140話 お出掛けの日の夜
お風呂上がりでまだホカホカのフィリップが間の部屋に戻って来た。
「お待たせ」
「フィル様お帰りなさい、今日は私たちがずっと賑やかだったからお疲れになったでしょう?」
「いいや、大丈夫だよ。途中からニコラと隣へ避難してたしね」
「ふふ、そうでした」
今日の午前中は女性達が化粧品店巡りに熱中するあまり午前のオヤツの時間を忘れていて、前回行きそびれて今日訪れる予定だったパン屋フールニエの焼き立てクロワッサンをまた食べ損ねてしまった。
そこに行くのを一番の楽しみにしていたニコラはさぞガッカリしただろうし、僕も従兄弟に当たるリュカをリリィに紹介しようと思っていたから残念だった。
それから香水店を出た時にはもう昼食の時間に差し掛かっていたからレストランに入ったものの、女性陣の頭の中は化粧の事で一杯でせっかく皮がパリッと焼けて肉がホロっとやわらかい絶妙な出来栄えの鴨のコンフィが出されていてもスルーだ。
食事を味わうよりも買ったばかりの化粧品の感想を述べたり早く試したいとお化粧講習会を開く計画を立てたりとずっと化粧と化粧品の話題ばかりで、ルイーズなんかは早くも「いつ講習会をしますか」と前のめりでクラリスが「時間があれば」と応えるともう「いつかな、いつがいいかな」とソワソワしていたくらいだ。
彼女達の様子を見て僕はもう今日のお出掛けの主目的は達成されたと判断し、街歩きは終わりにして王宮に引き上げることにした。それでデザートを食べている間に追加でコレットとアニエスの分の化粧品セットを買いに行かせておいたんだ。
リリアンの応接室に戻るとすぐクラリスが先生になりルイーズをモデルにして大お化粧講習会になった。
ニコラもいたから僕もしばらくその場に留まって見ていたんだよ。
そうしたら肌荒れがあっても陶器のような整った肌に見せるテクニックとか、顔色が悪くても明るく健康的に見せるテクニックとか、それらはまだいいとして張ったエラを目立たなくさせるとか鼻筋、顎のラインを美しく見せるハイライト&シャドウテクニック、瞳を綺麗に見せるアイライン、キリッとした顔または可愛らしさを演出する眉の描き方に口紅の塗り方と超絶テクを見せられることになった。
何せクラリスのその技の数々は化粧を剥いだらどんな顔になるのかと疑う程多彩で顔が激変してしまうのだ。
恐ろしい、あんなテクを駆使して化けているのかと思うとその努力に敬服する以前に女性不信が再燃しそうだよ。
でもまあルイーズの顔がやたらとキリッとシャープに引き締まったのを見た後で化粧を落として今度はほんわり子猫系の可愛い顔に変わった時にはその違いに賞賛の拍手を送ったよ。輪郭まで違うように見えるんだから驚きだった。
それを見学するのは結構面白かったけど、やっぱり化粧というものは変身過程を知っているより単純に最終形態を見て美しいと思う方が良いなと思ったので途中でニコラと席を立ちリリアン専用娯楽室で剣を振って一汗かいたんだ。
「ねえフィル様、ちょっとお尋ねしますがフィル様はルイーズの可愛い系の顔が完成した時、拍手を送っておられましたよね?もしかしてフィル様はああいう感じがお好きなんでしょうか」
「へ?あれはそういうのじゃなくてすっごい顔が変わったのが凄いなっていうそういうので、クラリスへの拍手だよ」
「ふうん、そうですか」
何、何?一瞬何を言い出したのかと思ったけど、これってリリィがルイーズに嫉妬してるってことかな?
