だけしか靴を履いてないことに気がついた。
「靴が片方無い」
「本当だ、床には落ちてなかったと思うがどこにあるのかな」
「あっ、あそこ!」
ニコラはその靴の在処に気が付くと胸が熱くなった。どうやらモーリスはこの外界と隔絶された絶望的な状況の中、ずいぶん頑張って孤軍奮闘したらしい。
「お〜、凄いなそれで時計が止まってたのか。やるじゃないか」とヴィクトルが口の端を上げた。
この時計はとても古く歯車は木製で厚みがあってかなり大きなものであったが、それでもそれぞれの歯車は高さや回転する方向と速度が違っていたので意識が無くても乗っていられる場所を確保するのは至難の技だった。
しかしモーリスはユーグの放った言葉から吊られたままでいたらいずれ落とされると気付いて、なんとか行ける範囲内で留まっていられる所を探して必死に足掻いたのだ。
もし仮に今ニコラが立っている台に足が届いたのであればここまで大変な思いをしなくても自力で脱出出来ただろう、日が暮れる前なら上から光が入ってくるので手元も見えたはずだ。台の上に立って落ち着いてロープを外して端まで伝っていけば良いのだ。
でもユーグは本気でモーリスの命を狙っているのだからそんな事を許すはずはなく柱や梁、架台など手掛かりになる物に届かないよう絶妙な高さに吊り下げた。唯一手が届きそうなものがあるとしたら歯車だった。
大変だったけど、届く範囲にあったのは幸運だった。さすがに腐ってもユーグは時計師の親方だからまさか国宝級の歯車に乗ろうとするとはこれっぽっちも思わなかったのだ。モーリスはユーグがいなくなったのを見計らい少しずつ揺れを大きくしていき狙いを定めて歯車に飛び付いた。もちろん一発で成功する訳がなく何度も何度もトライした。とうとう歯車を掴まえて、隙間に潜り込んで靴を挟んで時計の動きを止めたのだ。
散々ユーグに蹴り飛ばされてヘロヘロになっていたし、座り仕事ばかりで普段から身体を動かすことを好まないモーリスにとって、これはとんでもない大冒険だったのは間違いない。
そんなモーリスの人となりは知らないが、それでも凄いことをやってのけたものだと思った。
「うん、凄い。俺ちょっと感動した」と言いながらニコラは腕を伸ばしてモーリスの腕を取り袖をめくってみた。
「内出血がある。
右腕か、・・・腹を庇って出来た痕かもしれない。さっきも工房で腹を蹴ろうとしてたけどあれが奴の常套手段だと思う」
「その可能性は高い、その色だとやられて数時間は経過している」
二人が話していると上からレーニエの声が降ってきた。
「靴を履いてなくて打撲がある、ね」
「そう、あとモーリスは意識がなく体も冷え切っていて呼吸も浅い、とても危険な状態だから早く降ろしてやりたい。それから腰にロープが結んである・・・」と気がついたことを羅列した。
「分かった、急いで下ろそう。その代わり後で詳しく教えてくれ」
「了解」
「では下ろそう。どうする担いで降りるか、ロープとシーツは届いてるぞ」
「うん、山岳救助の要領で背負って降りるつもりだ。
骨折か何か損傷があった場合を考えると担架を使いたいけど担架を人力で降ろすのはちょっと難しそうだから。・・・その前にちょっとコレ邪魔だから外すわ」
現在モーリスの腰に繋がっているロープは引っ張っても伸びてこず撓みもほとんど無い、これより下に行きたくばロープを外すか付け替えなければならないのだが、背中で何個も固い団子が連なるほどに念入りに結んである。
日常的に命綱を使っているのならロープワークくらい習っとけよと文句のひとつも言いたくなる。腰ロープは一時的に身につけるものだから普通はすぐ解ける結び方をするはずなのに。
それにギュッと食い込むほどキツく締めてある、これでは息を吸うのも苦しいはずだ。
(これは自分で締めたんじゃないな)
「ナイフあるぞ」とヴィクトル。
悪意しかない結び目をちまちまと解く未来にうんざりしていたから助かった。それにこれは証拠品になるから解くよりこのまま取っておいた方が得策だ。
「うん、貸りる」
