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162話 彼の帰宅

 グレースが王都に行くことを決めるほんの少し前のことだった。


 マルセル・ジラールの亡骸が見つかってしまったのだ。



 それで、夫が亡くなってしまったということが確定してしまった。




 去年の夏、ニコラがダガーを届けてくれた事で、予定の日が過ぎても帰って来ないマルセルの安否予想は悪い方へ大きく傾いた。

 ダガーの最初の届け人が精霊ならばまず疑いようもなかったが、ニコラは「そういうことだと思う」とオブラートに包んだ言い方をしたし、お互いに死という言葉を避けて話をし、亡くなったと結論づけることを避けたのだ。


 それでも国王陛下にだけは届け出が義務付けられていたから「もしかしたら」という内容の手紙で知らせたものの、他の者には何も伝えなかった。


 あの時ニコラにも言ったように防衛上安否未確認で公けに言いふらすことが出来なかったのが一番の理由だが、それにかこつけて血のつながった家族にさえも言わずにいたのだ。


 もし言ったらマルセルは亡くなった者として扱われるに決まってる。


 グレースはそうは言ってもまだ認めたくない気持ちがあり、これまで二人三脚でやってきた一番信頼を寄せる長男ヴィクトルにさえ、そうだと告げることが出来ずにいた。




 グレースが何も言わなくてもヴィクトルはいつまでも帰って来ない父を心配して何度か捜索隊を組織して探しに出た。申し訳ない気持ちになったけど、だけどあのダガーはマルセルが歩いている途中で落としたのかもしれないのだ。探しに行ったらマルセルにバッタリ会うかもしれない、怪我をして帰れないのかもしれない。

 捜索隊を見送りながらいつの間にかそう信じようとしていた。


 無駄な悪あがきだ。でも、まだ万が一の望みに縋っていたかったのだ。


 だからダガーはマルセルが帰って来た時にすぐにまた手に取れるよう布で丁寧に拭き定位置に戻しておいた。マルセルの決めた所定の位置はベット横にある引き出しの一番上だ。



 このようにこの半年の間、グレースは空虚で心許ない気持ちを引き摺りながらあーだこーだともがき続けていた。

 辺境伯家を切り盛りするしっかり者で、一人で何でも出来そうに見えたが実際はそうではなかったようで、どうやら夫マルセル・ジラールが何も言わずともバックにどっしり構えていてくれるからその手の上で自由に振舞えていたということらしい。些細なミスや物忘れが目立つようになった。



 その日、年末も近くなった頃、氷の女神リヤが声を掛けてきた。



 リヤは今もグレースのことをアンナと呼んでいる。


「アンナ、フーゴがね、銀の民はその後どうしてるのって聞いてきたから話してあげたのよ。

 今ちょうど一千年サイクルで現れる『氷の乙女』と『氷の乙女の護り手』が出現してるわよって教えてあげたらね、へーそれは凄いタイミングだねって驚いてたわ、ふふふ。

 それでね、『氷の宮殿を求める者』と『氷の乙女』達が実は血縁関係にあるのよって教えたらそんな偶然ってあるの?って、フーゴったらもう目をまん丸にして驚くのよ。可愛いでしょ?

 偶然というか、もう銀の民の特性が強く残っている者がほとんどいなかったから必然なんだけど、確かにそんなの初めてだから珍しいことに違いはないわ。でも笑っちゃうわよね、親子何代にも渡って私や氷の乙女を探し回ってるのに自分の孫が氷の乙女でしたなんてね!

 だけどそれを聞いてフーゴったらそれって『氷の乙女』の身も心配だし、何かあったら逆に『氷の宮殿を求める者』は『護り手』に殺されるようなことになるんじゃない?もしかすると親族間で大変な事件になるかもしれないよって心配するの。だから、もちろん『氷の乙女』と『護り手』にはその能力を一部残したまま特性を失うように特別な水を飲ませてあって執着も解けてるし、そうでなくても先に『氷の宮殿を求める者』はススィのクレバスに落ちて死んじゃったからもう大丈夫なのよって教えてあげたの!」



 まったく悪気のないリヤの言葉で、マルセルが本当に亡くなっているのだと知ってしまった。真実だと知りたくなくて敢えて尋ねていなかったのに・・・。



 でも彼女を責める気持ちはない。

 リヤ様は人間とは考え方も感覚も全く違う精霊だから。




 精霊には人間のような生と死という概念がない。

 そして好きや嫌いという感情はあっても恋愛感情というものはない。彼らの発生と存在にそんなものは必要ないからだ。だからもちろん性別だってない。

 そもそも形も無きものだ。人系をとることがあってもそれは仮にその形をとっているだけのこと、同じ言葉を喋っているようでも彼らは人間の言葉を使って話しているのではなく人間の脳にそう受け取らせているだけなのだ。


