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184話 決め手はシアンシアン

 笑顔が戻ってようやく落ち着いたグレースはもう一度父の肖像画を見上げ、その姿をしっかりと目に焼き付けていた。


 さっきはアンリが父だと分かりその衝撃で思わず感情を爆発させてしまったグレースだったけど、今は父親が誰なのか分かった満足感でいっぱいだ。

 しかしそんな心とは裏腹に一歩、二歩とアンリの肖像画に近づいていく足元はまだおぼつかなく、ヴィクトルが腕をとってしっかりと支えた。


 一方、グレースの手を離れたリリアンはすぐに父であるクレマンに抱き上げられた。


「あっ、お父様」


「これならよく見えるだろう」


「はい、よく見えます」


 クレマンは久しぶりに会う娘リリアンをずっと抱き上げたくて仕方がなかったから良いチャンスと抱き上げたのだがリリアンの方も実を言うと身長が低いので後だと絵が見えないけど一番前だと今度は近すぎて逆にまたよく鑑賞出来ていなかった。だから抱き上げて貰うと目線が高くなってよく見えるのでとても具合が良かった。




「次にお見せしたいのはアナベルの絵です」フィリップが言ったので皆はぞろぞろと移動した。


 至宝殿はとても広いから壁の絵と絵の間隔はかなり開けてあるのだが、ここは2枚の絵が近くに掛けられていた。一枚はアナベルと両親の家族三人の絵で、もう一枚はアナベルが一人だけで描かれている絵だった。


 他はどれも一枚の絵に家族全員が収まっているのに対してこのアナベル絵だけが違っているのだ。それはこの絵の芸術的評価が高いからなのか、ただ単にこの絵が美しいからなのか理由はよく分からないけれど、とにかくこれだけ特別だ。



「なんとお美しい・・・」と溜息にも似た感嘆の声が上がったのも頷ける。



 アナベルがグレースの母であるならば誰もが ”きっと彼女も金髪碧眼の美しい令嬢だろう" と予想していたことだろう。

 それにしても、だ。


 アナベルは高貴でありながら瑞々しい愛らしさに満ち溢れ、輝いていた。



 またこの絵を見て「私の屋敷の玄関ホールにこの方の絵が飾られていますよ」と言った者がいたが、アナベルの絵は当時訳あって好まれたので親族でもないのに飾っている家がよくあったのだ。

 もう50年も前に描かれた絵が家の顔である玄関ホールに未だにあることを考えるとどうやらアナベルはただの令嬢ではないようだ。




「こちらの絵は14歳のアナベルです。

 彼らが行方をくらましたのはアンリが17歳でアナベルは15歳になったばかりの頃ですから、先ほどのアンリ殿下の絵も同様ですがこれらの絵が描かれてからそう遠くない時期の出来事でした」


 グレースの父と母といっても肖像画の中の二人はまだ十代で可愛らしい子供だ。そんな若い二人にいったい何があって行方をくらますことになったのだろう。



「アナベルの父はアルトゥーラス一世とオリアーヌ妃の末子であるアナトルで、母は初代宰相の子モニクです。アナベルは父からは王族の血を、母からは宰相家の血を受けていました。

 ちょうど二世には側妃の子を含めても王子ばかりで王女がいなかった為にアナベルはその代で最も高位の令嬢でした。

 年齢の近い従姉妹のアリアーヌは初代宰相の孫で第二代宰相の娘ではありましたが王族の血は引いていませんでしたし早くから婚約者が決まっていましたので権力が欲しい者は皆こぞってアナベルを妻に求め大きな後ろ盾を得たいと躍起になっていたのです。

 とにかく彼女の人気は凄まじいもので、後の三世であるヴァレリアン王太子とマルグリット王太子妃の結婚披露パーティーではお祝いに訪れたアナベルはその日の主役であるマルグリット王太子妃を遥かに凌ぐ人気となり、パーティー会場で終始大勢の人に囲まれ挨拶を受けていたのはまだ10歳のアナベルの方だったという舞台にも使われた有名なエピソードがあるほどです。

