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185話 アナベルの悲劇とは

「フィリップ、我々はもう行くぞ!」


 隣の展示台へ向かおうとしていると遠くからリュシアンの声が掛かった。フィリップが顔を向けるとリュシアンは皆を侍らせてもう出入り口の前だ。


 自由に観覧しようと言ってからまだそれほど時間は経っていないのに皆を引き連れて出て行こうとするところを見ると余程早くグレース夫人の処遇を話し合いたいのだろう。



(相変わらず父上は次の行動に移るのが早い)


 やれやれと息を吐く。


 父にしてみればせっかくメンバーが揃っているのにここでグズグズしているのは勿体ない、早々に切り上げて本格的に会議室で腰を据えて話し合った方が良いと思っているに違いない。

 こんなに面白い所なのに・・・と思う。歴史に興味があるフィリップにとってここはパラダイスなのだ。


 しかしフィリップとしても早く決めて欲しい事だからゆっくりすればなどと社交辞令のようなことを言って引き留めるつもりもなかった。

 フィリップは会議には参加しないので代わりに念を押しておしておく。



「はい、どうぞ。それでは先ほど提案した件もぜひ検討して下さい」



「ああ、そのつもりだ」



 リュシアンはフィリップの言葉に頷くと颯爽と皆を引き連れ出て行った。



 先ほどの件とは、さっき家系図の前でグレース夫人の処遇について皆に披露したフィリップの考えた案のことだ。前例はないが話しながら皆の反応に手応えを感じたし他に良い案も無さそうだから十中八九フィリップの希望通りに進むと予想している。



 ドヤドヤと皆が出て行きドアが閉められると至宝殿はしんと静まり返り、より広く感じられた。




「さあ、アナベルの手紙を見よう」


 フィリップは展示台の上がよく見えるようにリリアンを抱き上げ、そして皆でアナベルの展示台を囲んだ。



 この台にはアナベルが書いた一枚の手紙を真ん中に羽ペンとインク壺だけが展示され、その横に長い長い解説文がついていた。


 あるのはたったそれだけなのにリリアンは豪華で驚いてしまう。



 ガラス板で押さえられた手紙は上質な羊皮紙で羽根ペンは白鳥の羽根だ。

 インク壺は瓶に金で作られた枠を嵌めて美しく装飾されており、蓋も同じく細工を施された金で光を受けてキラキラ輝いている。もちろん羽根ペンを差したペン立てもインク壺とお揃いになっていてどちらもレトロでお洒落、これをあの絵の中で微笑むアナベルが使う姿を想像するだけで美しく優雅で溜息がでそうだ。



(本当にアナベルはどこまでお姫様なのだろう)そう思わずにいられない。



 しかし、そんな風に思って読んだアナベルの手紙の内容は優雅なんてものではなかった。



 ・・・・・・



 お父様、お母様



 私を騙して彼と結婚させるおつもりね?

 本当にお二人には失望致しました


 ミルランと一緒になるくらいなら

 湖に飛び込み泡になる

 さようなら

 さようなら


 █████

 アナベル・メルシ



 ・・・・・・




 アナベルの名の上にグジュグジュと雑に塗り潰した文字がある。


『あなたの娘』と書いて消しているのだ。


 親子や兄妹、恋人や仲の良い友人に手紙を送る時によく『あなたの〇〇』と書いてファーストネームだけを書くことがある。もちろんフォーマルな書き方ではなくごく親しい間柄でだけ許される書き方だ、だからこそ仲の良い相手には好んで使われている。


 それを敢えて分かるように消したのか、他意はなかったのか分からないがどちらにしてもフォーマルな書き方をしていないのに『アナベル』ではなく『アナベル・メルシ』と両親相手に他人行儀にフルネームを書いている所を見れば、そこに強い拒絶感や反発心を感じざるを得ない。


 つまり彼女は両親に『あなたたちの娘ということさえ嫌よ』と言外に伝えようとしていたと考えられる。





 その手紙を読み終えたクレマンがハアと溜息をつき「これを書いてすぐ湖に向かうつもりだったのでしょうかねぇ」としんみりと呟いた。



 隣に立っていたヴィクトルがそれに何度か頷いて応え、眉間に皺を寄せて苦々しげに言った。


「まだ15やそこらの子供にこんな辛い思いをさせるなんて可哀想に・・・」と。


 ヴィクトルには6人の息子がいるが四男がちょうどこの時のアナベルと同じ15歳だ。クレマンもヴィクトルも我が子の事を思うと身につまされる思いがしたのだ。


 それでも続けて言った言葉は母を慕ういかにもヴィクトルらしいものだった。


「それにしてもアナベル様は随分と激しい方だったのですね、母上と親子でも性格は違うようだ」


「確かに違うな」



 そんなことを父と伯父が横で話しているがリリアンは手紙を何度も読み返していた。



 アナベルの字は美しく彼女の教養の高さが伺えた。だけどその筆致からひどく急いで書いたのが見て取れた。

 それが妙に生々しい。



 この手紙からはよほどミルランという人を嫌っていたと分かる。そして『失望』という言葉にその人との結婚を決めた両親を恨んでいるようなニュアンスが感じられた。


 意に沿わない結婚をさせられるなんてどれほど辛いことか・・・とアナベルの肉筆の手紙にすっかり感情移入してしまい心を傷めて黙り込んでしまった。フィリップはそんなリリアンを慰めるように髪を撫でてやっていた。



