121話 酷い顔の私
リリアン応接室のドアは開け放たれており、ニコラとパメラは入室の許可を得るまでもなく通された。
先に戻っているものと思われたフィリップとリリアンの姿は無くてソフィーと侍女達が3人がいるだけだったからだ。
「あれ、リリアン様は?先に戻られたんじゃなかったの」
「はい、リリアン様は戻られましたが来客があり王太子殿下とご一緒に王太子応接室に行かれてます。パメラ様はここにとどまっておくようにとの事でした」とアニエス。
「え、それでいいの?」
就業中は昼休憩を除いていかなる時もお側にいることになっているし、来客なら尚更私が必要なはずなのだが。
しかもパメラはまだ王太子の応接室に行ったことがなかった。
王太子の応接室は大小いくつもあって、第一が最も広くて数字が増えるほど部屋が小さくなり少人数向けとなると聞いている。そして人数が少ないほど大事な話をする可能性が高いからより宮殿の奥の方にあるらしい。
そこに誰かが入って中を見たという話は聞いたことないのに、どれも趣向が違っててとても豪華で素晴らしいのだという噂だけが耳に届いていたからぜひ行ってみたかったのだ、すっごく興味がある。
「ねえ、やっぱり行ってみた方が良くないかな?」
「いいえ私もそう聞きましたよ」
ソワソワするパメラにソフィーは和かに言ったが、そこで改めてパメラの顔を見ると表情を変える。
眉をギュッと寄せ「まあ・・・」と声を漏らした。
「パメラ様、いったいそのお顔はどうなさったのですか、随分と酷い事になっていらっしゃいますわよ?
そんな酷いアザが消えるまでにいったいどれ程かかることでしょうか、全く誰だか存じ上げませんけど女性の顔になんて酷い事をするのかしら。それではとても人様の前に出られないし外も歩けませんわ。
お仕事とは言えパメラ様がお可哀想だわ!本当に酷すぎる」
「ぷっ!」
ソフィーは気の毒気にそう言って憤慨してくれた。どうやら稽古中にアザを作ったと思ったらしい。
それにしても今の間にどんだけ『酷い』を連発されたか数えてなかったけど、普通に人様の前に出てますし、外も歩いてますが・・・。
それに師匠がそれを聞いて吹き出しそうになったのもしっかり気がついたぞ。
ニコラはソフィーの頭をヨシヨシと撫でながら優しげに言った。
「ソフィーは優しいね〜、でもパメラのこれは殴られて出来たアザじゃないんだよ」
パメラに向ける態度とエラい違いだ。
「師匠もソフィーに話しかける時だけ優しいね(嫌味)」
「そんなの当たり前だろ。
あのね、ソフィー。こいつは自分で好きで塗りたくってこうなっているんだ。殴られたフリをしているだけだから心配しなくていいんだよ。
何でだろうな、レーニエにもっと構って貰いたかったのかな?」
ニコラはワザとらしくそう言った。
パメラには塩対応だ。
パメラは「もうっレニは関係ないでしょ!私が寝てないって知ってる癖に!」と反論しようと思ったけど、もしかして意地悪ではなく寝不足のクマを隠す為の化粧と悟られたくないパメラの気持ちを思って庇ってくれているのかも?などと思ったりしたせいで油断した。
だからニコラの心が広いとか思いやりがあるとかいうソレは、まやかしだと言っているのに惑わされて・・・。
「まあ!ご自分でですって?なんという事でしょう!」
と言うや否やパメラの隙を突いて、ソフィーからクラリスに矢のような指令が飛んだ。
「そういうことならやっておしまいなさい、クラリス!」
「はいっ、お嬢様!!」
そう、クラリスは宰相家でソフィーの母付き侍女だったからソフィーともよく分かり合っていてそれだけでソフィーの言わんとする事が伝わるのだ。(多分)
「そんじゃ俺は隣の遊戯室で遊んでるわ、終わったら呼んでくれ」
ニコラも何が起こるのか分かっているのかトットと出て行った。
展開が読めず呆気にとられている間にクラリス、アニエス、味方のはずのコレットまで一緒になってパメラをワッショイワッショイとパウダールームに運んでく。
そこで自分の顔を見てパメラは心底ギョッとした。
出勤前の自分の部屋やさっき化粧直しをしたところよりずっと明るいパウダールームの鏡に映った顔は、自分で思っていたより酷かった。それも相当、酷かった。
まるで両目に強いパンチを受けたみたいじゃないか!目が腫れぼったいせいで余計にそれっぽく見えるし!
