130話 ジュストしてやったり
「殿下、本当にいらっしゃらなくて良いのですか?」
「ああ、私はリリィの気持ちを第一に考えてやりたいんだ」
「ですからそれに関しましては私が悪うございました。前言は全て撤回致します、どうか許して下さい」
「だからそれは関係ないと言っているだろう」
何をウジャウジャと揉めているのかというと、昨日の会議が終わって執務室に一緒に戻っていた時にエミールがフィリップについこんなことを言ってしまったのだ。
「リリアン様が2年でご卒業なさったら殿下と同時のご卒業となり成人と認められますから翌年には晴れてご成婚が叶いますね!
それならば2年で卒業せよと申されたら決まりですよ、殿下が申されたらリリアン様は絶対そうするしかないのですから!いや、これはめでたいなぁ!3年後か、我々も今から準備を始めておかなければいけません!楽しみだなあ!」
「エミール、私は強制するつもりはないんだ。
学園に通うことはリリィの人生にとって大きな出来事だ。友と出会い色々な体験をして学ぶ場所だ。リリィにはリリィの希望があるだろう、それを私が指図したくはないんだ。私がリリィの決断に従う」
「えっ!?そんな、王太子殿下ともあろうお方が従うだなんて!それに既にリリアン様を王宮に閉じ込めていらっしゃるのに何を今更?」
「おいそれは見えない敵から守る為だ。囲っているのではない、勘違いをするな」
「そうでした・・・私の誤りです。誠に申し訳ありません」
と、こんな感じだ。
もちろんエミールに悪気など微塵もなかったのだが、王太子に対する失言の数々はもう取り返しがつかない空気だ。
エミールはいつになく浮かれ過ぎてしまった。
女嫌いで誰も寄せ付けず散々心配した殿下が最愛の人と結ばれて幸せな結婚をするだなんて!それが3年後という明確な時期まで見えてきたのだ。それがとても嬉しかったのだ。
いつもはこんな軽口は叩かないのに休み明け一発目の仕事で気持ちが弛んでいたのかもしれないし、もしかしたら自分が新婚でハッピーだったから浮き足立ってしまったのかもしれない。
だって、家に帰ればそこに最愛の人が自分を待っていてくれているんだ、それだけでもウキウキと心が弾むし早く顔が見たいと終業の時間が待ち遠しい。それが自分の身に起こるまで結婚がこんなに嬉しくって幸せだなんて知らなかったから早く殿下にもこの幸せを知って欲しいと切に思うのだ。
いずれにしてもエミールがいらないことを言ったせいでリリアンの成人がいつになるかという大事な時なのに、殿下は「口を挟まないし説明会にも同席しない」と言い出してしまった。
ああ、私としたことが浮かれ過ぎてとんでもない失敗をしてしまった。
エミールが気がかわらないかと願いを込めてそ〜っと目を遣るとフィリップはこちらには目もくれず「もうこの話は終わりだ。私は仕事に集中する」と書類をめくり出した。
そう言われたらエミールもそうするしかない。
説明会をしているサロンではスキップ制度の説明をしていた。
「今年度からはまず入学時の届け出でスキップ制度を利用するかしないかをはっきり宣言する必要があります。それによって授業の出席日数を評価に入れるか入れないかが決まるのです。
具体的には『スキップ制度を利用しない通常の場合』は今までの対応と変わらないのですが、前期後期と年2回定期試験があり、その結果が悪かった場合でも学園は補習や補講、再テストなどのサポートを行い全員進級するよう努めることになっています。つまり留年や落第は基本的には有りません。
進級の条件は出席日数が重要視され、その分テストの採点も赤点ラインも甘めになっていて、更に救済措置もあるというコースです。
『スキップ制度を利用する場合』には出席日数は科目ごとに決められた最低限をクリアしさえすれば後は出ても出なくても構いません。
例えば刺繍は最低1回、ダンスと社交術はそれぞれ最低5回は出席しなければなりません。それはお手元の表にありますので参考にして下さい。
その代わり定期試験の結果が重要視され採点も厳しく、上位4分の1に入っていなければ赤点で再テストはありません。要するにこちらは実力がない者を救ってでも進級させたりはしない、落第もあるということです。
上の学年で習う試験を落としたのであれば次年度にもう一度その科目に挑戦するチャンスがありますが通常の進級の学年より遅れそうな場合はスキップ制度の利用を学園側が強制的に停止し、補修や補講を受け再テストを受けて4年コースの方法で卒業して貰います。
ではここまでで何かご質問はありますか」
「はい」
