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168話 邂逅

 ニコラとグレースは王宮にある自分たちが借りている客室での朝食を終えてリリアンの応接室に向かっていた。そこにリュシアン国王が通りすがった。


 王族の生活空間である王宮は右翼と左翼に分かれていてとても広く、左翼は王太子の使うエリアになっているからこちらにいる限りグレースが国王陛下と遭遇する可能性は低いはずだった。

 それこそリリアンがフィリップ達とリリアン拳でも始めない限りリュシアンが左翼を訪れることはないのだが、そんな時もリュシアンは左翼の階段は使わない、しかしこの日はふとこっちのルートの方がスムーズに目的地に行けるのではないかと思いついて気まぐれで通ったのだ。



 グレースは途中の踊り場で足を止め、後どのくらい階段が続くのかしらとちょうど上を見たところで、リュシアンは上から降りて来ようとして下を見たところだった。



 そこで両者はお互いの顔を見た。



 ニコラは国王陛下のお出ましに気づいて、グレースに小声でアドバイスした。


「お祖母様、こちらに今下りていらっしゃるのは国王陛下で在られます。我々はここで端に寄って待ちましょう」


「ええ、分かったわ」



 グレースは突然のイベント発生に若干はしゃいだように肩をすくめたが、失礼のないよう小声の早口で返事をするとニコラに習って端に寄った。そして作法通りにお腹の前辺りで両手を重ね頭と目線を下げて国王陛下一行が通り過ぎるのを待った。



 せっかくなら孫のリリアンがお世話になってますとご挨拶したいものだが貴族同士ならともかく国王陛下には例え初対面でもこのような所でご挨拶をすることはないらしい。ご挨拶は謁見室での御目通りがあるとか、パーティーなど正式な場で紹介され名を名乗る機会があってするものだと聞かされていた。

 国王ともあろうものが下々の者からの挨拶にいちいち足を止めて応えることはない、そのようなことにわざわざ時間を割くなど有り得ないことなのだ。


 しかし、例外はある。国王陛下自らが御声をかけたのであれば話は別だ。



 ニコラとグレースはジッと視線を下げて待機し、目の端に国王陛下の足先を認めた。ゆっくりと下りて来た彼はあと階段を3段ほど残すばかりという距離で足を止めた。


 そして戸惑ったようにこう言ったのだ。



「これは・・・夢ではなかろうか、まさか亡霊ではありませんよね?」



 何を仰っておられるのだろう、国王陛下の様子が変だ。


 両手を彷徨うように動かして1段、2段と階段を下りながら尚もリュシアンは言うのだ。



「母上、母上ではありませんか?ああ、こんなに長い間どこに居られたのですか・・・母上」




 ニコラは不審に思った。


 いつも快活で堂々とした国王陛下に似合わぬ言動だ、しかもなぜかお祖母様のことを自分の母親だと思い込んでいるようだ。


 陛下の母君は陛下の戴冠前に亡くなっているのだからここにいることなど絶対に有るはずがないのに思い込むその様子は重症に見える。暴君ではないと知ってはいるが何せ相手は全て自分の意になる存在だと思うと心配になってくる。ニコラはとにかくややこしい話にならなければ良いがと祖母の身を案じた。

 そうだな、例えばだけど最悪な展開は祖母を母親と同一視され先代王妃として祭り上げられるとかだろうか。そんなことになったら辺境に帰れなくなる。このまま放置するのは危険かもしれない。



 当のグレースは王宮慣れしているニコラが側にいることもあって割と気楽な気持ちで国王陛下が近くをお通りになる初体験を楽しんでいて、リュシアンの呟きのような言葉がこちらに向かって投げかけられたような気はしたが、まさか自分に対してのものとは思いもよらなかった。



 本来ここで挨拶するものではないが、ニコラは陛下が踊り場に降りたった瞬間を狙って先手を打った。ちょっと前に『一本勝負』や『枯れずの森』のピクニックで親しくさせていただいた自分なら少しの無礼は許される、と信じて。




「国王陛下にはご機嫌麗しく。どうぞ私に紹介させて下さい、私の横に居りますのはリリアンと私の祖母でありマルセル・ジラール辺境伯の妻のグレース・ジラールでございます」



