190話 双頭の蛇と三つ目の謎
「フィル様見てください、このアンリ殿下のティーカップは素敵な柄ですけどよく見たら持ち手が蛇の形をしていますよ。
アンリ殿下は余程ヘビがお好きだったのですね」
「どれどれ」
リリアンが指し示した『アンリ愛用のティーセット』はアンリが愛用していたというだけあって高貴な佇まいをしていた。
金の縁取りに深い青の地色、それに金色のラインが複雑に蔦のように絡まり合っているのがいかにも豪華に見えてフィリップもひと目で気に入って自分も手元に置きたいと思うくらいだったが、持ち手の形状が少々変わっている。
金の持ち手の上側の接点でカップの縁に沿って頭をこちらに向けて口を大きく開けているのはどこをどう見ても蛇の頭で、ご丁寧に目の部分が赤く着色されていた。
「う〜ん、この持ち手・・・凝ってはいるが悪趣味というか、私はちょっと勘弁という感じだな」
「私も赤い目でこっち見てシャーッとしてるヘビとかちょっと怖くて触りたくないかも・・・」
確かにフィリップにもリリアンにも似合いそうなデザインではない。
「リリィ、持ち手だけじゃない。その金色の蔦みたいな模様もヘビだ。ほら、目があって舌を出してる」
「わあ、ホントだ」
この時のリリアンのわあは感嘆ではなく若干引いたわあだったかもしれない。
横にある解説にこのティーセットのエピソードが書いてあるのかと思ってザッと目を通すとそれについては何も言及されていなかったがその代わりにアンリが蛇をシンボルに選んだ理由が書いてあるようだ。
フィリップとしては、そっちの方が断然興味がある。
「リリィはあんまりヘビは好きではなさそうだね。
もうここを離れて別の物を見ても良いけどここにアンリ殿下がシンボルを蛇にした理由が書いてあるみたいだよ」
「まあ、どうしてアンリ殿下は蛇になさったのですか?是非知りたいです」
「では読んでみよう。
留学に先立ちアンリは父であるシルヴェストル二世に何か自分のシンボルにしたい物があるかと問われて強そうなワシかフクロウにしたいと候補に上げたが、それらはすでにジル・アルノーの一族の当主がワシを、ラウル・アルノーの一族の当主がフクロウを代々使っていると教えられる。
だったら自分は誰とも被らないものにしたいからもっとよく考えると答えその時は決めずに終わった。
その後はしばらくはイニシャルを使っていたが、最初の留学先で古来より蛇は知恵の象徴であり、また蛇は脱皮をすることから再生、治癒の象徴として医学並びに医療の象徴にもなっていると知りこの二つはどちらも自分が目指している物だったからちょうど良いと蛇に決めた、とあるよ」
「蛇にはそんな意味があるのですね、知りませんでした」
「我が国には知恵や医療といった意味はないからね。だからこれは留学していたアンリ殿下ならではのエピソードと言えるね。
ちなみに我が国では西の穀倉地帯に蛇を豊穣や蓄財の象徴としている地域があるよ。ネズミを獲物とするところから蛇がいると駆除が出来て蓄えを減らさずにいられるところからきているらしい。
それからここには展示してないけど父である国王とシンボルは何にするかとやりとりした時の書簡が残っているらしい、このエピソードの出典元が書簡となっている」
「そうなんですね。そのお手紙も見てみたいものです。
ではこちらの立派なメダルや盾は何ですか、ここにも蛇がありますがアンリ殿下は蛇のデザインの入った物をコレクションしていたのでしょうか」
展示台の上にはティーセットの他にもいくつか蛇をモチーフにした小物が並んでいて、文鎮や羽ペンの先を削る専用ナイフの柄などもれなく蛇の模様が入っていたが、短いリボンの付いたメダルのブローチと盾は何かの表彰の記念品のように見える。しかし知らない外国語で書かれているので誰も読めなかった。
「何だろうね?せっかくだからこっちの解説も読んでみよう」
「はい」
流石のフィリップもアンリについては知らないことがまだ沢山あった。
それというのもフィリップが王家のあれこれを深く調べ始めてからまだそう月日は経ってない。
