188話 マルセルはツンデレ
「ねぇお父さん、お父さん、いっしょにお父さんの物を見ましょうよ!ほら、早く、早くぅ!」
「えっ?ちょっと何事ですか!お祖母様!?」
「もぉ、お祖母様じゃないでしょ、アンナでしょ!ほら、ほら」
「でしょって・・・」
なぜお祖母様をお祖母様と呼んで "もぉ" と言われないといけないのか、全く解せぬ。
急にグレースが少女のようなテンションで両手で腕を掴んでグイグイ引っ張りだしたのでニコラはどう対処したら良いのか困ってしまった。
まあグレースにいくら引っ張られたところでニコラは微動だにしないのだが、逆にグレースの手がすっぽ抜けて引っくり返りでもしたら大怪我になるし、それこそ展示物にぶつかって壊しでもしたら一大事だ。
それよりなにより人前でお父さんと呼ばれ祖母に手を引かれる気恥ずかしさよ・・・どうかお願いだからいい年をした辺境伯夫人らしくお淑やかにして欲しい。
ああ、これがもしソフィーだったなら喜んで付いて行くんだけどなぁ!
ちょっと前のリリアンでも肩に乗せやってどこへでも行きたい方へ連れて行ってやっただろう、でもお祖母様の場合は絵面がヤバい。だって普通に立っていたら王族にしか見えないほどの品のある容姿からのコレだよ、年齢的にもギャップがひどい。
俺は花も恥じらう17歳、多感な男子なんだからいくらお祖母様の為と言ったって出来ることと出来ないことがあるよ。
・・・しかしあんまり邪険にするもの可哀想か、仕方がない。
「分かりました!行くから引っ張らないでください、こけたら大怪我ですよお祖母様!ほら、いったん袖を放して一度ちゃんと立ちましょう」
気持ちを切り替えてお祖母様に付き合うと言ったのに、まだお気に召さないのかグレースは聞こえてないフリをして応じてくれず「あ〜楽しい」などと言ってちゃんとしてくれない。ええ〜、いったいどしろと?
「父上からも何とか言って下さいよ、これじゃあ辺境伯夫人の名が廃りますよ」
助けを求めてもクレマンはニコニコして「母上はご機嫌ですね」と眺めているだけだ。
「伯父上!」
「まあまあ、母上は失われた時を取り戻したいのだろう、どうせ今だけだからそう固い事を言わずにちょっとの間お父さんになってやってくれ」
ヴィクトルに至っては逆にグレースの肩を持つくらいで、彼女のこの場に相応しくない振る舞いを咎めるつもりはちっともないようだ。
(ああ、お祖母様にただ甘いだけのこの二人に助けを求めても無駄だった)
「リリアン、助けてくれ」
「えっ、私がですか?ひいお祖父様」
リリアンはフィリップの腕から下りて今は手を繋いで立っていたのだが兄に助けを求められてにっこりと笑ったが、その口調からこちらの味方ではないことは明白だった。
「そもそもお前が俺をひいお祖父様などと言うからお祖母様がこんなことに・・・」
それは違うぞ、そもそもニコラが自分はアンリで時空を超えて来たと言ったからだ。リリアンはそれに乗っただけ。
「もうお父さんもひいお祖父様呼びも禁止!俺は17になったばかりなんだぞ!!」
そうニコラが訴えたらとうとうフィリップまでグレースの肩を持ったのだ。
「ニコラ、まあいいじゃないかグレース夫人の思うようにしてやれば」
「ええ〜殿下まで?」
殿下はこちらの味方だと思っていたのに逆にこっちが嗜められた。こんな貴重な物ばかりが並んだ至宝館の中で明らかにはしゃぎ過ぎてるお祖母様を殿下まで笑って許すというのだ。
ああ、どこにもニコラの味方はいないのか・・・。
もう今やグレースは年甲斐もなく楽しそうに全体重をかけてワッショイワッショイとニコラを引っ張っている。よくもまぁここまで無邪気になれるものだ。
実はグレースはまだアンナだった小さい頃に神殿を訪れる親子がこうやっているのを見たことがあった。
「早く、早く」と子供に手を引っ張られ「はい、はい」と笑いながら行く親子の仲睦まじい姿は、神殿の御勤めで広い境内を一人で掃き清めていた当時のアンナの目にはどれほど眩しかったことか。
ヴィクトルの言う通り、グレースは無意識にそれを思い出しグレースの人生から失われていた親子の子として過ごす時間を、あの時ポッカリ開いた心の穴を、同じような行為をすることで埋めようとしていたのだ。
ヴィクトルやクレマンの目からは正しくそのように見えていたけど、ニコラからはグレースがニコラを揶揄っているように見えたのだ。
ここまで捨て身のギャグを繰り出すとはこの人の精神年齢はいったい何歳なんだ?