誤解されると困るけど、もしそうなら嬉しいんだけど。
「ほら、あの時ニコラも言ってたよね?クラリスすっげ〜って」
「あぁ、・・・そうでしたね。
クラリスの技術は本当に凄いものです、パメラの顔もすっかり変わってしまうはずですよ」
「まあパメラのは元の化粧がすっぴんから程遠いところまでイッてたからクラリスの化粧で逆に近いところまで戻ってきてたんだけどね。
それにしてもアイツは背も低くて童顔だから騎士としては見た目的に不利なんだけど、それが化粧のお陰で騎士としても頼れる感じになっていい線行ってるように見えるんだからクラリスの腕は凄いな」
「お化粧してないパメラは普通に綺麗で可愛いもの、お化粧をしていなかったらそんなに私と年が離れているように思いませんしね」
「ちょっとそれは言い過ぎでしょ。
それはともかくリリィに一つ聞いてみようと思ってたんだけどあの後それぞれが自分でお化粧してた時にリリィは何系の化粧をしようとしてたの?」
そう聞いたフィリップの目は笑いを堪えてるようだ。
「うっ・・・見て分かりませんでしたか」
「3パターンあったという所までは知ってるんだけどね、キリッと系、可愛い系あとは知的系だったね。
もしかしてだけど可愛い系だった?」
「まあ、はい、そうです・・・」
「・・・」
ふたりとも見つめあって口をムズムズさせて耐えていたが、同時にブフッと横を向き吹き出して笑い出した。
「アハハ、ごめん笑って。本当は4つ目のパターンがあるのかとも思って聞いたんだけど」
「うふふ、ちょっとこの話題を蒸し返したのは失敗でした。うふふ、あれは酷かったですね。
私にはクラリスがいてくれて本当に良かったです。自分でお化粧して登校したら大変なことになるところでした」
「アハハ、大丈夫!僕が止めるから。アレで外に出てはダメだ」
「うふふ酷い。いえ、酷くありませんね。絶対に止めて下さいよお願いします」
リリアンは今日の自分の顔の惨状を思い出し、笑いが止まらなくなってしまった。
「多分、父上も母上も止めるよ全力で」
「助かります」
そう、リリィの顔の出来は酷かった。
実践の時、クラリスはコレの次はコレを付けてと言いながら皆に背を向けてずっとルイーズに付きっ切りでアドバイスをしていて全然リリアンの様子を見ていなかったから放置されたまま失敗に失敗を重ねてしまったのだ。
フィリップとニコラがその場にいれば声を掛けて最初からやり直せと言ってやれただろう、それは部外者が見ても絶対に最初から失敗してると気がつくほどだったのだ。
化粧水や乳液を付けすぎてビチョビチョの上に化粧下地とファンデーションを付けたからヨレてまだらになり、その上に肌色の補正をするコンシーラーをシッカリ過ぎるくらいにグイグイと塗り、下地が均一についていないからムラになって上手くのらないとファンデーションも何度も重ねて塗り直し、その上にパウダーをどっさり付けて粉々になり・・・眉とアイラインはクッキリと太すぎで、頬骨に向かって入れるべきチークはホッペにまん丸と入って赤すぎだし、オデコと鼻と顎に入れた白いハイライトはクッキリと線になり、口紅は唇からはみ出しているという子供の悪戯書きレベル、ワザとじゃないなんて信じられないようなこれ以上ないくらいの下手さだったのである。
いや、多分お絵描きの時の感覚で自分の顔をキャンバスにして絵を描いてたんだな、あれは。
リリアンは一度真面目な顔に戻って言った。
「初めてでしたから加減が分からなくて苦戦しましたが、次はきっと大丈夫。クラリスが化粧水と乳液の付け方と適量を教えてくれましたから学園の授業でメイクを習う時はなんとかなるでしょう。今度からはクラリスがしてくれる時によく見て勉強しておきます」
一応、本人的にも苦戦してたんだ・・・。
「うん、がんばってね」とフィリップが言うと、
「はい」とにっこり笑って返事をした。
最終的には初っ端から失敗していて途中からは巻き返しようもなく、苦戦とかそういうレベルではなかったというか、全部が失敗だったんだと思う。
もう例えようのない面白さだったけど、またやってくれとお願いしてももう再現出来ないだろう。
そうだ、初メイク記念にマイヤを呼んで描かせておけば良かったそうすればあの可愛らしさを永久に保存出来たのに!もう二度とあの顔が見られないとなると非常に残念だ。こういう時は何でも忘れないように記録しておかなければ後悔するな、これからは気をつけねば。
膝に座って腕の中にいるリリィの顔をそっと見る。
お化粧三昧の1日だったけど、リリィは今まで通りお風呂から上がったままの化粧も香水もつけていないスッピンだ。
やっぱり僕はこの方が好きだな。
「リリィ、可愛い。何もつけてなくてもツルツルすべすべで良い匂いがする。
でも今日のお化粧した顔も可愛かったよ、あの姿を永久保存したいくらいに。リリィは何をしても本当に可愛いね」とフィリップが髪を撫でるとリリアンは困った顔になって言った。
「フィル様、あれが可愛いなんていったいどういうことですか?
やはり可愛いっていうのはただの口癖だったんですね。
それとも美的感覚ゼロですか?」
「ええ?そんなことないよリリィは何をしても可愛過ぎるっていうことだよ。
もう頭から布団を被っていてもリリィはそこにいるだけで可愛いんだから」
「そんなの可愛い訳がないじゃないですか。もう可愛いと仰られても信じられません」
本当なのに余計に信じて貰えなくなった。
あと、普通に考えたら可愛く見えないものの例えだったのにリリィがベットで布団の中に隠れているところを想像してみ?可愛くないどころか、そりゃあもう超絶可愛いに決まってた。
ちょっと考えようによっては失言だったんだけど通じてなくて良かったよ。
「リリィそんなこと言わないで?
