115話 初めての嫉妬
「フィル様〜」とリリアンが大きく手を振ると、向こうでフィル様が素敵な笑顔で手を振り返してくれた。
うふっ、かっこいい。
「あ、レニもいるじゃん」とパメラも口元に笑みを浮かべ小さく手をあげた。
レーニエは微笑み、それに頷いて応える。
すぐにフィル様の元まで走って行きたいけど、遠くまで私が走ると護衛の人たちも一緒に走らせることになってしまう。近づくのを辛抱強く待ち、もういいかなって思う距離になったらいつものようにリリアンはフィリップに駆け寄った。
「フィル様!今日の執務はもう終わられたのですか?」
「いいや、今日はまだ終わってないんだ。今はお昼が近くなったから迎えに来たんだよ。
それでリリィ、サイドサドルは座ってみてどうだった?乗れそう?」
「それがその、お喋りをしていてまだ座ってないのです」
「そうなんだ。よっぽどビジューと気が合ったんだね?」
「はい」
あれ?
今、フィル様がオークレア先生をファーストネームの呼び捨てで呼んだ?
なんだろう、その事に違和感を感じてしまう。
リリアンはフィリップの腕に抱かれてパメラやオークレアのいる所に戻って来た。
「やあビジュー、引き受けてくれてありがとう。明日からはメンバーが増えるけど引き続きよろしく頼むよ」
「はい、殿下。承りました」
「でも急に頼むことになったけど仕事は大丈夫だった?」
「ええ、ちょうど新しいテーマの申請をしたところで許可待ち中だったからちょうど良かったの」
「そう、なら良かった。でもその申請書類はまだ見てないな」
「一昨日必要書類を書き上げて昨日上司に渡したところだからまだダルトワ歴史相の手にも届いてないかも」
「成る程、じゃあこっちに回って来たらよく検討させてもらうよ」
「ええ、お願いするわ」
フィリップはビジュー・オークレアに声を掛けたがリリアンにはそれがとても気安いように感じられた。それにオークレアの方も王太子殿下と話すにしては随分気安い口調だ。
やっぱりそうだ。
私たち以外にこんな笑顔で親しげにするフィル様を見るのは初めてかもしれない。だからちょっと変な感じを受けてしまってるのかも。
すると今度はレーニエがオークレアに声を掛けた。
「あれ、なんだサイドサドルの講師ってビジューだったんだ?馬に乗れるなんて君のことなのに今の今まで知らなかったよ」
「あら、レーニエ。
私の馬での通勤は最初からずっとよ。
でも騎士団と私たちは出入りする門も厩舎も全く違う場所にあるから顔を合わす事はないもの、知らなくても仕方がないわ」
「それになかなか顔を見せてくれないし。宮殿にいてもビジューはいつもモグラの穴に直行だもんね!?」
「それはそうよ、だってそれが仕事よ。私たちの仕事ってこもってなんぼだもの。レーニエはいつも明るいところにいるから宮殿の穴ぐらがどんなに最高なのか知らないんでしょ?静かでとっても居心地がいいんだから!」
「知らないね、きっと入ったら即寝てしまうだろうな。今度仮眠を取るときに行こうかな」
「残念ながらお布団は敷かれてないの」
「ホント?それは残念!」
そう言って、うふふあははと笑ってる。
あれあれ?レーニエとも親しげだ。
「あの、フィル様。オークレア先生とお知り合いだったのですか?」
「ああそうだよ。
僕たちもう結構長いよね?」
とリリアンに返事をした後、フィリップはオークレアの方を向いて同意を求めた。
フィル様が一人称を私ではなく僕って使うだなんて、なんだか本当に親しげ。
「ええ」
「あれは2年、いやもう3年になりますよ」とレーニエが言う。
「まだそんなものだっけ?」
「その3年前に何があったっていうの?」とうとう痺れを切らしパメラが聞いた。
「あ〜、あの時のことを聞きたい?
大変だったけど今思い出すとなかなかスリルがあって面白かったな〜、あれはもう完全なるビジューの武勇伝でしかないよね」レーニエはすごく楽しそうだ。
「そうそう、武勇伝、武勇伝」フィリップも楽しそう。
「そんなことないですよ」と手を振り照れ笑いのオークレア。
「で?
