表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

195/260

195話 時計工房

 宮殿の時計工房には時計師と呼ばれる者がたった3人しかいない。

 しかもそれぞれが独り立ちした時計師というわけではなく、1人が親方であとの2人はその弟子だ。


 彼らの主な仕事は新しい時計の制作と既存の時計のメンテナンスになるのだが、このメンテナンスという仕事が案外手間と時間のかかる厄介な仕事だ。


 例えば遅れすぎる時計や止まってしまった時計があれば原因を探して特定し、摩耗した部品があればその部品を新たに作り直すし、不具合のある部分があれば調整しなければならない。

 どちらにしても全部バラして必要な部品を一から作って組み直す。それも毎回大きさも形も違う様々な時計の部品をだ、きっとそれを聞いただけで時計師達がどれほど大変な仕事をしているのか分かってもらえることだろう。

 また、新しい時計を作れば作るほどメンテナンスの仕事も増えるので最近は国王陛下から新しい時計制作の依頼が下されない限りは滅多に新作を作ることもない。ただ修理と調整に追われる毎日だ。


 そのせいか求人を出して手先が器用で性格も根気強くコツコツとした作業に向いていて、数学に長け、芸術的なセンスも持っている、そんな時計師にピッタリの人材が来ても大抵は時計師よりも華やかで腕次第で早くから認められやすい宝飾職人の仕事の方が魅力を感じるようであちらが良いと逃げられてしまう。それでこちらは常に人材不足。

 ついこの間もせっかく入った時計師見習いが「あっちの方が楽しそう」と早々に時計師に見切りをつけ宝飾職人に転職したばかりだ。


 時計を愛する者からすればぜんまいを動力とし、歯車が回り、針を動かす、この精巧でメカニカルな動きはいつまでも飽きずに見ていられるほど美しくどんな宝石にも負けないと思うのだが宮殿で時計工房と貴金属工房が隣り合っているせいか若い者にはこっちの仕事は地味でキツく見えていけないらしい。



 なので時計工房には時計師の他に『時計のお世話係』と呼ばれる者達がいて、毎日定時に時計を綺麗に拭いてネジを巻き時刻を合わせ、整備が必要な時計があったら時計師に報告するといった仕事を引き受けてやっている。


 また彼らの仕事で一番優先されるのは『時の鐘』をつく事だ。王都中の人々がこの鐘の音を頼りに生活しているのだからとても大事で神経を使う仕事だ。それこそうっかり忘れたとか間違えたなんて絶対に言えないのだから。

 それらの仕事をこなす為には正確な時刻を知る必要があるが、その手立ては宮殿の庭園にある大きなオブジェのような日時計で、それが示す正午がこのプリュヴォ国の標準時と決まっているのだが、日時計のメンテナンス(その周囲の草抜きなども含む)も彼らお世話係の仕事だ。


 このように時計のお世話係は多岐に渡りとても重要な仕事を担っているのだが、技術者である時計師からは下に見られ時計師の使いっ走りのような扱いを受けている。





 フィリップ達が行くと広い時計工房でたった一人作業をしていた時計師のフロランタンという男が立ち上がり二人を迎えた。貴金属工房にはちょくちょく顔を見せるフィリップだが時計工房を訪れたのは何気に初めてだ。