 やがてリリアンは眉を寄せて言った。


「なんて御労(おいたわ)しいことでしょう。

 フィル様、アナベル様はこの婚約をお断りするようにご両親にお願いすることは出来なかったのでしょうか?」



「この文面からするとアナベルは先に婚約したくないとお願いしていたのかもしれないね。

 リリィ、ここに事件のあらましが書いてあるから僕が読んでみようか」


「はい、お願いします」



 フィリップは親切にも声に出して解説文を読んでやった。もちろん小さい字が読みにくいグレース夫人もその方が助かるだろうと思ったのもあってだ。



「解説。


 アナベルの結婚相手は政略結婚で相手も親が決めるということを本人も幼い頃から事あるごとに聞いて知っていたし、両親もアナベルがそれを了承しているものと捉えていた。


 その為に誰と結婚することになっても当然受け入れるものと考えていた両親は次期宰相の有力候補であったサミュエル・ミルラン伯爵令息を婿養子に取ることに決めたが婚約式を翌日に控えてもアナベルにそのことを伝えず「明日は朝早くから教会に行くから早く寝るように」とだけ告げていた。


 しかしミルランの名でドレスやアクセサリーが届いていること、そして明日は朝早く起きてそれを身につけることになっていると侍女に知らされたアナベルはサミュエルと結婚することになるのだと悟り、まだ結婚したくないとこの手紙を一枚残し、身の回りの物は何も持たないまま夜中に家を抜け出して姿をくらました。


 4日後、風で湖岸に押し寄せられたボートに彼女の靴が残されているのが発見され、部屋に残されていた遺書の通り湖に身を投げていたことが判明した。


 両親はアナベルに詳細を知らせていなかったのはサプライズで騙すつもりはなく完全にアナベルの誤解だったのだと発表し、まだこれほどまでに精神的に未熟だったのかとアナベルの短絡的で突発的な行動を嘆き悲しんでいたという。

 そしてメルシ侯爵家は一人娘のアナベルを失ったあと養子を迎えることもなくわずか一代で終わることとなった」


 そこまで読んでフィリップは一息ついた。



「・・・ということだ。

 この時のことは両親への聞き取りの内容も含め捜索の様子が騎士団の記録に残っていてそれを元に書いた解説だそうだ。だから実際に起こったことも概ねここに書いてある通りだろうと思われていたんだ、ついさっきまではね」


「そうなのですね」


「うん、他にも演劇や書き物なんかも沢山残っているよ。それについての解説も読んでみるよ?」


 そう言って息を吸うと次の解説を声に出して読んだ。



「補足解説1。


『アナベルの悲劇』はこの親子の心のすれ違いを題材に扱った人気の演劇の演目である。


 生来の愛らしい容姿と明るく人懐っこい性格に加え、王族と初代宰相の両方の血を引くという血筋の高さで常に注目され男女問わずから圧倒的な人気を誇っていたアナベルの死は人々に大きな衝撃を与え、一年後の命日に王立グラン劇場で『アナベルの悲劇』が公開されるやいなや大ヒットし長きに渡り上演され続けた。

 その後各地の劇場や屋外舞台でも度々上演されて人気を博した他、庶民向けに旅芸人が人形劇を行いこれも各地で人気を博した。またこれを題材にした絵画や小説も盛んに書かれるなど貴族と庶民両方から人気を得た最初の戯曲となった。


 また『アナベルの悲劇』のヒット以降、その舞台となった湖は観光名所となっていたが幽霊が出てきて手招きされたという噂が立ったり、ボートの転覆事故が相次いだ為立ち入り禁止となった。しかしそれでも訪れる人が絶えず見張りをたて厳しく取り締まらなければならなかった。

 これらの騒ぎは人々の意識にも変化を与え、当時は親の決めた結婚が当たり前であったが本人の意思を尊重する風潮が強くなり恋愛結婚が増えるきっかけとなるなどアナベルが社会に与えた影響は大きい。


 ・・・こんな風に社会現象にまでなったんだよ。

 この国の人は楽しい話より悲しい話の方が好きな傾向にあるから未だ人気は衰えずだ。『アナベルの悲劇』はたった今もどこかの地方で上演されてるかもしれないよ。

 この国で一番ランクの高い王立グラン劇場で打ち立てた上演数、観客動員数、連続公演数の記録は50年経っても未だに他の追随を許さず、いくつかの記録は今も更新中だ」



 フィリップは解説文を読んでそう締めた。



 リリアンはフィリップの語る言葉を目をパチクリとしながら聞いていたが、そんな大ブームをたった一人の少女が巻き起こしたなんて本当に驚きだと尊敬の念を持たずにはいられなかった。



「解説を読んで下さってありがとうございますフィル様。

 それにしてもアナベル様はなんて凄い方なんでしょう!ダルトア歴史文化相が歴史のキーパーソンと言ったのも頷けますね!!」



 しかしそんな風に目を輝かせるリリアンへのフィリップの返事は意外にもつれないものだった。




「いいや、違うんだ」



「えっ、違うってどういうことですか?十分凄いと思うんですけど・・・」



 あれれ?


 私はずっとアナベル様がキーパーソンと言われる所以の話だと思って聞いてたんですけど違うんですか、と狐につままれたみたいですっかり訳が分からなくなってしまい、リリアンは口を尖らせコテンと首を傾げた。


アナベルの手紙に対する解説は長くて解説文、補足解説1、補足解説2まであります

歴史研究者の熱意を感じますね!!


そしてまだ次回もアナベルの話は続きますよ

こっちも長いって言わないで・・・

_φ( ̄▽ ̄; )



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