127話 いよいよ始まる説明会
いつもの乗馬練習が取り止めになり、その代わり『入学前の事前説明をリリアン様と受けることになりましたので午前10時に宮殿にお越し下さい』と呼ばれてお父様と一緒に来たのに、ルイーズ達が通されたのは説明会会場ではなく別の部屋だった。
ちょうどお茶の時間だったから説明の前にリリアン様と一緒にお茶を飲むのだろうと入っていったのだけれど、部屋の中はズラリと同じ方向に向かって男の人たちが座っていて、とてもそんな雰囲気じゃなかったから(あれ?ちょっと変だな)とは思ったの。
でも流石に目の前に国王陛下がお座りになった時はビックリしてどうしようかと思ったわ。たってそんなこと私に予想が出来るわけないじゃない?
確かにお茶も用意して下さったけれど、陛下の御前では緊張で手が震えてしまってカップを持つことさえ出来なかったわ・・・。
ルイーズはついさっき我が身に起こった事を思い出し、頭をガクリと下げて大きく息をついた。
「あらルイーズ、どうなさったの?」
隣に座るリリアン様が心配して小首を傾げて私の顔を覗き込んだ。するとその動きに合わせて銀の髪がサラサラと肩の上を流れ、キラキラと輝いてリリアン様に特別なエフェクトをかけている。
(こういう所も言えば良かったのかしら?リアルでキラキラしてるって。
でも、もうご存知よね)
先ほどの国王陛下とその後ろにズラリと並んだ男の人たちは、あなた方の知るリリアン様の話を聴かせてほしいと言い、父とルイーズが思いつく限りを話してもそれでもまだもっと何かないか、もっともっと他にはないのかとせがんできたのだ。
彼らはどんな小さな逸話も聞き漏らさまいと身を乗り出して迫ってきた(ように感じたくらいだった)から・・・それでその圧に負けてしまって・・・つい、いらないことまで喋ってしまったのよ。
「リリアン様、実は私、陛下に余計なことまで喋ってしまいましたの。
嘘偽りは申しませんと先だって宣誓もしている手前、今から取り消したいなんてもう言えませんわよね?」
「えっ、ルイーズは国王陛下にお会いした、のですか?」
リリアンは『貴族令嬢は国王の御前では面を伏せてお声が掛かるのを待つものだが、まず国王と直接話をするなど有り得ない事であるからそれを踏まえ身の程をわきまえるべし。尚、王族並びに既に許しを得ている場合はこの限りではない』と習っているから何か聞き間違えたのだろうかと思って問いかけた。
「ええ、私、国王陛下にリリアン様と一緒にお勉強をした事とか、乗馬をした話をしたのですけど、他には無いかもっともっとと言われたのでつい兄とお見合いする予定だったと話してしまって。
嘘をついた訳ではないのですけどその事は人様には絶対言うなと両親に言われていたものですから帰ったらきっとお父様に怒られてしまうわ。
あの時横でウヒャッとか素っ頓狂な声をあげてたもの。絶対に怒ってると思うの」
ルイーズのお父様は私と反対側のルイーズの隣に座っているのにここでそんなこと言って大丈夫かしら?お父様にまるで聞こえていると思うけど。
心配になってリリアンがチラリと様子を伺うとアングラード侯爵は皆の手前もう喋るなとルイーズの口を塞ぐ訳にもいかず弱った顔をしてルイーズを見ながら汗をダラダラかいていた。
あんなに汗をかいて・・・それにしても私がお見合いだなんて初耳なんだけど。
「ルイーズ、私はあなたのお兄様とお見合いをすることになっていたのですか?そんなお話は初めて聞きましたけど」
「えーっと、それは・・・」
「ねぇお兄様、お兄様は知っていらっしゃいましたか?」
「いいや、もし仮にアングラード侯爵家でそんな話が持ち上がっていたとしても我が家には知らされてないのだから見合いの話は『無かった』ということだな」
そう、正式に見合いの申し込みは無かった。
しかしそういう話になる恐れがあったのは陛下も殿下もご存じだ。
なにせそれを事前に阻止する為にリリアンを王太子婚約者候補ということにしたのだから。
