218話 ニコラの言い分
やはりモーリスは暗くて冷たい時計塔に独り取り残されていた。ニコラがいるフロアから2メートルくらい下のまだ暗い歯車の隙間にいたのだ。
「おい、モーリス!無事かモーリス!」
呼びかけてみたが反応は無い。
(もしかして歯車に巻き込まれたのでは?)
最悪の想像に胸がザワッとした。
障害物で頭が見えない。でも下に血痕などなかったしそんな報告もない、大丈夫だ、と気を取り直す。
「レーニエ、上がって来い!モーリスがいたっ」
「分かった、すぐ行く!」と声がした。
取り敢えずレーニエに現状を確認させるのが先だ。それから下にいる者達に向かって「そこの歯車の上だ!ぐったりして反応がない」と教えると、穴の中は俄に動き出し、まるで蟻の巣を突いたようになった。
中でもカンテラを掛けながら上がっていたヤニックは一番高い所にいたので「すぐに向かいます!」と答え、さっそくニコラが示す場所に検討をつけて動き出した。
「モーリスさん!モーリスさん大丈夫ですか」と呼びかけながら器用にルートを見つけて近づいて行った。
二番手の位置にいるヴィクトルは皆で詰めかけたら動きが取れなくなると考えて「待て、私が行く。下に伝えろ、救護班を下に待機させ救援者搬出の準備を進めるようにと」と支持を出してヤニックの後を追った。
ニコラがモーリスを上に揚げるか下に降ろすかどちらが安全で早いかと救出の算段をしていると、ヴィクトルの指示に従って動き出したばかりの穴の底をレーニエが梯子の方へ向かって横切るのが見えた。
それまで監督として全体を見ておく必要があったレーニエはユーグの監視もあって何か進展があるまでは動きがとれなかったのだが元々監督職より自分の足を使って動き回る方が好きなタイプなものだからニコラの呼びかけにようやく出番が来たと部下にユーグを託して勇んで飛び出した。もちろん選んだのはさっきスルスルといとも簡単にヤニックが上っていた(アスレチック遊具みたいで面白そうな)そっちのルートだ。
だけどよく見てから飛びついて欲しい。さっきは先行者がいなかったけど今はカンテラを掛けるのを手伝う為に上がった先行者だらけだ。
しかもレーニエが来たので下の方にいた者は降りて道を譲ろうとしてかなりの高さから飛び降りたり、中段にいた者は逃げ場のない梁の上を横に移動して隙間を作ろうとし、中には避けるところが見つからなかったのか梯子の裏側に逃げてレーニエを通そうとする者までいて危ないし収拾がつかない事になった。
(何をやっとるんだ、ゴチャゴチャと!)
ニコラにしてみれば今は多くの騎士がいるのにどうしてそっちに行ったのか謎だった。我々には時間がない、要救助者の状態はとても良いとは言えないのに。
「レーニエ、俺が使った方だ!階段を走って上がって来い。他にも見るべき・・・」
「分かった!」
物が上にあるから、とまだこっちが喋ってるのにレーニエはもう上り掛けていた梯子を飛び降りて階段に向かって走りだして見えなくなった。
「おい、最後まで聞けよ」
まあ早く来てくれた方がいいからいいんだけど。
あぁ、昔はレーニエを頼れるお兄さんだと思って慕っていたんだけどなぁ、最近は恋人に毒されたのか落ち着きがないんだよ、それとも俺が成長したということか。
いやいや元々ああだったわ、パメラと似た者同士がくっついたっていう事か。
(まあそんな事はどうでもいい)
ニコラはモーリスを下に降ろすと決めて自分も彼の所へ向かうことにした。上にあげる方がずっと近いのだがなにせ階段が狭すぎる。
床下がどうなっているのか覗き込み、下りるルートをシュミレーションする。
レーニエに上に来いと言っておいて何なんだが元々到着を待ってやるつもりなど無かった。後はこちらがどうこう言わなくてもアイツなら勝手に現場を見て判断する。
大体、この時計塔の事件は俺が当初特権を発動した "殿下とリリアンに対する不敬" とは別件だ。
それと過去の事件との絡みもあって後の捜査は王立騎士団に全部任せるつもりでレーニエには「俺が関わるのは置き去りにされた時計師の救出までにするから後はそっちでやってくれ」と伝えてある。
勝手なようだがそもそもこれは王立騎士団が扱うべき事件だ。
だったら何で首を突っ込んだのかって?もちろん最初は俺だって騎士団の治安警備隊員が来てるんだから彼らに任せて黙ってたよ?
でも彼らのやり取りを見てたら昔聞いた時計塔の事件を彷彿とさせる言動があってユーグが怪しいって思ったんだ。でもあいつらは全然気付く気配がない、それで俺が出しゃばったって訳だ。
例え四年前でも未解決事件は新人にも周知されているはずだが、彼らがどれほど詳しく知っているのかまでは俺は知らないし、類似の "事故" とされた三件はそのまま事故扱いになっているから多分知らないだろう。なら俺がやった方が手っ取り早いだろ?