リリアンはそっと手をあげて発言した。
「国王陛下が新しい法律をお決めになられた時、私に先陣を切ってくれと申されました。
この学園の早期入学、スキップ制度導入、成人年齢などを改める法律です。
ですから私はスキップ制度を利用して進級せねばなりません。ですが授業に出ず試験を受けて良い点が取れるとはとても思えないのです。かといって授業を全て受けていたのではとても時間が足りません。授業を出たと同等の内容を知る方法は有るのでしょうか?」
「なるほど、それは尤もな質問ですね。
前提としては授業に出席して板書きや聴講したことを自分で書き写すというのが学習の基本です」
「そうなのですか・・・」
「実は初めての試みゆえ我々もまだ模索中なのですが今一番有力なのは、その日の授業の内容を事前に教師にまとめておいて貰いリリアン様にはそれをご覧いただこうと考えています。
ただ教師達に打診したところ、授業の前か後に書き留めたとしても毎授業分となると相当な量ですから1部作るのが関の山だと申しておりまして、問題は他にスキップ希望者がいた場合は全員分を揃えることは難しく数が足りませんからそこをどうするかなんです。彼らの為に宮殿の書記官を使うことは出来ませんしスキップ制度利用者に対してのみそういうものを配布すると通常進級組に対して不平等なサービスになりますからね。
そういう意味でもスキップ希望者全員に何か学園側が用意することは困難でコレといった方法がないのですが何か良い案は有りませんか?」
逆にリリアンが質問されたが代わりにシリルが答えた。
「スキップ希望の皆が協力して共有するしかないだろうね。一緒に勉強出来ればよいがその1部しかない物を回覧したり、全員が勉強が出来るという前提だが授業を分散して受けておいて後で要点を教え合う勉強会を開くとか協力して補っていくしかないと思う。
2年かけて受ける授業を1年でといえば倍の内容になるからそれだけで全部を理解し頭に入れるのはとても大変だろうけどね」
「わあ、本当ですね」
「どうしても分からないところは聞きに行けば教師も教えてくれるだろうし、リリアン様には殿下やソフィーがいらっしゃいますから大丈夫ですよ。もちろん私もお力になりますのでいつでも聞いて下さい」
「まあシリル、そう仰ってくださることとても心強いです。どうもありがとうございます」
名前が呼び捨てで敬語とかしっちゃかめっちゃかで笑いそうになるが、シリルは真面目な顔で立ち上がった。
先ほどジュストとリリアンの会話を聞いてシリルは気が付いたのだ。
『リリアン様がいるからスキップ制度が始まった』ということに。
自分はタイミング的にたまたまその恩恵を被ることが出来るのだ。なんとリリアン様の存在の有難いことよ!たった一年といえど、シリルにとっては千金の価値がある。いや、それ以上の価値が。
シリルはリリアンに心からの忠誠を誓いたいと強く思った。
本来ならばリリアンの元に跪いて誓うべきだが今は説明会の最中だからまた改めて・・・とその場で胸に手を当てて言う簡易な方法をとった。
「リリアン様、あなたのお力になれることは私にとって最高の喜びです。
どうかまた後日改めて私にあなたへの忠誠を誓わせて下さい。
そしてあなたが必要とされる時はいつでも力になりますのでどうか遠慮なく申し付けて下さいませ」
リリアンは前触れのない突然の申し出に面食らったが、それをスマートに受け入れないと胸に手を当て頭を下げたままの彼に恥をかかすことになると思った。
「分かりました。では遠慮なく頼りにしていますよシリル」とリリアンも立ち上がりシリルにそう声を掛けた。
「はい、喜んで」とシリルは顔を上げ大きく頷いた。
そういう訳でまだ決定ではないらしいが受けていない授業の内容も知ることが出来そうだ。
この後は初等部の科目ごとの内容説明や単位取得条件に入るということで休憩になりお茶が用意されるらしい。
シリルは制度についての説明は聞き終わったということで退室した。ソフィーはニコラの婚約者ということでリリアンの身内として、またリリアンのサポーターとしてその場に残っていてくれる。
ジュストはまた、席を立つ様子が無く紅茶を飲んでいるリリアンの元に来て尋ねた。
「ところでリリアン様、先ほど国王陛下の命でスキップ制度を利用しなければならないのだと仰られていましたが、リリアン様は学園に何年通うおつもりですか」
「はい、高等部までの7年間を出来るだけ早くスキップして終えたいと考えています」
(ひえ〜!!やっぱり高等部まで通われるおつもりだった!ショック〜!!
