13話 護身術
アングラード家のお茶会の2日後、フィリップは王の執務室に呼ばれた。
ベルニエ伯爵家から首尾よくいったと報告が入ったという。
「流石だな」
「父上、ベルニエ夫人は何というか、奥が深いというか」
「ふふ、変わり者だろう。だがあの頃ジョゼフィーヌと接する事が無かったら戦争はもっと激しくなっていたし、私は暴君になっていただろう。言うなればこの国の救世主だな」
「そうなのですか、父上が暴君などと想像出来ませんが」
「ジョゼフィーヌは他の者とは違う信念を持っていた。必要な時には確信を持って行動する。まるで先見の明があるのかと思うほどで舌を巻いたよ」
何かを思い出すように言って続ける。
「あの頃は貴族も庶民もこの国の全ては王になる私の為に存在していると思っていた。
少なからず前王、つまり私の父の影響があったらしい、アレが私の考え方を根本から変えたのだ。私達を支えているのは民だ。その事を忘れるなと。
それを周知させる為にも能力を高め互い知る為にも今は貴族の子は王立学園に通うことを義務としたのだ。またこれについてはおいおい話そう」
「はい」と返事をし踵を返そうとしたフィリップをリュシアンが呼び止めた。
「お前に言伝だ『リリアンはアングラード家子息と顔を合わすことはありませんでしたのでご安心下さい』だと。良かったな!
フィリップ、私は本当にお前がリリアンと、そしてジョゼフィーヌついでにクレマンと縁を繋げたことを喜んでいるのだ。リリアンを大切にしてやれ、そして彼らからよく学べ」
『ついでのクレマン』のくだりは父渾身のギャグだったのか楽しそうに笑ってリュシアンは執務に戻った。
翌日、学園でニコラと話していた時に「お前はリリィといつも会えていいね」と言ってしまった。
もう13日間もリリィに会っていない、もうすぐ会えるのだがリリィ成分が不足して心の潤いが足りないと思っていたらついうっかり口に出たのだ。
ニコラは「は?」と一瞬怪訝な顔をしそうになったが何とか平生の表情に戻し誤魔化した。
「殿下、私は学園の寮に寝泊まりしているので剣を見に来られたあの日以降は妹に会っておりません。4限は研究発表の資料を各自で集めるということで自習になっておりますので校外に出る許可を取って一緒に我が家にいらっしゃいますか。リリアンも屋敷で暇を持て余しているでしょう」
「あと3日も経てば会えるし、私が突然行くと困らせるだろう?」と、なぜか急に気弱になるフィリップ。
おいおい、この方は王太子だぞ。恋する乙女か。
「私が今日どうしても必要な資料を家に取りに帰るのに、殿下も欲しい資料があるかどうか確認されるためにたまたま同行されることになり、偶然リリアンに遭ったとしても困りはしないのでは?きっと喜びますよ」と背中を押してやる。
「では、同行させてもらう」と神妙な顔で頷いた。
手っ取り早く馬で行くことにして、一応先触れを走らせるよう指示したが自分たちが先に出発したのでニコラ達の方が早く着いた。
執事に聞くとリリアンは鍛錬場にいると言う。鍛錬場?
ニコラは当然のように「では直接行ってみましょう」とフィリップを促した。
鍛錬場のドアを入って直ぐのところに護衛とみえる屈強そうな男が1人立っている。タン、タン、タンッと床を叩くような音が聞こえて中を見た。
そこではなんと独りで白い装束に身を包みリリアンが何やらやっている。ダンスではない。
その動きは俊敏で華麗だ。
「見たことがない格好と動きだ。あれは何だ」
「それはそのはずです。あれは辺境伯である祖父がリリアンの為に考えた護身術です。辺境伯領で使われているいくつかの体術を組み合わせたものらしいです。
衣装は母が動きやすく肌を傷つけぬよう考えたとか。
最初は暴漢に腕を取られた時の外し方とか後ろから抱きつかれた時の逃げ方など自己防衛の方法を学ぶということだったのですが、だんだん年とともに改良して攻撃的要素が入ったと聞きました。話には聞いていましたが私もリリアンが実際に動いているところを見るのは初めてです。もう、一つの流派ができそうですね。いや、驚きました」
リリアンが2人に気づき、体を動かしていたからだろう少し顔を上気させてやってきた。
「フィル兄様いらっしゃいませ、お兄様お帰りなさいませ」
見えないスカートの裾をつまむような仕草をしたもののにっこりとして小首を傾げかなり勝手に簡略化した礼をとって言ったがフィリップは咎めることはない。
「リリアンは僕に畏まった挨拶は不用だ。久しぶりだね、今は何をしていたんだい」