誠心誠意本気のホントの気持ちだから僕の言葉を信じて欲しい。僕はリリアン命なんだから」
「うふっ、なんですかそれは。
分かりました、今回は信じて差し上げます」
「良かった」
リリアンの機嫌がすっかり良くなってニコニコしだしたから良かった。
可愛い笑顔に癒されてすっかり寛いでいたら、ふとそういえば寝る前に言っておこうと思ってた事があったのを思い出した。
「あっそうだ、パメラの特権授与式は明日する事になったよ。制服や諸々も間に合わせられるというし他の護衛隊との兼ね合いもあって騎士団の方から早くしたいと要請があったんだ。
だからリリィはいつもと違って朝食後は母上の所で正装に着替えて僕と一緒に謁見の間に行くことになるからね」
「はい」
「聞いたところでは父上も僕達の衣装に合わせて作り直したらしいよ、自分だけ時代遅れで野暮ったいとか言って」
「うふふ、じゃあフィル様とお揃いになるのかしら。拝見するのが楽しみです」
「うん。それからパメラの休みは元々三日後になってるんだけど、レーニエがその日に引っ越したいって言ってるからその前後も二人を休みにしてやろうと思ってるんだけど問題ないよね?
その後しばらくパメラには特別な講習や連携訓練なんかも入ってくるからスケジュールが立て込んでて休みを取らせられそうにないから先に取らせておこうと思って」
「はい、私の方はもちろんいいですよ。
でも特権騎士になるって大変なんですね」
「うん。でも騎士を志す者にとってはその大変さも栄誉なんだよ。自分の能力が認められたということだからね」
「パメラもそう思ってくれるでしょうか。
いよいよですね授与式、特権を持つことになるなんてパメラは何て言うかしら?私も段取りを間違えないようにもう一度おさらいしておかなきゃいけません」
「進行役がいるから大丈夫だろうけど始まる前に一通り練習しておこう、その位の時間は充分あるよ。
それにパメラも特権騎士になることを最高の栄誉だと感じると思う。なんて言ったってリリィの特権専属護衛騎士になるんだから。その為には少なくとも明日の授与式まで大人しくしておいて貰わないとね。
ニコラにそれとなくそういうのがあるというのを匂わせておいてって言ってあるから多分大丈夫だろうけど」
「あら、ではパメラは知っているのですか」
「うん。本当は適正を見る為に先に教えない方が良かったんだけど何も知らずにうっかり規律違反でもしようものなら適正なしと判断されてアウトだからちょっとズルした。
でも、少しでも規律違反をしたら取り消しっていうのは言わせてない。特権についてもそういうのがあるのは分かってても内容までは知らせてないからどうなるのかかなり気になってると思うよ」
「うふふ、ではいよいよ明日それを知らせる事が出来ますね、私も楽しみです」
「そうだね。リリィもいっぱい準備に協力してくれたからね、ありがとう。
これでいよいよ入学式も近くなって来たということだ・・・。
あ、もういい時間になってた。そろそろベッドに行って寝ようか、リリたん?」
「ええ、そうしましょフィルたん」
フィリップはリリアンのおでこにキスをして、リリアンはフィリップの首に腕を回した。
いつもだったらこのままフィリップの腕にお尻を乗せた子供抱っこでリリアンをベッドに運ぶのだが今夜はちょっと違った。もう学園に入学する日も近いしお化粧だってするようになる、リリアンは大人に一歩近づいたのだ。
リリアンの膝裏に腕を入れて横抱きにして立ち上がると、リリアンは思っていたのと違ったので小さく「きゃっ」と言った。
「びっくりした?」
「ええ、ちょっとだけ。
でも見て!ほらこれ憧れの王子様のお姫様抱っこだわ、うふふ」とリリアンは喜んで足先をピョコピョコ跳ねさせた。
夜な夜なリリたん、フィルたんと呼び合っているお陰か最近リリアンはニコラにするようにフィリップにも気の張らない無邪気な表情を見せてくれるようになってきた。
こういうの、より心の距離が縮まった感じがしてすごく嬉しいんだよね。
「あはは憧れなんだ」
「そう、しかもリアル王子様の!」
「ホントだ、僕リアル王子だった。リリィは僕のお姫様だからリアルお姫様抱っこだしね」
「わーいリアル、リアル」と喜んでまた足先をピョコピョコ跳ねさせた。
ぐぅ、可愛い。
ベッドに下ろすのが勿体無い、ずっとこうしていたい。
間の部屋のキャビネットには今日買った小鳥の細工の香水瓶が並べて飾ってあったけど、香水はまだ2人の世界に仲間入りをさせてもらえなかったようだ。
だって一緒にいるだけでこんなにも幸せなんだから、他の何も間に入る余地はないのだ。
「可愛すぎてベッドに下ろすのが勿体ない」のその心は・・・
下ろしちゃったらリリちゃんは速攻で寝てしまうからフィリップだけ楽しい気分を引きずって置いてけぼりになっちゃうのです
_φ( ̄▽ ̄; )
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