さすがにリアル少女のリリアンでもこんな所で悪ふざけはしないぞ、7歳のリリアンの方が50歳のお祖母様よりずっと大人じゃないか。
(はぁ〜こうなったら仕方がない、無駄に長引かすより早く言う事を聞いてもらった方が身の為だ。奥の手を出すか)
ニコラは「んんっ」と咳払いしてオッサンの声を作って言った。
「あ〜これアンナ、ここでそんなに騒ぐでない。もういい歳なんだからちょっと落ち着きなさい」
アンリ殿下に成り切ってお祖母様を咎め、悪ノリを止めさせる!
でも何これ、自分でやってて大根役者みたいですごい恥ずいんですけど!わ〜穴があったら入りたい、そしてもうその穴から出て来たくない。
ニコラは内心転がって足をバタバタさせたいくらいだったが平常心を装った。
父親のフリをするのに『お祖母様』呼びはないだろうと思ったが流石に『グレース』と呼び捨てには出来ず、本当の名前であるアンナと呼び掛けてみたらそれが功を奏したのか今まではしゃいでいたグレースの動きがピタリと止まった。
「お・・・お父さん」
大根でも効果抜群だった。
お父さんに怒られるという初体験にグレースはとても感動している。
(なんなんだ、このフザケタ人たちは・・・)
至宝殿という普段入れないような有難いスペースに入れて貰ってるのに、緊張感も何もなくやりたい放題のグレースとそれを全て許し温かい目で見守る息子と孫たち+王太子殿下を少し離れたところから見守っていたエミールは流石に最初はちょっと呆れていた。
(特にグレース夫人はあまりにも自由過ぎるし、私の祖母と違い過ぎてビックリだ)
だって、エミールの祖母はこんなことしない。
祖母はとても厳格な人で家族しかいない時でも扇から目しか出さずホホホと声を出すが顔は全然笑ってなかったり逆に怒っていたりするから機嫌が良いのか悪いのか非常に分かりにくかったりする。祖母にはいつも敬意を払い畏まらなくてはならなかった。気軽に話しかけてはならなかったし、手を繋いで貰ったこともない。
なのにグレースは少女のように心のまま笑ったり泣いたり、はしゃいだりする。
エミールは祖母とニコラやリリアンのように打ち解けて会話をした覚えがない。それを考えるとグレースのすることは貴族の常識とはちょっと外れているのかもしれない。
(だけどニコラが羨ましい)
彼らはいつもグレースを囲み楽しそうだ。
一緒にいてどちらが楽しいかと言えばグレースの方だ。
彼女はいつも一生懸命で、率直で、温かく、偉大な巫女の力を持っている。
彼らがこれほど大事にしたくなるのも頷ける。
とうとうニコラは降参して父親役を引き受ける気になったらしくグレースと手を繋ぎ引っ張られて行った。
「アンナ、ここでだけですよ、外ではちゃんとしてくださいよ」
でもやっぱりまだ抵抗感があるらしくそんな事を言って釘を刺しているからちょっと笑ってしまった。
「グレース夫人はまるでお姫様のようですね、皆から愛され皆から大事にされていらっしゃる」
エミールが感心してそう言うとフィリップも同意して言った。
「そうだな、私もそう思って見ていたところだ」
その会話が聞こえたのだろう、ヴィクトルが振り向いて言った。
「よくお分かりですね、父は母を迎える時にまさに私にそう言ったのですよ。
今度来る人は私の妻でお前達の母になる人だ、母上と呼んでもいいがお姫様のように敬って、大切にするんだぞと」
「へえ、辺境伯がそのようなことを本当に仰られたのですか、それで皆はそうしたと?」とエミール。
「ええ、なにせ私はまだ4歳でしたから幼い私に分かるようにそういう言い方をしたのだと思いますが、とにかくその言葉は印象的で、幼心にせっかく父が私たちの母になる人を連れて来てくれたのだからとにかく大切にしなきゃと強く心に思ったのを覚えています。
なにせ私を産んだ母親はこんな所はもう嫌だと言って弟を実家で産んだ後、辺境の家に戻って来ずに弟だけを送り返して来たのですからね。
私はそれを聞かされていましたので今度の人もつまらない所だと言って去っていかないようにと一生懸命気を使いましたよ、弟のヒューゴはまだ小さくて母という存在が必要でしたしね。
でも母は母で大変だったと思います。私たちは銀の民の血を受けていますからあの過酷な場所でも大丈夫ですが母達は普通の人ですし。
巫女といっても辺境の神殿の巫女ですし、庶民の生活から一変して辺境伯夫人になったのですからね。
先日も母と一緒に暮らし始めた当時の事を話していてお互いにカルチャーショックの連続だったねと話したところです。でも思い合い助け合って生活するうちに血は繋がっていないのに実の母より『家族』という感じがしてきましてね・・・それまでと打って変わって楽しい我が家になりましたよ」
「グレース夫人が辺境に来て下さって良かったですね」