「護身術?というか、なんだろう?お祖父様に教えてもらった体術の型です。これを普段からみっちりやっているといざという時に役に立つと」
「なるほど」
そこへジョゼフィーヌが入って来た。
「殿下、いらっしゃいませ。ニコラ、先触れとは先に着くから先触れというのですよ。リリアンは直ぐに着替えてまいりましょう」
「いや、夫人。長居をするつもりはないのでこれで良い」
「はい、ではこのままで失礼致します。あちらにお茶を用意致しますのでどうぞお召し上がりください。今日は午前中にリリアンがロールケーキを作ったのです」
「ほう、リリィは本当に多才だな。流石、ベルニエ伯爵家の令嬢だ。先ほどの護身術もとてもスピードがあった。それに動きにしなやかさとキレがある。リリィの身体能力の高さが伺えたよ」
「ありがとう。私は小さいから大人が相手だと役に立つのかどうか分かりませんが、体を動かすのが楽しいのでつい夢中になってしまうのです。それからロールケーキは生地がふわふわでジャムと生クリーム、苺も入っています。作ったといってもまた最後の巻くところだけさせて貰っただけですよ」
「きっと美味しさが倍増していることだろうね」
「この子は貴族の令嬢というにはちょっと人様には言えない趣味と特技で、普通は読書とか刺繍というところなんでしょうけど。まあ、私のせいですけど」
「ベルニエ夫人が護身術の発案者かい」
「そうですね、この子が生まれた時に可愛すぎて。護身術を教えてやってと祖父に当たるジラール辺境伯にお願いしていました。ここまでのものになるとは思ってなかったですが」
いや、本当は辺境伯の赤ちゃんのあやし方が特殊で。目の前に素早くパンチを出して寸止めしたり、高い高いが高すぎるし時には高い高いコークスクリューとか言って高速回転させるし、キックの練習だとか言って脚をやたら動かしたり、まだ歩き出す前にぴょんぴょんさせて脚を強くするジャンプの練習だとか、次から次へともう何を始めるか危なかしくて見ていられなかったから可愛いリリィの為に最高の護身術を考えて来いと宿題を出して少し遠ざけていたのですが。辺境伯のやり始めたらトコトンのめり込むところとかを利用して。あと、例の氷関係の工事の発注をして。でもさすがに殿下にそこまでざっくばらんに言えないわ。
「辺境伯も可愛い孫娘のために張り切ったんだ」
「ええ、張り切りすぎ・・・いえ、もちろん孫煩悩でどの子も可愛がってらっしゃるのですが、女子は子供と孫がたくさんいる中でも1人しかいませんし、彼の見事な銀髪を受け継ぐのは長男そして孫のリリアンだけですから目に入れても痛くないほどの可愛がりようなんです」
「家族の中でリリィだけが銀髪だが辺境伯譲りだったのか」
「はい、銀狼の名の通り瞳と髪が銀色でいらっしゃいまして。リリアンの瞳は銀色というより水色に近いようですけど髪色は同じですね。
クレマンは母親の色が影響したのか色の褪せた金髪のようですし瞳も母親の青を薄めた感じで、ニコラも同じですけどね。私は髪は茶色で瞳は緑ですけれど子供のどちらにも伝わらなかったわ」
色が褪せたとか薄めたとか、クレマンは酷い言われようだが実際、辺境伯と同じルーツを持つ者は一様に銀色が混じり髪や目の色が淡色になるのだ。
「銀色ではなかったにせよ、ニコラの体格と身体能力の高さは辺境伯譲りだろう。学園一だし、高等部2年ながらすぐに騎士団に入っても付いていけるレベルだと思うよ。なあ、ニコラ?」
「ありがとうございます。殿下も体術を少し取り入れてみますか。武器を持っていないような不測の時でも戦えますし、より接近することになるので相手の隙を見極める能力が高くなります。それは剣術においても有効だし何より自分は強いという自信が持てるから堂々としていられる。心の持ち方、それが一番の牽制になるのです」
「いいな。私もやってみたいから教えてくれ。そうかあの時、私が強ければ何も恐れはしなかっただろうに。ベルニエ夫人、確かに護身術は誰にとっても必要だろうね。他の令嬢と違って結構。リリアンが強くあることは誇りに思っていい」
そんなフィリップの言葉にジョゼフィーヌが答えた。
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけて嬉しく存じます。
実は明日はアングラード侯爵家の次女ルイーズ様がこの護身術を体験してみたいと来訪予定なんです。いずれ淑女の嗜みとなったら面白うございます。とは言えあまり知られると先手を取られる恐れがあるのでそれは困るのですが」
「アングラードの?」