 そんな引くて数多のアナベルですが彼女の両親はアリアーヌの親とは反対に急いで決めずともその時の時勢にあった最高の相手をしっかり見定めて結婚相手を選びたいと考えていたので誰とも決めずにここまできました。その選択が悲劇を生んだ、と一般的には語られています。

 しかしこの度アナベルは意に沿わない相手との婚約に悲観し湖に身を投げたのではなく、愛する人と逃避行しその末に娘を産んでいたということが分かりました。

 そうなると少なくとも彼女がとった行動は悲劇ではなく、彼らにとって希望だったのではないでしょうか」



 グレースはアナベルの絵を見てもアンリの時のような激情を示すことはなかったが、フィリップの言葉はグレースの胸にジンワリと滲みこんでいった。


(逃避行が二人にとって希望だった?)


 考えてもみなかった、自分が希望の中で生まれたなんてことは。

 ただただ邪魔で疎んじられて捨てられたと思っていた。



 父と母は苦難の中でも一緒にいられて幸せだったのだろうか、そして私を授かったことが喜びだった瞬間もあるのだろうか。


 だったら、だったら結果として両親は何者かに襲われて命を落とし私は神殿に預けられたけど、両親は私を捨てようとしてなかったのかもしれない。両親の逃避行が希望なら、自分の命も希望であったかもしれないとグレースの心に希望の火が灯る。



(本当は私を連れて一緒に逃げようとしてくれていたの?)


(私はこの二人に・・・愛されていた?)



 ああ、喜びで震える。



 もしそうなら、彼らは私を残して死ぬのはさぞ心残りだったに違いない。


 両親に伝えられるものなら伝えたい、私は辺境で良い家族に囲まれ幸せだから安心してと。振り返れば良い人生だったと思っているから辛かったことも含めて全てを受け入れられる、だから自分たちを責めないでと。




 目は潤んだものの涙はない、神殿に連れて行ったのは泉の精であって両親ではなかった。死の間際まで一緒にいたのだから彼らに子を捨てるという選択肢は無かったのだ。

 それが分かったので心が温かい。


 愛されていた、そう思えただけで親の愛情を受けて育ったような幸せな気持ちになった。




 もう王太子殿下には感謝しかない。


 『両親から愛情を受けたことがない』というのは私にとってとても重要な事でいつも心の重荷になって私を苦しめたし、私の全ての行動原理に影響していた。それは私の人生を通しての大問題だったのだ。



 今、その重荷から解放された。


 心が軽い、私は今、喜びに満ち溢れている。




「王太子殿下、今日は本当にどうもありがとうございます。両親のことが分かり私の心は今、喜びでいっぱいでございます」とグレースは感謝を込めて深く腰を折って礼を言った。


「良かったですね」とフィリップは微笑んだ。



 それをクレマンの腕の中で見ていたリリアンは父に降ろしてくれとねだった。自分の口からもフィリップにお礼を言いたかったからだ。


 リリアンはグレースの横に立ち心を込めてカーテシーをした。


「フィル様、この度はアンリ殿下、並びにアナベル様のことを教えて下さりどうもありがとうございます。祖母は両親のことを知りどれほどその心が救われたことでしょう。それに私たちのルーツを知ることが出来ました。このこと心より感謝致します」


「リリィ、いいんだよ私が知りたくてやったことなんだから。喜んで貰えたならその甲斐があったというものだ」


 フィリップはそう言ったけど、それで終わるどころかリリアンとグレースを挟んで横にヴィクトル、クレマン、ニコラが並び立ち、ヴィクトルが言った。


「王太子殿下、辺境の一族を代表してお礼申し上げます。

 母の為、リリアンの為、そして我が弟達一家の為にこれほどまでのご尽力を下さいまして誠にありがとうございます」


 そして最上級の敬礼をして感謝の意を示すとリリアンとグレースも再びカーテシーをして全員で感謝の意を示したのだった。


 彼らからの重ね重ねの礼は大袈裟に感じたフィリップだったが、考えてみれば確かにこの事実の発見は彼らのみならず国全体にとっても大きな発見なのだと改めて気付かされた。

 なにせリリアンはアルトゥーラス一世とティエサ王妃との娘ピピから続くマルセルとオリアーヌ妃の息子アナトルから続くグレースの孫なのだ。つまり初代国王と二人の妃の血が全部が入っている者はこの国始まって以来グレースの子と孫だけで女性ではリリアンしかいない。アナベルじゃないがリリアンこそあらゆる令嬢の中で最も高位にいるということだ。アングラード侯爵の娘カトリーヌとルイーズなんかまるで目じゃないのだ。


