192話 二枚の絵は語る
「あれ、こんな絵あったっけ」
ここのところ何度も至宝殿に足を運んでいたフィリップは何がどこにあるのか隅から隅まで知り尽くしているつもりでいたのだが、一枚見覚えのない絵があることに気が付いた。
そういえばさっき父とダルトアが貴重な医学書が見つかったのを紹介したいと翻訳作業の真っ只中であるにも関わらず急遽展示しに来たのだとエミールが言っていた。確かにアンリの展示台に医学書とティーセット、それに長い解説文が新しく増えていたからその時にこの絵も出したのかもしれない。
それにしてもこれはアンリの医学書とは全く関係がないものだし、絵の入れ替えは結構大変で思いつきですぐ出来るようなものでもなさそうだが。
(よく分からないがまあいい、後で父上に聞こう)
今、フィリップ達がいるのはアルトゥーラス一世の肖像画が並ぶコーナーだ。彼は国を興した重要な人物だから他の人より展示されている絵の数も多い。
『群衆に囲まれたアルトゥーラス』は岩山城を攻め落とした後、皆に城に入るよう促されているところだ。歓喜の表情の群衆はアルトゥーラスに城主になってくれとお願いしているのだ。
それからプルミエ城前で『建国宣言をするアルトゥーラス』にデルニエの戦い終盤の『戦うアルトゥーラス』それに遂に敵を破り明るい未来に向けて晴々とした顔でジルとラウル、ルミヒュタレと丘の上に並び立つ『国王陛下と英雄たち』など歴史的逸話のシーンを描いたものもあるし、もちろん家族との絵もある。
それらの中でフィリップに『こんな絵』と言われたのは、隣同士すぐ横に並べて掛けられた2枚の家族の絵の左側の方のことで、その2枚の絵は同じ時の違う瞬間を捉えたものだった。
構図としては長椅子の真ん中にアルトゥーラスそして左にティエサが座り、ピピはその横で背凭れに手を置いて立っている。右にはオリアーヌがララを抱いて座り、その横にはまだ幼いシルヴェストルが母のスカートを握って立っているというものだ。
右の絵はごく普通の絵で、元々ここに掛けられていたものだ。皆、背を伸ばし笑うでもなく普通の表情でこちらを向いている。
しかし左側の絵は初めて見るものだ。
そちらは人の配置も衣装も全て同じだが、アルトゥーラスが座ったまま後ろからティエサに抱きつき、楽しそうに笑っていた。ティエサの両の手に自分の両の手を重ねるようにして上から握り、抱え込むようにして。
たぶんモデルをしている最中のふざけた瞬間を画家が面白いと思って切り取ったのではないだろうか、そんな風に見えた。
「えーっと、これらはアルトゥーラス一世とその家族を描いたもので、左側にいるのがティエサとピピで右側にいるのがオリアーヌとシルヴェストル、ララだ。
ピピには2歳違いの弟シャルルがいたが彼はデルニエの戦いの最中に生まれて亡くなっている、だからシャルルの絵は残っていない。それからアナベルの父、アナトルはまだ生まれてないからここには描かれてない。
・・・この右側の絵は元々ここにあったんだが、左のは私も今初めて見た。
アルトゥーラスがこんな表情をした絵があったとは知らなかった」
「フィル様、面白いですねこのように似てるけど違う絵があるなんて。何か物語性を感じます」
「物語性か」
なるほど、ここに並べて掛けられているのはそういう意図があるのかもしれないな、この二枚の絵から何かを感じ取れということか。
右側の絵の前に立ったグレースが自分の感想を言い出した。
「この絵が伝えたかったのは王様はイタズラ好きでちょっと子供っぽい人だったってことではないかしら?
