138話 香りの魔法使い
「私はこの店の調香師のテオでございます。
もしお目当ての香りがないようでしたら皆さんそれぞれに合う香りを調合しご紹介させていただきますのでご興味がおありでしたらどうぞおっしゃって下さい」
それを聞いたソフィーは「まあ、あなたが調香師テオだったのね?すごいっ!」と思わず感嘆の声を上げた。
この店の調香師テオは『香りの魔法使い』という異名を持っていて誰もが彼目当てで訪れるのだが、滅多にお目にかかれないのだと聞いていた。
彼の紡ぐ香りは瓶に入っている段階ではまだ未完で、その香りを纏い本人の香りと混ざって初めて完成する。テオは本人の持つ雰囲気や匂いそして心に秘めた願望などを感じ取りその人だけの香りを作るのだと言われている。
良い香りの香水は数あれどテオの香水は特別だとリピーターが絶えないのはそのオンリーワンな所が絶大な支持を得ているからだろう。
それにソフィーの友人にも以前ここを訪れてテオに自分の香りを調合して貰った子がいて、こんな話を聞いていた。
「信じられる?テオの香水を使い出してすぐ、全く見込みがないと思っていた片思いの相手から突然求婚されたのよ。遠くから見つめるだけで話をしたことも無かったのに!」
もう1人はこうだ。
「親の決めた人と婚約したものの相手の気持ちが全然こちらに向かなくて何を言っても一方通行でどうなることかと将来に絶望していたの、だけどたまたまデートで入ったジャスマンで作って貰った香水を気に入って付けてるうちにお互いがお互いに愛情を感じるようになったの。今は結婚するのが待ち遠しいくらいだわ、とっても幸せ!」
彼女たちはハッピーな事が起こったのはテオの香りのお陰だと信じていて、絶対に切らさないようにリピートするのだと言っていた。
そんな話を聞くとテオに香水を作って貰ったら自分にもハッピーな出来事が起こるような気がして『おまじない的な効果』をつい期待してしまうというものだ。
ソフィーの乙女チックな興味はともかくとして、実際のところ彼は顧客から『神から与えられた鼻』と賞賛され信頼を得ていて、自分だけの特別な香りを調合して魔法をかけて貰いたいと誰もが願うような凄腕の調香師なのだ。
そして滅多にお目にかかれないということで『幻の』などとも言われるが、それは通常は他の香りの影響が少ない郊外のアトリエで新商品の開発や材料や香油を取り寄せてより良い物を選んだり、自分で香油を作る作業もしているからだ。
そんな雑用は人に任せてお店にいつも居たら皆も喜ぶしもっと儲かるのにと思われるかもしれないが商品のクオリティを落とさない為に必要なのだ。何よりテオ自身がストレスを感じていると感度が下がり『作品』に影響してしまうのでテオに自然の中でリラックスして作業をしてもらうことがお店にとっても最優先事項だと考えられている。
今日、お店にいたのは王太子と王太子婚約者候補が訪れると聞いたから朝一番で戻って来ていたからだ。
「ではまず私に似合う香水を見繕って貰おうか」とフィリップは言った。
「畏まりました。では香りのイメージはリリアン様の香りと調和するプライベート用ということで宜しいでしょうか、それとも公務用、例えばリーダーシップを発揮するのにふさわしい香り、になさいますか」
「ほぅ、用途によって変わるんだな。
リリィの香りと調和か、それはいいな」
フィリップはリリアンと顔を見合わせると微笑んで頷き合った。二つの香りが調和するなんて、同じ香りをつけるよりもっとお揃いっぽいかもしれない。
「ではプライベート用にしてくれ」
「はい。では、王太子婚約者候補リリアン様の香りと調和しお二人が穏やかに愛情を育む、そんなイメージで香りを紡がせていただきます」