でもさ、特権を行使しようにも殿下やリリアンに直接関係する事じゃ無いからちょっと無理があった。で、まずは王族への不敬を理由にユーグを捕らえることにしたんだ。
でも一応帰ってない時計師の安否も確認しておこうと思って指示していたらユーグの挙動が明らかにおかしくなった。またやったのか!と思ったよ。行動パターンが怪しかったけど流石に今日とは思わなかった。それで緊急性が高いと判断し特権を続行したまま俺も現場に急行することにしたんだ。
まあどちらにしてもだ、本当のところは騎士団が扱うべき事件だと分かっていながら手を出したんだ。もちろんやり過ぎの自覚はあるが、でも人命がかかっている可能性があったから強行した。
それにもしこれが俺の思った通りの事件だったら長年未解決だった事件の尻尾を掴むチャンスだよ。
なんと言ってもあれは殿下が騎士団の出した結論に疑問をお持ちになって初めて差し戻した記念すべき事件だし、それがやっぱりそれ以前のも含めて事件だったなんて事になったら殿下のお手柄だ。誰もが信じていた『時計塔の呪い』が凶悪な『時計塔連続時計師殺人事件』だったと判明するんだ。
凄いよ、殿下!
一人だけ事故じゃなく事件だって見抜いていたんだからね、改めて殿下の凄さが証明される。その高い洞察力と判断力、それが12歳の時の話なんだからまったく驚嘆するよね!!
さっきも言ったけど、それを証明したかったからこの件に手を出したってことでは決してないんだけど、そうなったらやっぱり嬉しいね。
でももしもだよ、俺が手を出した事を誰かからやり過ぎだ、越権だと責められたとしてもだ(そんなこと言われたことないけど)俺の特権は『結果的に間違いだったとしてもその時点で俺が殿下やリリアンを守る為に必要だと判断したのであれば咎められる事はない』という通常だったら考えられないほど幅の広いものだから後付けでもそれらしい理由を考えればいいんだよ。
例えばだが殿下やリリアンが訪れることのある宮殿内の工房に危険人物がいたので早急かつ確実に排除する必要があったとでも言っておけば問題ないだろう。
陛下は俺がいつでも制約なく動けるようにとこの緩すぎる権利をお与え下さっているのだ。有難い事だよ、だから俺はこうやって特権を駆使して自由自在に働いてこそ陛下や殿下のお役に立てるのだしその恩に報いる事になると思うんだ。
なんて、結局は俺はいつもこの特権を笠に着てやりたいようにやってるだけなんだけどな。
ヤニックはニコラの視線から位置を特定しモーリスの所に辿り着いた。
よく見るとモーリスはなんとも器用な格好で複数の歯車の上に覆い被さるような形で乗っかっている。逆にだからこそ落ちずにそこに留まっていられたのだろうが普通だったら体を乗せるような所では無い。
それにしてもこんな頭の上にすぐ別の歯車があるような狭くて危ない場所にどうして入り込んでしまったのだろう。
点検や修理の作業をしていたとしてもこんな所に入るような事は絶対にない。そんなことを考えていたら、一瞬いつもの癖で歯車の上に乗ったら後で親方に相当な目に合わされるぞとモーリスの事が心配になったが、ヤニックが思うに親方はもう工房に戻ってくることはない、きっとこの先は痛めつけられることはない。
モーリスに声を掛けても返事がない。早く助け出してやりたいが下に落ちたらただでは済まない高さの上に足元も不安定で、とても連れて降りるのは困難だ。
あの人なら・・・と上を見ると、そのニコラはこちらへ向かおうとしているところだった。
ニコラに早く安全に来て貰おうとヤニックは「ベルニエ様、後ろの柱にロープにありますから使って下さい、そこから真っ直ぐ穴に向かって来るとちょうど柱がありますからそれに沿って降りると安全です」とアドバイスを送り、また降りている途中も「その穴は足を置けますのでそのまま下がっていただいて大丈夫です」などと下から援護した。
ニコラは無事にモーリスの元に辿り着いた。
「サンキュ、助かった」とニコラに笑顔で礼を言われ、ヤニックの胸は高鳴った。
(もう本当に気さくにも程がある!本来なら私は口をきくことも出来ないような方々なのにこんなに気安くお礼を言われるなんて・・・なんと心根の広く美しく立派な方なんだろう)
そんな風にヤニックが驚くのも無理はなかった。
時計工房でユーグから暴行を受けそうになっていたのを助けてくれたのも驚きだった。貴族が平民を助けるなんて意外な事だったし、そもそも普通であれば彼らはヤニックがこんな風に横に立って話しかけられる相手ではないのだ。
でもこいういう所が銀の民の血を引く者の特徴だったりする。
その昔、氷の女神リヤは自らが作った氷の人形ホペアネンに思考と感情を与えた時、面倒事を嫌って争いの元となる権力欲をわざと持たせなかったのだ。
リヤは他にも極寒の不毛の地でも生き抜ける程の強い身体能力を与えたり、主人に対して従順な性質にしたりと自分に都合が良いように、また何か問題が起こるとその場しのぎに思いつくままに色々な性質を与えた。いわゆる加護だ。
しかしホペアネンと人間が交わり銀の民となるにつれ自然と薄れていったのだが、特に初期の頃の銀の民の性質を強く残しているジラール一族の者達は未だにそういった傾向がある。
初代ルミヒュタレは武器を持たないアルトゥーラスを前にしても自分が王になろうとはしなかったし、クレマンやニコラは国王の側近になるより領主になる事を選ぶという他人からは理解しがたい選択をするのだ。
他人を蹴落とし化かし合いに興じるのが貴族であるならばジラール一族は相当な変わり者ばかりだが、だからこそ余計に彼らは誰よりも誠実だと信を置かれ、他人を蹴落とさずとも重用される。更に飾らない気さくなところが却って美しく気高いと尊ばれるのだ。
リヤのいい加減な思いつきで与えた数々の加護が大抵良い方に作用しているのは幸いだ。
言葉を返すのも忘れて自分を熱い眼差しで見つめるヤニックにニコラは何を思ったか、安心しろとでも言うように頷いてモーリスの喉にそっと手を当て脈を確認した。




