203話 新しい辺境
フィリップの言葉に耳を傾けながら提案書に目を通していたヴィクトルは視線を上げて言った。
いともあっさりと。
「いいですよ」
「えっ、いいのか?トマとトマスだぞ?
二人を王立騎士団にくれと言ってるんだぞ?」
自分から欲しいと言っておいて驚くのもおかしいが、思わず念を押してしまった。
「ええ、私もトマとトマスから王太子殿下からリリアン専属護衛隊へとお誘いがあったと聞いています。二人は結婚したい相手がリリアンの侍女をしているから王都に拠点のある王立騎士団に入団したい、そしてリリアンの専属護衛になってリリアンを守る夢を叶えたいと申しておりました。
私は彼らの希望を叶えてやりたいと思っておりますし、何より我ら辺境一族の一員であり氷の乙女であるリリアンを守護する事は私たち辺境一族の望みでありますから喜んで王立騎士団に差し出しましょう。
推薦状でも承諾書でも好きな方を書いてやると二人には言ってあります、早い方が良ければ今回書いて帰っても良いですよ」
「ふぅ、そうか!良かった!!」
フィリップはヴィクトルの言葉に安堵の息をついた。
騎士派遣は建国以来続いている歴史ある慣わしで、辺境は相当保守的な所だと聞いていたからもっと抵抗されるかと思ったし、気軽に声を掛けたが改めて考えたらトマとトマスは学園でも目立つ存在で辺境でだって有望株に違いないのだ。
こんなに簡単に話が進むとはちょっと拍子抜けだったが嬉しい誤算だ。
それにしてもあっという間に話が済んでリリアンの所へ戻ってゆっくりする時間が出来た、それも嬉しい。
「では早急に騎士団に入団要求をさせるから承諾書を書いてくれ。
それから協定書改正案の方はこれをこのまま盛り込むように私の方から言っておく」
フィリップは嬉々としてそう言って今にも席を立とうとしていたが、ヴィクトルから待ったがかかった。
「はい、トマ達については了承しました。
しかし協定の改正の方はお待ちください、騎士の派遣については私に別の考えがございます」
「別の?何か良い案があったか」
「はい、トマとトマス二人分の差を考慮に入れて派遣騎士を減らすという事ですが、私はあくまでも王立騎士団に入団した騎士はどこ出身であろうとも王立騎士団の団員としなければならないと思っています」
「しかし二人の抜ける穴は大きいだろう」
「それはそうですが、リリアンが王都にいる限り王立騎士団に入りたいと言い出す者が他にも出ます、というか既にいます。それに対していちいち派遣騎士を減らしていたら最終的にうちから派遣される騎士はほとんどいなくなりますよ」
・・・実際に一昨日ベルニエ伯爵家のタウンハウスに来たトマ達がリリアンの専属護衛にスカウトされたと話すのをうちの子達は羨望の眼差しで見ていた。特に同じ学年になるエドモンはまだ会ったこともない癖にリリアンは僕が守るから大丈夫だと既に専属騎士になったつもりでいるくらいだ。
当然だ。あの子達は皆、氷の乙女リリアンの騎士なのだ。
父上がそう育てた。
「それに協定の当初の目的、交流という主旨から外れてしまいます。
最近では協定と言えば辺境騎士が王立騎士の指導に来る時の『ルール』のように捉えられがちですが、元々は王族方と王都を守る王立騎士団と国境を守る辺境騎士がいざという時に力を合わせて戦えるようにと結ばれた協定なんです」
「確かに序文にそのようなことが書いてあるな」
「ええ、そうなんです。あの序文からは彼らの息吹が感じられますね。
王太子殿下もご存知でしょうがこの協定書は建国当時にアルトゥーラス、ジル、ラウル、ルミヒュタレが話し合って作ったものです。
初代達四人はこの協定書をお作りになり『連携こそ力なり』と剣の先を合わせ、国の発展と平和、そして永遠の友情を誓ったと言われています。彼らがこの協定を作ってまで守りたかったのはそこなのですよ」
「おお・・・」
これはまた痺れるような事を言う、協定書を作ったのが彼らということは知っているがそんなエピソードは知らなかった。そんな聞いたこともない歴史ネタを聞かされたら歴史好きの血が騒ぐじゃないか。
だが今はそこを掘り下げている場合ではない、そっちは後で聞こう。
「しかしだな、そんなに何人も王立騎士団に入れて、更に派遣騎士は減らさないなんて辺境は大丈夫なのか」