「これは王太子殿下そしてリリアン様、ようこそお越し下さいました」


「他の者はどうした、親方はいないのか」


「はい、親方ともう一人の時計師は大時計の修理に出ていて不在です。ご用の向きは何でございましょう、私時計師のフロランタンがお伺いしてもよろしいですか」


「ああ、辺境伯の懐中時計をここで修理出来るか見てもらいたいと思って持って来たんだ。実はリリアンが祖父の形見として譲り受けた物で壊れていて動かないのだ。

 しかし辺境伯の息子であるベルニエ伯爵が言うには一般的な時計より頑丈に作られていて傷を付けずに時計ケースを開けるのは困難らしい。

 もし上手く開ける方法があって直せるのであれば直したいと思っているが、出来そうにないならこのままで良い。私たちはこれをどうしても傷つけたくないのだ」


「辺境の、かいちゅう時計、ですか?」


「はい。これなのですがどうですか?」とリリアンが懐中時計を差し出した。



「はい、では拝見させて頂きます。

 へ・・え・・、これがかいちゅう時計というものなのですか。

 これはまた驚くほど小さいですね、握ったら手の内に入って見えないほどだ、その割に質実剛健といった感じです。

 おお、これはまた見事な絵が施されている、勝利の女神ですか、さすがは国境を守る辺境伯の時計ですね。

 しかしこれはどうなっているんだろう?私たちが作る時計は裏蓋はビス留めをしているのですがこれはすっぽり嵌まり込んでいるように見えますが、いったいどうやって外すんでしょう?

 ううん、王太子殿下・・・今私が見た限りではここにある道具では開けるのは難しいかもしれません。しかし親方なら分かるかもしれません。いかが致しましょう、親方に見せる為にお預かりしておいても宜しいですか」


 この様子ではこの時計師はどうやら懐中時計というものを知らなかったようだ。

 ならば聞くまでもない、ヴィクトルに頼めば良いだけだ。フィリップは宮殿で作った懐中時計を見せてくれと言うのは止めておいた。



「リリィ、どうする?もうそれは飾っておくことにする?」


「いいえ、預かって下さい、親方様にも見て頂いてそれでも無理ということでしたら諦めます。でもこれが傷つくと父や祖母も悲しみますのでくれぐれも傷つけないようにと伝言をお願いしますね」


「はい、くれぐれもそう伝えます」





 フィリップとリリアンが帰ったあとで、一人の男がふらりと工房の中へ入って来た。普段なら時計のお世話係は皆んなまだ出払っている時間だ。



「おう!ヤニックもう終わったのか、随分と早かったがちゃんとやったのか」


「ええ、終わりました。騎士団が手伝ってくれたので・・・」


 大きな声で声を掛けてやったら消え入りそうな小さな声で答えが返って来た。ヤニックはここに来てもう何年にもなるのに未だに仲間達と親しく交わろうとしない内向的な男だ。今だって話をするのに顔を上げてこちらを見ることもしない。

 そんなヤニックをフロランタンは最初こそ揶揄ったりしていたのが、反応が薄く甲斐がないのでもう止めた。その代わりにこうして構ってやっているのだ。


「なんだそれなら完璧だ、そりゃ良かったな」


「はい」


 ヤニックと呼ばれたのは時計の世話係の一人で、今日は休みを返上して出てきていた。


 何のためにと言えば、日時計の先に鳥が止まって糞をするのでちょっと前に鳥避けに鉄の槍のような物で四方を囲んでみたのだが逆にそれを土台にして巣を作り始めた。それでやっぱり元の方がマシだということになり鳥避けを撤去することになったので、その撤去作業をする為だ。

 時計の世話係は年寄りが多いので力がいる仕事や危ない所の仕事は自然と比較的若いヤニックが引き受けることになる。


 もちろん今回も文句も言わず黙って引き受け、これは手間のかかる大変な作業になると思ったので日常業務に支障が出ないようにわざわざ休日にやることにしたのだが、ハシゴを騎士団に借りに行ったら騎士達が危ないからと代わりにやってくれて一瞬で終わってしまった。