テオは目を閉じてゆっくり息を深く吸い込み香りの構想を立てた。
そして調合しているところがこちらに見えるようにカウンターの上に小さな精油の入った小瓶を後ろから選んでズラリと並べ、メスシリンダーにアルコールを入れると慣れた手つきで1滴ずつ、いくつもの香りを重ねていった。
そして自分で香りを確認するとノートにメモしておいてからフィリップにムエットという白い紙に香りつけて渡した。
「どうぞお試しください」
香水を選ぶ時に色々と香りを試そうとして直接肌に付けてしまうと香りが混ざってしまってよく分からなくなってしまう、それでこうして紙に付いた香りでまずは第一印象で好きか嫌いかで好みの物を探れるようにムエットという物があるのだ。
フィリップは目を閉じて、その香りをゆっくりと吸い込んでみた。
テオの穏やかな声が香りのBGMのように聴こえる。
「まず中心となるイメージ、麗しいリーダーたる王太子様御自身をイメージさせる香り、爽やかながら大人の落ち着きベルガモットにいくつかのウッディな香りを重ねて広がりと、さらにベンゾインで深みを出してみました。
最初は爽やかに、徐々に優雅でありながら男らしさを感じる香りに変わります、その変化は王太子様がつけられることによってより素晴らしいものになりますよ。いかがでしょうか?」
「うん、いいね。とてもいい香りだと思うよ。どうかな?リリィ」
フィリップの表情はうっとりとやわらかで満足気に見える、かなり気に入ったようだ。リリアンもフィリップに言われて首を伸ばして勢いよく胸いっぱいに香りを吸い込んでみた。
「ケホ、ケホ、なんだかくらくらします」
ヒラヒラと鼻の前で振られたムエットからフワッと匂ってくる香りとフィル様がマッチして大人の魅力というかなんというか、子供の私には刺激が強いのかなんだか鼻の奥がツーンとして涙目になってしまった。
あと急にいっぱい吸い込んだせいでむせた。
「ちょっと香りの刺激が強過ぎたかな?リリィがこの香りが苦手なら止めておこう」
「そうですか、こちらの香りの効果としてはリラックス効果もあるのですけど残念です・・・」
「いいえ、とても良い香りでフィル様にとても似合っていますし私も好きな香りです、今はちょっといきなりだったしフィル様に似合い過ぎていたからくらくらしただけですよ」
「似合いすぎでくらくらするなんてそんなことある?
大丈夫かなぁ無理してるんじゃない?やっぱり他のにしようか」
「いいえ大丈夫です、とっても良い香りだからやめないで下さい」
リリアンは香りも楽しめないお子ちゃまと思われたくなかったからそう懇願した。それに本当に良い香りだから使わないなんて勿体無いと思ったし。
「うーん、じゃあこれをオードパルファンにしてくれる?リリィの様子をみながら使ってみよう」
オードパルファンはパルファンよりほんの少し濃度を薄めたものだ。多少刺激が少ないと思われた。
「はい、ありがとうございます」
「それではリリアン様には・・・可愛らしさをより一層引き立たせるカシスの甘いフルーティーでジューシーな香りをベースにベリー系を重ね、少し時間が立つと出てくるスミレとホワイトリリーでまろやかなフローラルな香りに変化、更にバニラをそうとは分からないくらい少し。ミルキーさを奥の方に少ーし感じさせましょう。
敢えて背伸びせず大人になる直前の少女ならではの魅力を存分に香りで引き立てるブレンドで甘いんですけど甘ったる過ぎず瑞々しさ初々しさを感じさせる仕上がりに・・・」
そう言いながらどんどん調合していく。そして出来上がった香りをムエットに付けて言った。
「うーん、自分で言うのもなんですがこれは素晴らしい物が出来上がった!
香りの妙、まさに絶妙です!
