197話 お兄様大好き
しばらく咳き込んでいたリリアンがようやく落ち着くと、思い出したようにニコラが言った。
「そう言えばさっきヴィクトル伯父さんにサシャとエドモンが昨日学園の寮に入ったって聞いたんだけど、リリアンはまだエドモンに会ったことがなかったよな?従兄弟では唯一お前と同じ初等部の一年だぞ」
「まあ、私と同級生になる従兄弟がいるのですね!どんな方なのですか」
「そうだな、エドモンは可愛いヤツだ。ああ、それに他にも学園で一緒になる従兄弟はいるぞ。
初等部はリアム叔父さんとこの二人、ジャンは三年でアレンが二年だろ。
高等部はトマトマが三年で俺が二年でサシャが一年だ」
可愛い?見た目が?性格が?とリリアンが考えている間に他の従兄弟の話になったので詳しいことを聞きそびれた。それに学園に通う従兄弟と言いながらその中に兄のニコラが入っているのも何だか変に感じたが、そこはご愛嬌だ、リリアンはそこら辺をまるっとスルーして笑顔で答えた。
「わあ、いっぱいいますね!」
「お前が年齢通りに入学していたらマルクと同級生になるはずだったけど早期入学になったからもうマルクと被ることは無くなったな」
「そうですね!
マルクが一緒じゃなくて良かった!学園で追い回されたり抱きつかれたりしたら困りますもの」
「流石にそれはないだろ・・・いや、以前のアイツならやりかねないか。でも今はスエル島で鍛えられてるというし、そろそろ落ち着きが出てきた頃じゃないか?」
「えっ、ちょっと待ってくださいよお兄様、マルクはスエル島にいるのですか?
スエル島ってパメラのあの流刑地ですよね?
もしかしてベルニエで国王陛下の御前でフィル様に失礼な事を言ったあの時に島流しの刑にあっていたのですか?
親戚に罪人がいるって大変なことですよ、私たち王宮にいていいのでしょうか?」
スエル島と言えばパメラに与えられた特権『流刑』で送られる先の島の名前ではないか。
絶海の孤島と言われているが地図にその場所は載っておらずどこにあるのか分からない。とにかく住むだけでも過酷な場所という事だ。
「いやいや、罪人として行ってるんじゃなくて見張りとか警備とかそっち側だ。
逃げることも甘えることも許されない離れ島、厳しい規律の集団生活の中で鍛えて貰って協調性を養えってことで港湾警護隊の研修という名目で行かせてるんだってさ。予定では学園に入学する直前までいることになってるらしい」
まあそれで任期が終わりようやく帰って来てもリリアンに抱きついたりなんかしたらすぐパメラにスエル島行きの沙汰を言い渡されて即刻逆戻りだ。それよりも殿下からもっと怖い目に合う可能性もあって流石のマルクも大人しくするしかないと思うが・・・。
「ということはマルクはあと4年もスエル島にいなければならないのですか、そう聞くとなんだか可哀想ですね」
「まああいつはどこへ行っても楽しめるタイプだ。報告によると最近は海に潜ってモリで魚を突いて捕るのにハマってるらしい。火を起こすのも魚を捌くのもプロ並みだってよ」
「マルクらし過ぎる。・・・というか、全然厳しそうじゃないし、よりワイルドになってるじゃないですか!もうリリアン拳で太刀打ち出来そうにありません、今度会う時が怖いです」
「スエル島送りの主目的はマルクの協調性を養うことだ、その為に行ってるんだから帰って来る時には大人しくなってると思うぞ」
眉を顰めるリリアンと遠い目をするニコラ。ニコラも自分で言いながら大人しいマルクの姿はどうしても想像がつかなかった。
「そうあって欲しいです・・・。
それにしてもさっきは主人の心得だけでなく侍女の心得までご存知でしたしお兄様は本当に何でもご存知ですね」
「まあな、俺はいずれベルニエの領主になるからそれに備えてこう見えて結構真面目に勉強してるんだ」
「そうなのですね」
「おう。ベルニエ領はな、あんな田舎のようでも各方面から凄いと高く評価されているんだ。父上のように騎士団を母上のように領地経営を。まあ騎士団の方は俺でもなんとかやれると思うが領地経営は一筋縄ではいかないよ、母上は常に斬新な手法を思いつき他所の領地にまで良い影響を与える程だからあの後を継ぐのは本当に大変だ。だけど俺の代になってダメになったと言われたくはないし更に繁栄させるのが目標なんだ。
今までは片方だけでも大変なのに両方一人でやんなきゃいけないと思っていたから真面目に勉強していたんだけど、学園一の才女ソフィーが俺の妻になるんだから今はもう大船に乗ったつもりでいるけどな!!」
ニコラが母上と言った途端、楽しそうにしていたリリアンの表情が固く強張った。さっきマルクの話をして眉を顰めていたのとは比べ物にならないくらいの反応だ。
それに気付いたニコラは最後にふざけてリリアンを笑わそうとしたのだが上手くいかず盛大にスベってしまった・・・痛い。
「お母様みたいに仕事だけしていたらそれは領地も栄えるかもしれませんが家族のことを忘れるほど没頭するなんてどうなのでしょうね?」
笑顔の抜け落ちた顔でリリアンは冷たく言い放った。
相変わらずお母様は王都に来ていてもちっとも顔を見せに来ず私のことは忘れているかのように放っておかれっぱなしだ。お兄様にとっては憧れや目標なのかもしれないが私はそんなに立派と思わない。家族より仕事、どうせまた仕事に熱中して私の事なんて忘れてるんだわ!