花祭りの時に大々的に発表し正式な婚約者候補になることに繋がったのもそのお陰だ。
だから逆に言うとアングラード家の存在は結果的に殿下にとって都合が良かったと言えるだろう、彼等なしには婚約者候補という肩書きは生まれなかったのだから、その時の事をルイーズが喋ったとしても陛下や殿下に咎められる事はまず無いと考えられる。
しかし、侯爵が見合いをさせたいと考えたのは殿下が見初める前だから問題は無くてもリリアンが侯爵家を訪れたのは殿下と出会った後の事になる。
第三者の耳に入った時、その辺のタイミングの交差が付け入る隙になりかねない。
王太子婚約者候補に侯爵家が敢えて見合いを持ちかけたという間違った噂が広まると色々な誤解が生じ、果てはリリアンの汚名の元になるかもしれないから放置して置くわけにはいかない。
一応殿下に事の成り行きを伝えておくか。
「ルイーズ、それについては私から上手く訂正しておくからもう気にするな。アングラード侯爵もそういうことだからルイーズを責めないようにしてやって下さい」とルイーズに言ってやり、侯爵にも念を推しておいた。
もちろん侯爵の方が学生のニコラより格が上だが、ニコラは殿下と近しい間柄でありリリアンの実兄である事から下に見たりは出来ない。
実際にうっかり見合いの話が流出でもしてしまったら『マチアス、王太子婚約者候補に横恋慕』とか『王太子殿下の恋敵』とかならまだマチアスの婚期が遠のくくらいだが、『王太子から婚約者候補略奪を算段?公爵家が王家に謀反を企てる』とか、もう有りもしない事を触れ回られ足元を掬われるかもしれないのだ。
そうなるとお家の一大事に発展だ。
侯爵という地位は擦り寄ってくる者も多いが領地経営や税の面でも特別に優遇されている事が多く、妬まれているし敵だらけでもあるのだ。
あの時、私の話が終わった後はルイーズに発言の許可が移り、もう口を挟むことが出来なかったから上手く取り成して貰えると大変助かるのだ。
アングラード侯爵は「分かりました」と頷いた。
ルイーズはそれを聞いてホッとしたのだろう、ようやく笑顔になった。
その話がひと段落したのでリリアンは周囲を見回してみた。
会場は既に準備は整えられているもののまだ何か慌ただしかった。
文科相の人たちが続々と入室して来たり、高等部でスキップ進級をする予定のシリル・マルモッタンも入って来てリリアンに挨拶をして座り隣のソフィーと何か話していた。
ここは宮殿にある中規模のサロンで普段はパトリシア王妃がお茶会などに使っている部屋だ。
昨日になって宮殿に出入りしている学生に向けて他の者達より一足早く事前説明会が行われることになり、急遽テーブルや椅子が運び込まれた。
説明会の要点はもちろんスキップ制度と履修届けについてだ。
文科相の面々は資料を配り緊張した面持ちで席についた。
表向きは新しく導入されたシステムが上手く機能するかどうかを試す予行演習的なものという事にしているが個別に対応をする為に開いたのだ。
そもそも学年のスキップ制度は他の誰の為でもなくリリアンの為のものだ。
ただリリアンを早く卒業させて早く孫の顔が見たいが為に国王陛下ご自身が考えて決めたものなのだからリリアンが上手く履修科目を組んでスキップ進級出来なければまるで意味がない。
文科相も充分に検討を重ねてはいたが選択科目という不確定要素がある限り万が一ということがある。先にリリアン本人の希望を聞いて仮にムリがあれば時間割の組み替えや単位数を調整してでも意に沿うようにしなければならないと考えている。
そういう訳で文科相は当初はリリアンからだけ先に要望を聞いて対応するつもりだった。
しかしリリアンが選択科目を選ぶに当たって、ルイーズは一番近しいご学友としてなるべく同じ授業を受けて貰う予定なので事前に打ち合わせが必要だし、ソフィーにもリリアンの相談役として制度を理解しておいて貰わないといけないだろうということになって呼ばれることになったのだった。