だって王様のイメージってもっとどっしりと落ち着いた人って感じでしょ、大勢の中から皆に請われて王様になったって聞いたし。でもこの絵はそういう感じじゃないもの。
それにしてもイイ男だわ、ちょっとワルそうな感じでしてそこがまた女心をくすぐるっていうか、世話をやきたくなるっていうか、これは相当女性にモテたはず。私もこんな人が目の前にいたらクラクラしちゃうわ」
「もう、母上は急に何を言い出しているのですか止めて下さい!お気持ちは分かりますがそんなことを言ったら父上がヤキモチを焼いて出てきますよ」
クレマンが眉をひそめてそんなお固いことを言ったのでヴィクトルが笑った。
「いいじゃないか父上に2、3聞きたいことがあったから出てきてくれたら助かるよ」
「でもお祖母様の気持ちも分かる、このアルトゥーラス一世カッコイイもんな!俺もこんな『ちょいワル』って感じ、憧れる」と今度は強面イケメンのニコラが声を弾ませた。
「確かに魅力的な方ですね」とリリアンも言った。
どうやらアルトゥーラスの普段の表情を捉えた絵を一枚見ただけで、皆が心を奪われてしまったようだ。
そもそもアルトゥーラスと三騎士は建国物語でも太陽のように明るく圧倒的な存在のアルトゥーラス、強くて華麗なジル、強くて優しいラウル、クールなクロードという性格の違う4人のカッコイイ男達ということになっている。
本当にアルトゥーラスがこの絵の通りの男なら、相当目立ったことだろう。
そこでフィリップは一つの仮説を思いつく。
「私もこの絵を見て思ったんだが、なぜ国を率いることをアルトゥーラスが望まれたのか、それはアルトゥーラスはこのルックスで人より目立っていたから注目され易く、それが求心力に繋がってリーダーに選ばれ、果ては国王になるに至ったのではないだろうか。
大勢いたからこそ、一瞬で見分けられるこの金髪や背の高さ、人を惹きつける表情や喋り方、躍動感溢れる動き、そんなものが目を引いて群衆を魅了していったのかもしれない」
「なるほど、髪色の珍しさもありますし、それは充分有りそうですね」とリリアンも頷いた。
アルトゥーラスの子孫であるフィリップは超絶麗しく、その点ではアルトゥーアスにも全く引けを取らないルックスだし、リュシアンはリュシアンでキリッとした正統派イケメンで皆から憧れられる存在だ。
同じくレオノール前妃もその容姿の良さで人々を惹きつけた。
彼らは見目の良さを受け継ぎ、しっかり礼儀作法を身に付け物腰もスマートで品がありいかにも王族といった感じだ。
しかしアルトゥーラスのカッコ良さは正統派というより男っぽいワイルドさ、どこか危険な野生味が感じられた。
好奇心旺盛で楽しげな目元口元や、手足が長く俊敏そうな体つきは活発そうで今にも立って歩き出しそうだ。
いい年になっても悪ガキっぽい感じを残しそれでいて大人の余裕も感じられる『ちょいワル』な面構え、それが妙にカッコ良くて女達だけでなく男達からも憧れの対象となったことだろう。
それなのにこの絵のアルトゥーラスはティエサにこんな風に甘えん坊みたいにくっついてティエサ好き好きオーラダダ漏れの嬉しそうな顔をしているのだから、なんとも微笑ましい。
ティエサは恥ずかしがっているのか困っているのか肩をすくめ、はにかむように笑っている。
ティエサは10歳も年上というのに綺麗で可愛い。そしてアルトゥーラスと同じ金髪碧眼だった。
歴史書では王家はオリアーヌの血を受けて続いていくので実はティエサよりオリアーヌについての記述の方が圧倒的に多くティエサに関しては10歳年上の最初の妻でオリアーヌを娶るように助言した人であり、辺境の王女ピピの母親というくらいの扱いでティエサが金髪碧眼という記述さえ歴史書には見られない。
そしてその絵の中のピピはふざけている父をいつものことと言わんばかりの呆れ半分に微笑んで横目で見ているし、ララはアルトゥーラスを仰ぎ見て、シルヴェストルは母親のオリアーヌの顔を見ていたけれど、オリアーヌだけはどちらの絵もまったく同じ体勢、同じ表情でララを抱いて前を向いて座っていた。その変わりのなさが却って不自然だ。
オンナの勘だろうか、リリアンはそのオリアーヌの様子に彼らの真実が隠されているように感じた。
ティエサとオリアーヌは同じく正妃だったというがアルトゥーラスの心はティエサにしかなかったのではないだろうか。よく見ると抱きついていない方の絵もアルトゥーラスはティエサに寄り添うようにくっついて座っていてオリアーヌとの間には空間があった。
「ねえ、フィル様。やっぱりアルトゥーラス一世はずっとティエサ王妃のことだけをお好きだったのではないでしょうか、そんな気がします」
「うん、真実はそうなのかもしれないね。
実を言うと今残ってる一番古い公式の歴史書はシルヴェストル二世が書かせたものだから、あたかもオリアーヌ王妃から続く血脈の方が正統のように詳しく語られているけどティエサ王妃については申し訳程度に冒頭で少し触れられているだけなんだ。
今日、私たちは辺境に焦点を当てていたこともあってオリアーヌよりティエサとピピに注目していたけど学園の歴史の授業でもティエサについてはほとんど語られない、もう一人の王妃として名前が出る程度だよ」
「え、そうなのですか」
「うん、ティエサの娘ピピも早々に遠くへ嫁入りをして王都からいなくなってるし、オリアーヌはティエサやアルトゥーラスより長く生きたからね。後から自分たちに都合のいい歴史を書かせることも出来ただろう。
実際のところ歴史書は必ずしも真実を伝えているものではないんだよね、だから真実が知りたければ多方面から資料を読み解き研究していく必要が出てくるんだよ」
「そんな・・・」
そんなの可哀想。
ティエサが好きで猛烈にアタックをしていたという逸話のあるアルトゥーラスがそんな風にティエサをないがしろにするとは思えない。実際にこの絵がそう語っている。
リリアンにはこの絵の中のアルトゥーラスが亡くなった今も永遠にティエサを愛しているのだと、彼女だけを愛しているのだと、後世の人に教えようとしているように見えたのだ。
そうだとしたら愛されなかったオリアーヌも可哀想だと思うけど、ティエサを愛し抜きたかったアルトゥーラスもまた可哀想だ。だって後継問題を心配したその愛する人からの願いで二人目の妻を娶らされたというのだから・・・。
そうせざるをえなかったアルトゥーラスのことを思うとせつなくて、ティエサを抱くアルトゥーラスの嬉しそうな表情を見れば見るほどなんだか泣きだしたい気持ちになったリリアンだった。