 しかし大精霊であるリヤは特別で、人間で言う神に近いような力さえ持っていて、唯一「愛する」という感情を持つという奇跡を起こした。そんな精霊は後にも先にも雪と氷の大精霊リアだけで、他の精霊達からはリヤは規格外だと言われているらしい。


 恋愛感情を理解し、元々フーゴに会う前から人間の生活を垣間見て出産の真似事がしたくなって氷で出来た擬似人間を創造したくらい人間の営みに興味を持っていたリヤでも、やっぱり人の死についての感覚は人間とは違っている。


 フーゴを失った時にリアがあんなに悲しんだのは、それがフーゴだったから特別で、多分知り合いのグレースが死んでももう会えないことを残念に思ってくれると信じているけれど、その他の人間は本当に生きようが死のうが全く何とも思わないのだ。


 だから友達であるアンナの夫が亡くなったことを知っていても大したことだと思っていないから教えなければとも可哀想で伝えにくいとも思わない。それでこんな風に楽しげにフーゴの話のついでにアンナに言ってのけることが出来るのだ。



 だけど、元が人間のフーゴは人間の感情を今も持ち続けていた。



「そしたらフーゴがね、人間にとって親しい人、特に家族の死はとても辛いもので、その生死が分からずにいることや亡骸が見つからないというのは耐え難いほどの悲しみなんだって言うの。

 アレってアンナの家族でしょう?それでススィにまだアレ残ってる?どれか分かる?って聞いたらちょうどあの時クレバスの底に水溜りが出来ていてそこに嵌ったからそのまま凍って氷に閉じ込められてるって言うのよ。

 だからあなたの元に返してあげようと思うの。

 今夜氷の山の西の斜面に雪崩を2回起こすから、おさまったら見に行ってみればいいわ。すぐに分かる所に出しておいてあげるから。じゃあね!」



 フーゴと再会してからのリアは最後は大抵いつもこんな風にあっさり去っていく。


 でも精霊は人と関わりを基本持たないのだから、ここまでしてくれるということは友達としてアンナの為に親切でやってくれるということなのだ。



 大精霊からのとてつもなく大きな、優しい贈りものの申し出に涙が溢れた。



「ありがとう」と遅ればせながらグレースが呟くと



「いいのよ、私たちの仲じゃない」と遠くでリヤの声が聞こえた気がした。




 そういう訳で雪崩が起こった場所にヴィクトルと騎士団に見に行かせたら、そこまで行く道の途上に切り出したような四角い氷が一つ滑り落ちて来ていて、中に生前と変わらぬ姿のマルセルがいたらしい。


 私たちは弔いをして、彼が見つかった日をその命日とした。




 今回、私が辺境の地から出て王都への旅に出る決心をしたのは、少なからず彼の死が影響している。私自身の口から子や孫に彼のことを伝え、形見を渡すのもこの旅の一つの動機だったからだ。


 そうは言っても楽しい仕事ではない、私にとって気の重い大仕事だった。



(リリアンにはニコラがこれから持って来てくれるマルセルの遺品を渡す時に話すつもりだったのに。

 きっとクレマンやジョゼフィーヌに告げ、国王陛下にはヴィクトルが伝えてくれると言ってくれたことでホッとして油断してしまったのね・・・リリアンはマルセルにとって特別な孫だから余計こそ、こんな事故みたいな伝え方をしたくは無かったわ)




 グレースが息を整えながらリリアンに上手く伝えようと言葉を選んでいる内にリリアンの方からグレースの手を握ってきた。そして、いたわるように優しく言ったのだ。


「お祖母様ごめんなさい、哀しみの中にいるお祖母様にいきなりお祖父様のことを聞いたりして。私、お祖母様の様子で分かりました。お祖父様はすでに・・・いらっしゃらないのですね?