そしてシリルについても1年で卒業出来るように取り計らうことになった。
これは本人には知らされていないがシリルが残り2年の所を1年で卒業したいと言っていると聞いたモルガン宰相が「1年でも早く現場に入れるなら是非そうして貰いたい、覚えることも経験を積まねばならぬ事も山ほどあるから」と言い、国王陛下がそれを良しとしたからである。
とは言ってもリリアンもシリルも受けたい授業を受けられるように時間割の調整をするというだけで、試験の点数に下駄を履かせると言う事ではないから勉強は真剣にせねばならないのに変わりはない。
彼らはゆくゆくは王妃、宰相という重い責任を課せられた未来がある、ここを努力と実力なしに素通り出来るほど甘くはないのだ。
ちなみにニコラはスキップをしない通常進級コースでいくのが決まっているので今回の説明会は必要なかったが、アングラード侯爵と同じ保護者としての列席だ。
いつもは悠々とした部屋に今日は大きな長テーブルが置かれ前からシリル、ソフィー、ニコラ、リリアン、ルイーズ、アングラード侯爵の順に並んで座り説明会の始まりを待つ。
パメラはリリアンから数歩後ろに立っている。
リリアンの胸は高鳴って来た。これでようやく大人になる第一歩を踏み出せるのだ。
(でも、今日はフィル様はここにはいらっしゃらないと仰っておられたわ)
リリアンは運命の分かれ道、一世一代の大イベントくらいの気持ちでこの説明会に臨んでいるのに現状では右も左も分からない上に、いつも側にいて何かと頼りにしているフィリップがいないからちょっと心許ない気分だ。
でも自分に言い聞かせ心を落ち着かせる。お兄様に大切な事を決める時ほど心を平静に保てと言われている。
今日は説明を聞くだけで何かを決める訳ではないのだから、フィル様に後で相談すればいい。
ソフィー様やニコ兄様も来て下さっているのだもの大丈夫よ!
一方、フィリップはヤキモキしながら王太子執務室で通常通りの執務をしていた。
説明を聞いてリリアンがどういう選択をするのか、一番望んでいるのはどうすることなのか、フィリップの意向よりまずリリアンの気持ちを尊重したいと考えたから同席しないことを選択した。
スキップするかどうかも履修科目で何を選択するかもリリアンの意に沿うように話を進めてやってくれとニコラには言ってある。
王太子という特別な存在なら、リリアンに「2年で卒業して王妃になれ」と言いさえすれば良い。本当はフィリップならリリアンを手に入れるのはいとも容易いことなのだ。でもそれじゃあダメなんだ。
そういう存在であればこそ、心が欲しい・・・。
リリアンだけは自分と対等な存在になって欲しい。
今日は、ある種の運命の分かれ道。
ついサロンの様子はと想像して手が止まってしまいそうになるが、それを振り払いフィリップは目の前の仕事に集中することにした。
リリアン達の前には既に履修表や届け出書、各学科の説明やスキップ制度のルールなどが書かれた紙が置かれている。
文科相補佐ジュストが前に立った。
今日もアレを発表する大役を文科相ディブリーから任されたのだ。
「それでは説明会を始めさせて頂きます」
いよいよだ。リリアンは気を引き締めて前を見た。
「昨年度までは初等部1年は全員が同じ授業を受けていたので選択科目は2年進級時に申告すれば良かったのですが、それではスキップする余地がありませんので4年分を通して見直し、大幅に変更致しました。
新しく追加されたものもありますが統合されたり必要単位数を調整してほんのわずかですが全体としてはボリュームは減っております」
リリアンはしょっぱなから大変な事に気がついてしまった。
と、いうことはシリルが言っていたスキップ進級攻略法の過去問やノートを借りるという昨年まで有効だった試験対策が用をなさないということじゃない?
リリアンは目の前に高〜い壁がドーンと立ち上がって進路を塞いでいるような気がした。