私もお供しなければならないのに。勉強も大変だけど成人になれないっ)
ルイーズは絶望で天を仰いだ後、ガクッと机に突っ伏した。
こんな心中がバレバレな態度を取るのは良くないのは知っているけど、ルイーズは末席に座っているし、それを気にしているどころではない程のガックリだ。私の人生設計が・・・。
父が見兼ねて慰めるように背中に手を置いた。
「実はですね、リリアン様が王宮で夫人方から受けていらっしゃる教育は他の貴族達が学園で学ぶ内容より深く、しかも最先端の内容でありまして、我が国では最も高いレベルでございます。
それに加えて更にリリアン様がご納得のいくよういくらでも環境を整えることも出来るのでございまして、これ以上のものは学園にはないのでございます」
「そうなのですか」
「ええ、そうなのです。
高等部は爵位を継ぐ者が知っておかなければならない事を学んだり、学業や研究をより深めたい専門家や研究者になる者が通う場所です。
リリアン様の場合はニコラ様が爵位をお継ぎになるようですし王宮教育の方がもっと高度なのですから、王太子婚約者候補のリリアン様は高等部まで通われる必要は無いのですよ」
最後のフレーズを聞いてルイーズはガバッと顔を上げてジュストを見た。
「ええっ?行かなくていいの?でもリュシー父様は・・・」
「はい、私も国王陛下が仰られておいでだったのは、早期入学、スキップ進級、16歳より早くに成人となることだと聞いております。
この度改めて確認致しましたところその中に高等部まで進学することという項目は無いという事でございましたよ」
「行かなくて、いいんだ・・・」
今まで行くものだと思い込んで色々考えて計画していたリリアンは狐につままれたような気分だ。
急な展開に戸惑っていた。
「こちらがこの後の説明に使うサンプルでございます。
私どもも叩き台がないと時間割を組むのが難しかったもので仮に組んでみたのですが。
こちらが最高に詰めて取った場合の最短の2年で初等部を終えるパターン、こちらはそれよりやや緩いペースになる3年のパターンです。
あとは通常の4年で卒業になりますが一応それもサンプルを用意してあります。
どうぞご覧ください」
ジュストは自信満々に取り出してリリアンの前に並べた。
それもそのはずで私どもとは言ったが、サンプルはどれもリリアンの学習レベルや興味の方向性を熟知しているバレリー夫人とロクサンヌ夫人の監修の下に作成されているのだ絶妙の匙加減で組んである。
リリアンの目の前に新たに置かれた数枚の紙の一番上にデカデカと『2年で卒業』と書かれてあった。
視覚から入ってくる文字情報の衝撃力!!
『2年で卒業』
リリアンはその文字をジッと見た。
隣でルイーズは目を見張り、ゴクリと喉を鳴らした。
「どうなさいますか、リリアン様」
リリアンは迷いなく、若干食い美味でハッキリと宣言した。
「もちろん最短の2年を目指します!」
ジュストはそれを聞いて満足気に頷いた。