シュッと切った。さすが伯父さんのナイフは切れ味が良い。
「ベルニエ様、上に歯車を上げ下げをする時に使うクレーンがあります。耐荷重は100kgです、あれなら担架に乗せたモーリスを下ろせるのではないでしょうか。使うのであれば用意しますがどうなさいますか」
ニコラとヴィクトルの会話が一区切りついたのを見計らってヤニックが声を掛けてきた。さっきのニコラの言葉を聞いて歯車を組み込む時に使う装置を使えば可能なのではないかと思ったのだ。
「あの上の?いや、たぶんそれを使って何かやろうとしたみたいでこれが掛かってるんだ」
ニコラは眉を下げて今切断したばかりのモーリスのロープの先を目の前に上げて見せた。
「え?」
言われて見ると確かにそのロープはいつもと違う方向、つまり床の縁ではなく真っ直ぐ上にあるクレーンの先に向かっていて、更にその先も別の滑車の方に向かっているようだった。
「そ、どう考えて犯行の証拠だろ?それを使って良いものかどうか」
ニコラは今度は眉を上げてロープの先をヒラヒラと左右に振った。
ヤニックはポカンと開いた口が塞がらないくらい驚いていたが、ヴィクトルは「嘘だろ、犯行の証拠が丸残りってことか?」と呆れていた。
「落下防止ロープが切れて落ちた事故ってことにしたかったようだ、ナイフも回収されずにすぐ横にあった。色々やるのに気を取られて置き忘れたって感じだった」とニコラはモーリスの脇に手を入れて抱き上げながら言った。
「笑えるほど間抜けだな」
「うん、笑えたよ」
そこに再び上からレーニエの声がした。
「おーい、なんかそっくり同じのがもう一機あるからそっちを使えば担架を吊れるんじゃないかってこの子が言ってるんだけど」
レーニエの隣に床に寝そべった格好のフロランタンが顔を覗かせた。
「使えそうだけどどうやって使うのかが分からない、ヤニックお前分かるか」
「分かります。ベルニエ様、担架を使われますか」
「そうだな、使えるなら担架にしよう。準備は迅速かつ安全に頼む!出来ないと判断したら迷わずすぐに言ってくれ」
「分かりました。ではフロランタンさん、その間に邪魔になるこの分銅を一番上まで巻き上げてロックしておいて下さい」
ヤニックはさっそく上に向かった、ここまで来ていたら上のフロアまではすぐだ。
「私も行こうか」とヴィクトル。
「ええお願いします」
ヴィクトルは山岳訓練や救助でこういった作業に慣れている、また子供の頃に住んでた屋敷は切り立った崖の上にあったそうで何でもロープで揚げ下ろししていたというのだから一番適役だ。
「じゃあ、ロープ10本とシーツ1枚を階段を使って上に持って行っておいておくれ、担架は中央から、上で待ってるからよろしく」
さっきのレーニエが来ようとした時に混乱を思い出したのか丁寧に下にいる者達に指示を出しヴィクトルも上がって行った。
ニコラは担架の用意が出来るまでの間、自分の上着の前を開けてモーリスを包むようにして抱いて待った。
放置したままでいるのは忍びなく少しでも温めてやりたかったからだが、やはりモーリスの体はひどく冷たく感じられた。近くにいた騎士が自分の上着を脱いでモーリスの背中に被せ、手を握って一緒に温めてくれた。
上ではヴィクトルがテキパキと支持を出し、それに応えて皆が動いているらしく賑やかな声がしていたが思ったよりずっと早く担架が降りて来た。
担架の長辺にアクセスしやすく、またロープがすっぽ抜けないように下にロープを渡すなど工夫がされていた。さすが伯父さんだ。
ニコラは皆に担架が動かないように持ってもらい慎重にモーリスを寝かせて落ちないように固定した。
これで降ろせば後は下で待ち構えている救護班に任せて終了だ。担架が下りていくのを見守りながらニコラも一緒に下りた。
外に出ると遠征用の焚き火台に火が起こしてあった。
周りが明るく暖も取れるし松明やカンテラの火種にもなる、湯も沸かされていた。
救護班はその横で身体チェックをいくつかしてからモーリスの体を温めながら連れて帰るべくホロ付きの荷馬車に運び込んだ。
「みんな聞いてくれ!
