117話 風向きが変わるとき
その日の夕食の席でリュシアンは背を真っ直ぐ伸ばし、いつもの威厳のある声で聞いた。
「リリアン、リリアンが有り得ない馬の乗り方をしていると私の耳に届いているのだがそれは本当か?」
どうやらラポムの『伏せ』はリュシアンの耳にすぐに届いてしまうほど周囲を驚かせたようだ。
(あの乗り方は準王族的にはアウトだったのかしら?
せっかくパメラの手を借りず・・・手というかパメラの肩や脚を踏みつけずに乗り降りする方法を見つけられたのに、他の方法を考えなくてはならないかしら)
(だけど、フィル様が障害競技を禁止されていたという前例もある・・・)
リュシアンが威厳があるのはいつものことなのだがジッと見つめられだんだん心配になってきた。
有り得ない乗り方の禁止についてもだけど、リリアンが乗馬をすることそのものの許しが得られなくなると乗馬部を作れなくなってしまうから困ってしまう。
不安な気持ちのせいでリリアンはいつになく自信なさげにハッキリしない言葉を返した。
「はい・・・私としては有り得ているのですが、周囲の者にはとても珍しい乗り方だと言われました」
女性騎士養成の話し合いをしていた時に『貴族の女性はお淑やかであるべきで乗馬はお転婆のすることである。即ち貴族の女性は乗馬をするべきではない』というのがこの国の人の常識だと何度も聞いた。
だからこそ乗り手を増やす為には意識を変えさせなくてはならず、好印象をどうやって持って貰うかが最初の課題で難関だと知恵を出し合い長い時間をかけて話し合い、結論として 『私や宰相令嬢であるソフィー様が王太子であるフィル様と共に馬に乗る姿を見せることによってフィル様が女性の乗馬を認められたと知ってもらう』ということと『サイドサドルで優雅に見せることで女性らしさを出し乗馬に対する悪い印象を払拭させる」という2つの案を採用する事にした。
他の乗り方をといってもリリアン的には、パメラの肩や脚を階段がわりにして乗り降りしたのではとても優雅とは言えないと思うし、踏み台は踏み台で美しくサイドサドルから乗り降りするためにはもっと美しく見える所作の研究が必要になる。
私は身長の関係でオークレア先生のようには鐙に足が届かないからフィル様がいない時には自力でラポムに乗ることが出来ないのだからやっぱりラポムに伏せて貰うのがベストだと思うのだけど・・・。
「ふむ、聞いた話が本当なら何とも不思議な事だ。
何故そんなことが出来る?乗り降りの為に馬が自ら伏せるなどとても信じ難いのだが」
リュシアンは片眉を上げ興味深気にリリアンを見た。
実際のところリリアンは皆が言うような『馬に乗っていると周囲から奇異な目で見られる』という辛い体験はこれまで経験して無かった。
私の場合はそもそもお祖父様が銀の馬に乗って来いとラポムをプレゼントして下さったのだし、フィル様は一緒に乗馬ができることを喜んで下さるし、パメラにソフィー様やルイーズと一緒に乗馬を楽しんでくれる女性の仲間がいる。
馬具や衣装の専門店が王都に出店し、王宮には整備された色々な馬場があるなど素晴らしい環境の中にいる。リュシー父様も『サイドサドルなら』と譲歩して下さったから自分だけは圏外にいるとでもいうようにすっかり安心しきって過ごしていたけれど、宮殿で私が馬に乗るのを見た人の目には有り得ない常識外れと映っていたらしい。
(ああ、どうすれば誰もが認めてくれるようになるのかしら?)
あれこれと忙しく考えを巡らせ心配するリリアンにフィリップは優しく声をかけた。
それはちょっと茶目っ気さえ感じる話し方だった。
「リリィ、会議中の僕にも報告がきたよ。途中で抜けて見に行こうとしたんだけど練習はもう終わったと言われて間に合わなかったんだよね、見逃したことが残念でならないよ。
なんでもラポムを御するリリアンは周囲の者が平伏したくなるほど神々しかったとか言っていたな」
(フィル様だけは味方だわ。どんなことがあろうとも、そうしてフィル様が微笑んで見つめて下さっているだけで何があっても大丈夫だと安心できる・・・。
あれ?