「うっ・・・」
自分で自分の顔を見て、嘘だ!と言いたくなった。
成程、皆が殴られたのかと口々に言うはずだ、酷い顔にも程がある。こんな顔で威張って歩き回っていたとは・・・恥ずかしくてガックリと項垂れる。
さすがのパメラもこれ以上この顔で歩き回る勇気はなかった。
「パメラ様、クラリスはメイクの達人ですのよ。
お母様ったらパーティーやお茶会に行くのに今になってクラリスがいないと困ると手放したことを後悔してらっしゃるくらいなのですから」
肩を落とすパメラにソフィーはにこやかに言うとクラリスは顔を上げてソフィーに向かって微笑んだ。
「まあ、嬉しいですわ!奥様にそう仰っていただけるなんてとても光栄です」
頭の上でそんな会話が交わされていてもパメラはソフィーの言葉に耳を傾けるとか、とても無理でそれどころではない。
なにせ上だけ見ると優雅に話をしているだけのように見えるが、その下で彼女達の手は水鳥の足のごとくせわしなく動いて決して止まる事はなかったのだから。
クラリスは石鹸を盛大に泡だててパメラの顔を撫でまわして化粧を落とし、コレットはパメラが頭を上げないように押さえつけ、ソフィーは服が濡れないようにバスタオルを首に巻いた端を押さえてくれていて、アニエスは何故か一緒に髪を洗いだして水を上からバシャバシャかけてくるのだ。もう訳わからん!
「わあ!ちょっと待ってってば!」とパメラが言いたくても口を開くと中にクラリスの指と泡が入ってきそうだ。口を閉じたままだと「んっん、んっん」にしかならない、間でなんとか息をするのが精一杯だ。
こんな目にあってても相手は嫁入り前の令嬢達だから抵抗して万が一にでも傷つけるわけにはいかないし、もうまな板の鯉になるしかない。
無茶苦茶にされても彼女達はパメラの為に親切でやってくれているつもりなのだ。(多分)
ようやく元の部屋に戻って椅子に座らされると今度はグイッと上を向かされて冷たい濡れタオルで目を冷やされる。パメラはさながら3ラウンド終わったボクサーのようだった。
クラリスはその間に化粧箱を開き、次々と必要な物をテーブルに並べていく。パメラはタオルが取り替えられる間にチラリと見て言った。
「ちょ、それリリアン様のお顔に使うものじゃないのか、私の顔に付けるつもりなら恐れ多いからもう止めて!スッピンでいい」
「いいえ、そういうわけにはいきませんわ。それに殿下がまだ何もしないのが良いと仰るのでリリアン様はお化粧水さえ付けていません。
せめてお風呂上がりのマッサージにはオイルを使わせて欲しいとお願いしたのですが、それさえもベタベタすると嫌だからと仰って殿下から許可が出ないのです」
「え、マジで?そんな事にまで殿下の指示があんの?
どんだけ(リリアン様のキメの細かいすべすべのお肌がお好きなんだよ)・・・いや今更だ、何も言うまい」
「だから安心して下さいね」
「・・・はい」
化粧水を丁寧に顔に馴染ませる。
大人しく目を閉じるとクラリスの優しい手の感触にリラックスしていくのを感じる。
化粧を落としたら寝不足の腫れぼったい目や、あの目の下の酷いクマ、そして荒れた肌が現れたはずだけど、クラリスはそれについて何も言及しなかった。
合間に「ちょっと目を閉じてて下さい」とか「ちょっと眉を整えさせてもらいますね」などと言いながらブラシを走らせ仕上がるまでそう時間もかからなかった。
「いかがですか」
「わあ!素敵、流石クラリスね!」ソフィーは感嘆の声を上げた。
「お嬢様、お綺麗です。クラリス凄い!」とコレットも賞賛する。
そう言われるとパメラも悪い気はしないものの目の下のクマがくっきり現れたはずで、素敵と言われても半信半疑である。
乱れた髪をアニエスに直して貰っているとさっそく呼び戻されたらしくニコラが入って来た。
「おっ嘘だろ、まるで別人だ!
すっげ〜な、いつものよりこっちのが絶対いい。普段からそうしろよ。
そうだ!学園でリリアンの護衛をする時はその顔な!そう規定にも盛り込んで貰おう」
「ちょ、師匠!変な規定を作らないで下さいよ」
「しっかし、こんなに変わるものかね〜?
女ってのは怖いな、皆んなにも気をつけろって言っておこう」
ニコラは聞く耳を持たず腕を組んで感心している。
「ニコラ様、クラリスの腕は本当に一級品なんですよ。
私、お母様がパーティーの時に素敵に変身するのを見て以来、ずっと自分の結婚式にはクラリスにお化粧して貰うというのが夢だったんですの」
「へぇ、そうなんだ。
ソフィーはいつだって綺麗だけど、夢ならクラリスに叶えて貰えばいい。リリアンはダメとは言わないよ」
「嬉しいです、お嬢様!ぜひ、私にさせて下さい」
「ねぇクラリス、私にもお化粧の仕方教えて!
私もお嬢様の嫁入りの時にはお化粧をしてお支度をしてあげたいから!」
コレットが興奮気味に前のめりになって手を上げた。
「ダメダメ、コレットに化粧されるなんて怖いから絶対ヤダ!」
などと皆んなでまだワイワイやっている所へ外から「王太子殿下とリリアン様がまもなく戻られます」と告げられた。
ヤバい、パメラはまだ首にタオルを巻いたままだった。