207話 グレースの気がかり
「ちょっとお聞きしてもいいかしら」
「ええどうぞ、グレース夫人」
「王太子殿下がリリアンを婚約者候補から婚約者にするのにそこまで抵抗なさる理由が分からないわ、まだ婚約者を一人に絞りたくないということですか?」
グレースが挙手をして、視線がちょうど合ったのでごく気軽な気持ちでフィリップは許可を出したのだがグレースからの質問はちょっと詰問調だった。ちょっと驚きはしたが可愛い孫に関することだ、祖母として何か気になることでもあったのだろう。
もちろんグレースだって国王陛下や宰相様も揃っているようなところでこんな突っ込んだ質問をするのは自分でもどうかと思う。でもリリアンのいるところでこんな事は聞けないし、だからといって王太子殿下と二人っきりで話すというもの何だかアレだ。それで敢えてここで質問をぶつけてみることにしたのだ。
(今ならクレマンやヴィクトルもいてくれてるし、人も多過ぎず少な過ぎずちょうど良いわ、ちゃんとした人ばかりだし。それに私はリリアンの祖母なのだからこのくらいの事は聞いても許されるんじゃないかしら?)
グレースが最初にリリアンが婚約者候補になったのを知ったのは国王が発布した報せからだった。その直後にニコラが来て皆に報告してくれた時も別段なにか問題を抱えている様子はなかったからその額面通りに受け取ってリリアンは望み望まれて将来王妃になるのだと信じてた。
ここへ来て二人に会っても仲睦まじく、周囲もリリアンに敬意をもって接していて全く疑っていなかったのに、まさかここにきてこんなに婚約者にするしないで揉めることになるとは思わなかったのだ。いったいどうしてそんなことになるのか、自分なりに考えても想像もつかない。
だからこそ、グレースが気になっているあのことが起こっている理由が、ここにあるのかもしれない、と思ったのだ。
「いや、私は抵抗しているわけじゃない。他にはいないリリアンだけです」とフィリップは落ち着いてグレースの質問に答えた。
「ですがお話を聞いていると将来を誓い合うどころか王太子殿下はリリアンにまだその意思を伝えてもいらっしゃらなくてリリアンはそう望まれていることを知らないように受け取れたのですけど、そこはどうなのですか」
「ええ、まあそうです」
「私はてっきりリリアンは将来殿下と結婚し王妃になるつもりでいるのだと思っていたのですけれど、違うのですね?
よくは存じ上げませんが、以前殿下は女嫌いでいらっしゃるというお噂を聞いたことがあります、もしかしてその噂を払拭する為にリリアンを利用なさった、そういうことなのかしら?」
「そんなことはありません。リリアンを利用するなんて私は絶対にそんなことはしません」
「だったらどうしてリリアンはそんなことになってるの?私はリリアンの祖母です、それでも私には訳を教えていただけないのかしら?」
一向に具体的な説明をしてくれないフィリップに痺れを切らしグレースはとうとう説明を要求した。
「それは・・・そんなことはありません、実を言いますと最初から意図があってこうなった訳ではないのです。長い話になりますのでかいつまんで説明します。
まずここにいる理由ですが、ある時ニコラ宛にリリアンに危険が迫っていると警告する内容の手紙が届いた為に保護をするという目的で王宮に連れて来ました。それについてはリリアンも知っています。
そして婚約者候補というのは最初は仮の立場というかなんというか、そういうものだったのです。
私はリリアンと初めて会った時、余りの可愛らしさに妹のように接して貰いたいと思い、そうリリアンに頼んだのです。リリアンは了承してくれましたがベルニエ伯爵からそれでは外聞が悪いと言われ表向きは婚約者候補ということにしよう、ということになったのです。
しかしその直後に開かれた花祭で正式な形で婚約者候補と発表し通達も出して公にしたという経緯があって、正式な婚約者候補でありながらリリアンは自分の事を妹的な立場にいて婚約者候補は仮の姿だと思っている、という訳です。
このことを知っているのは国王、宰相、クレマン伯爵夫妻、ニコラにエミールと私だけ、ですからリリアンは仮と思いながらも話の辻褄を合わせる為に皆の前で婚約者候補として振る舞ってくれていて、尚且つ王妃教育も受けてくれているのです。
そのような状態ですが、私は勿論のこと皆、リリアンを本当に将来の王妃にするつもりです」
実際それを聞いて、アンブロワーズ総長やユルリッシュ軍事相、それにヴィクトル、コレットまでもが驚いた風だった。
「まあ酷い、仮と思っているのは本人だけなの?そう思わせておいてあなたも含め皆が裏でリリアンを王妃にする為に画策しているというわけね?」
「母上、言い方!
画策だなんて言い方はしないで下さい人聞きが悪い」とクレマンがグレースの袖をチョイチョイと引っ張った。
「クレマン、やめて頂戴。まだ話は終わってないわ。
これでようやく合点がいったわ、リヤ様が仰っていたことにきっとそれが関係してるわ!」
「母上、リヤ様とはどなたですか」とクレマン。
グレースは俗に『巫女の力』と言われるものを家族に見せたことはなかったし話したこともなかったが、それは特に話す必要性を感じていなかったからだ。
だから今朝の湧き出る泉トゥリアイネンの精霊ことラポムとの交信の様子はクレマンも初めて目にしたものだった。クレマンはグレースの実子でありながら子供の頃から王都をベースに生活していたし結婚してからは別の領地に住んでいるから辺境にはお客さん程度にしか帰ってこない。母の能力や精霊についてほとんど何も知らないのだ。
「リヤ様というのは氷の女神様のことよ、麓の村の神殿に祀られていた山の神であり、銀の民の創り手であり、銀の民の母たる存在よ。
私はリヤ様とお話が出来るの」
「おお・・・!!」
それを聞いてそこにいる皆は驚嘆した。巫女は神の声が聞こえるだけじゃないのか神と会話が出来るってそれってペロッと明かすには余りにもすごい秘密、人類の創り手と話が出来るなんて歴史を揺るがす大スクープなのでは!?
しかし動揺しザワザワと落ち着きのなくなった皆を置き去りにして、グレースはそのまま言葉を続けた。
「先日リヤ様がリリアンを見て仰ったの、リリアンの成長が止まってるって・・・」
「?」
リリアンはあの年齢にしては背が高い方だし、順調にすくすくと成長しているように見えるがあれで止まっているのか?どうも超常の力を持つ神の言葉を理解するのは凡人には難しいらしい詳しい解説が必要だ。
皆は言葉を発することも出来ず口をポカンと開けたまま固まっている。
しかしグレースが気がかりに思っているのはその言葉通りの意味なのだ。