216話 いつだって上手くいく
時計師の羽織るフードマントは深緑色をしていて鐘守のフードマントと形は同じだが色が違う。
王都では多分誰が見ても分かる時計師であることを示すこの衣装には、国王陛下に認められた職人であることを示すエンブレムが入れられていて他と一線を画している。
現在この衣装を着られるのは親方と僕とモーリスの三人だけだ。
僕たちは外に出る時は必ずこれを着ることになっているけれど、屋外では防寒や雨避け日除けにもなって確かに便利に使えるものの実をいうと時計塔の中では無用の長物だったりする。だって複雑に組み合い回転する歯車や軸にとても狭くて入り組んだ作業スペース、マントのヒラヒラとした裾が何処かに引っ掛かったり巻き込まれでもしたら大変な事になるからだ。
僕はまだ外の仕事をすることはないのだけど、ここへはモーリスと一緒に連れて来てもらったことがある。
あの時はまだ時計師になりたてで親方から「お前らが怪我をするのは勝手だが時計が壊れでもしたらお前らの一族全員死んで詫びても足らないんだからな、絶対に壊すんじゃないぞ、分かったか」と凄まれて僕達は二人とも縮みあがってガタガタ震えてたっけ。だけどそんなだった僕達も今では親方の扱いにも慣れてきてそうそう怖がることもなくなったのだから随分と成長したものだ。
それでも僕は親方の言いつけはちゃんと守ってる。今もマントを一番にフックに掛けなければいけないと思ってフックのある方に目をやると既に同じ色のマントが掛かっているのに気付いたというわけだ。この深緑色のフードマントは時計師の伝統と誇りの象徴だ、僕はこのマントを羽織るのはとても誇らしい、モーリスだって同じ気持ちのはずだ。だから忘れて帰るなんてことあるはずがない。
「えっと、王太子様の騎士様・・・?」
フロランタンがそのことを伝えようとニコラを見上げておずおずと話掛けると、ニコラからは存外優しい表情と視線を向けられてこんな言葉が返ってきた。
「フロランタン、俺は騎士じゃないからニコラでいい」
「は、はいぃ〜」
フロランタンは余りものことに感動し思わず声が裏返ってしまった。
こういうところだ。
ニコラは庶民でも誰にでも自分の役に立ってくれたとか気が合うとか、とにかく相手のことを認めたら簡単に名で呼ぶことを許可してしまうのだ。まあフィリップやレーニエは立場上そうすることは難しく相手を選ばなければならないのだが、下の者にとってはニコラだって同じように雲の上の存在なのに気安くそう言われるのだから大抵の者は嬉しくてポーッとして信奉者のようになってしまう。ニコラはこうやって自覚なく日々自分のファンを量産しているのだ。
フロランタンも例外ではなく胸はドキドキしてほっぺたが熱くなるのを感じ少しでもニコラの役に立ちたいと思った。
「ニコラ様、このマントがあるということはモーリスはまだ中にいます!」
「そうか」とフロランタンの言うことに神妙な顔で頷くとニコラは外に顔を出して言った。
「皆の者、捜索開始だ。モーリスという時計師はまだ中にいる!見つけたらまず俺に報告をくれ!」
「「了解!」」という声と、皆の踵を合わせるザッという小気味良い音がフロランタンの耳にも届いた。
(ニコラ様は格好良過ぎる)
「じゃあフロランタン、下は他の者に任せて俺たちは上に行く。中を案内してくれ」
「はいっ!ニコラ様!!こちらです!」
なんだか自分も騎士になった気分、それもニコラ様の第一子分になった気分だ!帰ったら姉ちゃんに自慢してやろう。
カンテラを手にした騎士達が次々と入ってきて中を明るく照らしていく。カンテラの熱と人が入ったことで元よりは温かくなっているのだろうが風が下から上に吹き上がりまだ外より寒いくらいだ。
レーニエもユーグを連れて中に入った。
そしてユーグを半歩前に立たせて何かボロを出さないかと注意深く視線の先を探りその挙動を伺っていたが身長差がかなりあるのでこんなに注視されているとはたぶん本人には気付かれてないだろう。
それでもユーグは「モーリスの奴はこんな時間まで何をしているのだ?無事でいてくれるといいのだが」などと殊勝にも心配する様子を見せ「ふぅ」と大きく息をついていた。
分かってはいたことではあったがユーグはちょっと落胆していた。
まだモーリスは床に落ちてなかったのだ。
(くそっ失敗した!こんなことになら小細工せずにそのまま突き落としておけば良かった)
そうは思ったが、心の底では "でも今回もなんとかなるはずだ" とタカを括っていた。だって俺は生まれついての強運の持ち主だ。何をやっても何か大いなる力に守られているかのように上手くいく、人生はイージーモードだ。