何度か至宝殿と倉庫に足を運んでいるものの父との兼ね合いもあって先に手を付けたアナベルやレオノール前妃の事を調べるのに多く時間を使っていたせいだろう、アンリについても留学していることなど一通り調べはしたが深く調べるのは後回しにしていたから他の人よりちょっと詳しい程度止まりだ。
知らない情報が出てくるとアンリについてもっと調べたいと好奇心をそそられてしまう。
「解説、バッハウ帝国留学中に発表した論文が立て続けに高く評価されたことでアンリはバッハウ帝国皇帝のファウスト大帝にいたく気に入られ、皇女を嫁に取りバッハウ帝国の人間となって永住して欲しいと強く望まれたが、自分には医療を極め次代の王となる兄の補佐をするという大志があり今後も多くの国に渡って研鑽に務める所存だと辞退する。
ファウスト大帝はアンリの意思を汲み娘と婚姻させることは諦めたが、バッハウ帝国永住権を与えることについては引かなかった。
結局、永住権の発行と同時にアンリは『ドナドーニ公』という爵位を叙され、これ以降はバッハウ帝国の社交会ではアンリ・プリュヴォ・ドナドーニ公を名乗ることになる。
またドナドーニ公のシンボルとして『双頭の蛇の紋章』 (この胸章と盾に入っているシンボル)を授与され、城内と郊外にアンリ専用アトリエを提供された。
このファウスト大帝から贈られた紋章に蛇が使われているのはもちろん元々アンリのシンボルに使われているからだが、双頭であるのはプリュヴォ国とバッハウ帝国両方に属する者、という意味があると説明を受けたという。
これ以降アンリはプリュヴォ国内もしくは外国からプリュヴォ国内の人に宛てた手紙には従来のAの字と1匹の蛇が輪になり自分の尾を噛んでいるウロボロスを組み合わせたデザインのシンボルを使い、バッハウ国内では尾の部分を無限を表す8の字が横に寝た形にトグロを巻きコブラのような形の鎌首を2本立てている双頭の蛇のシンボルを使った。
その他の国では従来のプリュヴォ版のシンボルを使用していたようだが、このことを報告する父王への手紙には二つ並べて使用した他、友人に送る手紙にも稀に両方同時に使うことがあった。
また、バッハウ帝国はアンリが二番目に留学した先であり最も長く滞在した国であるが、ここでアンリが発表した論文が3本あることが分かっている。
その内1本は至宝殿に展示してある12歳の時に発表された物でこれは奨励賞を取ったが原本はアンリの手に返された。
しかし残りの2本は最優秀賞及び特別大帝賞の記念盾は持ち帰られているものの原本は無く、その内容はおろかタイトルさえ明らかにされていない。
それというのもアンリの論文はファウスト大帝によって『この2本の論文は発表から100年間はバッハウ帝国外に持ち出すこと及び口外することを禁止する』とされたからだ。
アンリ帰還後、我が国の第三王子の研究成果であるのだからバッハウ帝国はプリュヴォ国にそれを開示するようにと国王であるシルヴェストル二世が要求したが、皇帝は一度決めたことを覆すことはない、それにアンリ自身が了承している事だと拒否された。
それほどまでに厳重に隠された論文の価値はどれほどのものか、アンリの手柄を横取りされたと怒れる父にアンリはバッハウ帝国で与えられた蛇が双頭である事には隠された意味があるのだと言って諌めた。
それは片方の蛇がもう片方を噛むと体は一つであるが為に噛んだ方の蛇も毒が回って死ぬ。転じて歯向かえばお前も痛い目に合うというメッセージだと。
ファウスト大帝は気に入った者はとことん可愛がる一方で、不興を買った相手には恐ろしく冷酷になるらしい。私の書いた論文程度で戦争をする必要はない。
それにあの論文はバッハウで学び研究したからこそ書けたものだからその環境を与えてくれた事に対する謝礼だと思えば良い、知識と経験は私の中にあると涼しい顔をしていたらしい。
しかしシルヴェストル二世はいつまでも知りたがり気にしていたという。