「先日のお茶会で私たちの会話は子供には退屈ですので、2つ年上のルイーズ様にお相手をしていただいて」
「あの、お話の途中に申し訳ありません。お母様、お茶が冷めてしまうわ。あちらでお話ししませんか」
「ああ、そうね。リリアンも殿下とお話したかったわね。私はもう行きましょう。後はあなたたちお願いね。ではごゆっくりなさって下さいませ」
リリアンに手を引かれ鍛錬場から前回と同じ客間に移動した。
今回はニコラが気がつき毒味の為に先に一口食べる。
リリアンも「では私もフィル兄様のケーキのお毒味をします。こっちに毒が入っていると大変ですから」と言うので「リリィの命は私と同等だから一緒に食べよう。そもそもこれはリリィが作ったのだから安全だろう」とその気持ちのお礼に頭を撫でた。
そして当然のように膝に座らせロールケーキをアーンして食べさせてもらう。
ああ、これこれ。
心の底から満たされる~。
身長差があるから横に座ると顔が遠くて話がしにくいからと心の中で言い訳してみる。それにしてもやに下がる。
「それにしてもこれも絶品だ。プチシューにロールケーキ、他には何を作ったの?毎日午前中はお菓子作りを?」
「いいえ、その2つだけです。あれからいくらお願いしても危ないからってちっともさせてもらえなかったの。でもナディアは、派手にクリームをぶちまけたから皆嫌がってるんじゃないですかって言うの」とクスクスと笑って肩をすくませた。
ベルニエの子供はニコラとリリアンだけだ、ナディアとは多分リリアンの侍女なのだろう。フィリップは侍女が主人に向かって何をひどい事を言うのだと思いそう言おうとした時ニコラが言った。
「ナディアは本邸の庭師の娘で庶民です。今回はお行儀見習いでリリアン付きの侍女という体裁をとって連れて来ているんです。普段、向こうでは父親の仕事を手伝いに来ているのにリリィが声をかけて庭で遊んだり、邸内に連れて入ってよく一緒にいるそうです。今回はタウンハウスにリリィが来るのは初めてだったので退屈しないよう話し相手として連れて来たんですよ。
リリィより4つ上なので少々口が悪くても責任感が有り、危ないことはしないので安心だと。今の時間は侍女と女中はお行儀の特別授業を奥で受けていると先程執事が言っておりました」
「成程」リリィと仲良しの娘を知らなかったとはいえ咎めなくて良かったセーフ。
「そして、厨房に入れないのはこの度『殿下の妹』になったことでスタッフが怪我をさせるのを必要以上に恐れているのです。母上もお菓子作りは手伝わせて良い。ただし火と刃物は背が作業台に届くようになってからと言っているのですが」
「そうだったのか、許可が出ているのに私が足枷になってしまったか」
フィリップは申し訳なさそうに眉を下げた。
それを見てリリィは言った。
「いいえ、今日はロールケーキを手伝えたのですものまた出来るわ、フィル兄様はアシカセになっていません!」
アシカセの意味がはっきりとは解らなかったものの、その様子から良くないことを言っていると判断して断言した。
「それに、お菓子を作った日は決まってフィル兄様が来て下さるのですもの。だったら私、毎日作りたい」
フィリップはその言葉を聞いてブワッときた。とにかく驚きと喜びで鳥肌が立ちそうだ。
今までネックレスを送った時とか、会えて嬉しいと言ってくれたことはある。婚約者候補の謁見の場でも。
それでもどこか温度差を感じていて王太子である自分に対する社交辞令の域を抜けていないように思っていた。だってリリィは『夢展開断固拒否(?)』の、あのベルニエ夫人の影響を受けていそうだったから。
でも、こんな風に「フィリップに会いたい」と思っている気持ちがあるという事を、問いかけずともリリィの方から明かされたのは初めてではないだろうか。たったそれだけのことなのに、気持ちが浮き立って羽根が生えて飛んでしまいそうだ。
「リリィ」そう呟いてギュッとその小さな体を抱きしめた。
リリアンはしばらくその腕の中でジッとしていたが、やがて両手でゆっくりとフィリップの胸を押すので、フィリップもそれに抗わず腕を緩めた。
「あの、お茶を、お茶を取ってきます」
俯いてそう言うとピョンと膝から滑り降りてティーセットの置いてある方へ軽い足取りで走って行った。そこにはいつもの侍女サラが戻って来ており2人で小声で話し、しばらくお茶を入れてもらっている間そこで待っていた。
令嬢ならば自分で運ぶものではないのだが、リリィが自分で運びたいと言ってトレーにミルクティーが注がれたカップを2つ乗せて、しずしずと戻ってきた。少し来たところで足が止まる。