 いつ、いらっしゃらなくなったのですか?」



「ええそうなのリリアン、あなたにすぐに教えなくてごめんなさい。

 あの人は、去年の夏に山に入ったきり、帰って来なかったの」


 今度は落ち着いてちゃんと答えることが出来た。自分の手を握るリリアンの小さな手が温かい。



「いいえ、私の方こそ昨日会ったら最初にお伺いしようと思っていたのに怖くて聞けなかったのです。それに本当のことを言うともうずっと前からお祖父様の身に何かあったのではとずっと気がかりでした。

 だって毎月お手紙を下さって二ヶ月おきくらいには顔を見に来て下さっていたのに、お手紙は誕生日の時まで、お顔は去年の四月から拝見しておりません。こんなに長い間お祖父様と何の交流もないのは初めてでした。

 私はすぐお祖父様にバースデーカードのお返事を送るべきだったのに・・・」



(昨年の誕生日前にお祖父様から銀の馬を贈ると手紙を貰って少し遅れてラポムが連れて来られたのだったわ。その後すぐにバタバタと王宮へ来る事になって、新しい生活の中で気になりつつもお祖父様の事を後回しにしてしまったのよ。

 なんて私の薄情な事でしょう。

 お祖父様、本当にごめんなさい・・・あんなに私を大事にして可愛がってくださったのに私はなんて薄情な孫でしょう。思い出されるのはお祖父様の私に向ける楽しげな笑顔、今はそれが胸に突き刺さるようです)




「リリアン。ニコラが来る時にお祖父様の形見も一緒に持って来てって頼んであるの、それを渡す時にお祖父様の事を話そうと思っていたのよ。

 あなたにはお祖父様が書斎で氷の山の探索資料をまとめる時に使っていた文鎮と最期の時に身につけていた懐中時計を受け取って欲しい。どちらもマルセルの愛用品で気に入って使っていた物だけど特にキジの文鎮は彼の父親が使っていたもので彼にとっても思い出の品だったのよ」



 リリアンにとって、それらは聞いただけでも緊張して震えがきそうなくらい貴重な物だった。曽祖父から受け継がれた愛用品と、実際にリリアンが祖父に見せてとせがんで手の上に載せて貰ったことのあるあの懐中時計なのだから。だけどお祖母様や伯父さん、従兄弟達の分はちゃんとあるのだろうか。



「そんなお祖父様が大事に愛用なさっていた物を私が二つも頂いていいのですか、それはお祖母様や皆にとっても大事な物でしょう?私はどちらか一つだけいただきます」


「いいえ、あなたにこそ持っていて貰えたらあの人も喜ぶと思うの。

 文鎮はお勉強する時に使ったらいいわ。でももう一つの懐中時計の方は針が止まっていて・・・そのまま持っていても修繕して使っても、あなたの思うようにしたら良いわ」



 いつも身につけていた時計は特にその人を思い出すのにうってつけのアイテムになると思う。


 しかし、この懐中時計の針は止まっていて動かない。

 もしかするとこれはマルセルが亡くなった時刻を示しているのだろうかなどと考えるとあまりに生々しく、グレースは辛くて手元に置くことが出来なかった。


 同じように考えたのかヴィクトルや一緒に住む孫たち、それにニコラにも懐中時計を薦めたんだけど皆んなそれとは違うものが良いと言うのだ、とても貴重な物なのに・・・。リリアンも嫌だと言うだろうか。


 そう思っていたが杞憂だったようだ。



「はい、・・・ありがとうお祖母様」



 お祖父様を失った悲しみでリリアンの心が沈む。グレースはリリアンを元気付けたくて最後はおどけるようにして言った。


「ねえリリアン、私にとってそれよりももっと大事な物があるの。マルセルの日記なんだけど彼が子供の頃から一昨年の分まであるのよ。それは全部私が貰うことにしたわ。

 中をちょっと見たところ、どうやら私、すごく愛されていたらしいの」


「えっ?」



「あの人ったら、直接言ってくれなかったくせに、日記には私のこと大好き、大好きって書いてあったの。何年にも何冊にも渡る大ラブレターだったのよ!」



「まあ!お祖父様が?」リリアンから思わず笑顔がこぼれた。グレースも笑顔だ。



「本当にあの人の昔気質の偏屈も困ったものね・・・口に出して一度でも直接伝えてくれてたら私たちもっと仲の良い幸せな夫婦になれたのに何で直接言ってくれなかったのかしらね」



 まあ大好き大好きは方便で、そういう意味合いに取れるようなことが書いてあったということだ。



 でも本当に意外で、本当に嬉しかったから、グレースにとってやっぱりそれはマルセルからの愛を語るラブレターなのだ。


今回初めて出てきたワード『氷の乙女の護り手』とは・・・?


42話 氷の女神

の中で語られている「後から作った特に純粋で硬く透明な氷から作った戦士」のことです。


<ちなみに情報>


護り手も千年に一度氷の乙女出現の前に現れます。


ニコラのことです


_φ( ̄▽ ̄ )



面白い!と少しでも思っていただけたお話は

<ポイント>や<いいね>で応援していただけるとどんなお話が皆さんがお好きなのか分かって参考になります

そしてなにより作者がとても喜びます


続きを読むのに便利な<ブックマーク>機能もありますよ

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