189話 お父さんは凄い!
この展示台はアンリ殿下ゆかりの物のうち、アンリ自身が書いた物を集めて並べているようだ。
文章だけの物もあるがそれよりも見た事もないような難しげな数式やグラフ、それに設計図のような物の方が多い上に、外国暮らしが長かったからかほとんどが外国語で書かれていて見ても何が書いてあるのかよく分からない。
でもそれらには共通した特徴がある、筆跡が午前中に見た秘密の小箱に入っていたメッセージカードと同じなのだ。
勢いのある癖の強い字にアンリ殿下の息吹を感じる、熱心に研究に没頭していたであろう姿が目に浮かんだ。
リリアンはフィリップに抱き上げて貰っていたから台の上の物がよく見えた。
それら展示物の中でリリアンでも比較的分かりやすかったのはイラスト付きで書いてある羽ペンを改良する案を綴った物だ。どうやらペン先を別に作って取り付けるという内容らしい。
「アンリ殿下は私たちに身近な羽ペンにさえ何か改良を加えようとなさっていらしたのですね、このような事は私にはとても思いつきそうにありません。発想が凄いです」
「そのようだね。これには『羽ペン改良案1』とある。
その絵にあるように金属で作ったペン先を付けることによって耐久性が上がり、ペン先を度々整える手間が省け、持ち易く、一回のインクの補充で長く書き続けられるという案だそうだ。かなり画期的だけど、どうやら実用化には至らなかったようだね、今の所それらしい物を見た事がない」
「フィル様、ではこれを元に作らせてみてはいかがでしょう?
アンリ式羽ペンなんて名を付けて商品化したらアンリ殿下の功績を広く世に知らせることが出来るかもしれませんね」
「うん、リリィ良い案だ。さっそく実用化出来そうな者を探してやらせてみよう。これが理想通りの代物であれば私たちの勉強や執務も随分と捗るだろう」
それを聞いてグレースは大喜びだ。
「まあ、お父さんは凄い、そんな便利な物を考えるだなんて!それが出来たらぜひ私にも使わせて貰えませんか、お父さんの考えた羽ペンを使ってみたいわ」
「ええ、勿論ですとも」
「ああ、嬉しい!お父さんが欲しいと思って考えた物だもの、カタチに出来たらきっとお父さんも喜ぶと思う」
他にも歯車の歯の数や形状を考えたらしくいくつかの歯車の絵の横に計算式がびっしりと書いてあるものや、滑車を使って大きな物を建物の上の階に入れる方法を検討したり、複雑な鍵と錠の構造を考えてみたり・・・どうやらアンリは自分で何か考えて工夫するのが好きだったようだ。
ちなみに文章だけの物は留学先で発表した論文だそうで、アンリは度々論文を発表していたらしい。ここにあるのは12歳の時に発表した傷の手当てをするときは何より患部を清潔に保つことが肝要だという内容でその方法についていくつか方法が紹介されているそうだ。
「随分頭の良い方だったようですね、見ても私にはさっぱり解らないが・・・」
ヴィクトルが呟くと、グレースは目も上げず誇らしそうに言った。
「ええ、お父さんは凄いわ」
父の残した物たちを頬を紅潮させて満足そうに眺めるグレースはアンリが自分の親だと心から信じていて、もう微塵も疑っていなかった。
次の台へ移動すると、こちらにはアンリの愛用品が並べられていた。
ダルトアが言っていたように秘密の小箱に入っていたカフスボタンと同じイニシャルのAと蛇の柄の『シグネットリング』があり、それを実際に押した封蝋付きの封筒も見本に置いてあった。
「あっこれはさっき見たのと同じ模様ですね」
「そうだね、秘密の小箱に入っていたカフスボタンと同じだ。やはりあれはアンリ殿下の物に間違いないね」
「はい。
あら、フィル様これを見てください、ここにも秘密の小箱がありますよ。『アンリの秘密の小箱 (参考)』ですって!」