「ええ、本当に。でも最近になって父は父自身の為に母と結婚し、母を失いたくなかったからそんな風に言ったのかな、と思ったりもします。
父は何年も経ちすっかりすっかり母が環境に馴染んで逃げ出す心配がなくなった頃になっても私の妻やまだ小さい孫達にまで大事にするんだぞと言い聞かせていましたよ、厳しい顔をしていますし優しいことは言いませんが実際のところ父は母に相当甘かったですからね。
庶民から貴族になった彼女に最低限のマナーは教えましたが厳しいことは一切言いませんでしたし何でも母の思うようにさせていました。唯一禁止したのは領地の外に出ることです。まあ、最初は屋敷から出ることも禁止していましたが、それくらいですね。
本当はそんなにも大切にしていたんですけどあんまり伝わってなかったようですね・・・」
「へえ!それはそれは、あのマルセル・ジラール辺境伯がそれほどまでに奥方を大事にされていたとは意外でした。
こう言ったらなんですが随分無愛想で気難しい方だと思っていましたから。それにしても辺境伯はそれほど深く夫人を愛しておられたんですね!」
エミールが目を丸くして言った。
「それはそうだろう、だってあの懐中時計だぞ」とフィリップ。
あれが愛の証でなかったら何なんだと言いたい。
「本当ですね、フィル様。お祖父様はあの肖像画をいつも持ち歩いていたのですもの」とリリアンも話に入ってきた。
「お祖母様はお祖父様がもっと愛情を示してくれていたらもっと仲の良い夫婦になっていたのにと仰られていましたけど、お祖父様はお祖父様なりに沢山の愛情を示してらっしゃったのですね。
ヴィクトル伯父様、素敵なお話を聞かせて下さってどうもありがとう、それにお祖母様がこれほどまでに純粋な少女の心を持ったままでいられたのはお祖父様や伯父様、それに辺境の皆んながお祖母様を大事にしてきたからだとよく分かりました。
お祖母様は初めてお目にかかる国王陛下や王太子殿下に対してもちっとも臆せず堂々としてらっしゃいましたものね、でも私はそんなありのままの飾らないお祖母様が大好きです。きっとお祖父様もお祖母様のそんなところに惹かれたのだと思いますよ」
リリアンの邪気のない笑顔を見る限り、遠回しに大人気ないとディスってるのでは無さそうだ。どうやらグレースは7歳のリリアンから見てもかなり無邪気に見えていたらしい。
「そうですか、リリアン様に喜んでいただけて良かったです」と目を細めるヴィクトル。
「まあ兄上はそう言うが、父上は我々にそう言うばかりで母上をお姫様のように扱うどころかちっとも屋敷に居なかったがねぇ・・・」
父の在りし日の様子を口にした事でクレマンはちょっとしんみりしかけたが、エミールの言葉で吹き飛んだ。
「しっかし、それはマルセル辺境伯も大概ですね、相当なツンデレですよ!」
しんみりした空気はどこへやら、皆がドッと笑った。
特にヴィクトルがことのほかウケている。
「父上がツンデレですか・・・ぶふっ、あの父上がねえ」
流行りとは無縁のあの無骨な父マルセル・ジラールには今時のツンとかデレとかいう言葉は不似合いなんだけど、逆に的を得ていて似合っている。
そうそう、ありとあらゆることを妻の為に段取っておきながら、本人の前ではそんな素振りを一切見せようとしなかったのだからエミールの言うようにツンもデレも大概だなと。
「そうか、ツンデレか。
いよいよマルセル辺境伯は皆が言うように偏屈なんだろうね、もっと素直になればいいのに不器用な人だったんだな」
そう言ってフィリップがふと見ると、アンリゆかりの物の展示台の前に連れて行かれたニコラがグレースと手を繋いだまま恨めしそうにこちらを見ていた。
うっぷ、困ってるニコラを放置してこっちで盛り上がり過ぎた。
「あ〜、そろそろ我々もアンリの物を見るとしようか」
「・・・はい、そうしましょう」
彼らは顔を見合わして、バツが悪そう〜にグレースとニコラがいる展示台に向かった。
最初にグレースを大事にせよと言ったのは確かにマルセルジラール辺境伯でしょうが、甘やかしの張本人はヴィクトルと誰だって思いますよね?どうして誰も指摘しないのでしょうか不思議です。
_φ( ̄▽ ̄; )
<おまけ>
あれはどんな話だったっけ?と思った方にご参考までに関連した話を列挙してみました
フィリップの言う「あの懐中時計だぞ」とは?
162、173、174、178、179話
懐中時計に関する話が意外にたくさんあってビックリしました
アンナって?
124、144、163、174話
グレースの独身時代の名前です改名してます
マルセルって誰?
辺境伯でリリアンの祖父でグレースの夫です
やたら出番が多いので主な出演回だけ
28、36、40、55、161、162、163話
リリアンにはリリアン拳を教えてくれたり、誕生日にはカードを送ってくれて銀の馬をプレゼントしてくれましたもちろんそれがリリアンの愛馬ラポムです