繊細でありながら奥行きがありリリアン様の”今”の魅力を私の力の限り表現する最高の作品になりました。
王太子様の香水とリリアン様の香水の相性も抜群で私も数多くの香りを紡いできましたが私の会心の作にして代表作になりえる香りです。これは正にリリアン様から受けたインスピレーションによるものですよ」
ムエットを受け取ったリリアンはどうしていいのか分からなかったので、さっきみたいにむせたりしないよう手をいっぱいに伸ばして遠いところでヒラヒラしてみた。
「わぁ、可愛い香り。大好きかも」
「うん、可愛くてすっごくリリィに似合ってる。いつまでも匂っていたいような、なんだか美味しそうな香りだね。リリィが気に入ったらならそれを貰う?」
「はい、気に入りました」
「初めて香水をお使いになるのならほのかに香らせるオードトワレになさいますか?練り香水というのもありますよ。可愛い容器に入っていてほのかに香って香りも長持ちお肌にも優しいし、携帯してもボトルが割れるとか漏れるという心配もなく扱い易いので人気です。
練り香水は奥にいる店の者に作らせますので一緒にお持ち帰りいただけますよ」
「ほのかな香りなら学園にもつけて行けるかしら?」
「ええ、もちろんですとも。
でも今の香りは王太子様の香りに合わせて調合したものですから学園でお使いになるなら別の香りになさった方が良いですね。
学園ではこんな香りがお似合いでしょう・・・甘さは控えめでさっぱりとした清潔感のある香り、清楚で可愛いらしさも感じられ、聡明さも伺えるような香りです」と言いながら巧みに手を動かして次の香りを調合しリリアンに手渡した。
「はい、どうぞこちらをお試しください。
ホワイトリリーとスズランでリリアン様の崇高なイメージにピッタリですよ。
・・・なにせ王太子婚約者候補のリリアン様が変なのを引き寄せてはいけませんからね」
後半はボソボソと独り言みたいでよく聞こえなかったが、リリアンとフィリップは顔をくっつけるようにして二人で同じムエットから「ん〜ん」と言いながら香りをきくのに夢中だ。
そんな振る舞いからも二人の仲の良さが伺えて微笑ましい。
「わあ・・・さっきのと雰囲気が全然違う」
「おお、なるほどこれもいいね。ほのかに香る。
確かにリリィにピッタリな香りだ。学園で勉強する姿にも、美しく着飾った公務のときにも似合いそうだよ」
「そうですか?」とリリアンは嬉しそうだ。
「ではさっきのとそれをオードトワレと練り香水でそれぞれ貰おう」
「はい、ではご用意させていただきます。まずは香水ボトルと練り香水の容器を選べますからどうぞこちらでお選びになって下さい」
そう言って案内されたのは大小様々な容器の並んだ棚だ。
とても沢山あってシンプルな物から重厚な物、凝りに凝った装飾付きのものなど色々ある。ざっと見たところ馬の飾りが付いてるような瓶は無さそうだ。
「あ、これ素敵!」
リリアンが手に取ったのは黄色い鳥が枝に留まり周りを花と葉っぱで飾られているという見事な細工が付いたガラスの小瓶だった。鳥の目や羽根、花の中心部など至るところに宝石が使われていて美しいそれぞれが1点ものの工芸品だ。
「オコタンには似てないけど黄色い鳥か、可愛いね。じゃあ僕のもリリィが選んでくれる?」
「はい、では私とお揃いにしてあのお部屋の棚に並べませんか?」
「いいね、そうしよう」
フィリップのは同じテイストでやや大きい青い鳥と葉っぱの細工が付いているものにした。こちらは金がふんだんに使われていてより豪華に見える。
そしてリリアンの学園用のはノーマルに四角い瓶に百合の絵が描いてあるもの、そして練り香水は豪華な物もあったが携帯することも考えてシンプルな容器で見た目で分かるように黄色いのと白色で色違いにした。
今日はフィリップにお化粧品を買って貰ったのに続いて、ここでは二人だけの為の香水を作って貰った。リリアンは何だか急に大人になった気がした、それもとびきり素敵な大人の女性だ。
「リリィ、気にいるのがあって良かったね」
「はい、フィル様。素敵な物ばかり買ってくださってありがとう、私ウキウキしてきました」
「それは良かった」
それでは皆の買う物が決まるまで、ゆっくりしておきましょうか。2人はまだ見ていない店内の物を見て歩くことにした。