 そもそもリリアンが高貴な存在だということに気づきそれを証明する為にこれだけの舞台を用意したのだが、事はリリアンだけでなく多くに影響することになる。グレース夫人の処遇もそのうちの一つだ。



「いいえ、喜んでいただけたなら幸いです。大伯母上おおおばうえ様」とフィリップが微笑むと皆はハッとして一斉にグレースに頭を垂れた。



 グレースはリュシアンの父ベルトラン四世の従姉妹であり、フィリップから数えても六親等の傍系血族である従伯祖母いとこおおおばにあたる。

 そもそもグレース自身の父が三世の王弟アンリ、祖父が二世の王弟アナトルなのだから間違いなく王族の一員だ。

 それに加えリュシアンの母レオノール前妃から見ても再従兄弟はとこで親戚筋にある上、王女ピピの血を引く辺境伯の妻だ。今までゼロだと本人は思っていたかもしれないが実際は物凄く王家と関わりが深かったのだ。


 フィリップはグレースと会ってからずっとグレースに対して敬語を使っていた。


 多分、今この時まで王太子が辺境伯夫人に敬語を使うのは主従逆転で用法が間違っていると感じていた者も多かっただろうし、リリアンの祖母だから敬意を払っていると思われていたかもしれない。もしそうならいくら婚約者候補がかわいいからと言って王太子が敬語を使うのはやり過ぎだと内心呆れられていたことだろう。


 しかし、グレースが従伯祖母いとこおおおばということなら話が変わる。

 立場はやはり王太子である自分の方が上なのだが、目上の王族に対する礼儀として敬語を使うのが適切なのだ。

 フィリップの言葉遣いに違和感を感じていた者達はこれで納得出来たことだろう。グレースに頭を垂れたということはその意味を皆も分かったということだ。


 うん。僕の仕事は完璧だった、とても満足だ。




「肖像画の紹介は以上で終わりです、そろそろ解散ということに致しましょう。

 しかしこの後もしばらく私はいますから至宝殿にある陳列物をめいめい見て回って貰って構いません」と挨拶をした。


 本当はもう少しアナベルについて話そうと思っていたが、グレースがとても満足しているようなので彼女に関する事件について語るのはやめたのだ。


 ワイワイとアナベルの肖像画の前に塊になっていた人たちはそれぞれ見たい物のところへ散って行き、まだ至宝殿を出た者はいなかった。リュシアンとモルガンはその場で立ったまま何か話し合っていたがフィリップはリリアンの所へ戻った。



「リリィ、肖像画のあるところにそれぞれに因んだ品が展示してあるんだよ一緒に見よう」


「はい」


「グレース夫人も一緒に見ましょう」と声を掛け、フィリップはリリアンと手を繋いで展示台へ向かった。



「ちょうどこの辺りがアナベルの物だ」とフィリップが言ったので見ると薄桃色のシフォン生地に白い花の刺繍が入った可愛らしいドレスが飾ってあった。


「可愛い〜!うわ〜、でもものすごく腰が細い!これ本当に着ていたのかしら?」


 ドレス全体のサイズから見てアンバランスなほどウエストが細くて目を疑うほどだ。


「多分着ていたんだろうね。この頃は腰の細いのが正義でコルセットでギュウギュウに絞っていたらしい。侍女が三人がかりで力任せに締め上げていたとか」


「わ〜、苦しそう」


「息が出来なくて倒れることもしばしばあったらしいよ」


「そんな時代に生まれてなくて良かった〜」


「いくら美しさの為でも健康を害するものはいただけないね」


「ええ、本当に」とリリアンは自分のウエストに手をやって言った。



 展示台の方には豪華なブルーダイヤモンドのネックレスやイヤリング、豪華な扇子、小さな真珠が散りばめられた手袋、やっぱり豪華な手鏡などが並べられていた。どれも可愛くて彼女にとても似合いそうだ。