そう思うから、笑えない。
「そんなことはない、母上はいつもお前のことを気に掛けてるぞ。
今も王宮に挨拶に来られないくらい忙しくしているのはお前を喜ばそうと思ってのことだし」
「・・・」
そんなはずないという気持ちが強くてふーんという気にもなれないリリアンは無言でそっぽを向いた。
いつも良い子過ぎるくらい優等生のリリアンがこんな風に感情を顕にするのは珍しい。
心のままを態度に表せるのは相手が実の兄だからなのだろう、悪感情を見せてくれたという事は誤解を解くチャンスをくれた、という事だ。心の奥に秘めたままにしていたら重たく拗れていつか壊れてしまう、だから時にはこうして良い子の殻を破って本音で話すことも大切だ。ニコラは腹を割って話をすることにした。
ニコラは立ち上がり、リリアンの隣に来て座った。
「確かに母上は熱中しやすい性格だ、だけどお前は少し誤解していると思うぞ。
母上がサプライズにしたいと言うから黙ってたんだけどバラすから、母上には先に知っていたと言うんじゃないぞ」
「何をですか」
「お前が女性に乗馬を流行らせたいと言った時、俺は帰って母上にそう手紙を書いた。そうしたら母上はリリアンのやりたいことの手助けをしたいと国中から若い乗馬用の馬を集めて調教し、初心者でも乗れる馬を40頭揃えた。それを今回王都に連れて来ているんだ。
まあ連れて来たと言っても母上達の部隊はゆっくり移動することが分かっていたから王都に着く頃に合わせて別部隊で10頭ずつ後から送らせたんだけどな。
母上は当初そのうちの20頭を学園に引き取ってもらうつもりでいたんだが冬季休み中ということもあって連絡がつかず、厩の確保が間に合わないままだった。
それで王都に先に着いた父上が学園に交渉したんだが急に言われても場所がないと断られ屋敷の厩も一杯で毎日預かって貰えるところを探して駆けずり回っていたらしい。
母上は母上でオリジナルデザインの女性用の馬具や衣装のブランドを立ち合げて王都で取り扱って貰える店を探して走り回っているんだよ」
「そんなのフィル様にお願いして宮殿の厩をお借りすれば20頭くらいなんとかなるでしょうし、ラ・プランセス・リリィに言えばベルニエ領のお店なのですから取り扱って貰えるでしょう・・・大体、そんな行き当たりばったりなことをするから大変な事になるのですよ」
「たぶんその時はお祖母様のこともあって警戒していたらしいからウチから王家に頼み事をして借りを作りたくなかったんじゃないか。
あとラ・プランセス・リリィには専属デザイナーがいるからそこを侵したくないって言ってた。それに販路は一本に絞るより複数あった方がいいらしい。
行き当たりばったりになったのも、王都の店と交渉する時間が無かったからだ。
そもそもお前が言い出したのは建国祭の直後だっただろ?俺の手紙は移動中に受け取ったと言ってたから母上達が帰途についたばかりの頃だ。とにかく実質1ヶ月ちょっとという短い期間に母上はお前が学園に入ってすぐ行動に移せるようにと出来る限りのことをしたんだよ」
ニコラは熱く語ったが逆にリリアンの心は固く閉ざされていくばかりのようだ。結局お母様はリリアンを口実にして新しい商売を思いつき、いっぱい儲けたいだけだと思っているのだ。ニコラにとって商売の話は面白い話なのだが、リリアンにとっては面白くない話になるようですっかりこちらの話に興味を失っている。マズい、このままでは母娘の心の距離は開いていく一方だ。
流石のニコラもリリアンの難攻不落ぶりに溜息をつきそうになったが、一発逆転必至のネタを思い出した。
「そうだったリリアン聞いてくれ、母上は馬に乗る猛特訓をして乗れるようになったらしいぞ!俺はまだ見てないが父上が言うには今では颯爽と乗りこなせるようになっているらしい。
リリアンがベルニエに帰って来たら一緒に外乗するのが夢だと言ってるぞ」
「えっ、あのお母様が?乗馬を?