「ええ、まあ特にトマ達は今まで人の上に立つ人材として育ててきましたからすぐにでも隊長で使えるレベルですし、彼らの下はちょっと歳が離れてますからしばらく戦力低下があるのは否めませんがそれでも代わりの人材はいますよ。
実を申しますと私が生まれた四十年前と比べると辺境の人口は倍増しています。近年、短命と言われていた我々銀の民の寿命は伸びて長く働けますし、子も以前より多くなる傾向にありますから当面人手不足の心配はありません。実際に災害地や要所など各地への派遣要請に応えていますがまだ人員には充分余裕があるのです」
「では現行のままで良いのか」
「いいえ、実はこちらの資料を見せて頂いてる内に思いついたことがありまして。
現在は王立騎士団の士気向上、技術向上の為という名目で辺境から一方的に一定数の騎士を送っておりましたが、これを双方から同じ人数を出して人員の交換という形にしてはどうでしょう」
「ほう、それは対等で良いと思うが果たしてこちらから行った騎士がそちらで使い物になるかそこが問題だな」
「確かに力量に差があると言われていますね。
現に夏期・冬季訓練は受け入れの門戸を開いていても辺境の訓練に付いていけないという理由で一人も来ない年もあるくらいですから。
しかし誤解なのですよ、来てすぐ同じように動こうとしたって土台無理な話です、基本的な心肺機能に差があるのですからまずそこを鍛えれば良いのです。
実を申しますと近年の辺境騎士団には辺境出身者以外の海端出身者もいます。港湾警備隊にいる弟のリアムが自分の下で働かそうと見所のありそうな若者に声を掛けては送りこんでくるからなのですが、彼らは段階を追って負荷を上げていけばほとんどの者が高地に適応します。長くいればいるほど強くなりますし中には下手な辺境出身者より高いパフォーマンスを出す者もいるくらいです。
強くなりたいのであれば王立騎士団の騎士達ももっと辺境に来て留まり時間をかけて訓練を受けるべきですよ。
尤もこれまでそうしていなかったのは私どもの都合で外部の者を領地の中心部に入れたくなかったからなのですがね。
我々は今までプリュヴォ国の民でありながら銀の民の末裔であるということに固執してとても閉鎖的でした。しかし私が辺境伯となった暁には辺境を閉ざされた地から開かれた地に変えたいのです。
もしこの騎士の交換が実現すれば、それが最初の一歩となるでしょう」
なんだか最後はマニフェストのようになっていたが、ヴィクトルは父マルセルの、いや先祖代々のやり方とは全く違う方向に舵を切るつもりのようだ。
フィリップはヴィクトルが何を言い出すのかと身構えていたが、そのような交流が増えるのは望ましいことだと思われた。
「うん、それはいい。私はその提案に賛成だ、開かれた辺境というのもとても良いと思うぞ」
「ありがとうございます。
ではその方向で話を詰めてまいりましょう、母上もクレマンもそれで良いですか」
「ええ、私はそれで良いです」とクレマン。
だがグレースは考え込んでいる。
「母上はいかがお思いですか?」
「そうねぇ、他所の人が領内をウロウロするのは最初はちょっと落ち着かないかもしれないけど・・・でもきっとすぐに慣れるわ。
いいわよ、あなたの思うようにしましょう。
マルセルと私の代はもう終わってあなた達の代の話ですもの、それぞれの代でそれぞれの個性を出した領地経営をすれば良い。マルセルだってそう言って先代までとは違う独自の改革を進めていたもの・・・そういうものなんだわ」
「母上が嫌なら現状のままでも良いのですよ?」とヴィクトルはこんな時でもグレースファーストだ。
「ううん大丈夫!老いては子に従えだもの!
だったらまず下界から屋敷まで通じる広くて通りやすい道をつけてね、行き来が便利になるわよ」
「いいですね、そうしましょう」とグレースの提案にヴィクトルは笑顔で答えた。
その後ワイワイと話し合いながら今のヴィクトルの案を文章にまとめた。
それにしても、
ヴィクトルは本当に開かれた辺境を目指しているのだ。
領主の考えで領地は変わる。
銀の民の存在が広く知られるようになって此の方、実に長きに渡り閉ざされていた辺境の門戸が開かれようとしている。
フィリップは "まさに今、新しい歴史の1ページに立ち会っている" のだと思い、喜びを感じていた。