 リュシアンはグレースしか目に入っておらず、跪きその手を取って再会を喜び合おうと思っていたところだった。


「何?」


目を細めてこちらを見て、ようやくグレースの隣にニコラが立っていることに気がついた。


「ニコラか、何だ今なんと言った」


 母子の再会の大事な瞬間だが、他でもないそれがニコラだったから、他とは一味も二味も違う特別なニコラだったから、聞く耳を持った。

 期待していたのだ、ニコラはきっと言うのだろう ”国王陛下のお母様を見つけ出し、連れて参りました” と。その功績に応える為にまず話を聞いてやろうと思ったのだ。



 ニコラはまだ視線を下げたままの状態だ。


「はい、私の隣に居りますのは私とリリアンの祖母であるグレース・ジラールでございます。リリアンに会うために辺境から参りました、私も祖母に付き添い昨日からまた王宮の客室に滞在させていただいております」



「・・・ふむ、確かにそう聞いている」そう言ってその後無言になった。


 何とか事態を飲み込もうと頭を巡らせ、そう言えば先日フィリップがリリアンの祖母辺境伯夫人を王宮に招いて滞在して貰うことにしたと言っていたのを思い出した。


 頭の中の霧が晴れてきて周囲が見えるようになって来ると同時に、その女性のことをニコラが辺境伯夫人であると言い、リリアンの祖母としてここにいるのだと理解した。


 だとしたらニコラとここを歩いているのも頷ける・・・。



 ニコラはダメ押しで言った。


「祖母からもご挨拶をさせていただいても宜しいでしょうか」


「うむ」と押し殺したような声で返事をしたリュシアンは、ゆっくりとニコラからグレースに視線を移した。これから口を開くグレースに緊張したようだ。


(そうだ、声を聞けば母上かどうか分かる)


 理屈では分かったものの、リュシアンの心は激しい急転直下の失望にまだついて行けてない。気持ちの良い夢の中から無理矢理引き戻された感じでまだ少しボーッとしていた。




「お祖母様、こちらはリュシアン・プリュヴォ国王陛下で在らせられます。

 国王陛下が広いお心でお祖母様に挨拶することを許して下さいました。これは大変光栄で名誉な事です。お祖母様からも最上の敬意を表すご挨拶を国王陛下にお返しして下さい」


 ニコラはちょっと長くなってしまったが、殊更に自分の祖母だということを強調してグレースに促した。


 グレースはニコラの言葉をふんふんと真面目な顔で頷いて聞くと、顔を上げ微笑んで国王陛下に挨拶をしようとした。ドレスを摘み最上のカーテシーをして。



「はい、わたくしは・・・」



 しかしリュシアンは挨拶をしようとしているグレースの言葉を遮ってこんなことを言いだした。とても失礼でマナーの悪いことなのだが黙っていられなかったのだ。



「あなたは・・・あなたには20年前にいなくなった私の母の面影がある。

 いいや、それどころか有り過ぎる。見れば見るほどそっくりだ。その瞳の色を持つ者はそうそう居ないはずなのだ、ほら私の目を見て下さい、同じ色でしょう?」


 よく見えるようにグレースの顔の前に自分の顔を近づけ、目を見開いてみせた。それも下さいなどと丁寧な言葉を遣って。


 ニコラが自分の祖母だと言い張っているが、リュシアンはまだ疑いを捨てきれず食いさがった。声はちょっと違うような気がしたが歳を取ったらこうなるのかもしれんと無理矢理問題ないことにした。さっきはニコラに邪魔をされたが自分からもう一度確かめないと気が済まない。




 後から考えると全くどうにかしていた。


 こちらにある公式な記録にはリュシアンの母が生きていた頃から辺境伯の妻として金髪碧眼の元神殿の巫女と記載されていて、それを今回の訪問に先駆けて宰相らと確認したばかりなのだから同一人物のはずがない。

 しかもグレースはリュシアンと同い年のクレマンの母親である。だから絶対にグレースがリュシアンの母であるなど有り得ないのにだ。


 でもこの時は自分の望む答えに導こうと必死でそこまで考えを巡らせる余裕など無かった。


 母は元気だった。自分たち兄弟が戦地に行っている間に亡くなって墓に埋葬されたと後から聞かされただけで仔細も分からず現実みがない、それなのに母はどこを探しても居ないのだ。喪失感ばかりが募った、それは死に目にあっていないせいだ。母は魔法のようにある日突然消えたのだ。