移動は必ず馬車でお父様の前にも決して乗ろうとなさらなかったお母様が?」
馬の話になると急にリリアンの反応が良くなった、大成功だ。
まあ、夢かどうかは知らないし、馬車で移動しておいて女性の乗馬がどうのと話しても説得力がないから一念発起して乗馬を始めることにしたらしいがそれは言わないでおいた方が良いだろう。
でも頑張って練習したのもリリアンと走りたいと言ったのも事実だから全くの作り話という訳ではない。
「そうだよ、
この短期間でこれだけのことをするのはどれほど大変なことか考えてもみろ驚異的なことだぞ。それもこれもお前を助けたい、驚かせて喜ばせたいという気持ちがあってこそだ。
お前用のウェアは人に任せたら思うような物が出来ないと母上が夜なべをして縫ってたって父上が言ってたぞ」
「うっ、うう、」
リリアンはニコラにしがみ付き、泣き出した。
確かにリリアン拳用のトレーニングウェアも成長に合わせてジョゼフィーヌが手作りしたものだ。どこにもない斬新な発想の身体にピッタリの動きやすいあのオリジナルデザインの衣装はどこにも売り出してない私だけの物、母の愛の証だ。
「お母様が私の事を想い、そんなにまでしてくれていたなんて、思いもしませんでした。
お兄様が教えて下さらなければ私はお母様にどんなに酷い態度をとっていたか分かりません。私はなんてダメな娘なのでしょう」
「いいや、お前は親元を離れて寂しかっただけだ、全然ダメじゃ無いぞ」
リリアンが顔を上げると、兄が優しく顔を覗き込んでいた。
そうなのかな?私、寂しかったのかな?
確かに会いに来てくれないことに腹を立てていて、もう知らないと臍を曲げていた。
私、お母様に会って甘えたかっただけなのか。
「母上もな、寂しいって言ってたんだぞ。
秋に来た時、お前がすっかり立派な淑女になっていて王族のように気高かったから遠い手の届かない人のように感じたんだって。てっきり顔を合わせたらお母様〜つって抱きついてくると想像していたからどう接していいか分からなくなって戸惑ったらしい。
子供のうちは甘えて欲しかったけど王家に預けてしまった以上そういう訳にもいかなくてあの時はよい案だと思ったけどちょっと後悔する気持ちもあるとも言ってたよ」
「お母様が寂しいって、そう仰っていたのですか?
そう言えば前に会いに来て下さった時のお母様は変でした。変な敬語を使ってエマに笑われて・・・」
そうだったのか、お母様も寂しかったのか。
私があんな態度を取ったせいで寂しいと思わせてしまったんだ。
あの時は宮殿で色々教わった成果を見せねばと思ってそうしたけど、今になって思えば私の態度が他人行儀すぎて距離を作ってしまったのかもしれない。
「あとお前は羨ましがるが俺への手紙だって内容は相当事務的で必要事項を箇条書きだぞ。
たぶんあれだ、母上は両親を早くに亡くしてるから家族に愛情を示すのが下手なんだ。だからお前の方から書いて送ればいい、そうしたら母上も返事を書きやすいだろう」
「私から手紙を書くなんて考えたこともなかったです。でもどんなことを書いたらいいのかしら」
「そんなのなんでもいいんだよ、母上はお前の親なんだから元気ですの一言だけでも喜ぶに決まってるし日常の些細なことでいいんだ。例えばオヤツで食べたクイニーアマンが美味しかったとかでもね。
あと、母上に書くなら父上にも書いてやれよ。多分泣いて喜ぶから」
ニコラの言葉に二人が手紙を開いて喜ぶ姿が目に浮かんだ。
確かにそうだ、きっとすごく喜ぶに違いない。
「ふふっ、そうですね!そうします」
「うん。そうしろ」
ニコラの大きな手がリリアンの頭をワシャワシャと撫でた。
「きゃあ」と言いながらもリリアンは楽しそうだ。
母に関するモヤモヤした気持ちが晴れてすっきりした。嬉しくて足をピョンコピョンコして兄の顔を見上げると王宮に来る前の時間に戻ったようだ。
「それよりお前はもっと親や俺に我儘を言ったり甘えたりしていいんだぞ。いつも一人で頑張りすぎなんだ、俺だってこうして近くにいるんだからいつでも遠慮せず頼ればいいんだからな」
「はい」
お兄様は、体が大きくて、お強くて、色のせいかクールに見える。だから知らない人にはあんまり人の事に構わないように思われるかもしれない、でも本当はその逆だ。
こんな風にいつだって周りのことをよく見ていて辛い時や困った時にさりげなく気付いて救いの手を差し伸べてくださるような温かい頼れるお方なのだ。
だからみんなお兄様が大好きで、
私もお兄様が大大大好きだ。
「お兄様、どうもありがとう」
改めてお礼を言うとお兄様は「どういたしまして」と言いながらお約束のようにクイニーアマンに手を伸ばした。
これってたぶん、お兄様流の照れ隠しだと思う。