 それにしてもアナベルは凄く贅沢な生活をしていたっぽい。これらは向こうにあった王族の宝飾品のコーナーにあった物と遜色ない豪華さだ。


 そんな華美な物ばかり並ぶ中で異彩を放つのは端っこに置かれている耳の垂れた犬のヌイグルミだ。クテッとくたびれたように寝そべる使用感がバリバリあるヌイグルミにリリアンは親近感が湧いた。



 実はこの展示台で異色の存在感を放つこの犬のヌイグルミをここに置いたのはフィリップだ。

 以前アナベルに関する物がないかと倉庫を調べたときに見つけていた。その時は微笑ましいと思ったが他の展示物と合わないので元の箱の中に仕舞っておいたのだがやっぱりこのヌイグルミとエピソードはグレース夫人に見せる必要があると思い昨日夕食後に来て展示台に移しておいたのだ。

 解説文はヌイグルミと一緒に箱に入っていたそのままで多分これを倉庫に仕舞った人が書いて付けた物と思われる。


「まあ可愛いワンちゃん!」とリリアンが嬉しそうにすればフィリップも昨日わざわざこれを出しに来て良かったと思うのだ。



 グレースもヌイグルミを見て目を細めた。


「まあまあ、お母さんもドゥドゥちゃんを抱いて寝ていたのね。豪華な暮らしをしているお姫様もこういうところは一緒なのね〜、うふふ」



 そして説明の札があるのに目を止めると、グレースは視力があまり良くないので目を凝らし声に出して読んだ。




「え〜っと、何々?『解説 アナベルはこのヌイグルミを幼少の頃はシアンシアンと呼びいつも抱いて歩いた。少し大きくなってからは自分の名前からとってアンナという名前を付け、とても大事にしていた』・・・ですって!?」



「ぶふっ」と思わず吹き出すニコラとクレマンに「ちょっとあなた達」とグレースが眉をしかめる。


 なんと犬のヌイグルミに付けた名前と、グレースの本当の名前が『アンナ』で全く同じ名前だったのだ。捻りも何もなく自分の名前の一部を取って付けただけ・・・。



 リリアンは「名前の付け方が一緒だわ!」とパアと嬉しそうに言ってフィリップを見上げた。うん、こんな所も漏れなく可愛いとフィリップはリリアンを抱き締め直した。



 ニコラは「アンリ殿下の決め手は俺に似てるってことだったが、アナベル様はこのヌイグルミの名前で確定だな!」と笑顔で言っているし、クレマンは目尻の涙を拭いながら「母上、アナベル様が母上の母上であるのはもう間違いないですね、疑いようがないですよ」と言っている。誰の目にも間違いなくアナベルとグレースが引っ付いた。



「まあ本当にこの方が私のお母さんで間違いなさそうね。犬のドゥドゥと一緒の名前だなんてちょっとアレだけど」


 眉を寄せて無理に困り顔を作ったものの、グレースもこれでアナベルが母だと確信したのでその表情は喜びが隠しきれてなかった。



 フィリップも改めて考えていたら可笑しくなってきて笑ってしまった。


「あはは」


「うふふ、ふふふ、ふふ・・・」


 リリアンも笑う。

 あんなに美しいアナベル様なのに名付けのセンスは無さそうだわ。だって私が自分の子供にオコタンって名前を付けるのと一緒のことだもの、流石にそれは無いわよね。



 ひとしきり笑って皆は笑顔のまま次の展示台に目を向けた。


 そちらもアナベル関係の物のようだが置かれているのはガラス板に挟まれた便箋に羽ペンとインク壺だけだ。


 きっとそれは最後の日にしたためられたもの・・・笑顔だったグレースは表情を引き締めた。


男性女性関わらず憧れの的だったアナベルですが名付けのセンスはイマイチだったようです


シアンシアンは小さい子供の犬の呼び方でわんわんと同じです


次話もアナベルの話ですよ

_φ( ̄▽ ̄ )



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