「もう帰るんだろう?お疲れさん」



「はい。


 あれ?それは・・・」



 今、時計はトレーに敷かれた軟かいベルベットの上に恭しく置かれていた。



「なんだお前これが分かるのか」



「ええ、まあ・・・アンリ式懐中時計ですね・・・」



「なんだって?」



「いいえ、なんでも。

 ・・・それは私の郷里の時計です。懐かしいな、見せて貰っても?」



「ああ、まあ見るだけならいいだろう」




 ヤニックは側に来て懐中時計を手に取ると表、裏と見て裏蓋を開け、囁くような驚きの声を上げた。



「・・・何故これがここに?」



 自分の作業をしていたフロランタンはヤニックの呟きに顔を上げ、手に持っているのに気がつくと叱りつけた。


「あっおいヤニック!見てもいいとは言ったが触っていいとは言ってないぞ。

 それはリリアン様の大事な時計でくれぐれも傷を付けないようにと王太子殿下からも直々に仰せつかって預からせて頂いた他の物とは比べものにならないくらい尊い物だ、ほらすぐにそこへ置け」



「リリアン様の?

 これはマルセル様の懐中時計では?」ゆっくりと懐中時計を元の位置に戻しヤニックは首を傾げた。



「ああ、形見だそうだ」



「形見っ!?

マルセル様がお亡くなりになられたということですか?

あれほど屈強なお方が?

そんな・・・」



 ヤニックは口に手を当てしばらく絶句していた。


 そして最初はボソボソと独り言のように喋っていたのに、最後はハッキリと断言するように言った。


「ああそうか、マルセル様はもうとうに60は超えていらしたか。

 もう2度と時計師として生きることは叶わないのだぞとあの日何度も念押しされた、だけどここでこうしてマルセル様の時計に巡り会ったのは縁があったからとしか思えない。

 ・・・どうかこれは私に直させて下さい。私はこれを直せます、逆に言うと私以外にこの時計を直せる者はここにおりません」



 フロランタンはいつも口数が少なく人付き合いもあまりしないヤニックのことを気遣ってよく構っていたくらいだったから、急にヤニックが長文を喋って自己主張してきたのでちょっと面食らった。



「いやいやお前は時計師でもない癖に何を言っているんだ。

 それに親方に見せると王太子殿下と約束したのだからお前にやらせる訳にはいかないよ」



「いいえ、これは蓋の開け方だけでなく、材料も加工方法も組み上げ方も何もかもがここの物とは比べものにならないくらい特殊で精密なのです。いくら親方でもこれは扱えないと断言できます。

 今まで黙っていましたが実は私はここに来る前は辺境の時計の里でこの懐中時計を作っていたのです、材料も工具も全て家に揃っています。どうかお願いします、親方に内緒で私に直させて下さい。私はこの時計に息を吹き込みマルセル様にご恩返しがしたいのです」



「お前が辺境の時計師だって?」



 突然そんなことを言われても・・・こいつは時計係の中でも下っ端の癖に何を言いだすのかと思ったら辺境の時計師だとか、そんなの嘘に決まってる。


 でも、だったらなんでこれを見て辺境の時計って分かったんだ?しかも元の持ち主の事まで・・・。



「仮にもしそうだとして、なんでここで時計係なんかをしてるんだ?

 いやいや、やっぱりダメだ。どんな理由があったにしてもだ、いくらお前がそうやって頭を下げても私は王太子殿下のお言葉に背くことはしない。そんなにやりたいなら自分で親方に直接頼めばいい、それが出来るのならな!」


 フロランタンは片頬を上げて皮肉っぽく言った。親方はそんな下っ端の時計係の言うことなど耳を貸すこともしないだろう怒鳴られて終わりだ。



「・・・分かりました。マルセル様の時計の為には背に腹は変えられません、そうさせて頂きます」



 親方の帰りをここで待つつもりらしくヤニックは帰り支度もせずに、そこにある椅子に座った。そして目を閉じて腕を組み、何を聞かれても答える気はないと言った風情でいる。


 いつも口数少なくボソボソと喋る下っ端のヤニックがやけに堂々として見えて(くそ、生意気な奴め)と思ったがフロランタンの口から出た言葉は「ああ、そうしろ」だった。


 癪に触るがジッとヤニックを見てる訳にもいかないのでフロランタンは自分の作業に集中することにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