俺は生まれこそ庶民で貧乏だったが、近くに外国人が多く住んでいる地区があり小さい頃からそこでちょっと何かを手伝ってはお駄賃を貰っていた。少し大きくなるとそのまま雇って貰い仕事になったがやることは簡単で買い物に行ったり届け物をする程度だ。彼らはこの国の言葉がほとんど喋れず外国語が分かるだけで可愛がられ給金はちゃんと貰えるし珍しくて美味しい物も食べられるしで最高だった。
やがて外国人達は帰国することになり彼らの仕事を小僧と呼ばれていた俺たちがゴッソリと引き受けることになった。俺たちは王様がいる宮殿に呼ばれ、そこに新設された時計工房で働くことになった。今までいた本家の外国人達より厚遇だぞ、もちろん給金もたんまりだ。
このように俺は別に努力をしなくても勝手に上手く行くそういう星の元に生まれた。だから時計師のヤツを何人殺めても問題ナッシング!心配することはない。
さすがに一人目の時は俺がやろうと思ってやったのではなく偶々起こった事故だ。だがそれを証明する術がなく犯人にされてもおかしくない状況だった。
宮殿の工房に招かれて一年目のことだ。相手は当時二十歳で俺より七歳くらい年上の男で、頼んでもないのにリーダー風を吹かせ勝手にルールを決める口煩くて面倒なヤツだった。
ヤツは残された図面の通りになっているのか一つ一つ計測してみなければならないと言い出した。違っていたら図面を修正しておかなければならないし、組み立て手順や修繕方法も早い内に確立しておくべきだと言うのだ。その上まだ正常に動いているうちにどんな加工がしてあるかよく見て研究しなければいけないと言って、年の近い仲間達と計測したり検討すると言っては出て行くのだ。
本当に真面目にやってるのか疑問だし、そいつらが出て行くとその分俺たちの仕事が増えるから凄く迷惑だ。
こっちは手の指紋が無くなるほど木釘ばかり作らされたと思ったら今度は部品磨きばかりさせられるしでいい加減うんざりしていた。だがその日は何故か俺が連れて行かれたのだ。
ようやく変わった仕事が出来ると思っていたら暗くて寒い時計塔の中で延々歯車の大きさや角度を測るのを手伝わされたり歯車の数を数えされられたり軸の太さを測ったりさせられた。いくらソイツに「これも勉強だ、お前の為になるんだぞ」と言われてもやってることはあっちへいけこっちを押さえておけとただの小間使いだ。
俺は王様に時計師として雇われたお前と同じ時計師だ、お前の小間使いじゃないんだよ!と何度言ってやろうかと思ったことか!俺のはらわたは煮えくり返っていたがその頃の俺は十三歳のひょろひょろで口でも腕っぷしでも勝ち目は無さそうだったから言うことを聞くしかなかった。
しかし、昼飯の時間がきてもソイツは一向に作業をやめとうとしないから俺も黙っていられなくなり「もう昼になった」と言うと「この図面をやり終えてからだ」と返って来た。みたらとてもすぐに終わりそうにない量だったし少しでも早く終わらせるよう努力すれば良いものを呑気にも歯車の歯の噛み合わせの具合をみたりして一向に進まない。俺は余程「そんなに言うんだったらお前が一人でやれ」と言って帰ってやろうかと考えたが、ふと面白いことを思いついた。
後ろの足場をちょっとばかりずらして隙間を作ったら偉そうなコイツをビビらせられるのでは?と。いつも冷静で理路整然としたソイツが慌てたらさぞ面白いだろうと思ったのだ。
俺は気付かれないように息をひそめ、細心の注意を払って足場をずらした。ヤツは立ち上がりそのまま後ろに下がってあっさり落ちた。
嫌な音がした。ちょっと脅かすつもりが大変なことになった。
俺はどうなってるのか見ることもなくとにかく急いでその場から逃げた。まだ誰も気付くわけないのに皆が疑いの眼差しで俺を見ているような気がして外を歩くことさえ憚られ、どこかに身を隠したい衝動に駆られて飛び込んだのはランチタイムで混み混みの食堂だった。女将さんの「いらっしゃいませ」の声にそうだ、ちょうど腹が空いていたんだったと思い出し、ひと腹おこしているうちに客ははけ、その間にザーザーと土砂降りの雨が降り始め帰るに帰れなくなった。困ったと思ったが実はこれが恵みの雨で全てがこれで解決した。
夕方、ヤツといつも夕飯を一緒に食べているという仲の良い数人が帰りが遅いと時計塔に迎えに行って床に散らばったヤツを発見したらしい。俺はあの後回送中の宮殿馬車を見つけて乗せて貰い、いったん工房に帰って「先に帰れと言われた」と嘘をつき普段通りに仕事をして寮に戻っていたのだが騎士団に呼び出されて質問責めにあった。当然のことながら午前中俺が一緒にいたことは誰もが知っていたから騎士からも仲間からも一番疑われたのは俺だった。
しかし後日食堂の女将さんやそこにちょうど居合わせた常連客達と雨宿りしながら喋っていたことで皆が俺の事をよく覚えていたからそっちの方で知らないうちにアリバイが成立していた。