何か今、変なことを仰られていたような・・・ラポムを御する?私が神々しいですって?)
意味を理解するのに数秒要した。
「なんですかそれは?そんなことないですよ普通です」
「ホホホ、私も聞いていてよ。侍女達が戻って来るなり『女神が降臨した』と口々に言っていたのよ。
私も見てみたいわその『光り輝く優雅な姿』とやらを」
「ええっ!?いくらなんでもその報告は大げさ過ぎですよ」
いくら面白おかしく伝えたかったにしても言い過ぎでしょう、パトリシア母様にそんなびっくりするような報告がされているなんて侍女さん達ふざけ過ぎ!!
それとも今日は王宮でホラ吹き大会が開かれていたのかしら?そんなのやっていたとは知らなかったけど・・・。
パトリシアは自分の見習い侍女達をこっそりと見に行かせていた。
偵察という事ではないけど自分の勧めたサイドサドルを使うのが危ないようなら辞めさせた方がいいだろうと考えていたからだ。
リリアンはベルニエ伯爵家から婚約者候補として預かっている大事な令嬢なのだから危険なことはさせられない。
それにリリアンの評判が乗馬をすることによって落ちるようならやはり止めさせた方がいいだろうとも考えていた。
だが戻って来た侍女達は口を揃えて褒め称えるばかりだった。
『とても美しい銀の馬に傅かれたリリアン様は女神のように神々しかったです!』
『銀の馬は丁寧にリリアン様を扱いとても危険なようには見えませんでしたわ』と。
そして、あの場に講師として来て居た歴史相のビジュー・オークレアは辺境のことが書かれたとても古い書物に『光り輝く銀の馬は女神の乗りもの』とあり、それを彷彿とさせる姿だと言い、まさに『光り輝く銀の馬の背に光り輝く優美な乙女が乗る様は天から女神が降臨したかのようだ』という一節そのままだと興奮しリリアンの事を大絶賛していたという。
なんだ、この国の人たちは女性の乗馬をそれほど嫌悪している訳ではないではないか。
「だったらわたくしも乗馬をしようかしら?
皆の話を聞く限り女性が馬に乗る事を嫌う様子は全く見られないわ」
「おいおい、パトリシア無茶を言うな。馬に乗るのはそう簡単ではないし色々な危険もつきまとうんだぞ」
パトリシアが乗馬に興味を示すとリュシアンが急いで口を出して来た。
2人目の子供を出産する時にパトリシアは体調を崩した。そしてせっかく生まれてきてくれたその子も例のあの病で失ってしまった。
気落ちしたこともあるのだろうそれから長い間体調が優れなかったパトリシアの事を今はすっかり元気になっているのにリュシアンは何をするにしても過保護なまでに心配するし外に出したがらないのだ。
「ええ、あなた解っているわ。
だけどリナシスは騎馬民族のリナ族が興した国よ。私の祖国では男女とも身分を問わず馬に乗るわ、もちろん王女であった私もね。
向こうでは公式行事は騎馬で行われるから3歳の時にはもう一人で乗っていたわよ」
「3歳!」リリアンはびっくりした。
「母上、母上が馬に乗れるとは初耳です。
今までどうして教えて下さらなかったのですか。しかも3歳からって早すぎやしませんか、騎馬民族ではそれが普通なんですか」
「だって夫人方から乗馬が出来るとバレたら野蛮だと言われ下に見られます、仮にも王妃となるお方が臣下に侮られてはなりません誰にも絶対に口外してはなりませんよって言われたのよ。
それから流石に3歳の時はまだ鞍に籠が付いていたわ」
「おい、結婚して20年経つのにそんなこと俺は初めて聞いたぞ・・・」
自分にまで秘密にされていたのがかなりショックだったらしい、リュシアンはお行儀悪くもナイフとフォークを手に持って立てたまま固まった。
パトリシアはそんなリュシアンを小首を傾げるようにして上目遣いに見る。
「実は学園に入った頃にも女友達に馬に乗らないのかと聞いたことがあるの、そうしたらそんなことを考えるなんて野蛮だわって言われたのよ。あなたにもそう思われたら嫌われると思ったし、だからとても言えなかったのよ」
