196話 お兄様とのティータイム
時計工房から戻ったリリアンにクラリスがお茶をいれてくれている。
クラリスの所作は洗練されていて指の先まで神経が行き届いて美しい。リリアンはしばらく感心しながら眺めていたが、ふとあることに気が付いた。
(あら?そういえばさっきフィル様はコレットを連れて行ってたわ)
フィル様は王太子のサロンにすぐ行こうとお父様達三人に言って給仕としてコレットを連れて行ったのだけどコレットは今日はお休みの日だから用事を言いつけてはいけなかったのに。でもコレットが普段通りのお仕着せを着てお祖母様の傍に立っていたのだからフィル様が仕事中と勘違いしたのも仕方がない。
だけどそもそもコレットはなんでそんな紛らわしい格好をして応接室に来ていたの?
「ねえクラリス、コレットは今日お休みよね?」
リリアンが首をコテンと傾げて訊くとクラリスが手を止めて答えた。
「はい、確かにコレットはお休みだったのですが、私一人だと手が足らないだろうからとお休みを返上して出て来てくれたのです」
「まあそうだったの、じゃあコレットは休みなのに気を利かせて仕事に出て来たという事ね?でもあなた達は働き過ぎだって宮内相から言われたばかりだし、せっかくお休みを皆んなで決めたのだからきちんと取るようにして頂戴ね。
コレットにもどこかで休んで埋め合わせをするように言っておくわ」
リリアンは少し前に宮内相のマルタンから『リリアン様付きの侍女は常に勤務時間超過になっています。規定に則って侍女達に休みを与えて下さい。また1日の勤務時間も超過しないよう調整して下さい』という要望書を送られていて、侍女同士で話し合ってもらい勤務表なるものを作らせた。それを無視して仕事をしていたら勤務表の意味がなくなってしまう。
クラリスはリリアンの言葉に大人しく「はい」とだけ返事をしてリリアンの前にラングドシャが2枚乗ったお皿とミルクティーを置き、ニコラには新しく淹れた紅茶を置いて下がり、いつでもご用がきけるように待機した。
一見、二人の会話は何も問題ないように見える。
しかしニコラは今朝クラリスが忙しすぎてミスを多発し、余計に焦ってプチパニックになっていたのを知っている。
「リリアン、確かに侍女に休みを取らせることも大切だが手が足らなくならないように采配することも大切だ。それは主人であるお前の仕事だぞ。
侍女にただ世話をして貰うだけでは主人とは言えないんだ、主人たるもの全体を常に把握し、自分に仕える者達が働きやすいように環境を整えてやらなければならない。その為には普段から彼らをよく見、よく聞かなくては。
こういうことは学園でいずれ習うがお前は既にそういう立場にあるのだから今から気を配れるようになっておくといいと俺は思うぞ」
「お兄様、私も『主人の心得』は学んでいます。
確かにクラリスやコレットは私の侍女ですが、主人はフィル様ではないですか?」
「そうだよ、こっちの王子宮では殿下が主人だ。でもお前はこの部屋の主人だし、クラリス達はお前専属の侍女なんだから侍女の主人もお前ということになるんだ。
俺だってここに俺専用の客室を貰っててそこでは俺が主人だが、それでも俺より殿下の方が上だろ、それと同じだよ。大きな単位と小さな単位でそれぞれ主人というものが存在するんだ」
「なるほど・・・!」
パメラについては専属騎士として私に忠誠を誓い、私のことを「我が主人」と言ってくれるから私はパメラの主人だという自覚があったけど、その他の人達についてはそこまでとは思っていなかった。
だって私がここにいるのは私に危害を加えようとしている者から守るとフィル様が仰って保護して下さっているからだもの。ずっと居られたら良いけど、あくまでも一時的な滞在。だから主人の心得を学んだ時もいつか役に立つことがある知識で今の私は『フィル様のお客様』という立場なのだろうと思ってた。
でもお兄様がお兄様の部屋の主人なら、私もこの部屋の主人ということでいいんだわ。
そういえばさっきフィル様はお兄様に『リリアンが応接室に戻るまで主人代行を頼む』と言っていたし、マルタンだって書簡の宛先に私の名を書いてきた。それらを考えると私はとうにここの『主人』という扱いを受けていたんだわ。
「そうなのですね、私はクラリス達の主人なのですね。
ではクラリス、教えて下さい。今日は手が足りなかったのですか?」
「えっと、」
クラリスは今朝手が足りずにとても困っていたのだけど、ここでそう言うと主人であるリリアンの采配が悪いと暗に言うようで言いにくく口ごもった。
「そりゃそうさ、彼女達のする仕事を考えてみろ。
今だってクラリスは俺たちの世話をしているが、コレットは殿下のサロンで給仕をしている。それだけ考えても物理的に二人いないと仕事が回らないと分かるだろ?」
「そうですね」
「それからクラリス、ここは言っていいんだ。訊かれたことに対して事実を述べることは主人に対して礼を欠くこととは違う。
逆に主人が若年である時はその教育も侍女の務め、主人がよりよい大人に成長する為に必要なことは教えなければならないんだよ」
「はい」
他の者達からするとリリアン付きの侍女の仕事は以前はエマが一人でやっていたのだから一人いれば出来るだろうと思われるかもしれないが、その頃のエマは休みなく働いていたし今はその頃より何倍もすることが増えている。
例えばコレットはクラリスに王太子のサロンでお茶を出した後、戻りがけにリネン類を取りに行ってそれぞれの部屋のベッドメイキングをして来ると言っていたがこれも以前はなかった仕事で、安全の為にフィリップとリリアンの私室や客室などに出入りする人間をより限定することになり清掃も侍女たちの仕事になったのだ。