捜索対象の時計師のモーリスは保護された。
まだ心配な状態だが元気をとり戻せると信じてあとは救護班に任せることにする。
皆の尽力により今回の目的を達成することが出来た、私の要請に協力してくれてありがとう。
なお、今回は私の発動した "フィリップ王太子並びに婚約者候補リリアンの為の特権" によるものなので、ここにいる全員にバッジを出す!」
ニコラを取り囲んでいた騎士達はそれを聞いて「わあ!」と歓声が上げた。ニコラは静かに、というように手を上げて続けた。
「そういうことだから各自申請して受け取ってくれ、では解散!」
皆は真面目な顔でニコラに対してザッと音を揃えて敬礼し、再び動き出した。しかし各自が自分の仕事の続きをしながらも(来た甲斐があった)とニコニコになった。
このニコラの言った『バッジ』とは、胸につける小さな長方形の貢献記章の事で通常業務外で何か高い貢献をした者にお礼として配布される物だ。
今回のようにニコラの特権要請に協力した証しとしてバッジが出る時は、黒地に銀の稲妻マークが入ったものになる。もちろんこれは愛馬エクレールをイメージしたニコラを表すシンボルで、カッコイイ超欲しいバッジとして人気の紀章だ。
それはただ単にニコラの特権要請に応えたということを示すだけでなく王太子またはリリアンを守る為に特別に働いたという証しでもあるから胸に着けるととても誇らしい気持ちになれるし、このバッジの意味を知らない小さな子供からも「あれ欲しい」とか「カッコいい」と指さされたり、若い女性からは「ニコラ様とお知り合いなのですか」と羨望の眼差しを向けられて飲み屋やコンパでモテモテになるという特典付きのバッジだ、騎士達が皆こぞってニコラの特権に協力したがるのも無理はない。
ちなみにフィリップが特別な礼として出すことになっているバッジは青地に金の羽根のマークが入った物だが、こちらはその存在は知られていても滅多にお目にかかれることのない幻のバッジと言われている。
大体、我々が王族の為に働くのは当たり前のことだから特別な礼という評価にはなかなか繋がりにくいのだ、だからニコラも自分以外に持っている人を見たことがない。
ニコラの特権も王太子を守る為に発動されるのだから意味は同じになるのだが、まだ十代の若いニコラが年上の騎士や目上の者達の協力を得やすくする為に作ってあるバッジなのでこっちはニコラの判断でいくらでも礼として使って良いことになっている。
ニコラはふと思い出した。
「あっそうだ。みんな、今回から色が変わるんだった。
今度のはリリアンの学園入学を記念して殿下の色である金の地にリリアンの色である銀の稲妻になる、まだ入学してないが次からってことになってたから金色になるはずだ。
リニューアルされたばかりだからまだ誰も持ってないレアアイテムだぞ!」
再び「わあ!」と歓声が上がったが、ニコラのすぐ後ろで「えっ?じゃあやっぱり師匠もリリアン様の特権付き護衛ってこと?」と聞き覚えのある声がした。
振り向いて下を見るとパメラが首を傾げたまま立っていた。
「うわっ!なんで!?」とニコラは飛び上がった。
マズい、バレるのが早過ぎだ!
ニコラがリリアンの特権付護衛であることはパメラは知りません。詳しくは120話。
フィリップのシンボルである羽根のマークは愛馬のレゼルブランシュ(白い翼)の名からきています。みんな馬好きですね〜!
_φ( ̄▽ ̄ )
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