「・・・そうだったのか」
目をパチパチとさせて元祖ヒロインばりの仕草で放つその一言でリュシアンの機嫌はあっさり直ってしまった。逆に嫌われまいとする健気さに心打たれた様子だ。
パトリシア母様、さすがです。
リリアンはパチパチと小さく拍手を贈った。
「だったらさっそくお前にふさわしい美しい馬を見繕い、宮殿お抱えの馬具職人にお前専用の美しい馬具を作らせよう。
そして国中にサイドサドルと女性が騎乗する時に着る服を作るよう奨励する発令を出そう。
特にお前の為には女性の乗馬が野蛮だとは誰も思いもしないようにこの上なく優雅で美しい物を作らせるのだ。最も素晴らしい衣装を作った者には褒賞を取らせることにしよう」
パトリシアが乗馬をするに当たって次々と施策を決めるリュシアンの表情は期待に満ちて嬉しそうだ。彼の頭には夫婦一緒にウフフ、アハハと草原を馬で駆ける未来が描かれているに違いない。
「父上、リリィが乗ると聞いた時にもすぐにそうして下さったら良かったのに」とフィリップはそんな父を口を尖らせてジトっと見る。
馬に乗るリリィと自分が共にいることで学園生を相手に乗馬に対する印象を変えようとはしていたが、国中に奨励するという発想は無かった。
女性の乗馬を推進するような施策を国王と王妃が全国に向けて取れば意識改革も容易に進みそうだ。せっかくならもう半年早く始めていてくれてたら、こちらの春からの女性騎士養成の話もかなりラクに進みそうだったのに。
「私が言う前にお前はベルニエの店にもう話をつけていたじゃないか、あの時は出る幕が無かったのだから仕方があるまい。
それに王妃が王太子婚約者候補の為の店で後からお買い物という訳にはいかないからここは張り合わせて貰う。王妃パトリシアは私の色をまとった馬に乗る、国中で一番麗しい存在でなければならないからな」
「ええ〜」
何故だか妙に張り合ってくる父に心底呆れたフィリップだったが、リリアンは王妃を心から愛する国王の想いがこめられたお言葉に感激していた。
「素敵です、リュシー父様!!」
乗馬を禁止されるどころか国王自ら王妃が乗馬を楽しめるように広く推奨する政策をとると言うのだから女性騎士に必要なスキルのうち乗馬に関しては前途洋洋と言えそうだ。
しかしパトリシアが乗馬姿をお披露目するのはまだずっと先の話になりそうだ。まずは王妃に相応しい最高の馬を手配しなければならないと言っているのだから。
かくして銀色のラポムに対抗して美しい金色のアハルテケを探すことになった。
かつて宮殿に一頭いたからその存在はよく知られていたが今はいない。各地に人が送られたが超希少種ゆえ国内では見つからず外国にまで手を広げて大捜索されることになった。
その一方で青色と金色の装飾が入った豪華過ぎる馬具が職人魂を込めて作られているらしいがいつ仕上がるか分からないという程の超大作だという。
そんな話を聞いたフィリップは父の母への溺愛っぷりに呆れてしまった。一緒に遊べるのが楽しみで仕方がないらしく顔を合わすたびに嬉々として父は途中経過を教えてくれるのだ。
フィリップは青い馬具の金色の馬にピンクの髪と目の王妃が乗る姿を想像してみる。父上は国中で一番麗しい存在でなければならないなどと言ってたがド派手過ぎて麗しさはどこか遠くにぶっ飛んでないか?
母上はそうでなくても自身の色の主張が激しすぎて父上の色が全く似合わないのにそれが金に光る馬に乗るとかもう目がチカチカしそうだ。
だが、国王である父がやりたくてやってる事だし、金と青を纏っているのを見ると似合うかどうかは関係なく満足しているようなのでまあ止めなくても放っておけばいいだろう。
それに、父上には悪いがどう足掻いたって国中で一番麗しいのは僕のリリィと決まってるし。
フィリップもリリアンとウフフ、アハハと一緒に馬を並べて外を歩く明るく楽しい未来に想いを馳せるのだった。