具体的には?」
不機嫌そうなパメラが先を催促する。
パメラの様子に気づいてないのかレーニエは楽しげに教えてくれた。
「あれはね〜、王都で長い間解決しない連続通り魔事件があってさ、すっごい人数投入して見回ってたにも関わらず事件はやっぱり起こるし犯人の目星はつかないし難題だったんだよ。
で、ビジュー様の登場さ。
繰り返される犯行の特徴や現場に残された証拠品から過去の事件に酷似していると教えてくれて、そしたら何と次からは殺人事件になるかもしれない可能性が出てきてどうしようって大騒ぎさ。
結局、いつ何処に現れるかをビジューが予測して、貴族の若い女性が狙われてるってことで囮にまでなってくれたんだよね」
「そうそう、あれケッサクだったな。犯人腰抜かすし」とフィリップ。
「もう2人とも。本当に怖かったんですから」
オークレアが笑いながらも憤慨するとレーニエは素直に謝った。
「ごめんごめん、面白いなんて言ってあの時ビジューは必死だったんだよね。実際にそのつもりだったと自供していたし私たち騎士団が周りにいながら危ない目に合わせて悪かったよ。でも犯人は捕まったし事件が解決して大手柄だったんだよね」
「ええ、そのおかげで閲覧禁止エリアの図書の永年完全閲覧許可を殿下が褒賞にって取って下さって。今度の研究テーマもそこに入れないと進められないし、それは今でもとても助かっているんです」
「全てのビジューの研究成果を僕が都度見せて貰うっていう条件があるけどね。
それにこちらこそあの時に本格的な古文書の解読法を教えて貰ったのが今になって役に立ちそうだよ。
まだある程度分かってる時代の物を調べながら読んでいる程度なんだけどそれでも面白い、いずれは未知のもっと古い文書を解読しようと思っているんだ。できたらもっと実力をつけて研究者になりたいくらいだよ」
「まあ、本当ですか?それは是非!」
「ビジュー、私もあの講義のお陰で前よりもっと歴史や古文が好きになったよ」
「そうなの?レーニエにそう言って貰えるとうれしいわ」
「うん、それがねとうとうそれを活用するチャンスが訪れたんだ。
ちょっと前に父の部屋をリフォームしたんだけどその時に古い戦さのことを綴ったらしい図入りの手記が見つかってね、壁に埋められていたんだ。あれが誰が書いたものなのか知りたいし内容を解読してみたくてね」
「まあすっごく面白そう、それ私も見たいわ!」
「じゃあ戻って来たらちょっと解読に挑戦してみるから添削してよ。結構劣化してて今は司書に修繕と虫干しをお願いしてるんだ」
「ええ、楽しみだわ。まずはそれが書かれた時代を特定しないとね!」
「日付は入って無かったから分からないけど、わざわざ隠されていた物だし父はこれがプリュヴォ国が統一された最後の戦いの事だといいな!更にウチの先祖が活躍してくれてたらもっといいのにな!って相当期待してたよ」
「だったら約百年前ね」
「ロマンだな」
「よく分からないけど初代王の名前はパッと見無さそうだったけどね」
「なんだ、じゃあ違う時代の可能性の方が高いな」
「それはそれで面白そうよ。新たな歴史が紐解かれるわ」
ああ、フィル様が以前『僕も古文の解読が出来るんだよ』と仰られていたのは、オークレア先生に習ったからだったのね。
フィル様とオークレア先生とレーニエには、私が知らない頃の思い出が、楽しく一緒に過ごした時間がいっぱい、いっぱいあるんだわ。
なんだろう?さっきまでこの辺りがなんだかモヤモヤしていたけど、今度は急に物悲しくなってきた。
リリアンの気持ちとは裏腹に3人はまだ盛り上がっている。
「そうだ、まだ未解決の事件がいくつかあってさ、ビジューそっちもまた協力してよ。もう歴史相にいるより謎解き相になったらいいよ。ね、殿下もそう思いませんか」
「そんな変な相は新たに作れないよ、必要なら騎士団内でそういう部署を作ればいい」
「え、ちょっと待って嫌ですよ。私今の仕事を生き甲斐にしているんですから止めてください」
そうオークレアが断るもレーニエは諦めない。
「えー、でも放火事件とか窃盗に押し込みと色々と犯人不明の被害があるんだよ」
「うーん、それは場合によっては協力はしてもいいですけど・・・」
リリアンの胸がザワザワと騒つく。
(また、オークレア先生とフィル様は一緒に何かするの?)
