205話 うっかり豹変してしまった話
「殿下は、私の娘をどうなさるおつもりなのですか」
姿勢の良い体ごと真っ直ぐこちらに向けて、クレマンは重々しい声で問い掛けた。
それに対しフィリップは負けじと正面から見返して、余裕の微笑みで問い返す。
「どうなさるとは・・・クレマン伯爵、いったい私に何が聞きたいのかな」
王太子の微笑みだ、これだけでも結構な牽制になる。
フィリップだってクレマンの質問の意味くらい分かる、分かっているが今更どうしてそんなことを聞かれるのかその意図が掴めない。だって結婚するつもりに決まってるじゃないか、それが何だというのか。でもクレマンの様子から察するにどうも楽しい話は始まりそうにない。
だからリリアンをどうしても手放したくないフィリップはより優位に立つ為にクレマンが何を望んでいるのか探ってから慎重に話を進めようと即答を避けたのだ。
大体、娘が王太子婚約者候補に選ばれているならどんな親だって「これからも我が娘をどうぞ可愛がってやって下さい、よろしくお願いします」などと王太子に対し手を擦って猫撫で声で寄ってきそうなものだ。だがこのクレマン伯爵という人物は元々王族に対して敬意は示すものの擦り寄って来ようとしない男なのだ。父上がよくクレマンがつれないとボヤいてるくらいだから本当にそうなのだろう。
そもそもそういう男だとしても今回は擦り寄ってこないどころではない、百歩譲っても私を威嚇してきているようにしか見えないのだが。
(なんでだ。
どうなさるも何も王太子妃にするつもりだが、クレマンはそれに反対なのか?
確かにリリィとは私が妹になってくれと言ったことから始まった付き合いではあるが、そもそもリリィを婚約者候補にというのはニコラ発案でそれこそクレマンと一緒に決めた設定だし、あの時これは良い案だと一番乗り気だったのは他でもないお前じゃないか。
しかもそのすぐ後に両家の親同士話し合い了解も得て各家に通達も出し、花祭で公けに発表するという正式な手順も踏んでいる。
その時点で当初の(仮)設定など吹き飛んで、もう誰も引きずっている者などいやしない、リリィは仮の婚約者候補ではなく名実ともに私の唯一として隣にいるのだ。
そんなの分かりきったことをどうなさると今更聞いてくること自体おかしいだろう。いったい何が望みだ)
(あ、違うな)
(私も周囲もリリアンを妃にするつもりだが肝心のリリィはまだ『偽妹で婚約者候補(仮)』だと思ってるな・・・たぶん)
(まあいい、本人に伝える為の舞台についてはもう考えてある。
しかしクレマンはリリィをもう婚約者候補の立場から開放しろと言いたいのか、それとも単純にこちらの意向を確認したいだけなのか・・・クレマンの険しい表情を見るとどうも前者っぽい。
娘になかなか会えないのが余程辛いのか、かと言ってこれから学園に通うと決まっているのに今から領地に連れて帰る訳にもいかないだろうに・・・それともどこか縁を結びたい家ができたのか)
(えっ、まさか誰か他にリリィに引き合わせたい相手がいるのか?)
(いいや、私は王太子だ。色々な意味でそれはないだろう)
などと短い間に色々想定される事を考える。
勿論フィリップは王太子なのでクレマンが何を言ってこようと黙らせて自分の意向を通す事は出来る。だがそれではリリアンが悲しむだろう。リリアンを幸せにする為には両親と良好な関係を築くことはとても大切な事だと思っている。
なんて考えていたのに、さっそく怒らせてしまったようだ。
「これはまたすっ惚けたことを。
私の娘をいつまで婚約者候補などと仰られるおつもりですか、という意味ですよ」とクレマンが語気を強めた。
フィリップらしくないはぐらかすような対応にクレマンは明らかにイラっとしたようだ。怒らせたかった訳ではなかったのに、ちょっと間合いを取り過ぎたかも。
クレマンはフィリップが何か答えようとする前に、もう一度念を押すように質問を繰り返した。
「私は婚約者候補などと言う曖昧な立場に娘をいつまでもいさせられては困るのだ、と申しているのです。
リリアンを妃にするとあなたの心はもう決まっているのでしょう?それならばいつ婚約者にするのですか、とお聞きしているのですよ」
いつ?それは答えにくい質問だ。
フィリップの中では婚約も結婚も確定事項で、自分の心の中では来期の冬季休暇中に旅行に連れ出してプロポーズしようと計画を立てている。しかしそれについてまだ具体的に父達と話し合っておらずプロポーズも婚約も結婚もまだ全然時期が確定していない。
プロポーズのタイミングはともかくとして王太子のそれらは国を挙げての大イベントだから勝手に決めるわけにいかないのだ。
それをどこから話そうかと思っている内に先にリュシアンが答えた。
「クレマンよ、それはまだ決めてないからいつとは言えないのだ、とは言えお前にもそろそろ我々の考えを話しておこうと思っていた。
婚約発表は結婚の一年前が適当だ、そうするとどんなに早くても1年は先、場合によっては4、5年先だ。
リリアンは飛び級で進級していくと意気込んでくれているがその進み具合にもよるし、最短の二年で卒業してもまだ九歳、リリアンの成長や世間の評判も見ながら調整せねばならない。
それより何よりリリアンが世間に広く認知されてからの方が婚約式も結婚式も盛り上がるだろう?だから今はまだ婚約発表をする予定は立てられない、時期尚早ということだ。
何と言っても王太子妃誕生は二十年振り、国を挙げての祝いになるから大いに盛り上げたいと思っているのだ。
だがクレマン、心配することはない。リリアンが王太子妃になるのは決定事項だからお前はいつになるかなどと気を揉まず安心して待っていれば良いんだぞ」
「ああもう!私は王太子妃になれるかどうかを聞いているのではありません!
私だってみすみす可愛い娘を早くに手放さなければならなくなるような事は言いたくありませんよ!しかし花祭で私の娘は王太子婚約者候補としてその存在を広く知らしめることになってしまった。そのせいであれからリリアンに婚約の申し込みが後を絶たないのですよ!いったいどうしてくれるのですか」
「何だと!」
「そんなにもか!」
クレマンの言葉を聞くや否やリュシアンは勿論、モルガン達も驚いた様子を見せた。
もちろんフィリップも黙ってはいない。それを聞くや否や眼光鋭く低く唸るように言った。
「何ィ?婚約の申し込みだとォ?
私のリリィに?私の婚約者候補なのにか!?それはどこのどいつだ一人残らず白日に晒せ、今すぐにだ」
チョット待て!
今にも詰め寄ってきそうなフィリップの迫力に圧倒されて仰け反ってしまいそうになったクレマンだったが何とか耐えた。
メラメラと立ち昇る炎に鬼の形相、地を這うような声。
今までの麗しい王太子のイメージがガラガラと音を立てて崩れてしまいそうだ。ビックリするから急に豹変するのは止めて欲しい、子供だったら腰を抜かして泣き出すぞ。
さすがのクレマンもタジタジだ。
今の所クレマンに仕掛けられたこの戦いはフィリップが優勢といったところか、それにしても王太子のお相手に婚約の申し込みが殺到とは・・・これ如何に?