その上今は期間限定でグレース付き侍女も兼任しているから倍忙しい。
侍女達は特に忙しくなりそうな日、例えば新入学の日とその前日などは三人揃うように勤務予定を組んでいたし一人しかいないような予定は組んでなかった。今日手が足りなくなったのはアニエスとトマをデートに行かせる為にリリアンが急遽アニエスをお休みにしたのが原因だ。しかも元々はコレットの公休日だからとコレットもそのまま休ませることにしたせいでクラリスが一人で働くことになったのだ。
クラリスは今朝の様子をリリアンに話した。
リリアンの支度をした後パメラにリリアンを託しグレースの部屋に行って支度をし、その後は隣の部屋にグレースとニコラの食事を用意をして給仕する。
グレースの食べる物はフィリップから毒味をさせてから持って行くように指示されているから余計に手間と時間がかかる。
普段から食事やオヤツを取りに行ったり、お毒味を頼んでその様子を監視したりするのは社交的な性格のコレットが率先してやってくれているしグレースのお世話もコレットがずっとやっているものだからクラリスはそれらの仕事に慣れてないこともあり間違って違うフロアに入って迷子になり思わぬ時間のロスをしたせいで戻ってからも焦ってミスを連発した。
それからいつもならリリアンが王族方と食事をしている間の時間がクラリスの食事タイムになるのだが、今日はその時間帯にグレースとニコラの食事のサーブをしていたので自分の食事をする時間が取れなかった。
仕事が上手く出来なかったという自責の念と食事抜きのせいで心身ともにヘロヘロになりながらリリアンの私室に戻り、片付けや次の準備に取り掛かっていた。そんなクラリスの前に「やっぱり出ることにしたわ、まだごはん食べてないんじゃない?行って来たら」とコレットが現れた時には本当に有難くて涙が出そうになった。いやちょっと涙が出たかも。
コレットは普段から「私にはクラリスやアニエスのような特別な才能はないから」と二人が仕事に専念できるようにサポートしながら嫌な顔一つせず他の雑用まで一手に引き受けてくれているからコレットが抜けるとその穴を埋めるのは大変だ。
そのくせ親しみやすい性格で偉ぶらず周りに気を使わさないのだから、ああ見えて心遣いの達人なのだ。そんなだからグレースもコレットが大のお気に入りで朝に夕に支度をしてもらいながらお喋りに花を咲かせ今ではすっかり仲良しになっているくらいだ。
クラリスからザッと朝の仕事がどのように進められたのかを聞いたリリアンはあまりもの仕事量に驚いていた。
侍女たちはいつもリリアンの前ではお淑やかにさえ見えていたけどリリアンのいない所ではバタバタとあちらこちらに行き力仕事さえこなしていたのだから。
「・・・ということは三人いてちょうど良く、二人でもなんとかなるけど一人は無理、ということですね。今回はアニエスを休みにするならコレットのお休みを別に日に振り替えてもらわなければいけなかったということですか。分かりました、これからは一人にさせないように気をつけます」
「ありがとうございます、リリアン様」
「それでいい、じゃあこの問題は解決ということでオヤツ食おうぜ!リリアンこのクイニーアマンめっちゃ美味いぞ食べてみろ」
ニコラはそれまでの小難しい空気を変えるように身を乗り出すと、クイニーアマンに手を伸ばした。
「うふふ、そうでしょう?先日食べて美味しかったからお兄様がきっと気に入ると思って頼んでいたのですよ」
至宝殿からまっすぐ応接室に戻って来たニコラ達は先にお茶を飲んでくつろいでいたから既にトレーに並んだお菓子たちは3分の2ほど食べられていた。
その中でも特に塩バターの芳醇な香りと表面が甘くてカリカリとしたクイニーアマンは味も香りも食感も絶品で一番残りが少なくなっている。これはリリアンがお兄様が好きそうだからまた作ってと王宮のパティシエにリクエストをしていた物なのだが、やっぱり兄の好みだったようだ。兄は大体ボリュームのある甘い物が好きなのだ。
「じゃあ今度はソフィーが来る時にこれを出してくれ、ソフィーにも食べさせたい」
「ええ、もちろんソフィーにも食べてもらいましょう。
ではクラリス、パティシエにそう伝えておいて。それから兄がとても美味しいと言っていたとの賛辞も忘れずに伝えてね」
「はい、畏まりました」
オススメのクイニーアマンが好評でニコニコと嬉しそうなリリアンだが、当の本人は猫の舌の形をしたラングドシャを摘んで全然クイニーアマンに手を伸ばそうとしない。
「なんだリリアンはこっちを食べないのか、そんな小さくて薄平べったいのすぐ溶けてなくなるだろ」
「それはお兄様用です。午後のおやつにクイニーアマンを食べたらお腹がいっぱいになってお夕食が食べられなくなりますから私はこれで良いのです」
リリアンが澄ました顔でそう言うとニコラがボソッとこぼした。
「そりゃあ難儀だな」
「っ?」
ちょっと待って、お兄様はご自分が大食い大王であるということに気づいていらっしゃらないの!?
これほど燃費の悪い体を維持しなければならないニコラの方がよっぽど難儀ではないかとツッコミを入れたかったリリアンだが、ちょうどミルクティーに口をつけたところだったから咽せてしまってそれどころではなかった。
前回の時計工房の話の続きはまた後日。
それより次回はしばらく音信不通だったアノ人の近況が明らかになりますよ!?
_φ( ̄▽ ̄ ;)
いいねや
★★★★★をポチっと
続きが気になる!と思った方は
ブックマークも