俺はヤツが「自分はまだ残って仕事をするつもりだが、もう昼になっているからお前は食事に行ってそのまま帰っていいと言われて一人で食事に行った」と騎士に証言していたのだが、食堂の人が「昼ちょっと過ぎた頃に一人で来て食事をしていた。その後雨が強く降っていたから皆と一緒に雨宿りをしていたが宮殿に戻って仕事をしなければいけないのにゆっくりしていられないと馬車に飛び乗って帰って行った。とても真面目な少年だった」と証言してくれた。
俺の証言とピッタリ一致していたし、人を殺しておいて昼飯を呑気に食べ食堂に腰を落ち着けて皆と楽しく喋っていられるような人間がいるなんて思いもしなかったようで、それですっかり疑いが晴れたと聞いた。
「不安だっただろうがもう安心していいぞ」と騎士に言われ頭を撫でられた。
しかしまだ事故の翌日の朝は食堂に聞き込みに行く前だったから誰かが起こした事件だと疑われていて工房の者全員が現場に連れて行かれたのだが、現場の状態はあちこちに飛散していてかなり悲惨な状態だった。
下は石で出来た床だし、かなり高い所から落ちたから当たり前なのだがそれは扉まで汚すほどだった。俺はあの時気が動転していたから外へ出るのに床への飛散物に気が付いてなくて踏んでいたはずだがそれもその時まだ降り続いていた雨のお陰で有難いことに判別出来なくなっていた。
なにせドアの辺りは複数の人が出入りして踏まれ泥でグチャグチャのビチャビチャになっていたし、出てすぐの所や俺の靴裏も洗い流されて証拠になるような物はすっかり失われていた。
俺はツイている。
結局、ヤツは独りになってうっかり足を踏み外して落ちたという不慮の事故扱いになったのだ。
その後ヤツの弟と幼馴染とかいうのがヤツの最期の姿にショックを受けて休んでいたが、とても仕事を続けられないと辞めていった。一気に嫌いなヤツを三人も排除出来たのだ。俺はそれ以来、気に入らないヤツをどうやって排除してやろうかと想像を巡らすのが楽しみになった。
二人目からは用心するようになり、他の者には別の場所に行ったように見せかけて後からこっそり行くようにした。こんな時、時計師のフードマントはフードが深く顔が隠せるからちょうど良い。
それに一回目の後に転落防止でロープを腹に巻くことになったが逆にこれのお陰で吊っておいて後から落としても怪しまれることがなくとても都合が良くなった。
どうせ下に落ちたら何があったかなんて分からなくなるのだからやりたい放題の蹴りたい放題だ。それに滑車とドラムレバーを使えば元々そこにあるものだけで時限落下装置の出来上がりだ。これは偶然でもラッキーでもない俺が考えついたのだぞ、俺は天才か!
ああそうそうもうひとつあった『時計塔の呪い』だ。これも偶然の産物だったがとても良いアイデアだった。
これは二回目の時にある騎士がボソッと「まるで呪いだな」と言ったのが聞こえた。これは良いと思ってさっそく利用させて貰った。「そう言えば皆が故郷に帰るというのに病気でフォリオットに帰れなかった時計師がいたそうですよ。その霊がよく出るんですよ、さぞ無念だったのでしょうね」と言ってやると余程そういう話が好きだったとみえて瞬く間にこの話が連中の間に知れ渡り、騎士団は『呪い』にかかった。
それからはなんでも呪いで解決だ。
ああ楽しい、ああ愉快だ、世の中全て私の思い通り、いいや思い通り以上になる。
最初は三十三人もいたのに何年か毎に不慮の事故が起き、その度に怖がって辞める者達もいて4〜5年前にやった後はとうとう誰もいなくなり、ついに俺様の天下になった!
俺様のこの国への貢献度は高い、こんなに長く時計師をしているこの国の人間は俺様だけだ。王様から貴族になれとお声がかかるのももう直だ。俺様はとうとうお貴族様まで上り詰めたのだ!
その俺様にモーリスのヤツは偉そうな口をきいたのだ。俺様に楯突くなどお前にはまだ百億年早いわ!
大体人手不足は鐘守を時計のお世話係という名の雑用係にして手伝わせていたから大して困ってはいなかったのだ。時計師の仕事なんて分解して組み立て直してりゃそれっぽく見えるのだから。俺様一人だと親方になっても威張れず面白くないから大人しく言うことを聞きそうな若造を一人二人入れたやっただけなのに勘違いも甚だしい。思い出したらまた腹が立ってきた。
今日はそういう訳で久しぶりに殺意が湧いた。今回は一緒に来ていたし時間帯もいつもと違う夕方で色々と段取りが違っていたがそんなのは大した問題ではないだろう、その時が来たら上手くいくものだ。
さあて、今度はどうなるのかな?時計塔に雷でも落ちるのかもな。
まあ何が起こるかその時のお楽しみ、というやつだ。
そんなことを考えていたら知らないうちにニヤニヤしていたのだが、もちろんユーグ本人は気が付いていないのだった。