 その後すぐ国王という重責を担うことになり、なんとか救う手立てはなかったのかという後悔ともう一度会いたいという恋慕の念を心の奥底に無理矢理押し込んで今日まで無我夢中でやってきた。

 だが突然母と生き写しの女性が目の前に現れたことで、もしかしてあれは全部嘘で本当は生きていたのではないかという思いが頭をもたげ、それに囚われそうになっていたのだ。




(あの時、母上に危険が迫りそれを先に察知した誰かが手引きをして匿ってくれていたのでは?そして脅威が晴れたとして正に今、ここに戻って来られたのではないか)


 そう考えた方が辻褄が合う・・・とさえ思えるのだ。




「あなたは本当に私の母上ではないのですか?

 今までどうしていたのです?母上、あなたは私の母上ですよね?」


「!?」


 今度はハッキリとグレースに向かって投げられた言葉だった。

 思いもかけない相手からの思いもかけない言葉に驚きすぎて一瞬言葉を失ったグレースだったが、すぐに落ち着いて答えた。



「いいえ、そのようなことはありません。何故なら私は辺境の地で生まれ、辺境から出るのはこれが初めてでございますから。ですが、国王陛下の母君に似ているとは光栄の極みです」



 何度ニコラに否定されても一縷の望みを捨てきれなかったリュシアンだったが、本人の口から否定されてようやく他人なのかと思ってガッカリした。それにやはり声や話し方、仕草も違うようだ。



「・・・ああ、しかし・・・でもどうして・・・」



 それほどまでに似ているのだろうか、国王陛下は眉間に皺を寄せてまた混乱し始めているようだ。


 ニコラは殿下を呼んだ方がいいと思った。

 私たちに付いている護衛はジローだ、ジローが呼びに行けば殿下はすぐ来てくれるだろう。


「陛下、陛下がお持ちの疑問について王太子殿下が一つの仮説をお持ちです。今すぐ殿下をこちらへ御呼び立てしますのでお待ちいただけますか」



「何?フィリップが?そう言えば少し前に辺境伯夫人を囲む集いをするから出席して欲しいと言ってきたな。もしかするとその時に何か私に伝えたい事があったのやも知れぬ。

 それに対し私はヴィクトルの辺境伯位授与式があるからどうせならそれが終わった後にしようと返事していたはずだ。・・・あ〜まだ一週間は先だぞ!こうしてはいられない、今から私がフィリップの所へ行く」


 フィリップが何かを知っているのなら、そこに希望が見えそうな気がした。


 リュシアンは踵を返しリリアン応接室に向かって歩き出そうとしたが、すんでのところで予定があったことを思い出したようだ。



「誰か音楽堂跡へ行って私が少し遅れると、10分遅れると言っておけ」


「はい!私が参ります」


 一人がサッと前に進み出たのに頷くと、ニコラとグレースに「行くぞ」と言ってリュシアンは歩き出した。



 グレースは何がなんだか分からなかったが、ジローはもちろんのこと国王陛下の護衛達が当たり前のようにニコラとグレースまで一緒にと囲んで歩き出したのでとにかく国王陛下の後ろについて歩き出したのだった。


 それにしてもニコラにジローに国王陛下と特別背の高い男達にガッチリと囲まれているから周りが全然見えない。それはリュシアンが護衛達にコンパクトに歩くように密かに合図を送ったからだ。更に国王陛下のマントのせいで前が見えないだけでなく気をつけておかないとリュシアの歩に合わせてヒラヒラ動くその裾に巻きつかれそうだ。


 こんな時なのにグレースはちっとも大変な事になりそうだと思っていなかった。


 それより庶民の孤児が巫女から辺境伯夫人になり、ついにはこうして国王陛下の後ろを歩いているだなんて大した出世じゃない?しかも孫はいずれ王妃よ!?

 でもここまでやっちゃうと吟遊詩人の詩のネタにも戯曲にもなりはしないわね、盛りすぎだもの。そう思うと何だか可笑しくて微笑みが溢れた。


(後でリリアンに話してあげましょう。きっと面白がってお祖母様凄いわなんて言って喜ぶに違いないわ、ふふふ)


 ニコラの心配をよそに、楽しげだ。


 グレースはこれまで数々の艱難辛苦を乗り越えてきた。

 お陰で案外肝が据わっているのかも?


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