ここまでがシルヴェストル二世とアンリの間でやりとりされた書簡や日記に書かれていることから分かった事で論文の内容については研究過程のデータも全て残して帰って来た為にファウスト大帝からの書簡の中で『国益をもたらした』と評された事以外は50年以上経った今も分かっていない。
尚、アンリがバッハウ帝国でこれほどまでに高く評価されるに至ったこの論文の内容、それこそが三つ目のアンリの謎である」
「三つ目のアンリの謎がここで出て来た」とニコラが呟いた。
「3つのうち、解けた謎もあったわよね?」とグレースが言ったので、リリアンが3つの謎をおさらいしてみせた。
「えっと、アンリ3つの謎は一つ目が秘密の小箱の開け方、二つ目は失踪したアンリ殿下の行方でしたよね、そして三つ目が論文の内容です」
「ああそうだ。一つ目の秘密の小箱はパメラが開けたから解けた。
二つ目は詳細は不明だがアナベルと辺境へ向かった、ということで一応解けたとしよう。
三つ目だけがまだ解けてないのか」とフィリップは解けない謎があることをちょっと残念に思ったようだ。
「フィル様、あと50年経ったらバッハウ帝国の皇帝に訊ねて教えて貰いましょう」
リリアンが励ますようにそう言うとフィリップは「それに期待しよう」と言って笑った。
「・・・それにしても気が付かなかったな、ここに3つ目の謎について書いてあったとはね。それに王族シンボル便覧には双頭の蛇は収録されてなかったように思うが」
話がひと段落してフィリップが誰に言うでもなくそう呟くとエミールが言った。
「殿下、それに双頭の蛇が収録されていない理由は分かりませんが今までこの盾とメダル、そしてこの解説文は展示してなかったからご存知なかったのだと思いますよ。
さきほど国王陛下とお話しした時に午後から至宝殿を訪れることになってすぐダルトアから提案がありアンリ殿下の展示物を入れ替えに来られたとお聞きました。
ダルトアは大勢が至宝殿を訪れるこの機会に最新の研究成果を発表したかったのでしょう。
最近新しく関連品が増えたこともあって、アンリ殿下の研究が再開されたところだったようですから・・・」と含みのある笑みを見せた。
「ああ、それのことか?」
「はい、そうです。
皆さん、実はここにあるこの本はアンリ殿下が使われていた医学の本なんです。
先ほどの解説を聞いて思い出したのですが、確かこれにも表紙を開いた最初のページに双頭の蛇のエンボス模様が入っていました。バッハウ帝国で使っていた物なのでアンリ殿下の持ち物だということを示すマークとして入れていたのかもしれませんね」
「これが医学の本なのですか、とても難しそうですね」とリリアン。
「ええ、先ほど『集い』の時にお話ししたように実はこれも隣のお屋敷で見つけた物の一つで私が国王陛下に献上した物なんです。
秘密の小箱の設計図は入ってなかったようですが、兄ゴダールは医学書や薬を作る道具などを持ち出して壺の中に仕舞っていたのです。
そしてこれで医学を勉強し、素人ながらレーニエの妹にせっせと薬を作っていたのですよ」
「ああ、あの赤い書き込みのある所を父がダルトアに調べさせたら主に滋養強壮の薬と身体を温める薬でそれに熱冷ましや喉の痛みを和らげる薬もあったらしいぞ」とフィリップ。
「ホントに兄もよくそんな物を作れるほど読み込みましたよね、全部外国語で書いてあるのに・・・愛の力は偉大だなぁ・・・片想いで終わったけど」
「エミール、それってパメラがエマのお屋敷に行って見つけたというあの壺の事ですよね」
「そうです。リリアン様や皆さんが新居にお祝いにいらして下さった時、兄が外国に行く前に壺に何か入れて歩いていたな〜と、ふと思い出したので一応レーニエにあったら知らせてくれと言っておいたんです。結局その日はそれらしい物は見なかったのですがレーニエは後でパメラと来て探して掘り出してくれたのです」
「宝探しに行ってきたと言っていましたよ」
「そうそう、それです。本当にお宝が入っていたのです。
アンリ殿下のお使いになった物であると同時にとても貴重な医学の本であるという二つの価値を持つお宝だったのですよ。