フィリップの、王太子の仕事を助け一緒に何か出来る者こそが王妃にふさわしいと考えていたリリアンは我こそはと王宮での勉強をそれはそれは頑張っていたけれど、オークレアには既に一緒に何かをするだけの知恵と実績があった。
その上、女嫌いと言われていた頃にさえこれだけ打ち解けられるほどの魅力がある。リリアンが何も知らない頃からずっと・・・。
不安な気持ちが高まって押し潰されそう、ドキドキと自分の心臓が鳴るのが分かる。
リリアンを腕に抱きながら顔はオークレアの方に向けて微笑んでいるフィリップ。オークレアも口では気が乗らないと言っても顔は笑っている。
近くにいるのになんて遠い。
(また一緒に楽しく過ごすの?もしかしてフィル様は他の誰よりオークレア先生といるのが楽しいの?)
(怖い、そんなのイヤ)
(フィル様どうかその事に気づかないで・・・)
「フィル様、・・・フィル様」
と力のない声で名を呼び、無意識にフィリップにしがみ付いていた。
「リリィ?」
急に不安がるような様子を見せたリリアンの顔を見ようとするもリリアンの顔はフィリップの肩より後ろにあった。だから背をポンポンと叩き落ち着かせようとする。
「ほら、レーニエが未解決事件があるなんて言うからリリィが怖がってるじゃないか。もうこの話は終わりだ。
リリィ、大丈夫だよ。
君のことは僕が守る、誰にも何もさせやしない。
だから安心して?何も不安がることはないんだよ」
「はい、フィル様」
無理やりこちらを振り向かせる結果になったことを恥じながらも、気に掛けてくれたことが嬉しくて、しがみついていた手をほどきフィリップに向かって微笑んで見せた。
「よしよし、いい子だ」
フィリップはリリアンの髪を寄せオデコにキスをした。
温かく優しいキスを額に受け喜びを感じながらも子供扱いをちょっと不満に思ってしまう。
もう淑女として見て欲しい。けど、こうして四六時中優しくされて抱っこされたりお膝に乗ったり手を繋いで歩いたり寝るときにひっつきあって寝るのはほんのちょっとでも止めたくない。
オークレア先生に対抗する為にはもう自分の足で立たなければならないのに、この腕から降りたくない。結局、今の立ち位置はとっても最高で、とっても捨てがたいものなのだ。
「わたし、まだまだ赤ちゃんですね」
ちょっと複雑な女心を持て余し、もう一度フィリップの首にしがみついてしまった。それを見たフィリップはふざけて赤ちゃんにするように揺すってポンポンと背を叩いてやりもっと甘やかそうとする。
「おぉ、よしよし。僕の可愛いリリィ、もう怖がらなくていいからね〜大丈夫、大丈夫」
「うふふ、やっぱり本当の赤ちゃんみたいだわ」と頬を染め首をすくめるようにして笑いながらリリアンはやっぱり自分は幸せ者だとしみじみと実感した。
だって、こんなに大事にしてもらえるのだから・・・フィル様、大好き!
こうしてリリアンは今のところ現状維持を選択し、フィリップからたっぷりと愛情を与えて貰って気持ちを落ち着けることが出来た。
それでいいのだ、リリアンは正しい選択をした。
フィリップにとってオークレアは圏外だし。
というかリリアン以外は圏外だし。
もう妹とかいうのは触れ合う為の口実だし。
リリアンなりの自然な速度で大人になっていけばいいのだから。
その一方で、パメラはまだ面白くなかった。
レーニエはいつでも誰に対してでも明るく親切で感じが良い、それは知ってる。でもこんな風に砕けた調子で特別親しくする女性は自分が知る限りこのオークレアの他にいない。何か自分たちだけの濃密な時間があったのだと匂わせるやり取りも。
だいたい妹に対してでさえこんなに仲良さげにはしていなかったじゃないか。
それだけの事が無性に気に食わないのだ。
ドロドロとした何かが腹の奥底からムクムクと湧き上がり、ボコボコと煮え立ってグルグルと渦を巻いている。
それでもこの怒りや苛立ちに似た何か得体の知れない感情が溢れ出し暴れ出さないようにコントロールしなければと思うだけの余裕はあったようだ。
周りに気取られないゆっくりした深呼吸を繰り返してなんとか心を鎮めていった。
己を出さずコントロール出来たのは日頃の訓練の賜物だろう、これはあっぱれだったと言うしかない。
しかし、彼らを燃えるような目で見ていた事は自分でも気づいていなかった。