「それがダルトアの言っていたレプリカだよ」
フィリップがそう言うと後ろに控えていたエミールが言った。
「殿下、これは実際にアンリが作った物ではないし、他人が本物を知らずに作ってるんだから複製じゃなくてただの偽物だと思いますよ。
もう本物がどのような物が分かったことですし、私はこれを撤去した方が良いと思うのですがいかが致しましょうか」
「一応これでも父上から許可を得て置いているのだから置いておけ」
「はい、しかしよくダルトアはアンリ殿下の展示台に自分の作った物を並べようと思いましたね。本物とぜんっぜん違う。アンリ殿下のは工芸品、ダルトアのは工作ですよ」
「まあ、それは本人が一番分かっているだろうから言ってやるな」
「はい、失礼致しました。ではこのままで・・・」
エミールは頭を下げて承ると口を閉じて一歩後ろに下がった。ちょっと言い過ぎたと思って反省しているようだ。
それにしてもダルトアが作ったというレプリカは力作かもしれないが、さっき見た本物とは全く似ても似つかないという指摘はフィリップも心の中で同意する。
全体の箱の模様は蛇の鱗のようで上側に歯車が5枚組まれ、その一つには取っ手が付いていた。これをクルクル回せば蓋が開くのだろうか?だけど開いてしまったら秘密の小箱にはならない。
リリアンもどんな構造なのか不思議に思ったらしく聞いてきた。
「この小箱はどうやって開けるのでしょうね?」
「やってみたら?」
フィリップはそれをリリアンに持たせた。至宝殿の展示物は触れてはいけないことになっているがそれは唯一無二の歴史的価値のある物が並んでいるからだ。これは展示物であってもダルトアの作った偽物だからそういう意味では触っても問題ない。
リリアンは取っ手をつまんで回してみた。
「ちょっとグラグラしてるけど、ただ歯車が連動して回るだけみたいですね。クルクルといくらでも回るわ。それともそう思わせるのが罠で実は中になにか装置があって右に何回、左に何回って決まった回数を回すことになっているのかしら」
「考えすぎだと思うけど、そうだとしたら『ダルトアの秘密の小箱』と名付けてここに展示してやっても良いくらい凝ってるね」と笑って言いつつフィリップはそんな大層な物ではないだろうと思っている。
「ちょっと私にも貸してみて?」とグレースが手を伸ばす。
「はい、お祖母様」とリリアンが小箱を渡そうと差し出すとお互いの手がちょっと行き違ってグレースの指先が当たり落としてしまった。
「あっ」
「大変!」
「大変も何も偽物だ。壊れたって問題ない」とィリップは気にしない。
ニコラが拾って外れた部品を見てみると、木片に軸穴が開いていて歯車の軸を差し込んであるだけだった。
「これ、なんも秘密はないな。気にすることないわ」
「なんだってダルトアはわざわざこんな物を作ろうと思ったのでしょうね」と再びエミール。
「さあ、向こうにあった歯車の設計図を活用したかっただけじゃないか」
「それだけか、これを見ると本物の秘密の小箱はカラクリがあることさえ見抜けないのだから巧妙だよ。お祖母様はずっとあれをただの音の鳴る綺麗な木としか思ってなかったんだからアンリ殿下は流石だ」とニコラ。
「ふふふ、やっぱりお父さんは凄いわ」
50年もの間大事にしていてそれが小箱で開けることが出来ると思わなかったグレースが鈍すぎのような気もするが、やっぱり全く気取らせなかったアンリが凄いのかもしれない。
そんな事を言っている間にレプリカから皆の興味はすっかり離れ、他の展示物へ興味が移った。
お父さん、お父さんとグレースが言うからオジサンっぽい印象を受けますが、アンリの資料は17歳の時の物までしかありませんからね、今だったらまだ学生の年齢ですよ。
グレースじゃないけど、多才な才能を見せるアンリはやっぱり凄い!?
_φ( ̄▽ ̄ )