護身術ではあんなに優雅に動くのに、どうやらこういう事が苦手らしい。水面がゆらゆらと揺れて今にも縁を超えてこぼれそうだ。
ニコラが声をかける。
「リリィ、肩の力を抜いて脇を締めるんだ。水面を見ずに頭をあげて視線は前、素直に進行方向に向けてごらん。ほら、肘を張らず背は伸ばして。緊張しすぎなんだ、力を抜け」
「むり〜」
フィリップがアシストしたくて腰を浮かせて声をかける。
「リリィ、どうしようか、代わろうか?」
「だめだめ、きちゃだめ、こぼれちゃう」
リリィは必死だ。水面から目が離せない。
時間をかけてなんとかテーブルに到着した。溢れてはいないようだ。
「リリィ、こぼさずに運べたね」とフィリップ。リリアンは嬉しそうに笑った。
「リリィ、一度少なめに注いでもらって、さっき言った事に注意してやってみてごらん。一度コツが掴めると次からは簡単になるはずだ」とニコラ。
「はい。さっきはいっぱいいっぱいで頭に入ってこなかったので、また教えて下さい。ニコお兄様」
リリアンはニコラに顔を向けて言いながらも既にフィリップの膝に座るのが当たり前になっているようで、そばに立ち手を差し伸べて来たので膝に座らせながら言った。
「リリィは努力家だね、色々な事に取り組んで」
「ええ、出来ないと避けていたら、何も出来るようになりません。好きな事はいくらでも取り組めますが、苦手な事こそ私は克服したいのです」
ニコラ的にはそうやって人の膝に座りながら大真面目な顔で立派そうなことを言ってるリリアンが面白かったが、フィリップは心から感心した。
これが6歳の伯爵令嬢が言うことだろうか?
膝の上の令嬢の、その凛とした瞳を見る。
なんて志が高いのだろう。この言葉はフィリップの胸の奥深くに沈んでいくようだった。
それからリリィの運んでくれたミルクティーを飲んだ。
すっかり冷めていたが、美味しかった。
ニコラには侍女のサラがストレートティーを運んで来た。
また2人でロールケーキを一緒に食べる。
フィリップの至福のひと時ふたたび。
そしてまた先日の侯爵家訪問の時の話になり、リリィはルイーズに趣味を聞かれ「護身術とお絵かき。それからお菓子作りをしたいと思っているけれど危ないからと少ししか手伝わせて貰えないの」と答え、一緒におしゃべりをしながらお絵かきもして、護身術とはどんなものか聞かれて少し型を見せたら興味を持たれたのだと言う。
「どんな型を見せたの」
「ドレスを着ていたので、こんな感じです」とリリアンは立って広く空いた場所に行き、真面目な顔で両手を構えて腰を落とし手を突き出したり払うような動作をしてみせた。
着飾ったドレス姿でその動作はきっと似合ってなくて妙だっただろう。でも、いいのだ。そんなリリィでさえ可愛い過ぎる。
「いいね、凛々しいよ。僕もニコラに教えて貰うから今度一緒に練習しよう」
「わぁ、楽しそう!それにこちらに来て組手をする相手がいなかったから、少し組手の相手もして下さると嬉しいです」
「僕はリリィに伸されるのか、まあそれも一興。立てなくならないよう鍛錬に励むよ」
「大丈夫、急所は狙いませんから」
「ん?」
「え?」
立てなくなる意味が違う。
リリアンが習っているのは護身術。勘違いも仕方がなかった。
まあそんな勘違いも全て可愛い。
アングラードとの付き合いが深まるのはマチアスの存在を思えば面白くないが、婦女子に護身術は必要だろう。一般的な身体能力と思われるルイーズとやらだとどのくらいのものになるのだろう。普通の令嬢が護身術が身につけられるのか、ちょっと興味がある。
フィリップは最初からリリィの全てが良いものに思えるし、リュシアンのせいでベルニエ家、特にジョゼフィーヌのやらせることは全て良いものだと認識する信者になってしまっている。ちょっとチョロ過ぎないか王太子。
ニコラは甘くてチョロい殿下に少し慣れてきた。幸せそうでなによりだ。
でも今はまだここだけでいい。
だって殿下、学園とリリアンといる時とで全然違うんだもの。表情がゆるすぎて威厳も何もあったものではない。
ロールケーキを口に運ぶ。うん、美味しいし先日のプチシューの事を思えば見栄えも満点だ。
2人に目を戻すとこの護身術を表す名前を考えていた。
『リリィ術』に『リリアン拳』とかセンス無さ過ぎだろう。
他の者達がフィリップ殿下のこの様子をみたら目が飛び出るほど驚くだろうなと、ちょっと想像してフッと鼻で笑ってしまった。
そうして紅茶を飲みながらまだしばらく穏やかな時を過ごした。