そして今日は展示の為にここに持って来ていますが、さっそくこれを教材にしようということになって文科相と司書が合同で訳し写本をするというプロジェクトが進められている最中なんです」
「まあ、それは凄い!パメラはこの事を知ってるのですか?」
「いいえ私は言っていませんから知らないと思います」
「では私から話しても良いですか?」
「ええ、勿論です」
アンリ殿下の医学の本を元に医学が再生されるなんて凄いことだ。実際にゴダールはこれで薬を作りレティシアの体調が良くなったという実績もある。
パメラがもしここにいたら自分たちが見つけたお宝がそんな凄いことになってるとはさぞ驚いて喜んだことだろう。
パメラと顔を合わせたら一番に伝えたい、とリリアンはワクワクした。
ちなみにパメラの名が出たからついでに説明すると今ここにパメラとレーニエ、それにジローはいない。
彼らはもう入学式の日が近いので午後は登下校を想定した移動の予行演習や学園内の下見をしたり、色々な事を想定して対処する訓練を行っているのだ。
そんな訳でリリアン専属護衛隊は皆出払っているが、部屋の見張り等はフィリップの護衛達が代わりにやっているし、ここはニコラやクレマンそれにヴィクトルといった辺境の最上級の騎士が揃っているから心配はいらない。
「しかし赤い字の書き込みのあるページをあたかもをアンリ殿下が入れたかのように開いて紹介されていますがこれは兄が入れたものですからね筆跡からみてもアンリ殿下の字ではありませんよ、素人が見ても分かるのにどうしてここを開くかな〜?」
「エミールは素人ではありませんよ、むしろ我が国で一番詳しいと言っても過言ではないでしょう。
だって屋根裏のこともご存知でしたし何よりアンリ殿下のお屋敷の主人ですもの」
「まあ、そうですね」とリリアンの言葉にニコニコしていたエミールは、急に目をカッと開き大きな声を出した。
「あっそうだ!!」
皆が何事かと思ったのも無理はない、リリアンなんかはあんまり驚いたものだから飛び上がってしまった。まだ胸がドキドキしている。
しかしエミールは真面目な顔で改まり、グレースに向かい胸に手を当てて申し出た。
「グレース夫人、私にあなたをアンリ邸に招待させて下さい。
さっきの集いの時にお話ししたように、現在私が住んでいる家の隣はアンリ殿下の為に建てられたお屋敷です。
私はいずれそちらをリフォームして住もうと思って国王陛下の許可も得ているのですが、幸いな事に妻のエマが休暇中で家に居るので人が出入りすると落ち着かないだろうと思ってまだ手を付けておりません。
そこは何十年も人が住んでいないので埃っぽいし、何度か盗賊が入ったそうで壁が壊され中も荒らされたままになっていますし、私たち兄弟が遊び場にして触っていますけど少しはアンリ殿下がいらっしゃった時を偲べるもしれません、もしご興味があればですが、見に来られますか?」
「まあ、まあ、それは是非見せて欲しいわ。何も残っていなくてもいい、父がいた場所に立ってみたい・・・」とグレースは口の前で手を合わせ目を潤ませた。
エミールのお陰で後日父アンリの暮らした屋敷の見学に行けることになったグレースはもう嬉しくて仕方がない。
すっかりグレースの興味はエミールに移ったのでニコラは解放された。
今はエミールとお屋敷の話で盛り上がっている。
お祖母様の手がスルリと離れホッとしたのも束の間、あんなに困っていたはずなのにお祖母様がこっちに見向きもしなくなると今度は何か物足りないというか、寂しく感じるものだ。
かといってこっちからお祖母様のところへ行くのも未練たらしいし・・・と、人知れず口を尖らすニコラだった。
どうやら男心も複雑なものらしい。
バッハウ帝国でのシンボルはプリュヴォ国内では使わないので登録されていません
何故かって?もちろんシルヴェストル二世が
論文の内容を教えて貰えなかったことを根に持ってそれを使うことを嫌ったからですよ
_φ( ̄▽ ̄; )
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